加害恐怖(強迫)

 あらためて、最近気がついたことに、トラウマを負っている人は加害恐怖(強迫)を持っているケースは多いかも、ということです。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 加害恐怖(強迫)というのは、「自分の言動が相手を傷つけたかも?!」という不安を持ってしまうということ。

 例えば、自分の言動がきつくなってしまったかな、と思ったら不安になってしまったり、相手からどう思われているかな、傷つけていないか、と確認したくなったりする。

 

 

 健康な人は、自分の気持ちに任せて怒ったり、自分の考えを伝えることで自尊心を守ったり、自他の区別を適切に保ったりする事ができていますが、トラウマを負っていると、加害恐怖のためにそれができなかったりする。

 

 その背景として、もともとの気質のやさしさや、理不尽なことをする人を見て「あんなふうになりたくない」という反面教師や理想主義からくる面もありますし、ローカルルールで縛られていたりもする。

 

 

 「あなたはきつい」とか、「言い方が悪い」とか、みたいなダメ出しをされてきていると、だんだんと自分が出せなくなってくる。

 自分を出そうとすると、他者からの評価、評判が意識されて、意見が言えなくなる。

 ブレーキとアクセルを両方踏むみたいな感じになって、前に進めなくなる。

(参考)→「気持ちを理解しろ、物事を先回りしろ、あなたは冷たい、傷ついた!などもローカルルールや巻き込むためのメッセージ

 

 

 本当は感情を吐き出したり、意見を言ったりして、スパッとその場の空気を公的なものにしたり、相手との距離をとったりすることが必要で、本来そこに変な反省はいらない。

 

 「言い方が悪かったかも?」なんて思うと感情が相手に届かず、相手に巻き込まれて、なめられたり、支配されたりする。

 

   
 怒っているときは「怒っている」でそのままで良い。

 そういう時は清々しさがあったりする。

 

 

 ローカルルールに巻き込まれている場合は、自分の考えや感情と同時に、他者に意見や価値観が湧いてきて、「傷つけたかも?!」とか、「どう思われているかな?!」とか、「相手との関係が悪くなるかも?!」みたいな余計な気持ちが湧いて、アクセル&ブレーキ状態になり、自分という車はくるくる回り始める。

(参考)→「評価、評判(人からどう思われているか)を気にすると私的領域(ローカルルール)に巻き込まれる。

 

 

 もちろん、健康な人は、感情を出して変な後悔がないというのは、冷たいとか情がないということではない。
  
 ただ、自分の感情を出すときと、相手のことを考えるということが別々のこととして区分けされている。

 もっといえば、「主権」がある。

(参考)→「「自他の区別」を見捨てられている証拠と歪曲される~素っ気ないコミュニケーションは大歓迎

 

 

 野球に例えると、野球は先攻、後攻と攻守が入れ替わりますが、そのように攻守の「権利」が切り替わるような感覚。

 攻撃のときには攻撃だけをする。守備のときは守備に専念する。

 攻撃に時に同時に守備につくようなことはありません。

 

 

 トラウマを負っていると、ほんとうの意味で攻撃の権利は自分にはなくなる感覚。なんか、ずっと守備につかされているような感覚。
 
 攻撃になっても守備のことを考えさせられている。
 
 それどころか、最後は相手チームのベンチに座らされているような感じになり、自分がなくなってしまうのです。

 
 

 「トラウマを負っている人が怒り出したり、相手のことを考えない言動で平気で相手を傷つけることがあるじゃないか?」と思うかもしれません。
 例えば、境界性パーソナリティ状態になって、相手に因縁をつけたり、クレームをぶつけるようなことが。

 

 でも、それはよく見れば、自分そのものではなく、まさにローカルルールに巻き込まれている状態、ローカルルール人格にスイッチした状態であって、その人本来ではない。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 

