「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである

 

 人との「関係」を再度組み上げていくためには、コミュニケーションとは何か、付き合いとは何か、というものを整理して知る必要があります。

 トラウマを負った方、生きづらさの中にある方は、その指針が混乱し、失われてしまっているからです。指針ができれば、かなり楽になります。
 

 

 まず、人間の心理、感情は複雑である、という刷り込みが私たちの中にあります。

 表の表情と裏の表情が違う。矛盾する感情を抱え込む、政治の世界での駆け引きに見るような難しいやりとり、といったようなこと。これが人間である、と考えています。

 しかし、実は、そうした難しい感情というのは、私的な情動が適切に表現できなくなっている病的な状態であることがほとんどです。

 例えば、回避、防衛、投影、といったような複雑な反応というのは、困難な状態に対して自分を守るために行っています。
 政治の世界の駆け引きというのは、かなりの応用問題(これも病的といってもよいかもしれませんが)。

 

 

 本来、人間は健康であればあるほどそうしたことは問題にはならないのです。

 つまり、まず、最初に知らなければならないのは、基本的に健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである、ということです。

 例えば、

  うれしい時には、うれしい表情や態度をとる

  悲しい時には、悲しい表情や態度をとる

  何もない時は、何もない表情や態度をとる

 これが健康的な状態です。
 裏を読む必要もありません。

 

 

 反対に、病的になってくると、出来事と反応とが一致、一貫しなくなります。
 

  うれしい時に、悲しい表情や態度をとる

  悲しい時に、うれしい表情や態度をとる

  何もない時に、実は怒りを感じている。

 これは、異常な状態です。

 

 アッと思った方もいらっしゃるかもしれませんが、後者はトラウマを負った方の育った家庭(機能不全家族)で見られるものです。
 

  うれしい時に、例えば誕生日の時に、家族で楽しいお出かけの時に、お父さんとお母さんが機嫌が悪くなり、ケンカをする。
 
  自分が悲しい時に、家族が共感してくれない。

  何もない日常なのに、急に母親がイライラ、怒り出す。
 
 

 

 こうした状態を経験しているために、トラウマを負った人にとっての人間とは「複雑な存在」と感じられます。その複雑さに対応しなければならないとして、過剰適応、過緊張となりへとへとになります。そのような複雑なやり取りを経験しているため、自分や他人の感情を適切に感じることができなくなってしまうのです。

 そのため、人との付き合い方がわからない、教えてほしい、とカウンセラーに相談するようになります。

 

 

 しかし、本来の健康な人間はシンプルです。

  うれしい時には、うれしい表情や態度をとる

  悲しい時には、悲しい表情や態度をとる

  何もない時は、何もない表情や態度をとる

 人とのコミュニケーションは、この原則が基本です。

 

 

 

 ただ、世の中で暮らしていると、この原則から離れた対応をしてくる人、場面があります。

 その際は、どうするのか?どう考えるのか?といえば、

 「相手のコンディション(あるいは環境)がおかしい」

 そして、「自分とは関係ない」ととらえます。

 その上で、相手と距離をとる、巻き込まれないようにする、という対応になります。
 ※愛着が安定している方は、これが比較的できています。

 

 
 例えば、会社で同僚がイライラしている、という場合。
 トラウマを負った人であれば、「自分が怒らせたのかな?」と考え、

「大丈夫?」と気を使って近づいて、

「あなたのその態度、仕事ぶりがイラつかせるのよ」といったような因縁をつけられて、

「ああ、やっぱり、自分のせいだ」となってしまいます。

 

 

 一方、愛着が安定しているの方であれば
 「ああ、あの人なぜかいらいらしているなあ。家で嫌なことでもあったのかなあ」とぼんやり考えて、自分の仕事に集中します。

 自分にイライラを向けられても
 「なんか、イラついているね。なんか嫌なことでもあった」といったように、自分とは関係ないことだ、というニュアンスで、適切な距離が取った対応ができて、とばっちりを受けることがありません。

 

 

