人との「関係」を再度組み上げていくためには、コミュニケーションとは何か、付き合いとは何か、というものを整理して知る必要があります。
トラウマを負った方、生きづらさの中にある方は、その指針が混乱し、失われてしまっているからです。指針ができれば、かなり楽になります。
まず、人間の心理、感情は複雑である、という刷り込みが私たちの中にあります。
表の表情と裏の表情が違う。矛盾する感情を抱え込む、政治の世界での駆け引きに見るような難しいやりとり、といったようなこと。これが人間である、と考えています。
しかし、実は、そうした難しい感情というのは、私的な情動が適切に表現できなくなっている病的な状態であることがほとんどです。
例えば、回避、防衛、投影、といったような複雑な反応というのは、困難な状態に対して自分を守るために行っています。
政治の世界の駆け引きというのは、かなりの応用問題(これも病的といってもよいかもしれませんが)。
本来、人間は健康であればあるほどそうしたことは問題にはならないのです。
つまり、まず、最初に知らなければならないのは、基本的に健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである、ということです。
例えば、
うれしい時には、うれしい表情や態度をとる
悲しい時には、悲しい表情や態度をとる
何もない時は、何もない表情や態度をとる
これが健康的な状態です。
裏を読む必要もありません。
反対に、病的になってくると、出来事と反応とが一致、一貫しなくなります。
うれしい時に、悲しい表情や態度をとる
悲しい時に、うれしい表情や態度をとる
何もない時に、実は怒りを感じている。
これは、異常な状態です。
アッと思った方もいらっしゃるかもしれませんが、後者はトラウマを負った方の育った家庭(機能不全家族)で見られるものです。
うれしい時に、例えば誕生日の時に、家族で楽しいお出かけの時に、お父さんとお母さんが機嫌が悪くなり、ケンカをする。
自分が悲しい時に、家族が共感してくれない。
何もない日常なのに、急に母親がイライラ、怒り出す。
こうした状態を経験しているために、トラウマを負った人にとっての人間とは「複雑な存在」と感じられます。その複雑さに対応しなければならないとして、過剰適応、過緊張となりへとへとになります。そのような複雑なやり取りを経験しているため、自分や他人の感情を適切に感じることができなくなってしまうのです。
そのため、人との付き合い方がわからない、教えてほしい、とカウンセラーに相談するようになります。
しかし、本来の健康な人間はシンプルです。
うれしい時には、うれしい表情や態度をとる
悲しい時には、悲しい表情や態度をとる
何もない時は、何もない表情や態度をとる
人とのコミュニケーションは、この原則が基本です。
ただ、世の中で暮らしていると、この原則から離れた対応をしてくる人、場面があります。
その際は、どうするのか?どう考えるのか?といえば、
「相手のコンディション(あるいは環境)がおかしい」、
そして、「自分とは関係ない」ととらえます。
その上で、相手と距離をとる、巻き込まれないようにする、という対応になります。
※愛着が安定している方は、これが比較的できています。
例えば、会社で同僚がイライラしている、という場合。
トラウマを負った人であれば、「自分が怒らせたのかな?」と考え、
「大丈夫?」と気を使って近づいて、
「あなたのその態度、仕事ぶりがイラつかせるのよ」といったような因縁をつけられて、
「ああ、やっぱり、自分のせいだ」となってしまいます。
一方、愛着が安定しているの方であれば
「ああ、あの人なぜかいらいらしているなあ。家で嫌なことでもあったのかなあ」とぼんやり考えて、自分の仕事に集中します。
自分にイライラを向けられても
「なんか、イラついているね。なんか嫌なことでもあった」といったように、自分とは関係ないことだ、というニュアンスで、適切な距離が取った対応ができて、とばっちりを受けることがありません。
人間の感情というのは、最初からあるものではなく、実は、〝私的な”情動が適切な表現と結びついてはじめて、〝公の”「感情」「表現」ということになります。この〝私的な”「情動」を、〝公の”「感情」「表現」へと適切に結び付けることが、いわゆる「愛着」というものの機能です。
(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと」
たとえば、小さい子供にとっては自分の感情は自分でもよくわからないことがあります。
親とのやり取りの中で、「おなかすいたの?」「眠いの?」「これほしいの?」「うれしい?」というかかわりの中で、
「ああ、この感覚はおなかがすいたということなんだ」「これは眠い、ということなんだ」「うれしいってこういうことなんだ」と知ることで
私的な情動にすぎなかったものが、公的な「感情」「表現」へと一致、昇華され、私たちは社会化(成熟・適応)されていくわけです。
親の養育が不適切であったり、上で見たように混乱した環境であったり、
あるいは、本人が発達障害等で、もともと「情動」を定型発達の世界で当たり前の「感情」へとつなげることが難しい場合は、感情の表出が一貫せず混乱したり、平板となったり、情動が不安定になったりするようになります。
いわゆる、パーソナリティ障害と呼ばれる状態です。
境界性パーソナリティ障害などは、感情がとても混乱して不安定なのはこうしたことのためです。
混乱した状態の人ほど、人間とそのコミュニケーションを複雑なものととらえて、土台がないうえに応用問題を解こうとして、さらに混乱してしまいます。
しかし、健康な状態の人間のコミュニケーションを知れば、それを土台として、それ以外の一貫しないコミュニケーションとは、実は「相手(環境)のコンディションが悪いのだ」と知り、ノイズとしてキャンセルすることができるようになります。
健康な感情、表現を知り、それに該当しない理不尽な相手の反応は、自分とは関係ないもの(キャンセル)とする。これは人づきあいの中の1階部分ですが、まずはこのことを知る(体感する)ことが「関係」の再構築のためにとても重要です。
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