人の考えも戯れでしかない~考えや意見は私的領域(生育歴)の投影でしかない。

 

 「人からどう思われるのか?」が気になったり、

 「自分が否定的に思われているのではないか?」と考えて、不安になったり、

 「人からネガティブな考えを持たれているのでは?」と怖くなったり、ということがあります。

 トラウマを負っているととくに、人の考えを考えさせられて、巻き込まれてしまう傾向があります。

 

 人の考えがあたかも真実であるかのように考えさせられて、それに影響されてしまう。

 
 人の考えとはなにか?についても実態を知る必要があります。

 

 人の言葉が戯言だとということは、人の頭に浮かぶことも同様に戯言、妄想でしかありません。

 (参考)→「人の話をよく聞いてはいけない~日常の会話とは“戯れ”である。

 

 私たちは、相手からどう思われるか?ということを意識し、恐れますが、相手が考えることにも全く意味はありません。
 

 人間が頭で考えること(とくにネガティブなこと)はすべて、養育環境で負った不全感を目の前のものに自動反応として投影しているだけです。

 「この人はこんな人だ」とか、

 「この人は嫌いだ」という考えが浮かんでも、それは、養育環境からくるものに巻き込まれて考えさせられているだけで、目の前の人をありのままに捉えているわけではありません。
  

 

 ツイッターやインターネットの掲示板とかで披露されている意見もすべて、単なる私的領域(生育歴)の自動反応的な投影です。
 
 
 TVのコメンテーターの意見も全て、単なる私的領域の自動反応的な投影です。

 だから、そこには真実はないし、事実を何も指し示していないのです。

 

 私たちに向けられる意見や考えも、客観的な私たち自身を見ているわけではありません。

 

 以前もご紹介しましたが、
 手塚治虫が同輩や後輩の漫画家について「ここがダメ」と評論していたところ、実はそれらは手塚治虫が自分の地位が脅かされる不安や嫉妬ゆえにそうしたことを書いていた、という有名なエピソードがあります。

 福井英一やさいとうたかおはそれに憤慨し、石ノ森章太郎もショックを受けたと言われていますが、その評論自体は私的感情による戯言であって事実を何も指し示していなかった、単なる嫉妬であったというのです。
 
 漫画の神様と言われる人でもこのような状態であった。人間というのはこのようなものです。

(参考)→「人の発言は”客観的な事実”ではない。

 

 私たちがこれまで生きてきた中で受けた誹謗や暴言、誤った評価といった理不尽な経験もすべて私たちの実態を何も示していない。単なる私的領域の投影であり、ローカルルール、戯言に過ぎない。親から受けた「あなたはこんな子どもだ」というのも全て戯言。だから、そこを真に受ける必要はまったくないのです。

 

 

 では、他者がそうなら私たち自身が考える考えもそうなのか?といえば、私たち自身の考えもそうです。

 単に私的領域(生育歴)の投影でしかありません。

 

 別の言い方で言えば、(とくにネガティブな考えは)ローカルルール人格の考えでしかない。

 

 自分の考えがどこにあるか?といえば、どこにもなかったりする。

 かつては哲学において、最近は、心理学においても「自由意志などない(だろう)」とされていますから。

 

 人間が、物事をありのままに見るためには、かなり意識的にトレーニングをする必要がありますし、公的な役割を代表している状況下においてでなければ、基本的になされることはありません。
(教養や職業によって、人格を涵養する事が必要)

 

 人格的に一定程度成熟し、職業的な知識・経験、役割、あるいは教養をもった状態であれば、その意見はまだ耳を傾けるに値します。
 (昔の人達が、教養や人格の涵養を重んじたのはこうしたことのためだと考えられます)

(参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 
 しかし、プライベートな環境下では、現実にそうした事ができている人はほぼいないと言っていいのです。

 

 では、私たちは救いがないのか?とおもうかもしれませんが、そんなことはありません。

(参考)→「すべてが戯れ言なら、何も信じられない?!」

 考えや意見が戯言に過ぎないとわかったときに、初めて私たちに自由と主権が宿る。
 

 自分の考え、と思っているものも結局ローカルルールを真に受けているだけではないか?ということを疑ってみる。

 養育環境で負ったローカルルールを相対化していく。

 そのために、正しい知識を得て、現実を見ようと務める。
 社会的な役割を得て、普遍的な何かを代表し、アウトプットする。

 通常はそれが、
  安心安全な環境を背景に
  ・反抗期  
  ・職業に就く
  ・(教養を積む)

