ローカルルール(作られた現実)を助けるもの~俗な知識

 

 

 ニセの感情とともに、ローカルルールを除き物理的な現実に根ざすことを阻むものとして「俗な知識」が邪魔をすることもあります。「俗な知識」とは、ポップ心理学(俗で間違った心理学)や、脳科学の知識とか。

(参考)→「「物理的な現実」に根ざす

 

 

 例えば、「私は発達障害なんです」とか、「私は脳の力が劣っているのです」といったことです。

 一見、本当っぽく見えて事実ではない。

 

 もちろん、検査したら実は発達障害でした、という可能性はありますけども、多くの場合、心気症にもにて、取り越し苦労(ローカルルール)であることばかりです。

 

 でもその取越苦労は、俗な知識によって補強されているためになかなかやっかいです。「そうはいっても、~~にちがいない」「そう思えるのです」と、物理的な現実に根ざすことを阻みます。

 

 「俗な知識」とは、ローカルルールそのものではありませんが、その維持を助けるのです。

 

 スピリチュアル、オカルト、宗教の知識といったものも俗な知識として影響したりします。

(参考)→「主婦、ビジネス、学校、自己啓発・スピリチュアルの世界でも幻想のチキンレースは蔓延っている

 

 「この不幸は自分が引き寄せたのかな?」といった考えなどはそうです。

 結論から言えば、その人のせいではないのですが俗な知識がローカルルールを補強した結果、ローカルルールは延命されてしまうのです。

 

 脳科学や、心理学には間違って広まった知識はたくさんあります。
例えば、「人間の脳は、その一部しか使われていない」といったようなこと。

 アメリカである作家が比喩として言ったことが端緒で、自己啓発で商売している人たちが援用してひろまった俗な知識といわれています。

 

 事実ではありません。

 

 本物の事実はローカルルールを壊す作用があります。
 真実の報道が不正や独裁を倒すように。

 しかし、反対に、俗な知識というのは、ローカルルールを助けてしまう作用があります。

 

 「俗な知識」とは、ローカルルールにも似てそれを広めた人たちの「見たいものを見たい」というプライベートな感情(思惑)が背後にあるのかもしれません。本当の知識は「現実をそのまま見る」というものと言えそうです。

(参考)→「「物理的な現実」に根ざす

 

 
 科学というのは仮説の集合体ですから、なにをもって本当として、なにをもってそうではないとするかは一見すると難しい。異端とされるものや突飛なアイデアが次の真実になることもあります。ただ、明らかに俗な知識は避けて、本物を得ていく必要があります。

 

 とくに、自分の中でローカルルールと関連づいた知識は怪しいと思わないといけません。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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ローカルルール(作られた現実)を助けるもの~ニセの感情

 

 ローカルルールを除き、物理的な現実に根ざす途中では、様々なものが邪魔をします。

(参考)→「「物理的な現実」に根ざす

 

 まずはニセの感情。不安、恐怖、罪悪感など。

 例えば、家族を大切にしなければ、というローカルルールが強く湧いてきたりすると、今ある状態を巻き戻していくこと自体に家族を裏切っているような罪悪感が湧いてきて、徹底できなくなったりします。

 その罪悪感は、刷り込まれたニセの感情であり、本物の感情ではありません。

 しかし、ローカルルールを成立させるために存在していて、例えば罪悪感を感じることが正しい(常識)かのように感じさせられていたりするのです。

 

 

 別の例で言えば、ビビリといった反応も、実は、ローカルルールに伴って刷り込まれた反応だったりします。

 ビビリとはある種の過剰適応で、他者が理不尽な行動をすることに対してビビることで相手に巻き込まれて、そのローカルルールの維持を助けています。

 

 子供の頃、親が自分の私的な感情で行動していることに対してビビることで、親に巻き込まれる。

 そして、親のローカルルールの維持に関与させられていると、ビビることが条件付けられて、それ以外の場合でもビビるようになる。いつしか、自分はビビりだ、と思わされるようになって、ローカルルールを助ける条件が当たり前のものとして意識化されなくなってしまう。

 