 人間の感情というのは、最初からあるものではなく、実は、〝私的な”情動が適切な表現と結びついてはじめて、〝公の”「感情」「表現」ということになります。この〝私的な”「情動」を、〝公の”「感情」「表現」へと適切に結び付けることが、いわゆる「愛着」というものの機能です。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 たとえば、小さい子供にとっては自分の感情は自分でもよくわからないことがあります。
 親とのやり取りの中で、「おなかすいたの?」「眠いの?」「これほしいの?」「うれしい?」というかかわりの中で、
 「ああ、この感覚はおなかがすいたということなんだ」「これは眠い、ということなんだ」「うれしいってこういうことなんだ」と知ることで
 私的な情動にすぎなかったものが、公的な「感情」「表現」へと一致、昇華され、私たちは社会化(成熟・適応)されていくわけです。

 

 親の養育が不適切であったり、上で見たように混乱した環境であったり、
 あるいは、本人が発達障害等で、もともと「情動」を定型発達の世界で当たり前の「感情」へとつなげることが難しい場合は、感情の表出が一貫せず混乱したり、平板となったり、情動が不安定になったりするようになります。
 

 いわゆる、パーソナリティ障害と呼ばれる状態です。
 境界性パーソナリティ障害などは、感情がとても混乱して不安定なのはこうしたことのためです。

 

 

 混乱した状態の人ほど、人間とそのコミュニケーションを複雑なものととらえて、土台がないうえに応用問題を解こうとして、さらに混乱してしまいます。
 しかし、健康な状態の人間のコミュニケーションを知れば、それを土台として、それ以外の一貫しないコミュニケーションとは、実は「相手(環境)のコンディションが悪いのだ」と知り、ノイズとしてキャンセルすることができるようになります。

 

 健康な感情、表現を知り、それに該当しない理不尽な相手の反応は、自分とは関係ないもの(キャンセル)とする。これは人づきあいの中の1階部分ですが、まずはこのことを知る(体感する)ことが「関係」の再構築のためにとても重要です。

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

社会性を削ぐほど、良い「関係」につながる~私たちが苦しめられている「社会性過多」

 

 筆者は、誰とでもうまく話せないし、知らない人と話すのは億劫に感じるし、そんな自分を責めていました。自分は人見知りなんだ、と思っていました。
 しかし、催眠や筋反射を応用して無意識に確認すると、「人見知りではないよ」と答えてくれます。

 

 でも、症状としてはどう考えても人見知りだし、無意識の答えは気休めなのかな?と思っていました。

 

 そんなあるとき、海外旅行に行ったときのことでした。

 現地に着くと「なんか日本で感じる感覚とは違うなあ」と感じます。
 
 あれこれと人を気遣うような電波のようなものを感じない。
 

 そんななか、一泊二日のミニツアーのようなもので、砂漠に行くことになりました。周りはほとんどが外国人。

 すると、最初少しは緊張しますが、でも、相手と気楽に話せたりするのです。

 「あれれ? 人見知りのはずだけど、できちゃうな。」
 人見知りとは思えないようにふるまえるのです。

 

 変に気を遣わず、本当の意味で人と関わる必要がわいてきたら関わる。
 そうでないときは、周りには関心を持たない。
 もちろん、だからといって冷たいわけではない。
 さっぱりと乾いた空気のような感じ。

 

 「無意識が言っていたのは本当だったんだ!」と気がつきます。

 日本に帰ってくると、じっとりした人づきあいの億劫さが戻ってきてしまいましたが、ああ、人と付き合うのはこういう感覚なんだ、と面白い発見でした。

 

 

 「日本人は・・・、西洋では・・・」というようなことは古くからある安っぽい文化論であまり好ましくありませんが、しかし、事実としてあるのは、例えば「対人恐怖症」というのは、日本にしかない症状である、ということです。(特定の国にしかない症状を「文化依存性症候群」といいます。)

 

 対人恐怖には、ちょうどいい外国語訳がないのです。
 「社交不安症」がそれに該当しますが、ピッタリはハマらない。

(参考)→「対人恐怖症、社交不安障害とは何か?真の原因、克服、症状とチェック
 

 

 
 日本社会の特徴は、ご近所に気を遣う「世間の延長」ということもあり、過剰に人に気を使い、周囲に合わせるという傾向があります。

 

 生きづらさを抱える人ほど、そうした社会の特徴を内面化して翻弄されてしまう。

 

 社会学者の貴戸理恵氏は、不登校や引きこもりなど生きづらさを抱える人は、「「社会性」がないのではなく、むしろ社会性が過剰なのです」と指摘します。
さらに、「関係性への志向は、持っていなければならないけれども、持ちすぎてもダメなのであり、」「(「関係的な生きづらさは」)それについて深く考えてはいけないようなものを、ふと意識してのぞき込んでしまうときに、出現するのかもしれません」
と述べています。

