ハラスメント理解から見えてくる、私たちの可能性――不全感の連鎖を止めるということ

・「人文知」を活用(リバイバル)する必要性

 ここまで見てきたように、ハラスメントとは、単なる迷惑行為といったことにとどまらない、人間の本質にかかわるテーマであることがお分かりになるかと思います。

 もともと、ハラスメントとは、人間関係における呪縛や侵害に関する概念であり、人類学者グレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」理論(“Toward a Theory of Schizophrenia,”論文)を源流とします。
 日本でも実際に東京大学の東洋文化研究所の安富歩教授や大阪大学の深尾葉子教授が「魂の脱植民地化」プロジェクトを立ち上げて研究されるなど、実は、「ハラスメント」は、人間という存在を解き明かす可能性を持つ「人文知のテーマ」と捉えられてきた歴史があります。

 モラル・ハラスメント自体は、フランスの精神科医イルゴイエンヌが提起したものですが、その背景には単なる迷惑行為や個人に対する侵害への問題提起を越えた深いの領域が控えているのです。

・知見の分断

 しかし、これらの知見は分断にさらされてきました。残念ながら、行政や労務におけるガイドラインを参照しても参考文献にこうした研究は全く登場しません。また、当事者を支援する専門家たちの書籍でも、こうした研究に触れられることは、ほとんどありません。
 メカニズムなど問題の本質に迫るような知見に関心がもたれずに、ただ外形的なガイドラインか、当事者の事例をまとめたようなものが通例になってしまっています。

 こうした知見の分断の背景には、心理臨床や精神医学におけるガイドライン依存や心理を問う機運の衰退など、簡単に言えば、事象の本質、メカニズムを深く掘り下げて定義する文化が失われていることがあるのかもしれません。

・人文知が求められる時代

 実は、今、大企業(マイクロソフト、グーグル、ソニー、サイバーエージェントなど)において、哲学や人類学を専攻していた人材を積極的に採用して、その知見を活用しようという流れが話題になっています。

AI時代を迎えて、大規模情報がコモディティ化し、AIが瞬時に情報を整理してしまえる中で、人間にできるより深い抽象的な思考、とくに「人文知」の活用が求められています。

 ここまで見てきたように、ハラスメントという事象を理解し、実際にそれによる適切な対処を知るためにも、あらためて「人文知」は威力を発揮することがわかります。

・不全感の連鎖を止めるために~ハラスメント理解からみえてくる私たちの可能性

 ハラスメントのメカニズムを知ることは、単に職場を改善するだけではありません。私たちが「自分らしくあること(実存)」を取り戻すプロセスそのものです。

 何よりも必要なのは、「不全感」について私たちが賢くなること。 従来のように被害者個人に対処の負担を押し付けるのではなく、社会全体が、不全感を隠した「ローカルルール」に気づき、「NO」と言うこと。 そして、相手の「存在(Being)」を尊重し、「行為(Doing)」に限定した言葉(Iメッセージ)でやり取りすることを当たり前としていくこと。

 「不全感」という目に見えない”悪”の存在を社会が自覚したとき、私たちはハラスメントの呪縛から逃れ、本当の意味での多様性や信頼を築くことができるはずです。

ハラスメントの理解から、私たちの新しい可能性が始まります。

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どこからどこまでがハラスメントか?――現場で使える判断の基準

 「どこまでが指導で、どこからがハラスメントか?」 この問いに、現在の法律やガイドラインは明確な答えを出せていません。その結果、現場では「ホワイトハラスメント」や「指導の放棄」という新たな混乱が起きています。

 本稿では、前回のメカニズム編(「「ハラスメント」とは、本当は何か?」)を受け、日常の現場で使える「どこからどこまでがハラスメントか?の真の基準」を提示してみたいとおもいます。