 結局主権を奪われた状態で、内面化した他人の価値観(ローカルルール)を表現させられているだけで、やっぱりそこに自分には主権はないのです。

 さらに、ローカルルール人格がしでかしたおかしな言動の責任を取らされて、「ああ、やっぱり自分は人を傷つけてしまう」として罪悪感(加害恐怖)を刷り込まれ、自分を表現できない~ローカルルール人格にスイッチしてローカルルール人格の感情を吐き出させられる~自分を表現できない、という悪循環に陥らされてしまいます。
 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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「奇異な主張」とおかしな前提

 

 たまたま、17日付の日経新聞のオピニオン面で目にしたのですが、今回のコロナウイルスの件で、中国(政府系の新聞など)が欧州などの対応を批判し、「自分たちはウイルスの拡散を遅らせるために貢献しており、世界は感謝すべきだという説をしきりに発信している」

 さらに、「コロナの発生源は中国内ではなく、米軍から持ち込まれたという説まで広めだした」そうです。

 

 それに対して、日経新聞のコメンテーターは、「いずれも、奇異な主張と言わざるを得ない」「世界をこれ程苦しめるウイルスは、そもそも中国から拡散した。山火事を起こしてしまった人物が消化に貢献したからといって、責任が帳消しになり、称賛されるはずがない」としています。

 

 

 たしかに奇異な主張です。それを読みながら、どこやらローカルルール(人格)と似ているな、と感じました。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

 ローカルルールも、あくまで、火の手は「個人の私的情動、不全感」からなのですが、それを周囲の人のせいにするものです。

それを真に受けて内面化してしまうと「ローカルルール(人格)」として内面化した人を苦しめることになります。

 まったく奇異なことなのですが、「見捨てられ不安」だとか、「家族の愛」だとか、「自分は不完全な存在だ」といったおかしな前提が入ると、それが奇異なことに見えずに真に受けさせられてしまいます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 例えば、親の機嫌が悪くなり、それを「あなたがいい子ではないからだ」と子どものせいにする。「あんたなんかにできるわけがない」といった心無い暴言を浴びせる。

 冷静に見れば、全く奇異な主張と言わざるを得ません。 
 でも、おかしな前提が入るとそう見えなくなる。

 

 上司が不全感からイライラして、部下に因縁をつけて怒る。「お前は態度がなっていない」と。

 全く奇異な主張と言わざるを得ません。 
 でも、おかしな前提が入るとそう見えなくなる。

 

 

 解離性障害のケースなどでは、治療者はローカルルール人格と直接話をすることがあります。
 その際に、ローカルルール人格が問題を作り出してクライアントさんの主人格を苦しめているにも関わらず、ローカルルール人格が「治療に時間がかかりすぎる」「よくならない」と治療者に文句を言ったりすることが本当に起こります。

 「火をつけているのはお前だろう!」と当然ツッコミたくなる、まさに笑い話のようなエピソードです。

 

 火をつけた人が消防署に文句を言うような全く奇異な主張ですが、もし治療者側に「罪悪感」「(間違った)責任感」というおかしな前提が入っていれば、奇異とは感じられなくなるでしょう。

(参考)→「ニセ良識、ニセのバランス感覚~2、3割は自分のせいだ、というローカルルール

 クライアントさんの主人格がそれを真に受けると、実際に治療がストップしたり、ドロップしたりしてしまいます。

(参考)→「ローカルルール人格はドロップさせようとすることもある。」 

 

 

 

 以前も、記事で書きましたが、境界性パーソナリティ障害などで苦しむ方が、医師などを批判するのも同様に奇異なことなのですが、おかしな前提によって巻き込まれると、それが奇異とは感じられなくなり、ショックを受けて治療者の仕事を辞めてしまうということも起こります。

(参考)→「共感してはいけない?!」 

 

 ※冒頭のコロナウイルスの件でも、もし発生したのが中国ではなくアメリカだったらどうか?とか、時代が違えばどうか?など状況を変えてみると、おかしな前提(アメリカは進んでいるから、とか)が入ってしまって「なるほど、もっともだ」と真に受けてしまう可能性も十分にあります。 

