ローカルルールというのは、それを受け入れる人がいて初めてなり立ちます。
ローカルルール自体は根拠が薄弱なニセモノ(幻想)だからです。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
ローカルルールの最たるものは、ファシズムや全体主義です。
なぜ、全体主義の国では警察が個人の思想や内面まで取り締まろうとするか、といえば、ローカルルールがそれを支える人たちの幻想がなくなれば存在できなくなるほど脆いからです。
だから、人々の頭の中を常に取り締まっておいて、恐怖や罪悪感でしばらないと壊れてしまうのです。
ローカルルール人格という存在に対しても同様です。
たしかに厄介で面倒な存在なのですが、それはそれを真に受けて支えさせられている部分が私たちの中にあるから。
真に受けさせることでローカルルール人格は延命している。
ローカルルールを壊すためには、そうしたメカニズムを知り対抗していく必要があります。
支配のメカニズムを知って、独立を勝ち取る、ということで参考になるのは、インドのガンジーの戦略です。
インドのガンジーたちは、イギリスの植民地支配からの独立を勝ち取りました。
非暴力・不服従運動と呼ばれるものによって、それは達成されました。
非暴力ということで、理想主義的なもののように捉えられがちですが、実は単なる理想主義の運動ではありませんでした。
支配には実はメカニズムがあります。
どのような国でも、支配する側のほうが人数では圧倒的に少なく、支配される側のほうが圧倒的に多い状況です。
そのため、支配する側に「正統性」がなければ続かないし、支配に協力する人たちがいないと成り立ちません。
つい、軍隊とか警察の暴力で押さえつけているだけ、と思いがちですが、それではなかなか続かないもので、支配する正統性を権威で示し、協力させて、暴力というのは権威を維持するために用いられています。
つまり、支配は「正統性」と「協力」というこの2つの要素で成り立っている、ということです。
(いじめも同様で、いじめっ子たちが唱えるルールの正統性が信じられ、協力する人たちがいなければ成り立ちません。ハラスメントも同様です)
(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因」
ガンジーの運動というのは、「正統性」と「協力」というその支配のメカニズムを見抜いた上での対抗措置です。
具体的には、
暴力という行為に対しては応酬しないことで、イギリスの「正統性」を剥がし、不服従によって「協力」しないことで、支配というローカルルールを支える機能を壊す、ということをしました。
結果、独立が達成されていきました。
ここで勘違いしてはいけないのは、不服従運動とは、無抵抗ではありません。
ハラスメントに対しては抵抗しないとしばしばエスカレートしたりします。
失礼な発言に対しては、「失礼ですね」と突っ込んだり、
場合によっては、叱責一発で解決したりするし、そうしないといけない。
でも、トラウマを負った人は、しばしば無抵抗の呪縛にかかっている。
筆者も昔そうでしたが、無抵抗であることが良い人である、とか、人間としてできているということである、といった考えにとらわれていたり、
あるいは、家族から、抵抗そのものができないように、呪縛をかけられてしまう。
例えば、「嫌だ」といえば、「頑固だ。かわいくない」とか、怒ったら、「怒りっぽい」「父親(母親)に似ている」と言われたり、とか 抵抗力を奪われてしまっていたりする。
無抵抗にさせられている。
おかしなことには抵抗したり、声を上げないといけない。
その際にはローカルルールのメカニズムを壊すようにする。
正統性を奪い、支配に従わない。
「正統性」を奪うというのは、まずはローカルルールだと気がつくこと。
自分が内面化しているもの、日常で直面するものそれぞれについてローカルルールの存在に気がつくということです。
そして、協力しない、従わないというのは、
日常直面するものについては、真に受けない、失礼なことに対してはツッコむということ。
内面化している部分については、自分の中にもそれに感染して協力している人格がいて、それが解離して前に出てきたり、本来の自分に影響したりしていることに気づいて、それに従わないことです。
支える基盤がなければ、徐々にローカルルールは消えてなくなっていきます。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
●よろしければ、こちらもご覧ください。