 ハラスメントのメカニズムを知ったうえで、実際に日常の現場でどこからがハラスメントで、どこからがそうではないのかを見ていきたいと思います。

1.ハラスメントの基準を知るための前提

 まず、「ハラスメントとは加害者が自分の不全感をかりそめに癒すために表面的な規範を道具に、私たちの社会性、善性を悪用する行為」という理解が基本です。

 そうした関わりをされると、された側も何とも言えない嫌な感覚がわいてきます。「不全感」という概念はあまりなじみがないかもしれませんがとても重要です。

・「不全感」の存在を知る

 人間の言動の背景には実は不全感が含まれていることがあり、それが人間関係や組織(家庭、学校、地域、職場など)をおかしくしているのだ、ということについて私たちは正しく認識する必要があります。これらを知っているだけでもハラスメントの基準についてかなりのことがわかります。

 そして、不全感をかりそめに癒すために他者の社会性、善性を悪用することがない関わりであれば、まずはそれはハラスメントではない、ということです。

2.行為doingレベルの迷惑行為と、存在(精神)beingレベルの影響とを分ける

 そのうえで基準をより明確にするために、行為doingレベルの迷惑行為と、存在(精神)beingレベルの影響とを分けてとらえてください。

 行為レベルの迷惑行為・ストレス事象のみの場合は厳密にはハラスメントには当たりません。

・口は悪いが不全感による侵害行為はないケース


 例えば「口は悪いのになんだか憎めない、嫌な感じがしない」というのはこうしたケースです。あるいは、熱意をもって叱咤するといった上司の姿などもある意味同様です。(※ただし、実務や現場における総論としては、できれば避けるべき行為として取り扱われます)。

・単なる迷惑行為であるケース

 最近、職場で人が立てる音が気になって困るということで「音ハラ」ということが言われるそうです。これも音を立てる人が不全感から意図して発しているのでないのであればハラスメントではなく、単なるストレス事案、迷惑行為となります。

 このように何でもハラスメントになるということを防ぎ、基準をもって切り分けていくことができます。

3.存在レベルに立ち入っているか否か?不全感の解消が意図されていないか?

・行為レベルのやり取りはハラスメントではない

 次に、社会におけるかかわりの原則は、他者の存在レベルの事柄には立ち入る(相手の人間性を云々するようなこと)権利は誰にもない、ということ。できることは行為レベルでのやり取りであるということです。特に仕事などでは、行為レベルでの改善や要求をやり取りできなければ仕事にならないため、それらについての関わりは基本ハラスメントではないことがわかります。

・疑われる行為は検証を行う

 行為レベルのやり取りの際に、暗に存在レベルへの侵害がないかどうか?については現場でも検証をすることです。
 例えば、不機嫌になりながら指示をするといった行為は、暗に「お前が自分を不機嫌にしている」というメッセージが込められている場合(かりそめに自分の不全感を癒そうとする行為)があり、ハラスメントになりえることがわかります。

・コミュニケーションは行為レベルに限定された「Iメッセージ」で行う

 もちろん人間ですから、仕事で迷惑をかけられて腹が立つことはあります。その際は必ず、「Iメッセージ(私は困ります。こう改善してください)」つまり、自分を主語にした1人称で、相手の存在を尊重したうえで、行為レベルに限定して発せられる必要があります。

・基準の共有と吟味~社員の多元性、多様性が尊重されているか?

 こうした基準の共有、吟味とコミュニケーションの配慮、必要に応じてトレーニングがされれば、会社で若手社員に恐る恐る接するといったような「ホワイトハラスメント」なるおかしな現象は生じなくなります。

・飲み会はハラスメントか?を吟味する

 例えば、飲み会についても、存在レベルでの侵害(来て当然だ、来ないやつはダメな奴、など)がないか?などは吟味し、必要性への了解と、相手の事情を配慮したうえで開催することが原則です。飲み会そのものや、誘うこと自体はストレスがあったとしても行為レベルのもので、基本的にはハラスメントではないと捉えます。

 仕事において、さらに突っ込んだやり取りが必要な場合、規範や責任についてやり取りが必要な際は、それが真に妥当なものか?不全感を隠した関わりではないか?といった吟味が必要になります。

・本来、職場とはどうあるべきなのか?