 

 このように、ローカルルールとは、奇異な主張でしかなく、まともに受け取る必要がないものばかりです。
 
 
 自尊心が機能していると、おかしな前提が入らず、奇異だと自然と感じることができるようになります。

(参考)→「自尊心の機能不全」 

 

 

 精神疾患や精神障害、トラウマとは結局、奇異な主張(ローカルルール)と変な前提とが組み合わさった暗示がずっと内面化して取れないままでいること、とも考えられます。

 近年、オープンダイアローグをはじめとするナラティブセラピーなどが注目されるのも、奇異な主張とおかしな前提(ナラティブ)の暗示を解く力があるからなのかもしれません。

 

 ちなみに日経新聞では、奇異な主張をしないといけないのは、「そうしないと、盤石な共産党政権の基盤を保てなくなる不安があるからだ」としていました。

 ローカルルールというのは正統性がまったくないので、事実を曲げたり、奇異な主張で外に因縁をつけない限り、維持できないくらい脆いもの、おかしなものでもあるということです。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由」   

 

 
 さらにいえば、私的領域での人間の発言自体がすべて戯言であり、「奇異な主張でしかない」ということでもあります。

 もっともな顔をしているだけで、戯れに扱うものでしかないし、戯れとして扱わないといけません。

 

 人間の発言の奇異さを捉え、変な前提を健全な反抗で壊して主権を自分に保つ。そのことを身体で知るのが愛着、発達ということなのかもしれません。

(参考)→「ローカルルールと常識を区別し、公的環境を整えるためのプロトコルを学ぶための足場や機会を奪われてきた」   

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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仕事や人間関係は「面従腹背」が基本

 
 最近、新型コロナウイルスが問題となっていますが、外国の物や人が国に入るときには検疫があったり、審査があったりします。

何のチェックもなく外国に入れるということはありません。

 信用できる国同士だとチェックを軽くしたり、ということはあるようですがチェックするのが原則。

 

 

 私たち個人も同様に、相手をそのまま信じることはなく、チェックをしています。

健康に発達していれば、言葉を鵜呑みにすることもありません。

 そのまま受け入れるなんて言うのはとても危険なので、必ずチェックが入るのです。
 
 親から受けたしつけや教育についても、わざわざ反抗期というプロセスで一旦否定して、検疫して、翻訳し直して、自分のルールというものにするのです。

 

 

 人間は素直な方がいい、というふうに言われますが、その「素直さ」というのも要注意です。主語をチェックしないといけません。

 素直な方がいいというのは、「(支配する側にとって)」という言葉が隠れていることがしばしばだからです。

 

 「自由貿易とは、強者にとっての保護貿易」という有名な言葉がありますが、国と国との関係でも、「ノーチェックでやりとりしましょう」というのは、強い国にとっては都合が良いのですが、弱い国にとっては実は相手に知らず識らずの間に支配されているということがあります。

 EUでも、結局はドイツのような強い国が得をしている(EU≒ドイツ帝国)のでは?ともいわれています。

 

 

 個人同士の素直さというのも同様に、それは強者にとって都合の良い、ということだったりします。

 もっと言えば、家庭の中での親であったり、配偶者であったり、会社では上司、経営者であったり。過干渉やモラルハラスメントというのは、相手を否定することでノーチェック状態を強制することです。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 

 反抗期を経て健全に発達した大人であれば、相手の言葉をそのまま受け取ることはありません。

 例えば、会社で会社の上司に言われたことでも、そのまま受け取るなんてしません。

 でも、あからさまに従わないなんてこともしません。

 基本は、「面従腹背(表面的には従っているが、本心はそうではない)」です。

 

 もちろん、業務として決められたことや、しなければならないことはしますが、「心から臣従」なんてしない。

 (個人同士の人間関係で言えば、裏表があるとか、心のなかでいつも相手を悪く思ったりとかそういうことではありません。)

 

