“安心・安全”がないと、負の暗示に飛びついちゃう

 

 負の暗示というのはどうすれば入るのか?
もし、入り方が分かればその自由になる方法のヒントも得られそうです。

 

 筆者が、昔読んだ本の中で、人間は力で殴られても内心、コノヤローと思うだけで、相手の考え方を変えることはできない。ということが書かれてありました。

 意外にも、暴力といった形での圧力そのものでは相手の考え方を変えさせることは難しい。

 

 一方で、価値観の根底を揺るがせるようなことをすると、人間は新しい価値観に飛びつく。比較的容易に相手の考えを変えさせることができます。

 洗脳や自己啓発セミナーなどは、罵倒したり、否定したりして、価値観を揺るがせて、新しい価値観を刷り込む。

 価値観を揺るがせる、というのは何か?といえば、安心、安全を奪う、ということです。もし、暴力も相手を変える力を持つとすれば、安心安全を根底から奪うような場合。 

 
 安心安全を奪うというのは、ただ、自分のホームがあって、外来から何かがやってくる、という形ではありません。
 

 

 この世界が無秩序で、安全だと思えない、というような感覚。訳がわからないような感覚。

 

 これが負の暗示を一番もたらすものではないかと考えられます。

 なぜかというと、世界そのものが訳がわからないために、その世界に、仮の秩序をもたらさないと、とてもじゃないけど生きていくことができない。そのために負の暗示に飛びついてしまう。

 

 そこで、まったく多様性も、普遍的でもないけど、親などから入れられた、おかしなローカルルールを受け入れてしまうようになる。※ローカルルールというのは、常識のふりをした偏ったルールのこと。
 あるいは、外からのローカルルールから自分を守るために、自己の内側にローカルルールを作り上げる(防衛とか、回避とか言われるもの)。

 これが負の暗示の本質ではないか?と考えられます。

 

 この世が根本的に無秩序で、安心安全ではない、という感覚は、2つのものから来ます、

 一つ目は、愛着不安から。養育環境が悪いという点から。私たちが想像する、親の不適切な育児が原因で、機能不全家族でといったようなことから、

 

 あともう一点、先天的な体質の問題。自律神経、免疫系、内分泌系、脳内伝達物質といった体内で秩序をもたらすような感覚などが、生まれつき不安定であるという点。この2点目は、あまり大きくは指摘されないことですが、結構多いものです。いわゆる育てにくい子とされるケース。
その代表的なものが発達障害とか、甲状腺疾患などを抱える人たちとなります。

 客観的な事実として、親の対応はそれほど悪くないけど、子どもは育ってから、書籍などの情報や過誤記憶から、「周りはひどい人ばかり!」ということを声高に言うようになって、周囲は苦慮する、という場合です。
 (もちろん、本当に親の対応がひどいケースと区別はつきにくいのですが)

 

 以前にも書きましたが、最近は、非認知能力といわれるもので、安心安全というのは、学力など世の中を渡っていくときの基盤となるものです。

 安心安全がないと、落ち着いて世の中の秩序についての知識を明らかにして、自分のものにする、という感覚がわかない。

 ちょっとわからないことがあると、投げ出したくなります。
(参考)→「世界に対する安心感、信頼感

 

 まだ、学校の勉強はまだよいのです。きっかけがつかめれば攻略できる、ということが分かりますから。
 

 一番厄介なのは、人間関係です。
 人間は、きまぐれだったり、すぐに解離(発作)しておかしくなったり、ということが日常茶飯事です。
 安心安全という感覚がない人からすれば、人間というのは最も高度な問題です。

 一方、安心安全という感覚がある方からすれば、人間関係にも、コツがあり、ルールがあり、それさえ守ればなんでもないよ、ということなのです。

 

 挨拶、とか、根回しとか、季節や、人生のタイミングでの贈答品を交換するだとか、そういうプロトコルはその基本なのだと思います。
 ただ、トラウマを負った人は、そういうことは毛嫌いしがちですけれども。
 