 貴戸理恵「「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに――生きづらさを考える (岩波ブックレット)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確かに、海外に行くと感じることですが、人に気を遣わない(関係性への志向が低い)国民性を持つ人たちのほうが、人との関係は活発に行っている。

 

 筆者がモロッコに行ったとき。“親切な”気楽なモロッコ人たちが声をかけてきて、最初はうっとおしく戸惑いましたが、慣れてくると、これは居心地がいいな、と思うようになります。
 多分、精神的な症状を抱えている人も、この国にしばらくいたら、悩みがなくなってしまうのではないか、と感じるほど。

 

 

 台湾に旅行に行った際にも驚いたのが、電車で乗り合わせた知らないおばさん同士が世間話をしている姿。
 互いに知り合いなのかと思ったら、目的地が来たら、互いにサッといなくなる。

 

 別の場面では、案内してくれた現地の知人が、マッサージ店の店主と古くからの友人と話すかのようにずっと話をしている。
 あとで、知人に「知り合いの店だったの?」と聞くと、「いいえ、はじめての店だよ」という。それを聞いてびっくり。「あの親密さは、どう見ても知り合いやん!?」と。

 日本だと余程コミュニケーションに長けた人が行うであろうことを普通の人たちが簡単に行っている。
 (その台湾人の知人も日本ではシャイになったりするのですが。対人恐怖症もそう、結局悩みはほとんどが環境に依存している。外からやってくるもの)

 

 ほかの国でも、旅行などで訪れてみると、日本人からすると、「何だこりゃ!?」ということばかり。

 

 おとなり韓国も、日本人のように過剰に気を遣うことはない。

 筆者も、学生時代にトラウマや人間不信の後遺症に苦しんでいるときに、留学した先であった韓国人たちが気楽に声をかけて、仲間に誘ってくれたことには大変助けられました。
 韓国で暮らす人の話を聞くと、日本よりも人間関係ははるかに気楽だ、とおっしゃいます。

 

 

 上記でも書きましたが、人間関係で悩む人が、それぞれに国に行ったらそれで解決してしまうのではないか?と本当に感じます。

 台湾などは、普通の人々が、生きづらさを抱える日本人が理想とする気楽なコミュニケーションを交わしてしますから。

 

 

 サッカーのワールドカップで、日本人サポーターが競技後に会場を掃除して称賛されていますが、こうしたことからみれば喜べない。

 その気遣いこそが自分の首を絞める。
 

 「別にそのままでいいじゃないか」
 「誰かが掃除してくれるよ」

 という感覚が大事ではないか。

 

 実際、“生きづらさ”といった言葉が生まれる以前の日本では、電車の床にごみを放ったりしていました。痰をホームにはいたりもしていました。※池上彰さんの番組でよく紹介される事例です。
 (日本が発展したのは日本人の気遣いのおかげではありません。当時の国際環境(資源安、冷戦、旺盛な需要など)のおかげがとても大きい。もし、気遣いが発展の原動力なら、気遣いMAXの美徳の国、現在の日本はもっと成長率が高くないとおかしい)

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服
 

 

 過剰な気遣いが、今度私たちがありのままに行動することを妨げる。

 

 「対人恐怖症」が日本にしかない、ということを考えても、どうも、私たち日本人が当たり前と思っている「人間関係」観というのは、人間の標準から見て、かなり歪でおかしい「幻想」なのかもしれません。

 

 私たちは、「社会性過多」であえいでいる。そんな日本で書かれた「コミュニケーションの上達のコツ」「気づかいの極意」みたいな本などを読んだらもう大変。社会性過多の上に、もっと過剰になれ、というのですから。幻想の上に幻想を重ねるだけ。 コミュニケーションのヒントは、コミュニケーションの〝カリスマ”にではなく、海外の普通のおじさん、おばさんたちに教わったほうがいいかもしれない。

 

 

 私たちは、良い「関係」を作るためには「社会性」をもっと削がないといけない。必要なのは、「社会性」を削ぐ方法です。

 

 私たちが当たり前と思う「人間関係」観。それは本気で一度解体して、社会性の水準をぐっと下げて壊して、それから社会性を組み上げていく必要があるようです。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 筆者も昔、トラウマからくる生きづらさに悩んでいたころ、例えば、食事とか、睡眠とか、運動とか、そんなことは解決の方法として、全く小バカにしていたように思います。

