”失敗”ではなく、フィードバックとして織り込み、厚みを増す。

 前々回の記事では、知識というものは、「正しいか、正しくないか」という二者択一ではなく、一周、二周、三周と何周も回りながら、いろいろな選択肢や経験を織り込んで厚みを増していくものではないか、ということを書きました。

 

 さらに前回は、自分の過去の経験や記憶、歴史についても、捉え直していくことが大切だということをお伝えしました。

 

 今回は、それに関連して、「失敗」というものをどう考えるか?ということについて書いてみたいと思います。

 私たちは、何かを振り返ったときに、

「あのとき、最善手を取れていれば」

「あんな失敗をせずに、もっと良い道を選べていれば」

「もっと早くうまくいっていたのに」

と思うことがあります。

 後悔に苛まれることもあります。

 もちろん、無用な失敗はできるだけ避けたいものです。

 避ける必要がある失敗もあります。

 

 しかし、どんな場合であっても、最善手をずっと打ち続ける、ということはありえません。

 いろいろと痛い目に遭ったり、苦い経験をしたりする。

 あとから振り返って、

「あれが必要だったんだな」

「あのときは、あれしかなかったんだな」

と思うことは、私たちには実際にあるものです。

 また、人生における選択というものは、単純に「成功か、失敗か」ということでもありません。

 うまくいかなかったということは、別の見方をすれば、そこからフィードバックが返ってきたということでもあります。

 そのフィードバックによって、本来の自分に合う方向へ進めるということもあります。

 

 前々回に書いた、一周、二周、三周、四周と回って厚みを増していく、ということにもつながります。

 やはり、

「失敗してみないとわからない」

「経験してみないとわからない」

ということはあるのです。

 例えば、買い物などはまさにそうではないでしょうか。

「ああ、失敗した」

「なんでこんなものを買ったんだろう?」

という経験は、誰にでもあると思います。

 私自身、若い頃は、失敗したくないという思いが強くて、買い物をするときに何度もお店を行ったり来たりしたことがあります。

 お店の中で、一時間、二時間と考え続けるようなこともありました。

 それでも、今から振り返れば、

「なんで、あんなものを買ったんだろう?」

と思うようなものを買っていたりします。

 でも、それもやはり必要な経験なのだと思います。

 

 ここまでであれば、単なる経験論のようにも聞こえるかもしれません。

 しかし、トラウマの影響、あるいは逆境的な環境の影響ということを考えたとき、この「失敗できる」ということは、とても重要な意味を持ってきます。

 必要な経験をする。

 時には失敗する。

 そして、その経験を一周、二周と自分の中に織り込んでいく。

 そうしたことができる環境というのは、まさに愛着的な環境といえるのではないかと思います。

 一方で、逆境的な環境、非愛着的、あるいはトラウマティックな環境では、失敗したときに、

「あなたが悪い」

「あなたのせいだ」

とされてしまうことがあります。

 あるいは、周囲から言われなくても、自分自身がそうやって自分を責めるようになってしまう。

 すると、失敗した経験が一周、二周と自分の人生に織り込まれていきません。

「黒歴史」

として切り離され、排除されてしまう。

 結果として、自分の経験や人生、歴史に厚みが増していかないのです。

 だからこそ、前回お伝えしたように、自分の人生を捉え直すということが必要になります。

 過去の経験を捉え直すことで、一周、二周、三周、四周と、自分の人生の中に改めて織り込んでいく。

 そうすると、過去の経験が生きてくるようになります。

 

 反対に、失敗をただ排除してしまうと、ものの見方も二者択一になりやすくなります。

 一度失敗すると、

「もう、これは絶対にダメだ」

となってしまう。

 失敗したくないという気持ちが強くなりすぎて、本来なら必要な選択が取れなくなる。

 決断が鈍る。

 過度に回避的になる。

 あるいは、失敗したものを避けるあまり、一足飛びに別の代替手段へと飛びついてしまい、そこでまた足を取られてしまう。

 そうして、さらに生きづらさを抱えてしまう、ということも起こります。

 これまでお伝えしてきた「文化」というものも、まさにこうしたことに関係しています。

 失敗を完全になくすことではありません。

 必要な経験をする。

 必要な失敗も経験する。

 そこから必要な知識を得て、一周、二周、三周と、自分の中に厚みを持って積み重ねていく。

 そうしたことができる環境を持つことです。

 そのようにして、自分の人生そのものに厚みを取り戻していく。

 生きづらさを必要以上に抱えず、自分らしく生き、自分自身を発揮していく。

 良い文化を身につける、良い環境を持つということは、そのための取り組みでもあるのではないかと思います。

 