 このブログで書いたような裏ルールというものは、さらに上級編で、人間のネガティブな感情を否定せずに自分も纏っていかなければ、周囲とはペースは合わせることはできない。
(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 頭でわかっていても、トラウマを負ってしまうと、根本から「怖い」という気持ちがわいて、うまく対応できなかったりします。

 そうすると、世の中、人間関係に対して、勝手なローカルルールを作り出したり、ファンタジーに頼ってしまうようになり、世の中をありのままに見れなくなってしまうのです。

 

 発達障害の人は必ずファンタジーに傾倒するとされますし、私たちでも、不安になると願掛けやおまじないをしたくなったり、苦しい仕事や勉強の際は、自分独自のルールやファンタジーの世界を作り出して、逃げようとしたりします。

 トラウマを負った人も、非常事態モードだから、安心安全感がないために、負の暗示にかかりやすい。
 

 安心安全ではない、という感覚から、しがみついてしまったローカルルールやファンタジーのことを、負の暗示、というのだと思います。

 負の暗示から逃れるためには、私たちはどうしてもテクニックにばかり目が行きがちですけど、それよりも
「安心安全」という感覚を、内的、外的にも取り戻すのか、ということが一番のポイントになります。

 (なぜ、運動睡眠がセラピーよりも大事なのか、そしてなぜトラウマケアなのか、ということの秘密はここにあります。)

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

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人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ

 

 「他者との壁がない人たち」の代表例は、意外かもしれませんが、実は発達障害の人たちです。

 

 発達障害というと、他者と関係を持つことや維持すること、理解することが難しい、とされますが、
実は、その背景にあるメカニズム、特徴は何か?というと、「内的言語の失調」ということです。

(参考)→「大人の発達障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 

 私たち人間は、言葉によって世界に区切りを入れて、世の中を理解する生き物です。言語は人間の大きな特徴の一つです。

 

 そのため、内的言語がダメージを受けているとどうなるかといえば、世界と自分との区別が、他者と自分との区別がうまくつかなくなります。

 自分と他人との区別がつかない状態のことを「自他未分」といいます。

(参考)→「「自他未分」

 

 まさに世界や他者との壁がない状態。

 壁がないため、いつも不安(「アプリオリな不安」)です。壁がないため、他者を理解できず、空気も読めなくなり、人とうまく交われなくなります。

 壁がないため、関係を結ぶ、ということがよく理解できません。

 

 例えていうなら、「国」とか「会社」という概念がないために、交易や取引ということがうまく理解できない子供のような感じです。

 

 社会人一年生(新人会社員)がしばしば、会社内の部署の区分け、しくみなどがよく理解できず、無邪気に他の部署の協力をお願いしたら、手続きを踏んでいないと断られて戸惑ったり、怒られたりすることがあります。まさにあのような感じを、発達障害の方たちは感じているということです。
(では、部署がなければよいかといえば、仕事は混乱してしまいます。部署や区分けがあるから協力し合える)

 

 発達障害の方たちは、子どものころにいじめられたり、仲間外れにされたり、ということを経験します。

そのうち、その痛みで人がこわくなったり、嫌いになったりするようになるのです。

 

 

 私たちも、家でもそうですが、境があり、その内側は安全だから、ボーっとしながらでも生活ができます。
 もし、家のドアや壁がなければ、安心して生活はできません。逆に、外との境を意識していしまうようになるでしょう。

 

 壁がないというのは、常に不安で、外とうまく付き合えなくなるものです。

 

 実は、後天的にも同じようになることがあります。それがトラウマの影響です。
トラウマの影響を受けると、同じように「自他未分」のような状態になり、他者とうまく壁が作れなくなるのです。

 

 人間は、壁(ストレス応答系の働き)があるから、人と調和、ラポール、リズムが作れる。国と国とも国境があるから、友好な交流もできる(国際)。

 

 例えば、TVに出ている人たち、
笑福亭鶴瓶さん、といった、人見知りなく、人と接しているような人でさえ、実はちゃんと境があって、自他の区別がある。境目がちゃんと機能しているから、自動的にラポールを取って、チェックして、国境のゲートを開けて、人と交わっている。

 

 人とうまく関係が築ける人とそうではない人の違いは
ただ、「壁」がうまく機能しているか、機能していないか、の差でしかないのかもしれません。

 

 私たちの生きづらさを越えるヒントは、こうしたメカニズムを理解することにもありそうです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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判断しない(無意識に任せる)とはどういうことか?

