自尊心は、気安くない

 

 前回の記事の続きですが、

(参考)→「相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。

 世の中では、自尊心のある人、人望のある人というのは、しばしば、どこか、気安くないところがあったりします。

 あるいは、ある一定以上は近づけなさそうな感じがあります。

 無碍にできなさそうな感じがあります。

 価値のあるものというのは、そのように感じさせるものです。

 誰でも手に取れる、といったものに価値は感じません。
 
 

 しかし、トラウマがあると、

 壁があってはいけない、 
 怒ってはいけない、とか、
 そんな人間にはなりたくない、

 壁があることは下等であると思っていたりします。

 結果、ほんとうの意味で自他の区別をつけることができない。

(参考)→「人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ

 

  
 なぜ、自尊心のある人、人望のある人が気安くないかといえば、

 自分を大事にできている、ということと、

 公的領域の維持ができている、ということがあります。

 人は、公私が曖昧になると不安定になる、というのが「公私環境(領域)仮説」のテーゼです。

 誰からも話しかけられやすい、気安い、というのは、公私が曖昧ということです。

 そうした環境では人はおかしくなりやすいのです。

(参考)→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 

 フランクというのは全くもって良いことではありません。
 フランク(気安さ)が成立するためには前提がある。

 親しき仲にも礼儀あり を保てているということがとても大切です。

 良い友人関係も、それがあります。

 人間関係が壊れるとしたら、多くの場合、公私が曖昧になったときだといえます。

 

 

 

 ↓ 公私環境仮説についても書いています。

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お悩みの原因や解決方法について

相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。

 

 相談されやすい、話しかけられやすい、ということを良いことだと思っている方がいらっしゃるかもしれません。

 たしかに、良いことのように思えます。

 「私はよく親族や知人から相談される」

 「街でも人から声をかけてもらいやすい」
 
 と感じている方はいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 
 相談されることは自分が良い人間であるからだ、話しかけられやすい、というのも、敬遠される要素がないからだ、と、思うかもしれません。

 あるいは、自分に価値を感じる、人から認められている、といったような感じを持つかもしれません。

 

 

 しかし、これは、あまり良いことではありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、というのは、他人から侵害されやすさと相関しています。
 
 相談されやすさ、と、ハラスメントを受けやすい、というのは≒(ニアリーイコール)といっても良いかもしれません。

 

 

 世の中で、人望のある人は、ちょっと怒りっぽい感じがして、気安くなかったりします。

 それは、ちゃんと自尊心があるということで、自分がしっかりあるから、それが魅力であり、人望にもつながる。

 

 一方、話しかけられやすい、というのは、ただ自分を大事にしていないだけだったりします。
 ガードや防壁がないだけで、それは人の善し悪しや人望とは違う。
 
 
 家に例えれば、「入りやすい家」「勝手に入っても怒られない家」
 営業マンからすれば「勧誘しやすい」「訪問しやすい」ということですから。

 人から相談される、ということを喜んでいる場合ではありません。

 

 

 自尊心があるということは、

 「自分の時間は貴重な時間だが、その時間をタダで使おうと思っている?」
 「それ相応のリスペクトはありますか?」

 という気持ちをしっかりと持っているということです。

(参考)→「私を大事にしてくれる?

 

 自分を大事にしていていれば、普通は、大事な自分の時間を渡す意味がない、ということに気づいて、むやみに応じるモチベーションは湧くことはありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、という場合は、

 自分を大事にできておらず、
 リスペクトチェック、時間泥棒チェックといったことがうまく働いていないということです。 

 本来は、心の免疫が働いていれば、リスペクトがあるかどうかにも敏感なものです。

 失礼があったら、怒る、といった雰囲気を醸してもいる。

(参考)→「自尊心とはどういうものか?

 

 

 まずはしっかりと自分をガードする。心は閉じておく。
 自分を大事にすることが第一。

 その上で、人と軽く、いい加減に接する。

 

 

 そうした基礎の果てに、「人望がある」という目指したいところに到達できるかもしれませんが、その反対はありません。

  
 「話しかけにくい」
 「リスペクトを欠いたら、怒られそう」
 「親しみやすいが、気安くない」というのが、健康な姿と言えます。

(参考)→「「いい人」には意識してなるものではなく、環境の集積である。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

公的な場に現れたものこそが本心

 
 「あの人は、おもてむきは笑顔だけど、裏では私のことを悪く言っているに違いない」とか。
 
 「褒めてくれていたけど、社交辞令にすぎない」と思うことがあるかもしれません。

 自信がない、自己肯定感が低い、といった場合にはそうした感覚になりやすかったりします。

 そして、自分については悪いことばかりを拾ってしまう。

 相手の頭の中を忖度し、想像して、悪く思っているであろうことを探してしまう。

 

 

 こうしたことの原因の一つは、相手の頭の中に本音、本心があると思っているからです。

 先日出させていただきました本にも書いていますが、相手の頭の中には本音も本心もありません。 

(参考)「プロカウンセラーが教える 他人の言葉をスルーする技術」

 