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自分の歴史を、自分主体で編み直す

 今回は、生きづらさやトラウマの影響から抜けていくにあたって、大切なことについて書いてみたいと思います。

 それは何かというと、

「自分の過去の歴史を、あらためて自分主体で見直してみる」ということです。

 

 お悩みの渦中にある方が、自分のこれまでの人生や経験を振り返ると、

「うまくいかなかった」

「失敗ばかりしてきた」

「家族や周りに巻き込まれて、不本意なことをしてきた」

と感じていることは少なくありません。

 もちろん、「もっとこうであればよかった」ということは、その通りだと思います。

 起きてしまった過去を、タイムマシンに乗ってやり直すことはできません。

 しかし、実は、その過去の経験の中にも、いわゆる「リソース」と呼ばれるものはたくさんあります。

 

 トラウマを負っているケースと、相対的にそうではないケースとをあえて分けて考えてみると、生きづらさをあまり抱えていない人たちは、案外、自分の人生を手前味噌に捉えていたりします。

 もちろん、その人たちの人生がピカピカで、苦難も失敗も何もなかったというわけではありません。

 いろいろな不幸があったり、苦しいことも経験しています。

 それでも、

「まあ、あれもあれでよかった」

「なんとかやってきた」

と、自分に都合よく捉えていたりする。

 生きづらさやトラウマから抜け出していくためにも、自分の人生をある程度、手前味噌に、自分に都合よく捉え直すということは、とても大切なのではないかと思います。

 

 例えば、家庭の中がとてもストレスフルで、親も機能不全で、その中で生きてきた。

 その結果、トラウマを負って生きづらさを抱えている。

 それは確かにそうです。

 しかし、その中で、

「なんとかやってこれた」

「サバイバルしてきた」

ということもまた、その人の能力なのです。

 最近でいうケアラーのような形で、自分を抑えて、良い子にさせられてきたということもあります。それも、ある意味では、それだけ賢かったからできたことだとも言えます。

 一方で、のんびりしている兄弟のほうが、それほど症状も出ず、今は普通に暮らしているということもあります。

 

 では、

「普通に過ごしている兄弟のほうが優れていて、辛さを抱えている自分はダメなのか?」

といえば、そういうことではありません。

 むしろ、いろいろなことに気がつく。 気が利く。 感情や感性が豊かである。

 だからこそ、周囲のストレスをより強く受けてしまっていた、ということも実際にあります。

 

 仕事でも同じです。

 過剰適応、過緊張の中で、がむしゃらに働いてきた。

 そして、最後には燃え尽きてしまった。

 心理の世界では「過剰適応」という言葉で問題として語られることがありますが、別の見方をすれば、それだけ頑張る力があるということでもあります。

 周囲に気が回る。

 求められていることを読み取る。

 それだけの力があるということです。

 

 それは、意識して簡単に身につけられるものでもありません。

「でも、それはトラウマに駆動されていたものだから、否定したほうがいいのでは?」

と思う方もいるかもしれません。

 しかし、そうではありません。

 そうやって見てみると、自分の過去の中には、実は良い要素がたくさんあります。

「過去は全部ダメだった」ということではないのです。

 

 その人の素晴らしさや力は、過去の随所に表れています。

 それをもう一度、手前味噌でいいので拾い上げていく。そして、まとめ直し、編み上げ直していく。このことは、とても大切です。

 ここでいうことは、いわゆる

「ポジティブシンキングをしましょう」

「何でも良いように見ましょう」

ということではありません。

 

 そうではなくて、事実として、良いところがそこにあるのです。これまで、ないがしろにされてきただけです。

 ちゃんとそこにあるものを見る。

 そういうことです。

 ただし、その解釈については、手前味噌でいいのだと思います。ポジティブシンキングとは違います。自分の人生についての解釈は、自分中心で見ていっていい。なぜなら、自分の人生だからです。

