“作られた現実”を、さらに解体する。

 

 物理的な現実に根ざす、と聞いても、

 「そうはいっても、私の容姿は物理的に劣っている」
 「学歴がないのは、物理的な現実です」

 という考えが拭えない、という場合があります。

(参考)→「“作られた現実”を分解する。

 

 もちろん、それもローカルルールによるもので、それ自体が、「物理的な現実」ではありません。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 
 「でも、容姿は物理的なものでしょう!?」というかもしれません。

 これもやっぱり、実はローカルルールによるものなのです。

 

 確かに、実際には、人間の能力には凸凹があります。
 容姿にも違いがあります。

 ただ、それは、「違い(差異)」であって、「優劣」ではないのです。

 

 例えば、ある女性芸能人がいらっしゃいますが。その方はとてもふくよか(太っていて)で、いわゆるモデルさんのような容姿では全くありません。
 
 しかし、ふくよかな容姿が好きな男性はいて、モテモテなのだそうです。

 

 よく言われますが、AKBなどのアイドルも、必ずしも容姿で順位が決まるわけではないとされます。センターにつくようなアイドルが、「ブサイクだ」「どこが可愛いかわからない」と言われることはしばしば。でも、投票されるとセンターになるのです。

(参考)→「人の考えも戯れでしかない~考えや意見は私的領域(生育歴)の投影でしかない。

 

 つまり、物理的なものであるように見える容姿も、見る人によってかなり様々なのですし、俗に良いとされる容姿という要素が最も重視されるわけでもない。

 

 

 学歴もそうで、たしかにあるカテゴリでは学歴は有利ですが、
別のカテゴリでは、学歴は不利に働くことがあります。

 実際に、叩き上げの職人さんを相手に働く国立大卒の方は、「叩き上げに憧れる」といって、むしろ学歴があることに劣等感を感じるというのです。

 また、プロスポーツの世界では、実力が物を言いますから、学歴は関係がなくなります。 

 

 

 以上のように、なにか単一の要素ですべてが決まる、と考えることはローカルルールからくるものです。
 ローカルルールとは、目の前の事象、状況をうまくとりあげて「これが現実だと」と偽ります。

 ローカルルールとは、特定の要素に意図的に絞り物事に優劣をつけることで、ニセの秩序を形成します。

 

 対して、常識(グローバルルール、パブリックルール)とは、多元的、多層的です。
 物事が見方、切り方によってさまざまで、実は価値判断を安易に下さないし、下せないというわきまえがあります。多様なものが共存する場としてが本来の機能なのです。

 

 そうした観点から見れば、物理的な事象も、単なる「違い(差異)」でしかありません。

 これが本来ある「物理的な現実」です。

 

 「物理的なもの」が、たちまち「物理的な現実」なのではありません。
それは、入手した資料のすべてが「証拠」ではないのと同じです。

 

 ローカルルールはしばしば、都合よく目の前にあるものを利用します。

 

 常識を支えにして、そのためまとわりついている、おかしな価値判断(ローカルルール)を剥ぎ取る必要があります。

(参考)→「“作られた現実”を分解する。

 

 単要素(単次元)だけで価値判断を下して、「現実だ」と騙るのはローカルルールです。

 そして、そこに劣等感だとか、罪悪感だとか、不安感だとかいう感情をまとわりつかせていく。俗な知識もまぶしていく。
 さらに言葉が真実だと、を真に受けさせることで、単要素だけの価値判断があたかも正しいかにみえる言葉ばかりが入ってくるようにする。
 やがて、それが“現実”だと感じさせられ、「作られたものだ」ということがわからなくなってしまう。

 
 これが、私たちがさいなまれる、劣等感や自信のなさの正体です。

 

 

 物理的な現実に根ざす、ということの一番の意味は「本来の自分(や社会)」を知る、ということです。

(参考)→「「物理的な現実」に根ざす

 

イメージや印象と言ったことに巻き込まれない。物理的な自分を捉える。

 自分というのは、多元的、多層的です。

 決して一つ要素では語ることができません。

 そうしてみていくと、「自信がない」とか「劣等感だ」とかが作られたものであることが明確になってくる。

 