 相手の頭の中にあるのは、ドロドロとした私的領域です。

 たとえていえば、製品ができる前の鉄鋼炉みたいなものです。

 
 人間は社会的な動物です。

 公的な場に現れたものこそが本心です。

 

 

 反対に陰口というのは、その人が内面化した他者の不全感が漏れ出たものである、ということです。

 その陰口が、自分の何かを指している、的を得ている、ということはありません。

 ですから、人の陰口を聞いて真に受ける必要はありません。

 「ああ、不全感を抱えているんだな」と思えばいい。

 相手の頭の中は想像したり、覗き込んだりしない。

(参考)→「忖度とはなにか? 相手の負の世界を飲み込んでしまう。黙ってしまう。

 

 ホテルやレストランのバックヤードを覗きに行くみたいに、意味がありません。
 (これがこのお店の実態だ!と考える人はいません)

 表の整ったところだけを見ていればいい。 
 

 

 

 愛着が安定しているとは、物事の裏側に関するノイズをキャンセルできるということ。

 闇を忖度しようとしたり、覗こうとしたりする動機や誘引を自分の中からも除外しているということ。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、メカニズム

 

 そんな愛着が安定している人のほうが、成熟できていて、「世の中いろいろなことがあるからね~」として、人の弱さを客観視、相対視することができたりします。

 それは、これまでもお伝えしたように、多要素で、多元的であることが身体でわかるから。
 

 

 一方で、トラウマを負っていると、闇を忖度する一方で、妙に幼く、純粋なところがあって、理想を求めるからこそ、闇を覗きに行くようなところがあります。

 それは、闇を理想と騙るのがローカルルールであり、その影響を受けているということもあります。 

 一元的に捉えてしまい、自分を中心に、世界を構造で捉えるということが難しくなってしまうのです。

(参考)→「自分の文脈を持つということは、多次元並列や構造、手順で世界を捉えるということ

 

 

 

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言葉はスルーしてはじめて、命が宿る

 

 情報化社会といわれるように、パソコン、スマホ、などIOT機器は身近になりました。

 通信では、パケットなど無機質な情報単位でやり取りをしています。

 パケットロスなどがなく、できるだけ正確にやり取りが出来ることが正確な通信としては求められます。

 そんな情報観からすれば、言葉も正確に受け取ることが必要に思えてきます。

人の言葉もロスがなく、そのまま受け取らなければいけないのだ、と。

 

 

 しかし、人間が使う言葉というのはそういうものではありません。

 
 人間の使う言葉とはナマモノで、そこにはいろいろなバイキンもついている、歪みもあるものです。

 だから、言葉を受け取るためには必ず“選り分け”や“調理”が必要。

 しかも、言葉を“生きて”受け取るためには、受け手の側も対等な位置で、言葉に対して能動的に関わることが必要になります。

 
 能動的に、言葉を選別し、毒を抜き、抜いた言葉に解釈を与え、自分の文脈の中で位置づけを与えて受け取る。

 こうした事があって、初めて意味(命)が宿る。

 反対に、言葉を正確受け取ろうとすることは、口を開けて、生の食材を口に突っ込んで、そのまま飲み込むようなものです。
 
 そうした行為は、「食材が死んでしまう」と表現されることになるかもしれません。

 調理するということが、食材を活かすということと似ていますね。
 

 

 対話(ダイアローグ)という考え方や効用が近年、注目されていますが、対話とは、話し手=受け手双方が相手を尊重しながら対等にやり取りするもの。

 そこでは、互いに言葉を解釈して応答し合います。

 言葉はどんどん変成していく。
  
 そして、そんな対話を用いたセラピーはとても高い効果があることも知られています。
 それは言葉に命が宿るから、と考えられます。

 言葉に命が宿るとは、言葉が公的な領域のものへと昇華されるということでもあります。
(参考)→「本当の自分は、「公的人格」の中にある

 

 そうすることで、社会的な生き物としての私たちに言葉を通じて命が伝えられるようになるのです。

 

 

 反対に、一対一の関係で、相手が自分の言葉をそのまま飲み込め!と要求することは、言葉を殺すことであり、飲み込んだ相手も毒気に当てられて、その人らしさは失われてしまうことになるのです。

 そうした状態が「生きづらい」ということであったり、「トラウマ」ということのもう一つの説明かもしれません。

 トラウマを負うとは、他人の言葉をそのまま飲み込んでしまった状態である、とも言えるのです。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服

 

 今回の本で果たそうとしているのは、そうした言葉の膨張した価値を一旦ゼロにしようというもの。

 漠然と流布している「人の言葉を聞くのは大切だ」「言葉には価値がある」という言説をまずは徹底的に疑ってみようということです。
 おそらくそれらは単なる表のルールか、ローカルルールでしかないものです。

 その上で、私たち中心で言葉に命を宿すために必要なことはなにか?ということを具体的に考察しています。

 そんな、“言葉”を切り口にしてトラウマの呪縛から抜け出すのための本でもあります。

 

 

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