 会社で上司やお客さんが怒ったときも、ドキドキしてしまいますが、それは、正常な反応というよりは、実は、ローカルルールによる巻き込みの反応だったりする。

 本人は、「自分はビビリだから」と思っていますが、実はそうではない。本当の反応ではない。

 もちろん動物である以上、本当に対処が必要な場合は身体の反応として血流や拍動が高まったりするようにできていますが、この場合のビビリは、本当のビビリではない。

 
 内面化した自分のローカルルールについても、ビビることでその延命に力を貸すようになってしまう。ちょっとしたことでビビってしまって、判断を過ってしまう。

 

 ローカルルールというものがわかると、「自分はビビりだ」と思っていた人は実はそうではなかったりする。

 こうしたビビリとかに代表されるようなニセの感情は、自他の区別を曖昧にさせ、自立を阻むものです。

 

 ヤクザが相手をビビらせようとするのも、自他の区別を曖昧にさせ、因縁をつけてローカルルールに巻き込むためですね。

 

 人間同士は本来はもっともっと互いに関わりが薄く距離があるものです。
とくに内面に立ち入ったり、立ち入られたりする権利(筋合い)は誰にもないものです。
 

 

 しかし、ニセの感情はそれを曖昧にしてしまうのです。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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“作られた現実”を、さらに解体する。

 

 物理的な現実に根ざす、と聞いても、

 「そうはいっても、私の容姿は物理的に劣っている」
 「学歴がないのは、物理的な現実です」

 という考えが拭えない、という場合があります。

(参考)→「“作られた現実”を分解する。

 

 もちろん、それもローカルルールによるもので、それ自体が、「物理的な現実」ではありません。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 
 「でも、容姿は物理的なものでしょう!?」というかもしれません。

 これもやっぱり、実はローカルルールによるものなのです。

 

 確かに、実際には、人間の能力には凸凹があります。
 容姿にも違いがあります。

 ただ、それは、「違い(差異)」であって、「優劣」ではないのです。

 

 例えば、ある女性芸能人がいらっしゃいますが。その方はとてもふくよか(太っていて)で、いわゆるモデルさんのような容姿では全くありません。
 
 しかし、ふくよかな容姿が好きな男性はいて、モテモテなのだそうです。

 

 よく言われますが、AKBなどのアイドルも、必ずしも容姿で順位が決まるわけではないとされます。センターにつくようなアイドルが、「ブサイクだ」「どこが可愛いかわからない」と言われることはしばしば。でも、投票されるとセンターになるのです。

(参考)→「人の考えも戯れでしかない~考えや意見は私的領域(生育歴)の投影でしかない。

 

 つまり、物理的なものであるように見える容姿も、見る人によってかなり様々なのですし、俗に良いとされる容姿という要素が最も重視されるわけでもない。

 

 

 学歴もそうで、たしかにあるカテゴリでは学歴は有利ですが、
別のカテゴリでは、学歴は不利に働くことがあります。

 実際に、叩き上げの職人さんを相手に働く国立大卒の方は、「叩き上げに憧れる」といって、むしろ学歴があることに劣等感を感じるというのです。

 また、プロスポーツの世界では、実力が物を言いますから、学歴は関係がなくなります。 

 

 

 以上のように、なにか単一の要素ですべてが決まる、と考えることはローカルルールからくるものです。
 ローカルルールとは、目の前の事象、状況をうまくとりあげて「これが現実だと」と偽ります。

 ローカルルールとは、特定の要素に意図的に絞り物事に優劣をつけることで、ニセの秩序を形成します。

 

 対して、常識(グローバルルール、パブリックルール)とは、多元的、多層的です。
 物事が見方、切り方によってさまざまで、実は価値判断を安易に下さないし、下せないというわきまえがあります。多様なものが共存する場としてが本来の機能なのです。

 

 そうした観点から見れば、物理的な事象も、単なる「違い(差異)」でしかありません。

 これが本来ある「物理的な現実」です。

 

 「物理的なもの」が、たちまち「物理的な現実」なのではありません。
それは、入手した資料のすべてが「証拠」ではないのと同じです。

 

 ローカルルールはしばしば、都合よく目の前にあるものを利用します。

 