 という2段階(3段階)で自然となされるようになっている。
そうした作業が、健全な成熟ということです。

 
 人の考えもすべて戯言だと気づいたあとに初めて、世界に対する自分の自由や主権を回復させることができるのです。 

 
 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

個人の部屋(私的領域)に上がるようなおかしなコミュニケーション

 

 前回の記事を、別の角度から考えてみます。

(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。」 

 

 人と付き合う際に、相手の気持を考える、というのは、家に例えていうならば、人と付き合う際に、常に「相手のプライベートな部屋、寝室に上がり込むようなことをさせられている」ということでもあります。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く」  

 

 

 普通私たちは、人と付き合う際は、道端や玄関先、あるいは、応接室で話をします。会社でも、自分の個人の机にまで来客を招くことはなく、会議室などでやり取りをします。

 これが正常な付き合いです。

 相手を自分の部屋に上げるようなことはしません。

 

 しかし、理不尽な養育環境、理不尽な親は、いちいち子どもを自分の部屋に招きこむ(自分の気持ちを考えさせる)ようなことをして、子どもに自分を慰めるように命令していた。
 
 
 子どもが嫌だ、というと「お前は悪い子だ」「いい子ではなければ愛さない」と脅して、自分の部屋に連れ込んでいた。

 

 それは、自分の不全感を癒やしてほしいからという独善的な理由でしかなかった。

 ローカルルールで巻き込んで、自分の気持ちをのぞき込ませる、というのは一種の精神的な虐待、ハラスメントと言えるかもしれません。 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 そうした環境に慣れた子どもは、大きくなっても、人と付き合う際に、いちいち「相手のプライベートな部屋に入る」ことや、「自分の部屋に招く」ということが当たり前になっているため、人との距離感がわからない。

 

 自他の区別も曖昧でハラスメントにもあいやすい。
フィッシングメールのような言葉が飛んできて、不全感を抱えた人の部屋に上がりこまされるようなことになる。

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 

 いちいち自分や相手のプライベートな部屋に上がるようなスタイルなので、だんだん人付き合いが億劫になってきたり、怖くなってきたりする。

 
 そうして、人とうまく付き合えずに、自分を責めるような気持ちになってうまくいかなくなる。

(参考)→「自他の区別がつかない。

 
 人との付き合いは、玄関先や応接室で行うものです。

 いちいち自分の部屋に上げるなんて誰もしていない。

 部屋に上げることが親密さの証でもない。

 
 コミュニケーションも上級になればなるほど、距離も保つものです。

 外交はホテルや迎賓館で行います。それがもてなしということにもなる。

 賓客を山荘や別荘に招く、といっても、自分の寝室(私的領域)に上げるなんてことは聞いたことがない。

(参考)→「相手の「私的な領域」には立ち入らない。

 

  
 しかし、トラウマを負っていると、こうした当たり前のことでさえ、かなり狂わされていることがわかります。 
 
 そして、常に、相手の部屋に誘い込まれたり、自分の部屋に招くことが当たり前だと思わされて、対人関係の苦労を背負い込むことになるのです。

 
 自分を家に例えたときに、どこで人付き合いをしているのかを、一度チェックしてみると対人関係の苦しさの原因がわかります。

玄関先や応接室でやり取りすることを意識するだけでも、グッと楽になります。

 

あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。

 

 以前も、同様の記事を書いたことがありますが、

(参考)→「まず相手の気持ちや立場を考える、というのは実はかなり変なこと

 

あらためて、

 相手の気持を考えること、相手の心の中を覗き込むことは絶対にしてはいけません。

 

 心の中というのは、私的領域であり、いうなればローカルルールだらけの世界なので、覗き込んでしまうと、そこに巻き込まれてしまう。

 

 理不尽な親は、自分の不全感を癒やすために、「私の心を覗き込め」といって、様々な言葉(フィッシングメール)で巻き込もうとしてきます。

 その中には、「あなたはだめな子だ」とか、「あなたは冷たい」とか、様々なものがあります。

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 

 それらには深い意味などなく、単に自分の不全感を紛らわすために子どもを巻き込みたい、ということでしかなかった。

 
 しかし、真面目な子どもは、「相手の気持を考える」ということが良いことであると思わされたために、学校や会社でも、同じことをしてしまうようになる。

 