 「ブラック」「宗教的」といったような批判を受けるような職場は、経営者の不全感がそのまま企業理念や社員規範となっている場合があり、本来は、経営者個人の不全感は脱臭・昇華した理念にする必要があります。
 具体的には、パブリックルール(社会の良識)のフィルタを通し、社員の多元性、多様性を尊重したものである必要があります。マインドセットや意欲といったことが求められる場合でも、社員の人格Beingを云々するのではなく、あくまで行為レベルのものとして扱われるべきものです。

 さらにいえば、相互の尊重や信頼が十分に醸成されている職場では、「自分の不全感から他者の社会性、善性を悪用する」という危険性がなくなるため、トークストレート(率直な会話)ができるようになります。実際に実現している会社は存在します。そうした会社では、相手の立場などに臆せず、言うべきことを言う、しかし、イシューと人格は切り分けられている、ということが当たり前になっています。

 ここまで見たように、ハラスメントのメカニズムという視点があれば、これまでにない様々な応用やアイデアが涌いてきます。

ハラスメントの抑止と対処~メカニズムを理解、応用した環境づくり

 ハラスメントのメカニズムという視点を持つことによる応用やアイデアとは、たとえば職場においては、どのような職場づくりをすればハラスメントの防止に有効なのか?ハラスメントのメカニズムを理解した上での職場づくりはどうすればいいのか?すでに世の中で知られ、実施されている取り組みについてもその意味や効果が別の角度で見えてきます。

・ダイバーシティ、パーパスなど経営施策の本当の意味

 例えばダイバーシティ、パーパスといったことも、それらが経験的に有効というのは経営の観点からわかっていることですが、実は心理学やハラスメントに関する知見から捉えると、それらが、ハラスメントを抑止するために必要な多元性、多様性を醸成する効果があることがわかります(パーパスの策定などは、経営理念や文化に含まれる創業者や経営者個人の不全感を昇華させて、真にパブリックな会社にする効用もあります)。

 こうしたことは既存の経営書などにも書かれていない視点です。

 

・「ハラスメント」とは、私たちのあり方、他者とのかかわり方など根源的な問いを含む問題

ここまで見てきたように、ハラスメントか否かを判断するためには、行為(Doing)の問題なのか、存在(Being)への侵害が生じているのか、そして、その背景に「不全感の解消」という意図が含まれていないかを見極める視点が重要になります。

こうした整理があれば、「何でもハラスメントになる」という混乱や、「何も言えなくなる」という萎縮を避けることができます。

しかし同時に、ここまでの議論は、単なる職場ルールや対処法の話にとどまらないことにも気づかれるのではないでしょうか。

ハラスメントという現象は、人間がどのように他者と関わり、正しさや規範をどのように使ってしまう存在なのか、という、より根源的な問いを含んでいます。

次回は最後の回となりますが、ハラスメントを理解することで見えてくる私たちの可能性と、人文知を活用する意味について触れてみたいと思います。

ハラスメントは、どのように成立していくのか?――職場と家庭の会話に潜むプロセス

前回は、ハラスメントのメカニズムについて解説させていただきました。

今回は、具体的な例をもとにハラスメントのメカニズムをさらに理解していきたいと思います。

職場と家族とでそれぞれ、会話(やりとり)の流れ とを見ながら、その解説を行ってまいります。

前回の記事:

事例からハラスメントのメカニズムを理解する①:職場の場合

 職場によくあるケースから、ハラスメントがどのようなメカニズムで成り立っているのか?を示してみました。

1.上司が不全感を抱え、部下をコントロールするなどネガティブな意図を持っている。

2.部下を些細なミスなどを理由に叱りつける。

  ※部下は、たしかに自分にもミスがあったことは認めるが、日々の業務では些細なミスは生じるし、忙しい中で致し方ないとも思っています。
 また、仕事の仕方はいろいろなので、たしかにそうかもしれないけど、強く叱責されるほどでも、という思いもありどこか納得できません。
  しかし、職場において上司の叱責を受け止めなければ、あるいは、間違いがあれば改善しなければ、という意識(社会性、善性)から耳を傾けてしまいます。

3.上司は、さらに「おまえには反省の態度が見られない」「お前は普段からミスが多い」と部下の都合や感覚を否定し、表面をコーティングすることで不全感を隠ぺいするメッセージを発する。

  ※部下は戸惑い、ストレスを感じます。
   しかし、ミスも生じた中で、上司に反論してはおかしな人間ともされかねませんので、やはり耳を傾けてしまいます。

4.「こんなことでは、仕事は任せられないし、いつまでたっても一人前になれないぞ!」

  ※社会性、善性に働きかける言葉を繰り返しかけられることと矛盾するメッセージを浴びること(ダブルバインド)で、精神的に呪縛され、自分の感覚を疑い、自信を失うストレス状況から抜け出せなくなります。

5.違和感を感じるので他の人に相談したら、「あなたの態度に何か問題があったんじゃない?」「会社ってそういうもんだよ」と言われてしまう(セカンドハラスメント)

  ※自分がおかしい、という状況の完成。

 これが繰り返されることで、部下は自分の感覚を信じることがだんだんできなくなり、上司の基準を正解として上司の不全感を飲み込み、支配されてしまうのです。 

事例からハラスメントのメカニズムを理解する②:親子の場合

 次は、親子の間で生じるハラスメントの例です。

1.親が自身の不全感から不安定で、イライラしている。

2.家で遊んでいる子どもを「勉強しなさい」と叱りつける。

  子どもは、なんで遊んでいけないのか?と反論する(違和感)

3.「あなたのためを思って言っているのよ」(表面をコーティングするメッセージ)と伝える。

  ※子どもは混乱する。直感では、勉強していないことが原因ではなく、単に親は自分のイライラ(不全感)をぶつけているだけと感じているから(ダブルバインド)。

4.「いつも言うことを聞かない。素直じゃない」
  ※子どもは、不満を感じながらも、自分が悪いと思ってしまう(子どもの「社会性、善性」)。

5.他の子や大人に聞くと「うちでもそうだよ」「勉強しないから悪いんじゃない?」と言われてしまう(セカンドハラスメント)。

  ※自分は言うことを聞かない、おかしな子、という状況ができあがり、以後、徐々に自分の直感も信じられなくなっていってしまう。

 

それぞれの例で、裏に潜む不全感と表面を繕うもっともらしい口実という矛盾するメッセージを浴びることで精神が束縛される「ダブルバインド」も作用しています。

ここまでの事例を見てくると、ハラスメントは特別なことではなく、またハラスメントと名づけられていなくても日常の様々な場面で起きていることがわかります。

・「社会は、ハラスメントでできている」

 上に挙げた例を見て、「えっ、そんなことがハラスメントなの?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 
 東京大学の安冨教授は「社会は、ハラスメントでできている」と表現しているように社会にはハラスメントはそこここにあふれているのです。

 人間には【本来の自分】【実存】とでもいうような部分がありますが、ハラスメントを仕掛けられると、自分の感覚を疑うようになり、自分を信じられなくなってしまうのです。まさに、精神が呪縛される、もっと深刻になると、魂が殺されてしまうのです。これは決して大げさではありません。
 スイスの心理学者アリス・ミラーはこのことを「魂の殺人」と呼んでいます。

 拠り所を失った人間は、外部の規範や、他者に依存するようになります。幼いころにそうしたことが起きると、大人になってからもモラハラを受けやすい人間になります。さらに悪い事には、ハラスメントを受けておかしくなっている自分を正当化するために、他者を「おまえは礼儀がなっていない」といって叱りつけるなど、今度は自分がハラスメントを行うようにもなるのです。