 「物理的な現実に根ざす」と、恵まれて見えていた他者がそうでもないこともわかってくる。それぞれに不幸であることが。

 例えば、ハラスメントを仕掛けてきてモンスターのように見えていた他者も不全感を抱えていて、単次元の要素だけで価値判断をするようなローカルルールでもなければ優劣を維持できないほど弱いこと、大したことがないことも見えてくる。
 

 

 物理的な現実に根ざす、ということも、発達の過程で自然に起きることでもあります。神のように見えていた他者や、万能感を持つ自己が等身大になってくる、ということ。

 

 言葉を戯言として「物理的な現実」に根ざすとは、ローカルルールとトラウマに阻まれて等身大に物事を見ることが機能しなくなった状態を意識的に回復させるために行うこと事ができる方法です。

 

 

 例えば、失礼なことを言われていたり、劣等感をもっていて、何をしてもそれが拭えなかった人が、「今まで真に受けていた評価って、結局ローカルルール似すぎない。単にその人が自分の不全感を解消するための戯言に過ぎなかったんだよな」

「あれ?自分は結局自分でしかない。劣等感なんて感じる必要なかった」

 と思うようになってくる。

 

 物理的な現実に根ざす、という視点がなく、ただ、考え方を変えよう、イメージを変えようというアプローチだと、ローカルルールの世界の中で踊らされているだけなのでどこまで言っても劣等感が拭えなくなる。
 人の言葉一つで簡単にひっくり返されてしまう。虚構の世界同士だからです。

 

 言葉は戯言だと知り、物理的な現実に根ざしていくと、魔女の魔法の家(ローカルルール)から出て、外の世界がいかに大きく多元的で多層的か、そして、ローカルルールを仕掛けてきていた他者がいかにちっぽけで大したことがなく、自分は自分なのだ、ということが見えてきます。

 

 物理的な現実に根ざすと「代表」も機能するようになってきますから、社会の位置と役割の中で、異物のようであった自分というものが解消されていく感覚が得られるようになってきます。

 (参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「物理的な現実」に根ざす

 

 ローカルルールとは、その正体は個人の私的な感情にすぎないわけで、そこで主張されることはもっともらしく見えても、なんら現実に基づくではありません。

基本的に虚構、想像の世界に巻き込むことで成立しています。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 私たちが、「人からどう言われるか?」「どう見えているか?」を過剰に気にさせられるのもローカルルールの影響の故です。

 

 「人からどう言われるか?」「どう見えているか?」というときの「自分」とは、物理的な自分ではなく、イメージ(虚構)の世界の「自分」です。

 例えば、「~さんって、暗いね」と人から言われたとしても、それは、物理的な自分をさしているわけでもなんでもなく、単に、それを発した人の考え、言葉(イメージ)のものでしかない。

 

 

 しかし、ローカルルールはイメージがあたかも現実であるかのように思わせて私たちを苦しめます。

 一番の方法は、「人の言葉は大切に聞かなければならない」とか「人の気持ちを考えなければならない」といったニセの常識を刷り込むこと。

(参考)→「変な設定のスマートフォン

 そうすることでローカルルールが作り出す虚構の世界に巻き込む下地を作る。

 

 

 次に、「あなたは価値がない」とか「あなたはダメだ」といったこと(ローカルルール)を刷り込む。

 下地として「言葉は大切だ」と思わせていますから、暴言が土に染み込むように浸透して、巻き込まれていきます。

  

 「あなたは価値がない」もイメージ(虚構)でしかありませんが、「言葉は事実だ」と思っていますから、それ自体が事実であるかのように私たちには感じられ、以降、「自分は価値がない」という情報を証拠して集めるようになってしまいます。

 相手がそっけない態度を取ると、「自分に価値がないからだ」と捉えてしまう。

 

 「自分には価値がない」と思って自身がないものですから、社会に出てからも他者のローカルルールに巻き込まれやすくなり、不全感を抱えた人から、「あなたは価値がない」というフィッシングメールを受けて、真に受けてしまう。