 「相手の気持を考える」ということが癖になってしまって、相手の私的領域、ローカルルールに巻き込まれてしまうようになっている。

 

 例えば、仕事でミスをした、というケース。

 ミスというのは誰にでもあります。ミスは起きます。

 

 しかし、ミスをしたことで、相手は私のことを能力のない人間だと思うだろう、とか、相手は私を変な人間と思うかもしれない、というように、相手の気持を覗き込んでしまうと、ローカルルールに巻き込まれて、実際に不当な評価をされるような理不尽な目に合うことが起きてしまう。

 

 とりわけ、顧客や上司が自己不全感のあるような方だと顕著におきます。

 一方で、相手の気持をのぞき込まずに、淡々とミスを謝り、仕事をしていると、そうした事は起きなかったりする。

 

 絶対に、相手の気持を考えてはいけない。

 
 そうすると「相手の気持を考えてはいけない、のであれば、思いやりのない冷たい人間になるのではないか?」と疑問が湧いてきます。
 
「相手の気持を考える」とは社会でも良いこととされていると耳にしているから。

 

 しかし、「相手の気持を考える」と一般に言われていることは、「相手の気持を覗き込むことではない」のです。

 例えば、一流ホテルのホテルマンは顧客の気持ちを考えて接客しています。

 
 では、どの様に接客しているかといえば、相手の気持を覗き込んだりはしていません。

 まず、相手のプロフィールを知り、外形的な様子を観察します。

 国籍、年齢、利用の目的、同伴者の有無、荷物、特別なニーズなど。

 身体が悪ければ、エレベーターで椅子を案内するかもしれません。

 誕生日であれば、ケーキを手配するかもしれません。

 近くのお土産物店をお教えするかもしれません。

 常連になると、時候の話題で軽妙な会話を交わすかもしれません。
 

 

 そうしたものの積み重ねで、「心のこもったサービス」が構成されていますが、いずれも、相手の気持を覗き込んだりはしていないのです。

 

 すべて、

 1.外形的な情報の観察からはじまり、

次に、

 2.「職業的な経験」「常識」を参照して、

 3.サービスを提供しているのです。

 

 そうしたほうが、顧客にとっても心地が良い。

 反対に、気持ちをのぞき込まれるような対応は、重く、気持ち悪いものになります。
 (自己不全感を抱えた人にとっては、その気持ち悪さが心地よいと錯覚していますが) 

 

 以上のように、相手の気持に立ち入らず、相手の状態をよく観察して、常識を参照し、外形的に対応することが健康なコミュニケーションです。

 そのことを社会では、「相手の気持を考える」と表現してきた。

 もし、仕事でミスをしても、相手がどう思うか、など考える必要はない。

 1.状況を把握し、

 2.常識を参照しに行き、

 3.必要な対応をするだけ。

 
 理不尽な相手が、フィッシングメールのように、「私の気持ちを考えろ」と巻き込もうとしてくることがありますが、それはおかしいとスルーする。

 

 ローカルルールとは、因縁をつけて、私的領域の中に巻き込まなければ成立しないくらいにおかしく脆いということ。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 私たちは、ローカルルールによって、「相手の気持を考える」の意味や内容を勘違いさせられてきた。

 

 それによって、自他の区別が曖昧になり、結果自分の感覚や考えもあやふやになって、ストレスにも弱くなるなどの弊害も被ってきました。

 でも、ローカルルールというもののメカニズムを知って、常識に還ることで、自他の区別が明確になり、その呪縛から抜け出すことができます。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

トラウマを負った人と健康な人とでは、人の話の聞き方、対人関係観が全く異なる。

 

 昔、会社で顧客のもとに打ち合わせに行ったときに、「人の話をよく聞くことが大事だ」と思っていた筆者は、一言一句漏らさないように話に耳を傾けていました。

 


 打ち合わせが終わって、帰りしなに、上司や先輩に、「先方がおっしゃっていたことは、~~ということですよね?」とたずねると、「いや、~~ということだよ」と自分が聞いたこととは違うことを言われたり、極端に言うと反対のことを言われたりしたことがしばしばありました。