 「そんな道徳的なことはいいから、もっとすごいセラピーで解決する方法がないのか」と。

 チマチマした感じがしましたし、ほかに手段がないから仕方がなく行うようなもの、ととらえていたように思います。

 

 筆者が、生きづらさで悩んでいた時の生活は、
 朝8時過ぎから夜中0時まで仕事して、お酒を飲んで、4,5時間寝てまた出勤する、というような感じでした。

 

 そんな状態でも生きづらさがなくなりパワフルに働けるようになることが、「治る」ということであり、それを目指して、いろいろなセラピーを学んだり、受けたりしていました。

 

 

 食事とか運動とかを軽視するのは、何も筆者だけではないようで先輩のカウンセラーに話を伺うと、「私も昔は、食事や睡眠なんてバカにしていた」とのことです。

 

 心理療法家の意地としては、そんなことは抜きにして治療したい、というところもあるでしょうし、あと、もう終焉に近づいた(と筆者はみていますが)カウンセリングブームと心理主義の影響もあると思います。

 

 心理主義とは、なんでも「本人の心の問題だ」とする立場のことで、似非科学的で非合理と批判されます。

 

 

 20年ほどカウンセリングに携わってきて、何周もまわっていろいろなことを経験すると、結局、環境からアプローチしたほうが、うまくいく(しないと結局うまくいかない)ことが見えてきます。

 

 私たち人間というのは、環境に左右される生き物です。
環境にはほとんどあらがえない。

 

 例えば、個人の実力の結果とされる「学歴」「スポーツでの実績」といったものでさえ、環境に影響されます。

 

 実際、東大に進学する学生は、世帯収入が高い富裕層が多いそうですし、原動力となる勉強の「やる気」も親戚や周囲に高学歴の人がいたり、教育に関係するモノがあるかどうかなど、環境にかなり影響されます。


 昔から政治家や芸能人には二世、三世が多いですが、それも環境によるものです。

 

 環境の影響を知るために、頭の中で銀河系をイメージしてみます。

 その中の一部に太陽系があって、その中の小さな星が地球です。

 さらに、そこにほこりのように表面にくっついて住んでいるのが私たち人間です。

 そんなちっぽけな人間ですから、当然、気圧から、重力から、気温からも影響を受けています。実際に、季節性のうつや、気圧からの頭痛、体調不良で悩む人もいるわけです。

 

 

 社会、文化、職場、家庭からも影響を受けます。
 業績悪化で職場の雰囲気が悪くなりうつ状態になったことの背景には、グローバル化で海外の経済事情が遠くから影響していることだってあります。

 

 「私は環境なんか跳ね返せる、影響なんて受けていない」という感覚をもし持っている人がいれば、それは、自己愛的な自己誇大化の産物といえます。大変、恥ずかしながら、筆者も若いころは生きづらさへの反発からそう思っていたところがあります。

 

 (「すべては自分の選択だ」という考えも自己啓発やポップ心理学の世界でよく耳にしますが、科学的な心理学の力を借りるまでもなく、常識的に考えればウソだということに気が付くようになりました。)

 

 

 悔しいことですが、やはり、環境にはあらがうことができない。社会心理学者のパリ大学の小坂井敏晶教授は、人間は「外来要素の沈殿物」といっています。  

 でも、環境にあらがえない、という人間の在り方がありのままにわかると、本当の解決策が見えてきたりもします。

 

 

 では、本来、悩みの治療の順番とは何かというと、

 ・(外的な)環境調整(生き方の転換、休職、転職、転校、転勤、離婚・別居、など)
   ↓
 ・(内的な)環境調整
   睡眠、食事、休養
   ↓
   運動
   ↓
 ・精神療法、薬物療法

 と、このようになります。

 

 

 見識を持つ、お医者様(やカウンセラー)ほど、一番上から取り組みます。

 

 

 まず、環境調整、食事や睡眠の改善を指導し、抗うつ剤などのお薬を出すのは一番最後、お薬を出しても沈まないための“浮き輪”として、といったように。
 実際に、うつ病でも薬のみでいきなり治療をしても、2割程度にしか効きません。

 

 お薬が必須である統合失調症の治療でも、社会の中で仕事や役割(環境)があることが解決には重要であるとされます。歴史に残る名医たちは、クライアントが住む環境を含めて理解をし、取り組んでこられました。