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 不全感を抱えた人にとっては、巻き込まれて嬉しいので、「価値がない」ということが事実というふりをされて、マウンティングされてしまう。

 

 

 長年それが続くと、ローカルルールというニセモノに過ぎないものが他のローカルルールも雪だるまのように巻き込みながら膨れ上がり、現実であるかのように感じさせられてしまう。

そして、「現実とは辛く厳しいところだ」というように感じられてしまう。

 ますます、物理的な現実からは遠ざけて虚構の世界に誘い込まれてしまう。

 
 さらに、ローカルルール「人格」というように、ローカルルールは人格(モジュール)に感染して影響します。ローカルルール人格は、感情や言葉、行動の認知、記憶を歪めます。
 

(参考)→「ローカルルール人格が感情や記憶を歪める理由
 

 歪められることでローカルルールを壊す手がかりが失われ、物理的な現実を私たちが触れることができないように遠ざけてしまうようになるのです。そして、常に証拠のない虚構の世界でやり取りさせることで、ローカルルールから抜けることができないようにするのです。

 

 

 「現実が怖い」「現実は厳しい」「現実を見たくない」というふうに思っているとしたら、それは実はローカルルールによって作られた感覚です。

 そして、その場合に、“現実”と感じていること、例えば、「自分は価値がない」「自分には実力がない」「自分は失敗ばかり」という“現実”とは、作られた虚構の現実であり、本当の現実ではない、ということです。

(参考)→「自分にも問題があるかも、と思わされることも含めてハラスメント(呪縛)は成り立っている。

 

 

 ハラスメント、虐待の影響の一番は、「現実は怖い」と思わせて、私たちを物理的な現実から遠ざけてしまうこと。

 

 以前、「代表」という機能についてもお伝えしましたが、物理的な現実からも離れ、代表も機能せず、中空に浮いた状態。

(参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 これがいちばんローカルルールとしては個人を支配しやすい状態。
  

  代表
 
   ↑ ※妨げられる

 (中空) → ローカルルールに依存させられる

   ↓ ※妨げられる   

 物理的な現実

 

 中空に浮いているので、反撃のための足場、根拠を持つことができず、ローカルルールは自由にイメージや言説を操ることができる。

 
 物理的な現実というのは、人間の意識では変えることができません。

だからこそ、安全であり、信頼できる。

 
 反対に意識やイメージ、言説というものは、いくらでも加工できてしまう。

そこには、ローカルルールが入り込む余地がたくさんあって、危険極まりない。

  
 「代表」が機能するためには、物理的な現実に足場を保つ必要があります。

 
 世の中には、家のローカルルールから自由にしてあげますよ、といいながら、別のローカルルールへの依存を勧めて商売をしている人たちがたくさんいるからやっかいです。
(自己啓発とかカリスマカウンセラーとか、スピリチュアルなものや宗教など)

(参考)→「ローカルな表ルールしか教えてもらえず、自己啓発、スピリチュアルで迂回する

 

 物理的な現実な現実からも切り離され、ローカルルールにとらわれていてつらい思いをしている人からすれば藁にもすがる思いで頼りたくなります。

 

 しかし、それも結局はローカルルール。
 主宰している人の不全感を満たすために依存しやすい人達を集めているだけ。
 根っこには、自己愛や支配欲でしかないのに、「富」「愛」「夢」「本当の世界」といったきれいな言葉でコーティングしているだけ。

 結局、ローカルルールから別のローカルルールに移っても全く解決にはならない。

 やるべきことは 虚構の“現実”(ローカルルール)から 本来の現実(物理的な現実)へと移ることです。

 決して、虚構の“現実”(ローカルルール) から  別の虚構の“現実”へ 移ることではありません。

 
 ここはとても大事なポイントです。

 

 例えば、自己啓発やスピリチュアルにおいて、「思考は現実化する」といって、願い事を書いたり、アファメーションを唱えたり、といったことは、実は単に、虚構の“現実”(ローカルルール) から  別の虚構の“現実”へ 移ろうとしているだけです。