 企業の打ち合わせでは、今後の方向性についてはっきりとは言わないこともあります。

 


 「前向きなのかな?」と思っていたら、「あれは断りの文句だ」とか、反対に「ネガティブかな?」と思っていたら、「あれは脈がある」といったように、言葉で表現されていることとは違うことも多い。

 上司たちはなぜかそれが読み取れていました。

 


 反対に、一言一句漏らさないように聞こうとしていた筆者の方はそれが読み取れずに、何が違うのか?と首をかしげることがありました。

 一生懸命聞こうとすればするほど、聞けなくなって、頭がボーッとしてきたり、眠くなってきたりする。それでとても悩んだことがあります。

 


 もちろん、経験の差、ということはあります。
文字の間を埋めたり、解釈の精度が違う、というようなことはある。

 

 ただ、実はそれだけではありません。
トラウマを解消して後に思うのは、「聞く」ということがトラウマを負っている人と健康な人とでは根本的に異なっているということ。

 

 


 それは、上司たちは、「聞き流して」聞いていたということです。


 聞き流して聞くことで、相手の真意や全体像が浮かび上がってきて、妥当な解釈を得ている。


 反対に、一言一句真に受けて聞くと、それができなくなる。


表面的な言葉に惑わされてしまう。

 (アニメも一枚一枚の画像にとらわれる人がいたら見れなくなります。見流すから動いて見える。)

 

 


 また、人間というのは、話をしている本人が話の真意を一番理解している、わけではありません。


 岡目八目で見れる、他者のほうが真意をつかめることは実は多い。

 


 当事者というのは、様々なことに悩んでいたり、迷っていたり、整理できていなかったりする。

 
 さらに、プライベートな環境では人間は容易に解離しておかしくなる。
悩みにとらわれているときもおかしくなっている状態。本来の自分ではなくなっている。


 そうしたときに話す言葉は、ローカルルールに呪縛されていて、その人の言葉ではない。


 だから、真に受けてもらっては困る。

 


 「それは本当の自分の言葉じゃないんだ!違うんだ!」と本来の自分は心のなかで思っていたりする。 

 

 まずは、表面の言葉はスルーして、適当に流してもらわなければ、真意はやりとりできない。

 

 


 特に、トラウマを負っている人は、養育環境で負った「人の話をよく聞け」というローカルルールの呪縛にかかっています。

ローカルルールとは、常識の殻をかぶった私的な情動、ニセルールのことです。

 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 表ではルールであることを語りながら、結局は、自分を大事にしてほしい、相手を支配したい、といったことからなされます。

 ローカルルールを刷り込むためには、自分の言葉には価値があると思わせなければならない。耳を傾けさせなければならない。
 

 

 そのために、自分の言動を神化する。

 


 「自分の言葉を大事に受け取れ」というメッセージを刷り込ませて、内面化させます。

 


 すると、刷り込まれた側のわたしたちは、いつの間にか、言葉を真に受けることが当たり前になってくる。そうしておいて、ローカルルールが入りやすいようにさせられている。

 


 その結果、わたしたちは、日常の戯れ言でも、全てが真実であるかのようにとらえて、一喜一憂し、傷ついて、振り回されたりする。

 


 プライベートで人との交流が楽しくなくなってくる。

 人との関わりが重く、おっくうになってくる。

 

 次第に、人見知りのようになってきて、関わるのがとても面倒に感じられるようになってきます。

 


 
  
 以前、居酒屋のトイレに「親父の小言」とかいう紙が貼ってありました。

昔の頑固親父の格言みたいなものです。

 その中で、「子どもの言うことは8,9聞くな」というのが確かありました。

 


 子どもの言っていることなんてほとんどが意味がないのだから聞き流せ、わがままに耳を傾けるな、といった意味なのだと思います。

 

 これは、子供だけではなく、実は大人でも同じです。


 「人の言っていることは8,9聞くな(というかすべて意味がない)」ということ。

 


 
 トラウマを負っている人から見ると、驚くような感じですが、実はこれが健康な人の、対人関係観だったりするのです。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

人間の言葉はまったく意味がない~傾聴してはいけない

 

「言葉には心を越えない~♪」というのは昔大ヒットした歌の歌詞です。

言葉には意味がないのよ、というのは昔から人間が感じていたことです。

 一方、言葉が最初にあった、というように言葉の価値の大きさもわたしたちは知っている。

 