 

 うつ病では、上で書きましたが、薬のみでの改善率は2割ですが、運動を行った場合は9割の改善が見られたというエビデンスがあります。それほどまでに効果があるそうです。

 ※カウンセリングも薬物療法とほぼ同じくらいの効果ですが、カウンセリングで治療すると再発が少ないとされます。おそらく物事の捉え方や生き方などの変化を促すからだと思われます。ただ、それでも実はカウンセリングも運動の効果には及ばないのです。

 

 

 統合失調症の治療などで有名な中井久夫氏が、患者から、元に戻してほしい、といわれた際に「(また再発するような)元に戻すことはできません」といった有名なエピソードがあります。

 環境を変えるような取り組みでなければ、結局元に戻ってしまって、それでは意味がないということです。

 

 

 しかし、近年は、セラピー、カウンセリングが流行した結果、
 「(環境はそのままで)悩みを解決して、環境からの影響にびくともしない自分にしてください」
 といった信じられない依頼に対して、魔法のような効果を宣伝するものが増えてしまったような印象があります。
 昔の筆者も、環境はそのままで何とかしようとしていました。

 

 でも、環境に抗えない人間の本質を考えれば、残念ながら、あり得ないことです。
 実際に派手な宣伝のセラピーを受けてみても、宣伝文句のようにはうまくいきません。結局、検証できない見立てを理由に、延々とカウンセリングを受け続けさせられたりしてしまいます。  

 

 

 自分自身の生きづらさへの反発や、心理主義的なカウンセリングブームの熱から距離を置いて、少し頭を冷やして常識で考えればわかります。

 例えば、いじめにあった子供がいれば、その子にカウンセリングを受けさせていじめに対抗できる強い子にしよう、というのはどう考えても変なことです。普通は、いじめっ子への指導、クラス替え、転校という環境への働きかけを行う対処になります。

 

 

 ブラック会社でも同様です。会社への行政等の是正の指導か、転勤、転職が対応策であり、問題は環境側にある。  

 働いている誰かがうつになったり、不幸にも自殺したりしたら、まずは「不況のせいかな」とか、「仕事が大変なのかな」「職場の雰囲気に問題があるのかな」と思うのが本来の常識です。
 最初から「心理的なビリーフのせいだ」とか「本人が抱えるトラウマのせいだ」といきなり解釈してしまうのは、どこか変なのです。

 

 

 昔の筆者もそうでしたが、セラピーに魔術、奇跡を期待してしまいがちです。しかし、様々なことを経験すると問題解決には正しい手順というものがあることが見えてきます。(正しい手順をたどるから“奇跡”も起こる。)

 

 

 技術職の方などはお馴染みかもしれませんが、問題が発生したら「切り分け」といって、まずは簡単なことから疑っていく。

 例えばパソコンがインターネットにつながらないのであれば、手前の環境から疑っていく。ケーブルが抜けていないか?WiFiが切れていないか?といったこと。

 

 いきなり「オペレーションシステムのバグではないか?」とは考えません。
 実際に、問題の9割以上は、ケーブルが抜けていた、Wifiが切れていた、といった単純な問題です。

 

 しかし、私たちは精神的な悩みを解決する際に、いきなり「心理の問題だ(オペレーションシステムのバグだ!)」と手順を無視して解決しようとしてしまいます。笑い話ではなく、カウンセリングの現場でもそうしたことは多くみられます。これは非合理な心理主義的な態度です。

 

 

 人間は環境の生き物ですから、環境から調整することが王道です。
 職場があまりにもストレスフルなら異動、転職を検討する、家庭がひどいならやはりそこから離れることです。
 それぞれ経済的な問題もありますから大変ですけど、やはりそれが一番。

 

 

 「環境調整」の次に大切なのは、「睡眠、食事、休養」、「運動」です。
 早く寝て、定期的に運動しているほうが体内で成長ホルモンが働いて、脳内伝達物質など体内環境が修復されていきます。

 睡眠がとれないケースでしたら、一時、お薬の力を借りてでもしっかりと睡眠をとったほうが良い。

 

 

 長年、ブリーフセラピー、トラウマケアにも関わっていますが、モラハラ環境に居続けたまま、睡眠リズムが乱れたままであれば、例えば、効果が高いとされる心理療法をもってしてさえ、改善はスムーズにはいきません。