 それで得をするのは、本やセミナーで商売している元締めの人(ニセのカリスマ)だけです。
  

 
 いわゆるカウンセリングやセラピーにおいても、そのセラピー自体が、虚構から虚構へと操作するようなセラピーであれば、効果はありません。むしろ、ローカルルール世界の中で治療者もともに踊らされてしまうことになります。

 

 やればやるほど、物理的な現実から離れることになり、ローカルルールにとっては都合が良い。イメージ(虚構)の世界の中でのやり取りなので、ローカルルールそのものを壊すことにならない。
 下手をすると、ローカルルールの維持に協力してしまうことになる。

 

 例えば、認知(信念)を変えるセラピーなどもある程度良くはなりますが、ローカルルールが許す範囲になってしまうのです。

 

 ローカルルールとは所詮、個人の私的な感情にすぎません。ニセモノです。魔女のりんごのようなもの。物理的な現実を突きつければ、あっという間に消え去ってしまうものです。

 本当であれば、物理的な現実に根ざして関わればなんでもないことです。

 

 本当に悩みから抜けるためには、考え方を変えるとか、イメージを何とかする、といったことではまったくだめで、物理的現実に根ざして、ローカルルールそのものをひっくり返しに行く必要があります。

 睡眠、食事、運動が大切なのも身体という一番身近な物理的現実に根ざすことができるようにするため。

 釈迦も苦行を否定したのは、身体を保って物理的な現実に根ざしていないといけないから。
 仏教の悟りとは、観念を排して徹底的に物理的な現実を見る、というものです。
(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切」 

 

 また、仕事などを通じて、社会の中で「位置と役割」を持つことが大切なのも、物理的な現実に根ざすためです。

(参考)→「「仕事」や「会社」の本来の意味とは?~機能する仕事や会社は「支配」の防波堤となる。」 

 

 

 例えば、「自分はダメな人間だ」と親に思わされてきた人が、努力して「親から評価されよう」あるいは、「自分の考えを変えて自己肯定感を高めよう」と思うのは、ローカルルールの虚構世界の中で踊っているだけです。

 

「自分はダメな人間だ」と思う気持ち(信念)を、セラピーで変えようとすることもローカルルールの世界で踊っていることです。

 

 そうではなくて、そもそも「自分はダメな人間だ」というのはローカルルール(虚構)であることに気づき、「いいかげんにしろ!」と、ローカルルール自体をベリッと剥がしてしまう。

 そして、物理的な現実を見る、ということ。

 ここがすごく大きなポイントになります。

 

 

 そこに至るためには、数々のトラップが仕掛けられています。

 ・言葉を大切にしなきゃ、相手のぞき込まなきゃ、というローカルルール

 ・刷り込まれ、内面化してきたローカルルール

 ・虚構によって作られた“現実” 
  (例えば、ローカルルールを真に受けたことで生じた過去の数々の失敗など)
 
 ・身体の不安定さ
  (睡眠不足、運動不足、栄養不足)

 ・不安、恐怖、罪悪感

 ・自他の区別の弱さ

 ・巻き込まれる癖

 ・ニセの敵への執着(目の前の人にイライラして、本来の問題に目が向かない)
  
 ・秘密を抱え込んでいる(ファミリー・シークレット)

 ・物理的な現実への幻滅や大人への反感、理想主義

 ・俗な知識
  エセ科学(ニセの脳科学など)、ポップ心理学やスピリチュアルなどが広めた間違った知識(考え方を変えれば悩みは治る、共感が大切など)
  これもローカルルールそのものにアプローチできずにローカルルール内で踊らされる要因になります。

 などなど

 

 

 これらが邪魔をして、「物理的な現実を見たくない」「物理的な現実を見れない」になっている。

 

 でも、本来は物理的な現実のほうがローカルルールによる虚構の現実よりも圧倒的に優しいし、多元的多層的です。

 本当の解決には必ず物理的な現実に根ざす必要があります。
物理的な現実に根ざすと、ローカルルールは取れやすくなります。 

 

 