 

 私自身も、別の記事で書きましたが、むしろ自分に厳しく捉えてしまうところがあります。

 学歴やキャリアなどがあっても、それを当たり前のこととして見ていて、他人からそのことに驚かれたこともあります。

 でも、それは決して正しい態度ではないと思います。誇るべきところは、適切に誇ってよいのです。

 

 もう一つ大切なことがあります。

過去を手前味噌に捉え直すというのは、「ひどいことをしてきた親も、本当は良い親だったと思いましょう」というようなことではありません。

 もちろん、そんな必要はありません。

 ひどいことをされたのであれば、

「ひどかった」と、しっかり捉える。

 これもまた、自分の人生を手前味噌に捉えるということなのです。

 生きづらさを抱えていると、自分の人生についてはかなり過小評価をしている一方で、他人の事情は過大に汲んでいる、ということが少なくありません。

「親にも事情があった」

「あの人も大変だった」

と、他人の事情ばかりを考える。

 

 その一方で、自分の人生については、

「自分が悪かった」

「自分は何もしてこなかった」

「自分には何もない」

と捉えてしまう。

 また、他人の人生はピカピカに見えるのに、自分の人生だけはダメに見える、ということもあります。

 でも、そうではありません。

 

 自分の人生には、自分が思っている以上に、いろいろな力や資質や経験がすでに存在しています。それを、自分主体でもう一度拾い直していく。 自分の歴史を、自分の側から編み直していく。

 自分というものを再び取り戻していくためには、こうした視点がとても大切なのではないかと思います。

 

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みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

知識や情報は一周、二周、三周、四周と織り込みながら周回を描く

 今回は、前回お話した、知識や情報を得る、ということについて、さらに書いてみたいと思います。

 私たちは、「知識」「情報」というと、

「正しいか、正しくないか?」

「合っているか、間違っているか?」

といった観点で捉えがちです。確かに、短期的にはそうした見え方になる場合があります。

 しかし、実際の知識や情報、判断というものは、そうした二者択一、あるいは、いくつかの選択肢から一つを選ぶ、というものではありません。

 

 実際には知識や情報とは、 一周、二周、三周、四周と、ぐるぐると周回を重ねながら、他の選択肢や情報も織り込み、厚みを増していく。そんなイメージのほうが近いのではないかと思います。

 

 例えば、ある物事について「A」という選択肢があったとします。

 Aだけを見れば、

「自分には合わないな」

「これは、違うな」

と思うことがあるかもしれません。

 しかし、その後、B、C、D、Eと、いろいろな知識を得たり、検討したり、経験したりする。そうして、ぐるっと一周、二周と回ってみると、

「やっぱりAだったな」「あえてAでいこう」

と、あらためてAを選択することも実際にあります。

 

 この場合、最初にAを選ぶことと、一周、二周、三周と回ったあとにAを選ぶこととは、同じように見えて、実は違います。

 その間に、いろいろな知識や経験、時には失敗も経ています。

 そうした周回そのものが、とても大切なのです。

 

 これは、前回もお話したような、生活のさまざまなことにも当てはまると思います。

 健康であったり、金融であったり、行政の手続きであったり、住宅のこと、あるいは仕事についてもそうでしょう。

 こうしたことを、一周、二周、三周と回っていくもの、と捉えると、知識や判断というものをかなり楽に捉えることができるようになります。

 

 例えば、矛盾する知識があってもいい。

 矛盾する選択肢を、同時に頭の中に置いておくこともできる。

「こちらが正しいから、こちらは間違い」

と、すぐに決着をつける必要がなくなります。

 いろいろな知識を得ながら、矛盾するものも方法として抱えておく。

 そうすると、何か新しい判断をするときにも、より深く物事を見ることができます。

 これまで、ソーシャルワークとか文化ということについてお伝えしてきましたが、こうしたあり方も、とても大切なのではないかと思います。

 

単に、「正しい、正しくない」「AかBか」

と知識を捉えるのではない。

 いろいろなことを経験し、知識を得ながら、円を描くように、ぐるぐると周回して、自分の中に蓄積していく。そうしたイメージで知識を持つ、ということです。

 

 例えば、私たちが親や家族、友人などに相談した時、

「この人は頼りになるな」

と感じることがあります。

 あるいは、職場の上司や、専門家などでもそうです。

 そうした人たちは、単純に、

「これはAです」

「これはBが正解です」

という見方をしているわけではありません。

 

 こちらの事情を汲み取って、

「普通ならこうなんだけど、今回はあえて、こちらにしましょう」

といった助言をしてくれたりします。

 なぜ、そのような見方ができるのでしょうか?

