前回の記事の続きですが、
(参考)→「相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。」
世の中では、自尊心のある人、人望のある人というのは、しばしば、どこか、気安くないところがあったりします。
あるいは、ある一定以上は近づけなさそうな感じがあります。
無碍にできなさそうな感じがあります。
価値のあるものというのは、そのように感じさせるものです。
誰でも手に取れる、といったものに価値は感じません。
しかし、トラウマがあると、
壁があってはいけない、
怒ってはいけない、とか、
そんな人間にはなりたくない、
壁があることは下等であると思っていたりします。
結果、ほんとうの意味で自他の区別をつけることができない。
(参考)→「人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ」
なぜ、自尊心のある人、人望のある人が気安くないかといえば、
自分を大事にできている、ということと、
公的領域の維持ができている、ということがあります。
人は、公私が曖昧になると不安定になる、というのが「公私環境(領域)仮説」のテーゼです。
誰からも話しかけられやすい、気安い、というのは、公私が曖昧ということです。
そうした環境では人はおかしくなりやすいのです。
(参考)→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる」
フランクというのは全くもって良いことではありません。
フランク(気安さ)が成立するためには前提がある。
親しき仲にも礼儀あり を保てているということがとても大切です。
良い友人関係も、それがあります。
人間関係が壊れるとしたら、多くの場合、公私が曖昧になったときだといえます。
↓ 公私環境仮説についても書いています。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
コメントを投稿するにはログインしてください。