カウンセリングでも、「傾聴」ということが重んじられるわけです。

では、本当の傾聴ってなんだろう?と考えたくなります。

 

 傾聴とは、鵜呑み、真に受けではありません。

 人間が解離しやすく、内的な人格が分かれているという性質を持つ以上、すべて真に受けることはありえません。発せられた言葉を吟味し、選別し、本来の人格の声を見つけること。それも治療者の役割と言えます。

 

 ハラスメントやローカルルールといったものを見るにつけて、強く思うのが、「日常の人間の言葉は本当に意味がない」ということです。

 

 なぜかといえば、繰り返しになりますが人間は容易に解離してしまう存在であり、おかしくなってしまうからです。
 これは誰でもそうです。

 とくに私的環境では簡単に人格スイッチしてしまう。 

 そして、私的な情動(不全感)をもとに、相手を支配しようとしたり、攻撃しようとして、おかしな発言をする。

 

 人間は、公的な環境で、公的な役割を背負ってはじめて理性的でいられる。
 実際に、古代ギリシャでは、公的な役割がなければ完全な人間ではない、と考えられていました。

 
 それは、私的な環境では人間がいかにおかしくなってしまうのか、ということを経験的にわかっていたからかもしれません。

 日常生活で人間は、夜中に食べたくもないラーメンを無性に食べたくなるくらい、本心というのはわからない存在。本心って一体何?と不思議に思います。
 

 言葉はもっといい加減。

 

 日常で発せられる言葉、とくに責任を負わない消費者という立場には、ローカルルールが頻繁に介入してきます。そのため、無駄な買い物をしたり、クレーマーになってみたり、おかしなことだらけ。

 

 臨床の現場でも、言葉を吟味せずに治療者がすべて真に受けては、クライアントさんにとっても危険で本来の人格とローカルルールからきたものとを、よほど吟味しないといけない。

 

 悩みを抱える、とはなにかといえば、ローカルルールを内面化した状態、と定義できます。

 

 
 例えば、クライアントさんが
 「仕事でミスをする人がどうしても許せない」と言ったとしたら、

 それは、「ミスをしてはいけない(ミスをする人は存在してはいけない)」という内面化したローカルルールから来た言葉だとわかります。

 

 その「ミスをしてはいけない」はどこから来るか?といえば、

 養育環境で親などが、イライラする自分の不全感を発散させるために感情を子どものぶつけることを正当化しようとして、「お前がミスをするからだ!」「ミスをしてはいけない、というのは常識だ。だからお前を叱責しているのだ(自分の私的感情からイライラしているのではありませんよ)」ということから始まり、

 それを「期待に応えなければ」と思う真面目な子ども(クライアントさん)が真に受けて、内面化し、忠実に実行してきた。

 そして、親のローカルルールに感染した「ローカルルール人格」が子ども(クライアントさん)の中に形成されます。

 
 そうして長い年月を経て、発した言葉が「仕事でミスをする人がどうしても許せない」ということ。

 

 そうなると、それはその方の本来の発言ではありません。ローカルルールに言わされている、ということです。
 ”ローカルルールの現れ”として捉える必要があります。

 
 そして、治療者が「それ、ローカルルールのようですね」と区分けしたり、本来の自分ではない、とあえて否定したりする必要がある。

 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 治療者が、まさか「傾聴が大事」なんて真に受けてしまっていたら、クライアントさんは良くならない。
 クライアントさんの本音は、「今私が話している言葉は本来の私ではなく、ローカルルールに言わされているんです~。誰か気づいて、助けて~」と思っているのですから。

 
  
 別の場面で、
 「治療者の言葉や態度が気に入らない」と言ったとしたら、それも内面化したローカルルールから来ている。
 まさか真に受けて、治療者が「態度を改めよう」なんていうことは全く必要ない。勘違いして、もし態度を改めたら、クライアントさんは余計にローカルルールに呪縛されてしまう。
 

 それも、「ローカルルールから来ているようですね」といって、区分けしてあげないといけない。

 

 ローカルルール人格というのはまさに、ウイルスによって、パソコンが乗っ取られているような状態です。社会学者の内藤朝雄氏の本でもいじめに加担した生徒の声が載っていますが、「何かそれ、うつっちゃうんです」という状態。