 難しいことはさておき、

 まずは、自分がもっているネガティブな感覚を「これってローカルルールじゃないか?」「ローカルルール人格のもので、自分のものではないのでは?」
 と疑ってみることです。

 

 まちがっても、ローカルルールにたいして、ポジティブ思考、自己啓発、ポップ心理学(俗な心理学)などの虚構で対抗しようとしない。虚構の世界で虚構同士でやり取りをしても巻き込まれるだけですから。

 そして、「物理的な現実を見る」と決めて、心がけてみることです。

 ここはとっても大切なポイントです。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「ポリス的動物(社会的動物)」としての性質を悪用される

 

 

 前回の記事で少し触れましたが、人間は、「ポリス的動物(社会的動物)」と呼ばれています。

 わたしたちは、規範(ルール)を求め、秩序を欲しています。
自然と、ルールに従おう、そしてネットワークにつながろうとする性質があります。

 ローカルルールとは、その性質を悪用したものです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 わたしたちは、「これはルールだ」「常識だ」という言葉にとても弱くできている。   

 ハラスメントを行う側も社会的であり、単に理不尽に振る舞いたくない、わけがわからない行動は取りたくないと感じているため、自分の私的情動に対して、「これは常識なのだ」と騙ろうとする。

 

「これは嫉妬なんです」とか、「これは私の不全感の表明です」と正直に言ってくれればこちらも影響されずに住むのですが、面倒なことに「これは仲間内の常識なんです」「あなたのせいなんです」と正当化の理屈をかぶせてくるから厄介です。

 そして、「私の心の中を覗きなさい」と変なネットワークに巻き込もうとフィッシングメールを送ってきたりもする。

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 私たちの身近には、このようなローカルルールがウヨウヨとはびこっています。

 

 
 では、「世の中はローカルルールに支配される暗黒社会だ。」「ローカルルールだらけでは何も信用できない」というわけではありません。

 「パブリックルール(グローバルなルール)」という大きな川が流れており、“普遍的な何か”、物理的な現実というのは確実に存在しています。

(参考)→「常識、社会通念とつながる

 

 人類の営みは、“普遍的な何か”を代表させようとする努力の歴史でもあります。

 昔、中国の皇帝も、自身の即位の根拠は「天命を受けた」ということですが、つまり“普遍的な何か”(天命)を代表している、ということ。皇帝だから何でもできるわけではなく、“普遍的な何か”(天命)を代表していることを示し続けなければならないし、それに反したことはできない。

 

 代表できなくなったり、ローカルルールで統治していると、そのうち革命が起きて、王朝が交代する、ということになる。

 

 私たち現代日本も取り入れている民主主義も、選挙や世論調査を通じて、不完全ながら、“普遍的な何か”を代表させようとしています。“普遍的な何か”をルソーは天命ではなく、「一般意志」と呼んでいる。

(参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 わたしたち個人も、そうした“普遍的な何か”を代表する、自然に感じ取る力があります。それが「直感」と呼ばれたり、「ガットフィーリング」と呼ばれたりする、身体で感じる感覚です。

(参考)→「頭ではなく、腸で感じ取る。

 特別なことではなく、わたしたちは誰でも感じています。

 

 
 トラウマを負うというのはローカルルールの呪縛によって、焦燥感や、不安感、体調不良から、そうした身体感覚を邪魔されている状態のことを言います。

 
 身体感覚が撹乱された状態で、ポリス的動物の特徴である、「ルールに従う」「ネットワークに繋がる」ということをうまく利用されて、「ローカルルール」という“ニセの何か”に従わされてしまう。

 

 ポリス的動物であるわたしたちからすれば、「ルールがないくらいなら、ニセモノでもルールがほしい」と思わされてしまうのです。
 

 さらに、ルールとは単に頭に知識として入るのではなく、人格レベルで内面化されるものです。

 人格レベルで内面化とは、「まさにそのものになるようにして、受け入れる」ということです。

 ですから、刺激を受けると「(人が変わったように)ルールに従わない人を非難したりする」のです。

 これは、人格がスイッチしているということです。

 

 