 おそらく、その人の中に、一周、二周、三周、四周と、知識や経験を周回して蓄積してきた厚みがあるからではないかと思います。

 いろいろなケースを知っている。

 失敗も知っている。

 原則も知っているけれど、原則どおりではうまくいかない場合も知っている。

 だから、

「今回は、あえてこうしましょう」

という判断ができる。

 そして、助言を受け取る側も、同じように、一周、二周、三周と周回しながら知識や経験を蓄積していくような受け取り方をするとよいのではないでしょうか。

 

反対に、機能不全な文化ではそうなりがちです。とても平板で奥行きがない。二者択一式で厚みがない。もっと言えば、単なる不安や不全感から行動して、自分の軸もなく、一足飛びに他人に預けてしまうようなスタイルだったりします。

 

 最初に書きましたように、より良い文化においては、

「A、B、Cのどれですか?」

というだけではない、ということです。

 例えば、最終的にAを選択したとしても、そこにはB、C、Dについて得た知識や経験も織り込まれています。

 だからこそ、同じAを選ぶにしても、納得度が違う。

 判断にも深みが出る。

 そして、状況が変われば、方向転換することもできる。

 適切に修正することもできます。

 あるいは、Aを選びながら、その中にBやCやDの要素を取り入れることもできるでしょう。

 知識とは、正解を一つ見つけて終わるものではない。

 一周、二周、三周と回りながら、少しずつ厚みを増していくものなのだと思います。

 そうした知識や経験の持ち方もまた、より良いソーシャルワークや、良い文化をまとっていくことにつながるのではないかと思います。

 

 

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生活にかかわる基本的な事柄について、奥行きのある知識や判断の軸を持つ

前回までの記事では、ソーシャルワークについて書かせていただきました。

ソーシャルワークは、私たちの生きづらさを解くためだけではなく、良い文化を作っていくという観点からも重要なものです。

 

今回も、前回までの記事の内容に関連して、基本的な知識を得ることの重要性について書いてみたいと思います。

 

私が会社員をしていた頃、お昼の時間になると、ある女性が声をかけてくることがありました。

その方とは、いわゆる「職域」と呼ばれる生命保険の外交員の方です。

パンフレットを見せながら、「ちょっと、ちょっと」という感じで、保険への加入を勧められるのです。

私は当時も、そして今もそうですが、金融について特に詳しいわけではありません。

ただ、なんとなく、「余計なサービスもついていて、少し割高なのではないか」という漠然とした印象を持っていました。

そのため、適当なことを言いながらお断りをする、ということをしていました。

 

一方で、不思議だったことがあります。

仕事では、部下の作った資料や提案の内容を厳しくチェックする上司や、ロジカルシンキングなどを説いている同僚たちが、そうした保険には案外簡単に入っていたのです。

仕事ではあれほど細かく内容を確認するのに、なぜ保険については簡単に任せてしまうのだろう?

当時の私は、少し驚いたことを覚えています。

 

 

ただ、当時はまだ、昭和の延長にある平成の時代でした。

自分で主体的に金融商品を比較して選ぶというよりも、大きな会社や専門家に任せて、流れの中でサービスに入ることが普通だったのかもしれません。

家を買うことなども、似たようなところがあったかもしれません。それで大きく損はしない。

すべてのことにエネルギーを割くことなど誰もできませんから、上司や同僚たちも、深く考えずに契約していたというよりは、そうした時代の流れの中にいたのでしょう(私のほうが賢明であった、などということはありません)。

かつてであれば、金融でも、医療でも、専門家や大きな組織が示す標準的なものに任せていれば、それほど問題はなかったのかもしれません。医療でもセカンドオピニオンなどや、自分でいろいろ調べてきて、みたいなことはまだ当たり前ではなかったように思います。

 

しかし、今はどうも、そうではなくなってきています。自分たちでもいろいろと調べないといけない時代になっています。

 