 「でも、結構上司と部下が仲が良くて、尊敬されているいい環境の職場もあるよ」と思われるかもしれませんが、それは、それが当たり前なのではなく、環境が整った結果であるということ。

 上司や会社が尊敬されるに値する正統性と役割を果たしている結果、部下がそれに敬意を払い、いい関係になっているということ。

(参考)→「「仕事」や「会社」の本来の意味とは?~機能する仕事や会社は「支配」の防波堤となる。

 

 

 例えば戦国時代のお侍さんでも、主人の言うことを何でも言うことを聞くなんてことはありませんでした。 主人がそれ相応の力を示して尊敬されなければ、言うことは聞いてくれなかった。

 武田信玄などもそうだったようで、部下から尊敬されることに腐心していた。
 
 

 戦前の軍隊でも、山本五十六(連合艦隊司令長官)の有名な言葉に、

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
 

というものがあります。

 

 戦前の軍隊という絶対服従のイメージのある職場でも、上官が言ったから部下が何でも聞いてくれる、なんてなかったのです。

 これだけ、丁寧に関わって初めて人は動く。

 人というのは、やはり基本的には「面従腹背」なのです。

 

 ただ、面従腹背なのですが、そのほうが結果として、「素直だ」と捉えてもらえたりする。
 「面従(表面的には従っている)」しているためです。

 人間は心からやり取りをしているわけではなくプロトコル(外交儀礼)でやりとしているので、プロトコルに従っていれば良く評価される。
 

 普段、挨拶しているだけで、罪を犯した人でさえも、「あの人はいつも挨拶してくれて、いい人そうだったけどね~ 残念ね~」とご近所の人から言われるものです。

 

 それに対してトラウマを負った人はどうか?
 「面(反)腹()」という感じで、人の言葉をそのまま受け取りすぎる。心からやり取りしようとしてしまう。

 他者が大きく見えているので、へりくだりすぎてしまったりして、ちょっと言われた言葉を大きく捉えてしまったりする。

 会社の会議でも指摘があると、黙ってしまったり、深刻に受け止めすぎてしまったり。

 
 人に振り回されることに疲れているし、傷ついてもきたので、本当は距離を取りたい、人の言葉に動じない強い自分になりたいと思っています。心からやり取りしたいと思っていたりもする。
 結果、それが表情に現れて「面(反)」となり、上司から「なんだ、気に入らないのか」となって、「あいつは素直じゃない」と悪い評価されてしまう。

(参考)→「「形よりも心が大事」という“理想”を持つ

 

 本当はめちゃくちゃ素直で柔軟なのですが、それが仇となるのです。

 

 ノーチェックで相手の言葉を通してしまうことで、公的環境ではなく、私的環境になってしまって、相手の理不尽さ(ローカルルール)を招いてしまう、ということもあります。

(参考)「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 

 

 TVや本で取り上げられている活躍しているプロフェッショナルを見ると真に受けて、実際の責任以上に仕事を引き受けてしまう。

 活躍している人は、それを支える環境があったり、負の側面もあるのですが、そのことは見えない。
 (もちろん、TVで取り上げられる人の中には自己愛性パーソナリティ傾向のあるワーカホリックな人もたくさんいますが)
 
 表面だけ真似して、すごく気を利かせたり、何でも自分の責任だと捉えたり。
 

 とても頑張っているのに、
 「~~さんは、最初はいいんだけど、結局は駄目だね」と悪く評価されてしまう。
 

 頑張ってその結果ですから、もうどうしていいかわからなくなる。
 自信をなくして、人や仕事が怖くなったりしてしまいます。

(参考)→「あなたの仕事がうまくいかない原因は、トラウマのせいかも?

    →「あなたの人間関係の悩みの原因は、トラウマのせいかも?