 ハラスメントとはこうしたプロセスを言います。目に見えにくいですが、私たち人間に重大な影響を与えているのです。

 今回は事例を通じてメカニズムをさらに理解してきました。
次回は、

「どこからがハラスメントで、どこまではそうではないのか?」
「指導や注意、必要な関わりとの違いは、どこにあるのか?」

という戸惑いに正面から答えるために、
日常の現場で使うことのできる「判断の軸、基準」について整理していきます。

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適応できることがいいことではない~“不適応”というフィードバック

 

 どこのコミュニティも、そつなくこなしているように見える人はいます。とても関係づくりがうまく、うらやましいように見える人が。 

 

 例えば、幼い時は公園で友だちができて、お母さんたちとも馴染める。

 小学校では友達がたくさんいる。いろんな友達とうまく付き合える。

 中学校以降になると、部活で先輩ともぺこぺことうまくやりとりができる。

 大学に進むと、研究室の先生にも目をかけられ、院生ともうまく付き合いができる。

 就職した先では、上司に取り入り、得意先とうまく付き合いができる。

 結婚したら、パートナーとうまく関係が築ける。

 地域では、ご近所付き合い、ママ友、学校などとの地域の活動がうまくできる。

 

 こうしたことが「標準」「正常」であるというイメージを私たちは持っています。そして、これらのことからずれること、うまくいかないことは「異常」であり、自分が劣っている証拠であると考えてしまいます。

 そうして自分を責める。劣等感を持ってしまう。

 

 

 私たちは適応できることが善で、不適応を悪だと考えています。
 実際に、カウンセリングにおいても、適応を目指します。
 私たちは、最終的には社会に適応するしかない、とされます。
それは確かにその通りで、“社会”に適応するしかありません。 

 

 だから、一見すると「適応」はやはり善に見えます。

 これらは本当なのでしょうか?正しいのでしょうか?

 実はもっともに見えますが、まったく正しくありません。

 

 正しく言えば、適応するためには、「不適応」を起こさなければならない、もっといえば、自己を確立するためには、積極的に不適応を起こす必要がある、と言えるのです。

 適応しなければならないけど、不適応も必要? どう考えればいいのだろうか??頭が混乱しそうですが、難しい話ではありません。

 

 生物の世界、植物でも、動物でもどんな環境でも適応できる種は存在しません。必ず、生息に適した環境があります。 それを「ニッチ」というそうです。

 淡水魚は海水では生息できませんし、百獣の王とされるライオンも適した地域はかなり限られます。
 

 つまり、それぞれ適した場所でこそもともとの生命力を発揮できると言えます。

 

 

 人間でも同様のことが言えます。

よく言われるのは、企業や軍事での戦略の世界です。

 企業での戦略は、自分たちが得意な分野(ポジショニング)はどこか?を探すことだとされます。大企業であったとしても不得手なところにうって出ると必ず失敗します。

 

 軍隊でも、得意な状況は実は限られていて、
例えば、“最強”とされたモンゴル軍でも、自分たちが得意な平原から離れてくると力を発揮できなくなって、日本や東南アジアでは敗退しています。
 20世紀に世界最強とされたアメリカもベトナムで撤退するなど、実は適した環境は限られています。

 どんなところでも適応できなければならない、勝てなければならない、などと言うのは本当に幻想だということがよくわかります。

 

 スポーツ選手も、同じ競技でもチームが変わるだけで全く活躍できなくなるなんてことは珍しくありません。
 チームの戦術や、監督のパーソナリティ、リーグのスタイルでもかなり左右されます。

 実は会社も同様で、同じ業界でも、会社が違えば活躍できなくなることはあります。

 

 

 「あの人は、どんな世界に行っても活躍できる」というのは、比喩(そんな気がするだけ)であって、本当にどんな世界に行っても活躍できる人などは、人類史上一人も存在しません。