 常識を支えにして、そのためまとわりついている、おかしな価値判断(ローカルルール)を剥ぎ取る必要があります。

(参考)→「“作られた現実”を分解する。

 

 単要素(単次元)だけで価値判断を下して、「現実だ」と騙るのはローカルルールです。

 そして、そこに劣等感だとか、罪悪感だとか、不安感だとかいう感情をまとわりつかせていく。俗な知識もまぶしていく。
 さらに言葉が真実だと、を真に受けさせることで、単要素だけの価値判断があたかも正しいかにみえる言葉ばかりが入ってくるようにする。
 やがて、それが“現実”だと感じさせられ、「作られたものだ」ということがわからなくなってしまう。

 
 これが、私たちがさいなまれる、劣等感や自信のなさの正体です。

 

 

 物理的な現実に根ざす、ということの一番の意味は「本来の自分(や社会)」を知る、ということです。

(参考)→「「物理的な現実」に根ざす

 

イメージや印象と言ったことに巻き込まれない。物理的な自分を捉える。

 自分というのは、多元的、多層的です。

 決して一つ要素では語ることができません。

 そうしてみていくと、「自信がない」とか「劣等感だ」とかが作られたものであることが明確になってくる。

 

 「物理的な現実に根ざす」と、恵まれて見えていた他者がそうでもないこともわかってくる。それぞれに不幸であることが。

 例えば、ハラスメントを仕掛けてきてモンスターのように見えていた他者も不全感を抱えていて、単次元の要素だけで価値判断をするようなローカルルールでもなければ優劣を維持できないほど弱いこと、大したことがないことも見えてくる。
 

 

 物理的な現実に根ざす、ということも、発達の過程で自然に起きることでもあります。神のように見えていた他者や、万能感を持つ自己が等身大になってくる、ということ。

 

 言葉を戯言として「物理的な現実」に根ざすとは、ローカルルールとトラウマに阻まれて等身大に物事を見ることが機能しなくなった状態を意識的に回復させるために行うこと事ができる方法です。

 

 

 例えば、失礼なことを言われていたり、劣等感をもっていて、何をしてもそれが拭えなかった人が、「今まで真に受けていた評価って、結局ローカルルール似すぎない。単にその人が自分の不全感を解消するための戯言に過ぎなかったんだよな」

「あれ?自分は結局自分でしかない。劣等感なんて感じる必要なかった」

 と思うようになってくる。

 

 物理的な現実に根ざす、という視点がなく、ただ、考え方を変えよう、イメージを変えようというアプローチだと、ローカルルールの世界の中で踊らされているだけなのでどこまで言っても劣等感が拭えなくなる。
 人の言葉一つで簡単にひっくり返されてしまう。虚構の世界同士だからです。

 

 言葉は戯言だと知り、物理的な現実に根ざしていくと、魔女の魔法の家(ローカルルール)から出て、外の世界がいかに大きく多元的で多層的か、そして、ローカルルールを仕掛けてきていた他者がいかにちっぽけで大したことがなく、自分は自分なのだ、ということが見えてきます。

 

 物理的な現実に根ざすと「代表」も機能するようになってきますから、社会の位置と役割の中で、異物のようであった自分というものが解消されていく感覚が得られるようになってきます。

 (参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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“作られた現実”を分解する。

 

 

「物理的な現実に根ざす必要がある」と聞くと、
「いま、ハラスメントにあっている自分というのは現実なんです」「今まで失敗を繰り返してきたのは現実なんです」「だめな自分は現実なんです」
ということが頭に浮かんでくる方がいらっしゃいます。どうしても、目の前にあるものが現実に見えると。

 

 

 まず結論から言えば、それは、ローカルルールによって“作られた現実”ということになります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 ローカルルールは、現実というものを歪曲したり、不利な環境から現実を作り出したりします。今ある状態が現実であると真に受けさせられて、ローカルルールが維持されてしまうことになります。

(参考)→「ローカルルール人格が感情や記憶を歪める理由

 

 

 そのため“現実”とは何か?について整理しておく必要があります。

 まず“現実”とは、今ある「状態」のことではありません。

 社会において、今ある「状態」とは、多くの場合、時間の経過を経て、作り出されているものです。

 