 

 

 ちょっとしたことから始まりますが、「面従腹背」と「面(反)腹()」というように、トラウマを負った人と、健康な人とでは、見えている世界が180度違っていたりするのです。

(参考)→「トラウマを負った人と健康な人とでは、人の話の聞き方、対人関係観が全く異なる。

 

 仕事や対人関係の基本は、「面従腹背」。そして、自分の体の範囲より大きな責任は負わない。 

 しっかり「面従」はする。

 

 「面従」というのは、挨拶であったり、ポイント、ポイントでの愛想であったり、「OK,BOSS(かしこまりました)」といったり、などプロトコルに従うということです。
  

 そうしていれば、自他の区別もちゃんと保てますし、人からの評価を得ることもできます。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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「いい人」には意識してなるものではなく、環境の集積である。

 
 昔日本は戦争に負けましたが、補給を確保することを怠ったからだと言われました。

 軍隊もいくら強くても、補給が続かなければ闘うことができない。

 よく考えれば当たり前のことなのですが、目先のことに目が行くとプロでもそのことがわからなくなってしまう。

 ナポレオンも補給がうまく行かなくなり破れてしまいました。

 当時は、現地調達で食料などを確保していたそうですが、フランスは侵略者であると考えられるようになり協力が得られなくなったり、
敵が先に食料を奪うなどして調達できなくなってしまいました。

 

 

 企業活動も同様に、インスタグラムやLINEとそっくりにまねて作れば誰でもすぐに追いつけるかと言えばといえばそうではなく、それをささえる「しくみ」がないとだめだと言われます。

 

 ラグビーやサッカーなどの球技もそうですが、得点シーンだけを見ると、得点をとった人の手柄に見えますが、何手も前から始まっていて(多くはボールを奪うところなどから)、パスを繋いで繋いで、囮になる人もいたりして、結果点が取れる。

 

 反対にミスも同様で、ゴールキーパーやディフェンダーは点を取られる場面にいるので一見すると犯人にされることがありますが、実はそれ以前に周りのサポートがなかったり、そもそもフォーメーションがうまく言っていなかったりして、その結果ミスが生じる。

 さらに、普段の練習環境がどうか、チームとしてのサポートがどうか、経営はどうか、など、実は多くの要因が関係している。

 最近なくなった野村克也さんなども、「強くなるためには(選手、監督以前に)フロントが大切」といったようなことを言っていました。

 

 

 このブログでも繰り返し述べていますが、人間は環境の生き物です。

 環境で殆ど決まっているといってもいい。

 

 「いい人」である、ということもそうです。

 いい人とは、その人の性格、気質のことではありません。
 
 実はその人を取り巻く環境の集積物です。 

 
 例えば、ストレスフルなコミュニケーションがあった際に、巧みに応答することができれば、「神対応だ」ということになります。

神対応のうらには、その人を支える環境、仕組みがある。

 家族のサポートであったり、友人の言葉であったり。いわゆる“愛着”というものであったり。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて

 

 もっと言えば、身体のコンディション。睡眠不足、栄養不足、運動不足では良い対応はできません。

 特に睡眠不足になると人間は余裕がなくなり、すぐにおかしくなる。
 (子どもはてきめんで、人が変わったようになってグズグズになりますが、大人でも同様です。)

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 

 「いい人」になれる、というのも、環境の集積物で、意識してなれるものではありません。

 環境の支援がないまま、意識して「いい人」になろうとすると、どうなるかといえば、過剰適応になり、生きづらさを抱え、ローカルルールに支配されてしまうことになります。
 
 補給が続かない軍隊、チームのアシストのない選手、会社のサポートがない社員のように疲労困憊して潰れてしまいます。

 

 もっと言えば、「いい人」になると意識している時点で、ローカルルールの影響が働いている可能性が高い。
(ローカルルールに巻き好もうとする人にとって、都合の“いい人”になっているだけだったりする)

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 人間は、発達の過程で、エゴを等身大にし、反抗期を経て自他の区別をつけ、社会的な役割を得て、公的人格として、健全な形でエゴを表現できるようになります。

 こうしたプロセスも、「いい人」を支える仕組みです。

 