 人格というのは、スマホに例えればアプリのことです。 スマホは物理的には1台でも、アプリ(プログラム)は複数入っていますが、そうした構造に人間もなっていると考えられます。

(参考)→「変な設定のスマートフォン

 

 

 ただし、解離性同一性障害(多重人格)でなければ、人間には人格を統合しているという感覚(錯覚)が働いていますから、「ローカルルール人格の言動も自分のものだ」と思わされていますし、別人格だとは感じることが難しいのです。

(参考)→「解離性障害とは何か?本当の原因と治療のために大切な8つのこと

 この「ローカルルール」そして「人格」という発見の意味はとても大きいと感じています。

 

 

 例えば、これまでセラピーを受けても、何をしても、自分の自信のなさや、自己否定感がどうしても拭えなかったという方はとても多い。

 しかし、「ローカルルール」という観点をもつと、自分が信じてきたことがいかにおかしな仮想の世界でしかなかったのか根本からわかるようになる。

 それらにはなんにも根拠がなく、単なる他者の私的情動でしかなかった、ということ。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 いままでは、すごいと思っていた人たちが、解離しやすいおサルさんでしかないこと。人間には、人格というものがあって、スイッチしている、ということ。どんな立派な人でも解離してしまう。

 そのため、私的環境での発言はすべてが戯れ言でしか無い、ということ。

 こうした事がわかってくると、これまで苦しんできた世界がかなり変わってくる。

 筆者も自分で自分にやってみても、従来のトラウマケアだと動かなかった自分の悩みも変化していく感覚があったりします。
 

 

 例えば、発達障害、といったような人たちは、「暗示にかかりやすい」「真面目さ」「言葉を真に受けやすい」ということが挙げられています。ローカルルールの特徴からすれば、ローカルルールにもっとも影響されやすい人たちであると言えます。

 発達障害の方の生きづらさや、問題を引き起こす認知も、じつはローカルルール人格のもので、それに気がついた途端に軽快した、というケースも実際にあります。それまではどうしても否定的な認知が拭えなかったものがガラッと変わったりする。

(参考)→「大人の発達障害、アスペルガー障害の本当の原因と特徴

 

 「ローカルルール」というのは、おそらく、健全な発達の過程では反抗期などを経て自然となされる人間へのイメージや規範の相対化をあとからでも促してくれる視点なのだと思います。

 「ルール」と「ネットワーク」という「ポリス的動物(社会的動物)」の性質を悪用され、拭えない強い呪縛を解きほぐしてくれる。

 

 人間は成長する過程で社会の規範、常識というものを、ローカルルールなポイントを通じてインストールされるわけですが、そのローカルなポイントが不全感を抱えていた場合は、おかしな設定(ローカルルール)が紛れ込む。

 

 発達の過程でそうしたことを一旦否定して、「人間ってみんな限界があって等身大で、個人的な感情で動いていて、言っていることも戯言に過ぎない」と体感してくるわけですが、それがうまく得られない場合には、ローカルルールに長く呪縛されることになります。

 

 従来のカウンセリングだと、ローカルルールをそのままにしておいて、あるいは、ローカルルール人格が訴えることに治療者も真に受けさせられ、共感させられて、ローカルルールの枠を超えることができないままにさせられることも多かったのかもしれません。

 ローカルルールがそのままになった上で、認知なり、感情なり、トラウマなりを扱おうとしているのでうまくいかなくなかったのかもしれない。

 さらに、「人格」という視点も重要で、人格が変わると体質も変わるということが知られています。(F・パトナム他「多重人格障害-その精神生理学的研究」(春秋社)

 内的に複数の人格(脳科学ではモジュール、作家の平野啓一郎さんは分人と呼んでいますが)が存在するのだ、と認めて捉える。

(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?」 

 

 昔漫画で、ニセの世界に誘い込んで主人公を出れなくしたり、人格や体質をいろいろと変えることで主人公の攻撃を無化したりみたいな敵が登場することがありました。ニセの世界と気が付かずに「こっちのほうがいい」と惑わされたり、効くはずの攻撃が効かずにピンチになったり。