例えば、最近ではAIが、さまざまな情報やアドバイスを簡単に提供してくれるようになりました。とても便利なものです。

しかし、こちらにまったく知識がなければ、AIも必ずしも適切な答えを出してくれるわけではありません。

AIにも間違いはありますし、比較的、権威のある標準的な情報を優先的に示す傾向もあります。

そこからさらに踏み込んで、

「これは本当に自分に合っているのか?」

「自分にとって必要なものなのか?」

ということを確かめるためには、こちらにもある程度の知識が必要になります。

知識がなければ、質問を重ねたり、突っ込んだりすることもできません。

完全に任せていれば大丈夫、ということではありません。

 

 

最近は、本を読まなくなった時代とも言われます。

しかし、少なくとも自分の生活に関わることについては、必要が生じた際に、三冊から五冊くらいの本を読む必要がどうもあるようです。

 

以前、あるビジネス書で、

「関連する分野の本を十冊も読めば、社内では専門家になれる」

といったことが書かれていたのを覚えています。

確かに、そうなのかもしれません。

 

ただ、私たちは忙しいですし、時間もありません。

十冊読むというのは、さすがに大変です。

それでも、最低でも三冊から五冊くらいは読んでみる。

三冊から五冊くらいというのは、一冊だけでは、その著者の立場や考え方に偏っている可能性があるからです。もちろん、間違ったことが書かれていることもあります。

 

何冊か読むことで、少しずつ共通する部分や、立場によって異なる部分が見えてきます。

 

金融、医療、食事や栄養、行政の制度、相続、介護など、私たちの生活には、知らなければならないことがたくさんあります。

すべてに詳しくなる必要はありません。

しかし、自分に必要な出来事が生じた際には、その分野についてある程度の知識を得る。

これも、「文化づくり」、ソーシャルワークとして大切な視点なのではないかと思います。

 

反対に、基本的な知識を省略して、いきなりYouTubeの動画などから情報を得ようとすることには危うさがあります。

あるいは、かつての私のように、

「標準的なものは、なんとなく間違っているのだろう」

と漠然と感じて、そこから一足飛びに代替の知識へ向かう。

これもまた、危険なことです。

 

本であれば、少なくとも編集者や出版社など、複数の人の目が入っていると言われます。

もちろん、本にもおかしなものはありますし、間違いもあります。

それでも、一定の過程を経て世に出ているという点では、まだ頼りになる部分があります。

まずはそうしたものから、基本的な知識を得ていくことが大切なのだと思います。

 

生活に関する基本的な知識を得る、なんていう道徳的にも聞こえることを書いているのはなぜかと申しますと、生きづらさというのは、心の中の問題だけではないからです。基本的に生きづらさとは環境からやってくる。

 

基本的な知識を得ないまま、誰かに任せてしまう。その結果、よく見れば損をしていたり、本来なら選ばなくてもよかった選択肢を選んでしまったりする。あるいは、うまく他人の文化を借りれないまま、自力で選ぶことでも、結果損をすることがあります。

 

実際には、そうしたことが少なくありません。

ご相談をお伺いしていても、仕事や金融、健康などについてされていることを聞いて、

「あれ? それは大丈夫なのかな?どうなのかな?」と思うこともしばしばあります。

 

生きづらさを解く、というのは決して医療やカウンセリングだけが主ではありません。それは、いくつもある手段の一つです。

 

スポーツも勝負はする前の準備が大きい、とか、戦争も兵站(補給とか準備)が大事だ、と言われますように、そもそも状況ができる限り不利にならないように、不利な選択が積みあがっていかないように、できるかぎり、奥行きのある知識や判断の軸を持ちたい。

社会や環境からもたらされる生きづらさの影響を、必要以上に受けないためには、基本的な教養や知識もあわせて身につけていく必要があるようです。

そして、そのためには、本や新聞などから知識を得るという、ある意味では古典的な方法が、今もとても大切(たぶん、結局コスパがいい)なのだと思います。

 

以前、ご紹介しました大阪の高校で行われている「反貧困学習」がそうであるように、基本的な知識や教養を得ることもまた、私たちが自分を守り・取り戻し、より良い文化を作るためのソーシャルワークと言えるのではないか、と思います。

 

 

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みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)