 この仕組みがないまま頑張っても、上に書いたように、ローカルルールの奴隷になるだけ。

 人を支配するために一番狡猾な手段は、支える環境を奪ってしまうこと。

 もともとトラウマとは、ストレスに拠るダメージももちろんですが、支えてくれる環境を奪われてしまうことです。
  
 家族であったり、仲間であったり、社会であったり。

 

 支えてくれる環境を奪われながらも、「頑張れ」「努力しろ」「ちゃんとしろ」というメッセージが飛んでくる(メリトクラシーといいます)。

 

 支えてくれる環境がないまま頑張った結果、補給が続かず敗北し、「はい、負け犬、決定!」「さあ、支配する側に従え」とされ、ローカルルールの呪縛が強まってしまいます。

 意識高い系と言って、努力する人が揶揄されるのもこうしたことを警戒してのことではないかと思います。仕事ができる人というのも環境の集積物なのに、意識を高く持とうとすると、逆に変なものに支配されしまう。
 

 

 大切なのは、環境を整えること。
 家族など他者はコントロールできませんから、自分の体内の環境をしっかり整える。

(参考)→「「安心安全」は、身体の安定から始まる

 ガットフィーリングから来る感覚を大切にする。  

(参考)→「頭ではなく、腸で感じ取る。」

 感じたことを表現する。

 自分の体の輪郭を越えた責任は負わない。

 他人の心の中は覗き込まない。

(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。

 

 
 体内の環境を整えながら、エゴから出発して、ローカルルールに反抗して否定して、自分を表現していくことで、プロセスが整ってくる。

 

 そうした先にほんとうの意味で「いい人」はあるかもしれませんが、意識していい人(できる人とか、頭のいい人、とかも含む)になろうとすることは要注意。
 ローカルルールにとって都合の“いい人”になるだけです。

  

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

評価、評判(人からどう思われているか)を気にすると私的領域(ローカルルール)に巻き込まれる。

 

 ローカルルールとは、私的な感情に基づくニセの常識の世界です。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

「ルール」と名前がつくように、そこにはルールに基づく評価や評判が必ず伴います。

 「あなたはこんな人だ」
 「この行動はだめだ」

 といったように。

 

 ニセの常識ですから、物理的な現実には全く根ざしていません。

 ある切り口を取り上げて、単要素が世界のすべてだと偽っています。
だから、かなりおかしいのですが、ローカルルールにハマってしまうとそれが見えなくなってしまいます。

(参考)→「“作られた現実”を、さらに解体する。

 

 

 いつしか物理的な現実から切り離されて、「評価」「評判」がすべてであるかのようになります。

 とくにトラウマを負った人にとっては、「評判≒自分そのもの」になっています。

 悪い評価、評判があれば、自分そのものが汚染されたような感じになり、まさに自分がその評判通りであるように感じてしまいます。

 反対に良い評価をされても、その評価どおりになってしまう。

 つまり、自分と他人の区別がなく、人の言葉は事実そのものと受け取っている状態です。

(参考)→「自他の区別がつかない。」「「自他未分」

 

 
 人からの評価や評判というのは、実は客観的な指標のふりをした「私的な情動」です。

 ですから、人からの評価や評判を気にするということは、人の私的な領域を覗き込まされてしまっているということ。
巻き込まれてしまうということを意味します。

 巻き込まれてしまうと、私的領域(ローカルルール)という不思議世界が現実であるように思い込まされて、容易には抜けれなくなります。
 

 「評価」「評判」というのは、客観的な何かを表しているように思わされていますが、これもすべて戯言であるということです。戯言なのに、「評価」という形を取ることで正統性を偽装している。

(参考)→「人の考えも戯れでしかない~考えや意見は私的領域(生育歴)の投影でしかない。

 

 