 もしいたら、その人を題材に、生物学(人類学?)の世界で論文を書けばノーベル賞を取れるかもしれません。
 
 絶対にありえないからです。

 

 私たちにとっての適応とは、「自分の持ち味を発揮できるところを得ること」です。

 自分にとっての強み、持ち味を発揮できる場所や人間関係はどこか?を見極めて、早くそこに立つことです。

 大谷翔平が事務職をしても不幸でしかありませんし、卓球やゴルフではきっと野球ほどには活躍できないでしょう。
(バスケットボール選手の天才的な選手であるマイケル・ジョーダンが、野球に行ってうまくいかなかったことはよく知られたことです)

 

  
 
 私たちが、各所で見る、「うまくやっている人」というのは、そこでうまくいっているだけで、実際に、すべての場所でうまくいくわけではありません。
 
 
 私たちの脳は、自分を否定するために、都合よく、それぞれの場所で「うまくいっている人」を取り上げては、それらと自分とを比較してダメ出しをしてきます。

 しかし、そんなご都合主義の比較に意味があるでしょうか?

 ガントチャートで、すべての項目がMAXでなければ人としておかしい、なんてそんなことありえるでしょうか?

 ライオンが、スズメみたいに空は飛べない、水の中では魚に勝てない、モグラのように土の中では、だからライオンはダメだ、などと都合よくダメなところを比較して、意味があるでしょうか?

 

 

 多くの場合、私たちは、親などや養育環境の中での間違った比較やこうあるべきを押し付けられて自信を失っている場合もよくあります。

 

 確かに、いろいろな場所で相対的にうまくいってそうな人はいるかもしれません。そつのない人もいます。

 しかし、器用であるが故の不幸もあるのです。

 以前、ブログで紹介した、なんでも器用に100点の回答をしてくる東大生たち。彼らは果たして幸福でしょうか?

(参考)→「世の中で活躍できている人が万全、健全というわけではまったくない。

 

 その器用さゆえに、壁(不適応)に当たらないことで、本来の自分の場所が見つからない、という恐ろしいことも生じるのです。

 実際にそつがないゆえに、会社などで出世していって、でも、本来のその人の人生を生きてはいない、なんていうことはたくさん存在するのです。
 

 たまたま数字のある部署に配属されて、それで役員(子会社の社長)まで行く、なんていうのは大企業ではよくある型です。良いことのように見えますが、それも本当に幸せなのか?
 

 どこかで「この仕事は合わない」「この組織は合わない」というシグナルが来て、別の会社や職に就くことが、その人の本来のいる場所、かもしれません。

 しかし、器用に適応したがために、自分の本来の道を見つける機会はついぞ失われてしまうわけです。

(参考)→「誤った適応

 

 

 例えば、印象的なのは、以前、社会問題となった宗教団体でネクタイを締めたスーツ姿の幹部たちが会見をしている場面をテレビで見たことがあります。

 あの人たちは、その宗教団体という組織の中で適応し、出世した人たちです。

 おそらく、仕事もできるのでしょう。
 その組織の中で覚えめでたく、上司にも好かれ、だから出世したのでしょう。

 一方その宗教団体を訴える人たちは、その団体で搾取されてきた人たちです。
もしかしたら、搾取されただけではなく、馴染めず、出世できなかったのかもしれません。

 
 しかし、適応した幹部たちは果たして真に幸せなのでしょうか?

 社会問題となるような集団ですから、「こんなところはおかしい」と不適応を起こすほうが自然ではないでしょうか。

 そこに適応して出世までできたというのは、良い適応では全くありません。

 私たちは、不適応、不適応、不適応のフィードバックの中で自分を作り、そして持ち味を発揮できる場所や人、自分にとっての“社会”に適応していくものなのです。

(参考)→「変化しない人、フィードバックがかからない人は存在しない

 

 

 

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