 例えば、アメリカ社会において黒人は白人に比して、犯罪率が高かったり、所得も低かったりすることが知られていますが、それをもって、「黒人は白人よりも劣っている」と考える人がいれば、それが誤りであることは明らかです。

 

 「でも、個人が頑張ればいいじゃない」「機会の平等があるのに犯罪率が高かったり、所得も低いのはやはり努力が足りないのでは?」という考えが出てきますが、人間というのは環境によって成り立っている生き物です。環境のサポートがなければ社会的な成功もおぼつかないのです。

 

 個人の意欲や努力でさえ環境の支えによって生み出されるものなのです。
 実際、日本でも、東大に進学する人の家庭の所得はそうではない人と比べると高いことが知られています。

 差別されてきた人々にとっては、経済的な環境だけではなく、社会からの視線もハンデとなります。

 
 そうした諸々の影響の結果、道徳の荒廃などがうまれて犯罪率の高さにつながったり、所得の低さなどに影響するのです。

 その「状態」は物理的な現実か?といえば、違います。

 

 「物理的な現実」は、どこまでいっても「黒人も白人も、基本的に人間の能力に差はない」ということです。

 歴史的に社会的に形成されてきた「今ある状態」が「変わらぬ本質」であると思わせることもローカルルールだということです。

 

 

 私たち個人でも同様です。
 環境が整っていなければ、成功することはできませんし、否定的な認知にさらされ内面化されていれば、パフォーマンスは下がります。

 

 社会心理学では、「ピグマリオン効果」ということが知られています。

 実験で、教師が、本当は違いがない2つのクラスにおいて、「このクラスの子は優秀だ」「このクラスの子は問題児たちだ」と事前に伝えられて授業に臨んでいると、実際に伝えられたとおりに、優秀だと知らされていたクラスは優秀になり、劣っていると知らされていたクラスは成績も下がってしまうのです。

 これも、“作られた現実”です。

 
 「物理的な現実」は、「どちらのクラスも差がない」のですから。

 

 

 でも、目の前の状態を変わらぬ本質だと思わされてしまうと、「ほら、事実、テストの点数に現れているじゃないですか?!彼らは成績が悪い子達なのです」という人がいたら、その人はやはり間違っているのです。

 

 

  調査などで、集めた資料がすべて「証拠」では無いことと同様です。分析され、選別されたものだけが「証拠」です。
 

 しかし、私たちは今ある状況を「証拠」だという人によって振り回されることがある。「実際に、あなたはできていないじゃない」「実際に、失敗してきたじゃない」といったような発言に。

  
 親が不全感から、「あなたはだめな子だ」「あなたは気が利かない」「だめなお父さんにそっくりだ」などと子どもに伝えていれば、子どもはそのようになりますし、自信のなさから失敗を繰り返してしまうことになります。

 これは、人為的に作られた「状態」であって、「物理的な現実」ではありません。
 

 
 「物理的な現実に根ざす」とは、「今ある状態」について真に受けず、時間を巻き戻すようにして、ローカルルールによって形成する過程や、構成している環境を分解していくことです。

 不安、恐怖、罪悪感、劣等感と言った感情もまとわりついていますから、それも拭う必要があります。

 そうした作られた現実を剥ぎ取った先に「物理的な現実」が見えてきます。

 

 

 そのためには、普段使う「言葉」に注意する必要があります。
 安易に「現実」とよんでいると混乱させられて、ローカルルール人格にうまく利用されています。

 まず、今目の前にある現実については、「状態」「状況」と呼びます。

 過去についても、「過去の状況」と呼びます。

 そして、今ある「状態、状況」とは、歴史的、社会的に構成作られたものだ(作られた現実)と知り、
巻き戻して、分解した先にあるものだけを「(物理的な)現実」とするのです。

 

 「今ある状態、状況」=(物理的な現実+ローカルルール+否定的な感情+俗な知識+過去の記憶+取り巻く環境 など)

 といったように。
 

 

 「物理的な現実」がわかれば、ローカルルールに対抗できる足場ができます。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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