 物理的な現実はどうか?というと、
 人が人を評価するというのは基本的にはできない。

 本来、人間は違う文化、世界同士ですから、ものさしが違いすぎる。それぞれがあたかも小宇宙のように独立しています。

 
 人が人を評価するというのは、どの立場でもできない。とっても僭越な行為です。それ自体便宜的な虚構です。

 個々に独立したものを評価するというのは本来はムリなことで、とても変なことなのです。

 相手の中にニセの感情(罪悪感、不安感など)を揺り動かすなりして、巻き込まなければ成立しない。
 (ヤクザが大きな音をたてるみたいに)

(参考)→「因縁は、あるのではなく、つけられるもの

 

 

 日常で、私たちは「あの人は~~だ」とか「あれは~~だ」と人のことをとやかく言っていますが、あくまで戯れにおこなっていることで、本来は成り立たないことをしている。

 仕事など、公的な実務においては、その実務の都合上、技能やパフォーマンスについて便宜的に評価をしますが、その人そのものがどんな人かを評価することは誰にもできない。大企業でも試行錯誤していますが、客観的な評価はなかなか難しいのはそのため。

 

 仕事も本来は他者の評価を目指すものではなく、技能や経験を通じて普遍的な何かにつながることが目標になります。 

 お客さんの評価や評判を集めてもいい商品はできない、と言われるように、物理的な現実に根ざし、普遍的な何かに繋がり、というのが仕事でも本来の姿です。
 

 普遍的な何かとは偶然に得られることもありますし、先端を行く人の感性による場合もあります。

 (参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 いずれにしても他者の私的領域に巻き込まれては、こうしたことは得られない。

 

 仕事においても健全な発達というのは存在し、仕事の技能や役割とは、私的領域に巻き込まれないための柱として存在しているのだと言えそうです。
  
 技能や役割も与えられず、数字だけで評価される環境というのは、機能不全家庭の子供のように、自他の区別が曖昧で、公的なふりをした私的領域(ローカルルール)が支配する世界です。

(参考)→「「仕事」や「会社」の本来の意味とは?~機能する仕事や会社は「支配」の防波堤となる。」 

 

 

 プライベートな環境においても、「評価」や「評判」が気になるというのは、自他の区別が曖昧になっていて、相手の私的領域を覗き込まされてしまっている、巻き込まれているということ。

(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。」

 

 本来であれば、反抗期などを経て、そうしたものは一旦全て否定して、自分の軸(自他の区別)を獲得するものなのです。不適切な環境の場合は、それが得られずに苦しむことになります。 

 

 私たちはポリス的動物ですから、ルールに弱い。
また、「評価」「評判」には「耳を傾けなければ」と思わされていたりする。

(参考)→「「ポリス的動物(社会的動物)」としての性質を悪用される

 

 とくに、理不尽な目にあってきた人は、「ルール無用に理不尽に振る舞う人と同じ様になりたくない」という意識も手伝って、相手の気持を覗き込もうとしてしまう。過度に客観的であろうとしたり、ニセの「評価」「評判」を真に受けてしまいがちです。

(参考)→「ニセ成熟は「感情」が苦手「過剰な客観性」

 

 

 
 「評価」「評判」というだけで、巻き込まれる要素があるのです。

 そこにはローカルルールが存在している、ということに気づく必要があります。

 

 人の評価が気になったら、「あっ、巻き込まれている」「人の頭の中を覗き込まされている。これがローカルルールというものなんだ」と立ち止まってみる。
   
 とくに、人の評価が自分そのものになっている場合は完全に巻き込まれているので要注意。

 
 頭の中で、親の評価や価値観と同一化している、ということもとてもよくあります。

 親が「あの人は~だ」とか、「あんな人はだめだ」といったことを真に受けている。その価値観通りに動かされている。

 これも結局はローカルルールでしかないもの。

(参考)→「「汚言」の巣窟

 

 そうやってチェックしていくだけでも、結構楽になって、自他の区別がついてきます。
 (反抗期で自然に起きるはずのものを意図的になぞって、主権を自分に取り戻す作業といえます。)
 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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