自尊心の機能不全

 

 トラウマを負った人にとって一番特徴的なのは、自尊心が機能不全に陥っているということです。

 通常、健康な人であれば、自尊心が中心にあって山のようにそびえています。

 自尊心があるから尊大だ、とか、プライドが高い、ということではありません。いろいろな性格の人がいますが、他者から見て、なにやら侵し難さがあります。

 

 他人から、欠点をいじられることもあります。 
 でも、真に受けないし、それを戯れとして扱って、仲間意識を作ることができます。
 

 自尊心がセンサーになっているのに、いじりではなく、本当に馬鹿にしたり、マウントされたりしそうになると、「やめてください」と自然と言えたりします。

 

 会社であれば、「なんか、私にきついですね~」とか「ちょっとひどくないですか?」とやんわり牽制できたりする。
(TVのバラエティに出ているアナウンサーなどをイメージするとわかりやすいかもしれません)

 

 自尊心というのは、人間にとって公的環境を維持する灯台のようにそびえているイメージ。自尊心は、健全な発達の過程で社会の中での公的な役割を身につけて「公的人格」として成り立っている。

(参考)「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 

 

 例えば営業マンが、接待でおちゃらけたりしているが、あくまで公的な役割として行っていて、目の奥では自尊心が保たれて、自分の存在まで卑下したりしているわけではない、という感覚。
 でも、「私的な自分」というものは公的(職業的)人格の後ろに下がっているので、顧客に対しては失礼がない。

 これが健康なあり方なのではないかと思います。

 

 

 対して、トラウマを負った人は、自尊心が機能不全に陥っています。

 以前の記事でも指摘しましたが、例えば、過剰な客観性であったり、足場もないのに自分を疑う、というのはなぜその様になってしまうか、といえば、中心に自尊心の山がなく、ポッカリと真空があるだけで、自尊心のセンサーが働かないから。

(参考)「過剰な客観性」

 自尊心がないまま、自分が馬鹿にされても受け入れるというのは、ニセの寛容さです。

 

 

 通常であれば、自尊心を中心にして世界を構成するものなのですが、それがないまま、ただ、「事実」と思われるものを全て受け入れていってしまうからです。

 実際の世の中では、ローカルルールもたくさんあるし、環境からのマイナスの影響もあって、「事実」というのは作られます。
(生物学的に差異がないのにも関わらず、マイノリティが、経済的、社会的に低い地位から抜け出せないのと同様)

 人間社会は、そのままで客観的なのではなく、怪しい事実も含めて玉石混交です。

 それを自尊心のセンサーが史料批判して選り分けるのが本来の姿。

 
 そしておかしなものには近づかない。

 自尊心そのものが足場となっていますから、自分それ自体を疑うことはしない。

(参考)足場もないのにすべてを疑おうとする~「自分を疑う」はローカルルール

 

 他者が実際にどの程度なのかも等身大に見えています。
 そのため、自分にとってネガティブな情報が入ったとしても、過度に引っ張られることはありません。
 
 

  
 自尊心とは、Being(存在)とも言いかえられますが、トラウマを負った人は、Being(存在)の機能不全を、Doing(行動)やHaving(成果)で埋めようと頑張っています。

 そのため、自分は自尊心が低い、という自覚がなかったりすることもしばしばです。

 ポッカリと心に真空が空いたまま、外側だけ頑張っているようなイメージ。
 内面は、その真空が外にばれないように一生懸命に防衛している。

 

 

 自尊心が低いことで、「本来の自分」も機能せずに、「ローカルルール人格」を中心に動くことにもなります。ローカルルール人格とは、他者のローカルルールを内面化したもので、ものすごいエネルギーで動きますが、不思議世界のルールに従っていて、自信がなく、歪んだ認知で世の中を見ては他者を疑い、自分を低くする存在です。

 

 ここまで「自尊心がない」と書かず、「自尊心の機能不全」と書いてきましたが、それは、自尊心がないわけではなく、自尊心が機能しないような様々な呪縛にかかっているということを示すためです。

 

 呪縛とは、例えば、暴言や汚言を浴びてきたり、ローカルルールを真に受けてきたり。夫婦喧嘩や、親の過干渉や、機能不全な親の関わり方、外部ではいじめといったことが自尊心の機能不全の原因です。
 (相手を支配するためには、相手の自尊心をへし折る、というのは常套手段で、映画「フルメタル・ジャケット」や「ラスト・エンペラー」でも巧妙に自尊心を折る様が描かれています)

(参考)→「「自分が気がついていないマイナス面を指摘され、受け止めなければならない」というのはローカルルールだった!

 

 「自分は根本的に変だ」とか、「頭がおかしい」とか、「人とうまく付き合えない」とか、そういったローカルルールが内面化されている。

 それらはすべて事実ではなく偽物なのですが、確証バイアスによって作られた事実を集めて強固になっている。

 あたかも「秘密」のように思わされて、その秘密を守るために、バレないように内面ではものすごいエネルギーを費やしている。

(参考)→「バレていない欠点があって、それを隠してコソコソ生きている感覚

 

 上では、「事実」と思われるものをすべて受け入れる、と書きましたが、トラウマを負っていると、物理的現実、特に物理的な自分というものへの信頼が失わされ、ローカルルールが作り出すイメージの世界(評価、評判)があたかも自分そのもののように思われてしまいます。

(参考)→「物理的な現実への信頼

 

 その結果、「~~さんって、~~な人ね」と言われたら、あくまでそれはその人の印象や意見(イメージ)であり、ほとんどがローカルルールなのですが、真に受けてしまい、そのローカルルールが作り出す自己イメージに呪縛されてしまうのです。

 その結果、自尊心は一層、機能不全に陥ってしまいます。
 
 

 自尊心の機能不全には、植え付けられた恐怖もあります。これもローカルルールの一種と言ってよいですが、よくあるのは、他人が怖かったり、社会が怖かったり、ということ。

 

 こうしたローカルルールが折り重なるようにして存在しているので、なにか成果(学歴とかキャリアとか収入)があったとしても自尊心の機能回復には全く役には立たないのです。

 
  
 自尊心の機能を回復するためには、折り重なったローカルルールを解いていく必要がある。
 
 
 
 例えば、汚言のトラウマを取っていったり、「自分は変だ」というような、ニセの“秘密”を壊していく。

 ローカルルールとは、結局は偽物ですから、それらがなくなっていくことで、自尊心の山が徐々にせり上がってきます。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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