 カウンセリングを受けることも大事ですが、睡眠、食事をちゃんととって運動したほうが言葉から間接的にではなく、身体が直接、内部でホルモンや遺伝子を整えてくれますから当然治りは早いです。

 

 筆者も思えば、自身も心理療法を受けてきました。もちろん、よくなるのですが、最後のほうのピースがハマらない(ラストワンマイル)、なかなかよくなりきらない時期がありました。

 

 でもある時期から、徐々に考え方などが変わっていったり、生きづらさがなくなったり、ということを経験しました。振り返ってみれば、同じ時期に、ジョギングやテニスなどスポーツを始めたり、職場を変えたり、睡眠時間が長くなったり、といったことがありました。

 

 それぞれはトラウマを治そうとして行ったわけではなくたまたまです。当時は、運動なんて、と小バカにしていましたので、その関連には気が付いていませんでしたが、明らかに関係していると言わざるを得ません。

 

 

 筆者も治療者の一人として、さらに効果的なセラピーを開発しようと臨床の中でも工夫や試みを重ねていますし、「どんな人でも治せるような方法があるのでは」という理想は胸にあります。実は、いろいろな新しい可能性が見えてもきています。

 

 

 ただそれでも、環境の力は認めざるを得ないし、環境を味方につけて活用したほうが絶対に改善は速いです。
 (むしろ、新時代のセラピーとは心理主義(心に原因を求める考え)を脱し、環境の活用を前提としたものではないか、と感じます

 

 

 安定型の人は、おかしいとみるやサッと職場を変えたり、支配的な人から距離を取ったりします。環境をしっかり活用しています。
 トラウマを負っていると問題は自分の責任だとして一つの環境に執着させられたり、他人と一体になれず、環境から疎外された感覚に陥る。
 トラウマとは環境を味方につけられなくなる病、ということかもしれません。

 

 

 睡眠、食事、運動などを通じて環境を味方につけることはトラウマを解消し、生きづらさを改善するためにはとても大切です。

 

 

 補足として、具体的な方法についてです。

 運動は、有酸素運動を週に3回20分。軽くウォーキングするだけでもよいですから、続けてください。
 (これはうつ病の研究で9割の改善が見られたとされたときに設定されたメニューと同条件です。ウォーキング以外でも、自分なりのやり方で大丈夫です。ヨガなどもよいでしょう。)

 

 ひきこもり、パニック、発達障害などで運動したくても家から出るのが怖い、といったお悩みを持つ方もいらっしゃいます。その場合は、下記の記事でも紹介させていただいております。医師が考案したお手玉や、ティッシュペーパーを用いる呼吸法もあり、効果的です。
 (参考)→「パニック障害とは何か?本当の原因と克服に必要な5つのこと

 

 

 食事は、一般的に言われるように3食をバランスよく採ることは必要です。ただ、それでも鉄分・ミネラル、ビタミンB群、たんぱく質などは不足しがちなので、意識して増やすかサプリメントなどで補う必要があります。特に女性は鉄分が不足しやすいとされます。

 

 パニック発作などの症状のある方はコーヒーは禁忌です。

 

 

 あと、精神科医の神田橋(條治)先生も勧めていますが、サプリメントで、GABA、エビオス錠を服用してみてください。不安などの精神活動が収まってきます。上記にも書きましたが、鉄分(亜鉛なども)、ビタミンB群についてもサプリメントで補うとよいでしょう。

 

 睡眠はやはり、22時~2時までの間にはできるだけ床についておきたい。その4時間は成長ホルモンが出るゴールデンタイムです。


 そして、最近は睡眠負債という言葉が注目されているように、仕事の時間などを削ってでも、自分に必要な睡眠時間(7~8時間)は確保したいです。
 睡眠時間が短いままでは、悩み解決はおぼつきません。

 

 睡眠障害などで睡眠がとれないのでしたら、医師に相談して、症状が重い場合は恐れず積極的に睡眠薬の力を借りてみてください。精神科や心療内科ではなく、専門の睡眠外来を利用するのも良いかもしれません。


 睡眠に関する書籍や情報を得るなどすることもよいでしょう。入眠時間や睡眠へのルーティンを見直してみてるだけでも違います。

 (参考)→「心の健康に影響する不眠症・睡眠障害~原因とチェック、克服のための10のポイント

 

 私共のクライアントさんでも、実践されている方の治りは圧倒的に早いです。

 

 

 

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