 

 しかし、最後は、ニセの世界などの正体を見破ることで敵を撃破する、といったストーリーだったかと思いますが、「ローカルルール(人格)」という視点でセッションをしていると、そんな感覚、手応えを感じることがあります。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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変な設定のスマートフォン

 

 ローカルルールについてわかりやすく説明すると、変な設定のスマートフォン、のようなものです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 スマホの機械自体は一つですが、アプリは複数入っています。これがいわゆる人格です。ローカルルールに感染するというのは基本的にアプリ(プログラム)単位で感染します。

 
 トラウマを負っているというのは、ローカルルールに感染したアプリが入っていて、バックグランドで起動している状態です。 

(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?」 

 

 

 本当であれば、インターネットに接続して、クラウドサービスを利用したり、快適に過ごすのが普通です。他者とのコミュニケーションもスムーズです。

 しかし、ローカルルールアプリが入っていると、まず家族のローカルネットワークに繋がるように設定されています。

ですから、いつも動作が重いし、遅い(過緊張)。

 
 さらに、人とコミュニケーションをとる際も、まずは相手のスマホの情報を読みに行くように設定されている。

(参考)→「個人の部屋(私的領域)に上がるようなおかしなコミュニケーション

 

 

 そのために、コミュニケーションがスムーズに行かなくなったり、相手スマホに入っているローカルルールアプリに接続するので、動作が遅くなったりする(過剰適応と巻き込まれ)。

 子供の頃からこのような設定になっているので、他者とコミュニケーションをとる際も、まずは相手のスマホの情報を読み取ること、相手のスマホのローカルルールアプリに接続することが当たり前だと思わされている。

 

 こうした状態なので、家族の重いデータを保存させられて、スマホが重くなったりする。自分の情報と家族の情報が混ざって、自分のスマホであって、自分のものではないような状態になってくる。

 

 他者と接続することが当たり前になっているので、他者のスマホからのフィッシングメールのような情報をブロックすることができなくなったりする。フィッシングメールを真に受けて、おかしなことになったりする。

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 その結果、「私のスマホは能力が足りない。人とは違う」と思わされて、苦しむことになる。 
 
 

 こうしたことをスマホで例えると、「おかしなことだ」と思えますが、人間では、こうしたことはよくありますし、“変な設定”が「家族への責任だ」とか、「当たり前だ」となっていたりする。

(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。

 

 

 人間とは、社会的動物(クラウド的存在)です。社会的動物ということのポイントは2つ。「ルール」「ネットワーク」です。
 ローカルルールというのは、このルールとネットワークを悪用しています。

 「人とはつながっていて当たり前」
 「設定(ルール)はなくてはならない」ということを悪用して、おかしな設定を受け入れさせて、変なネットワークに接続することを当たり前のものと思い込ませて、変な設定のスマホ(トラウマ)にするのです。

 

 

 人間は社会的動物であり、ルールとネットワークが不可欠だからこそ、設定を自分のものとしなければならない。

 

 機能している家族というのは、自分の家のローカルネットワークとはあくまでグローバルネットワークを代表しているもので一部でしか無い、ということをわきまえている。

 そして、ローカルネットワークの中でも徐々に幼い頃にインストールしたアプリはアンインストールして、データも共有せず、ローカルネットワークから離れていく(反抗期)。徐々に、インターネットに直接接続するようになっていくものです(社会化)。

 安易に他人とは接続しない。ファイアーウォールとアンチウイルスソフトで自分を守って、信頼できるアプリを通してやり取りをする(社交)。
 

 まちがっても、相手のスマホの中のデータを覗きに行ったり、相手のローカルルールアプリをダウンロードしたり、自分のスマホの中を覗かせたりもしない。

 
 
 対人関係に苦しんだりしている場合、おかしな設定になっていないか、見直してみる必要があります。ローカルルールアプリは使い慣れているからそのままでいい、変えるのは面倒だ、他のアプリが使えるかどうか不安だ、なくなったら困る、と思わされていますが、アンインストールしなくてはなりません。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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