機能不全な親御さんを見ていて感じるのは、不安や恐れを子どもに投影して、しばしば、子どもを異常な存在としまっているということです。
それを隠すように、外側から「うちの子は発達障害かも?」「働けていないのは同世代に比べて劣っている」といったような知識を持ってきてしまう。
その親にとっては、それらは“客観的な事実”のように捉えられています。
しかし、実際は不全感を裏側に隠したローカルルールでしかありません。
社会のマイノリティが差別などの環境の影響から、やる気を失ったり、所得や学歴などが低い位置に留め置かれることが指摘されていますが、同様に、機能の不全家庭の影響で子どもが自分を失い、おかしくなっている状況をとらえて「子どもの本質だ」「これが事実だ」と決めつけてしまう。
私は、よくご相談者にお伝えするのは、「親は親バカであるくらいでちょうどいいものです」ということです。
仮に、現時点では学業や仕事がうまくいっていなくても子どもを信じる。
たとえ世間が子どもを非難したとしても土台では子どもを擁護するのが親の姿勢であって、「世間では発達障害というのがあって、その基準に当てはまるようだからうちの子は・・」などというのは、俗な知識を悪用して、自分の不安や不全感をごまかす卑怯な態度でしかありません。
子の可能性や人間性を信じた上で、支援など必要な措置は具体的に講じていくことができる。
これが機能している状態です。
会社で、上司や管理職に望まれる役割を想起すればわかりやすいです。
会社の管理職も、そうして部下に接していくことになります。
例えば、親がこの成功や活躍を喜べない、喜ばない、なんていうことも機能不全家庭ではよくあります。
ダメ出しをする、調子に乗るんじゃないよ、なんていい、親自身も「子どもが慢心しないように年長者の知恵を伝えているだけだ」と自分を誤魔化していますが、実際は、背後に不全感を隠している、これもまたローカルルールのずるい態度です。
親が望む方向に進んだときだけ喜ぶ、というのも同様です。
他者として子どもを尊重した上で、親バカなくらいの態度で信じ、守る。
こうした事があったかなかったか?も自分の家庭が機能不全家庭であったか否か(つまりはトラウマを負っているか?)の判断の材料の1つとなります。
(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全」
(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準4~異文化、変化への対応の弱さ」
(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準3~感情の受容と交わり」
(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準2~ストレスへの対処」
(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方」
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