参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 だから、乗っ取られた状態を真に受けて「そうなんですね~」なんて傾聴で応じていてはいけない。

 しっかりと観察して、区別して、指摘して、ローカルルール人格というものの影響を明らかにしていかないといけない。
 それによって、クライアントさんも本来の自分に戻ることができるようになる。
 

 

 

 繰り返しになりますが、日常で発せられる言葉というのは本当に意味がない。
 

 冒頭に書きましたように、言葉の価値は本来大きいのですが、「言葉が尊い」という場合のそれは本来は「神の言葉」という意味。人間はそれを承るだけの存在だし、完全には理解できない。
 その言葉の価値を悪用しているのがローカルルールです。ニセの神様のようになって、言葉を弄んでいる。

 人間の言葉はすべて戯言です。

 

 公的な環境になると人間の言葉がかろうじて意味を持ってくるのは、それは公的な役割を通して「一般意志」をいくらか”代表”できるようになるから。
 一般意志とはルソーの概念ですが、社会の普遍的意志のことです。
 (普遍的意志は、近代以前は、シャーマンや聖職者が、神がかって降ろしたりしていました。占いなどもそうですが、なんとかして神の言葉を読み取ろうとしていたのです。)
 

 作家や歌手の言葉が感動を呼ぶのは、普遍的意志を降ろしてくるから。
 でも、それができるのは瞬きのような一瞬で、いつもではない。だから、しばしば薬物に手を出すようなアーティストも出てくる。

 

 一方、日常では「悪貨は良貨を駆逐する」というように、価値のない悪貨だらけの世界であることを知らなければならない。
 東大の安冨歩教授は「世の中はハラスメントでできている」といっています。ハラスメントの言葉だらけ。本当に価値のある言葉が埋もれている状態。

 

 目の前の貨幣(言葉)が本物か偽物かを吟味することをせずに、すべてを受け取らなければならない、という間違ったルールに従わされている。 

 

 

 「傾聴が大事」と思いこまさせられている人たちが、まさにハラスメントの犠牲者になっている。親やいじめっ子や、上司の盲言を真面目に受け止めさせられて、カウンセラー役をさせられてしまっている。
 

 

 反対に、健康な人ほど日常の言葉は意味がないと知っていて、やり過ごしていたりします。

 元ソニーの社員が書いた本はまさにその様になっています。
 (参考:高橋伸夫「できる社員はやり過ごす」日経ビジネス人文庫)

 やり過ごすことが勢いのあった時代の日本企業を支えていた、というのです。

 

 
 カウンセリングでも、本来大切なのは傾聴ではなく観察。

 治療者であれば、クライアントさんの様子を、よーく観察する。
 言葉は真に受けない。あくまで観察のための材料。基本的にはやり過ごして、聞き流さないといけない。

 良い料理人が目利きをするみたいに、素材を選り分ける。
 良い研究者やジャーナリストみたいに、証拠を吟味して、取捨選択をする。

 

 言葉が1000あれば、そのうち本来の言葉はかろうじて3つあるかないか、かもしれません。
 日常であれば、ほぼ0といってもいいくらい、言葉には意味がない。言葉は本来神のものですから。

 

 ローカルルール人格とはニセの神様になった状態のことです。
 (いじめを行っている人たちや、あおり運転の人たちも、まさに神のような全能感を持って他人を裁いている様が最近であれば動画で記録されています。)

 日常の言葉とは、その方の生育歴からくる雑多な感覚を目の前のものに投影してただ吐き出しているだけ。何も”代表”していない。

 
 悩みを抱えている人にとっても、こうしたこと知るのはとても大事。

 

 自分自身がローカルルールの影響から逃れるためにも、ですが、日常でハラスメントにあわないためにも、です。
 人が発する言葉にはすべて意味がないと知れば、「~~さんって嫌なところがあるよね」みたいな気になる意味深な言葉も、全く意味がないとスルーできるようになります。

 

 日常の言葉は戯れ言としてすべて聞き流す。言葉は何も表していない。
 (聞き流してはじめて本当のコミュニケーションが取れるようになります。)

 

 

 今までは理想化して、恐れていた人が、大したことがない存在であること、「解離しやすいおサルさん」でしかなく、話す言葉も意味深なだけの意味のない言葉であることがわかってきます。人に対する怖さがなくなってきます。

  
 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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