 

先日、サッカー日本代表の試合を見ていました。

いつものメンバーとは違い急造チームだったためか、連携もうまく取れておらず、ミスも多い。
もどかしい試合展開でした。

 

見ていると、
「なんで、そこでミスをするんだ」
「どうしてこの選手が先発なんだ」
といったことが頭で沸いてきます。
ただ、そうした頭で沸いてきたことを客観的に眺めながら、ふと、自分のしていることへの疑問がよぎりました。

「ああ、意識で判断しているな」と。

 

すると、
「監督が何か意図があるのかも?」とか、
「この選手も何か理由があってうまくいっていないのかも」
「選手を身近で見ているのは監督だから、起用されるには意味があるんだろうな」
「なのに、意識で判断するのって、おかしいな」
と判断を打ち消すようなカウンターとなる疑問も浮かんできます。

優れた監督であれば、どうとらえるのだろうか?と本質について考えるようになってきます。

 

 

 

そうしているうちに気が付いたのは、

「最初に頭に浮かんできたことって、「判断」うんぬんというよりも、”ダメ出し”なんじゃないか?」ということです。


 単に、判断する、しない、といった高尚な段階ではなく、そもそも”ダメ出し”というプロセスが常に頭にあって、それが物事をありのままに見えなくさせているんだ、ということに気づきます。

 判断しないようにしよう、とすると難しくてできなくなりますが、それ以前の”ダメ出し”が問題なのだということです。

 

 普段、自分を責める声だったり、恥ずかしさがわいてきたり、というのも、判断というようなこと以前にダメ出しが頭を支配している。

 

 人間というのは、一枚岩ではなくて、複数のモジュール(プログラムや人格のようなもの)で出来ているということが分かってきています。

モジュールというのは、育ってきた中での規範や周囲の声を内面化したものです。

 

 例えば、親が批判的であったり、厳しかったりすると、よい子であればあるほど、優等生としてそれを内面化しますから、大人になるにつれて苦しむようになります。
例えば強迫的な”ダメ出し”が沸いてきて、周囲との人間関係が悪くなったり、頭の中が騒がしくなってしんどくなるということが起きてきます。

 クライアントさんでも、頭の中で自分や他人への”ダメ出し”が止まらずに苦しんでいる方は少なくありません。

 

 それらを、無意識とつながることで、ではなく、妄想やファンタジーで何とかしのいだり、リストカットなど外部からの刺激やマヒでごまかしたりしてしまうのです。

 

 無意識は「判断」しないか、といえば、「判断」している、と思います。
例えば、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」では、古代の人々は、無意識のみで生きていた、という仮説が紹介されています。

 

 無意識のみで生きるといっても、酩酊状態というわけではなく、危険を察知して避けたり、何かを「判断」したりはしていたことでしょう。心(無意識)に聞けば、答えが返ってきますが、それも、「判断」があるから返ってくるといえます。

(参考)→「「心に聞く」を身につける手順とコツ~悩み解決への無意識の活用方法

 

 

 では、偽の判断、と本来の判断との違いは何か?といえば、まず、ノイズがないこと、”ダメ出し”というプロセスが排除されていること、といえます。

 

一級の哲学者や科学者が、表面的な常識や思い込みを排して、物事の本質をとらえますが、まさに、あのような感じではないかと思います。

 

 

 冒頭のスポーツの例でいえば、優れたリーダーの在り方もそうだと思います。
優れたリーダーは、意識で沸くダメ出しにとらわれず、例えばマスコミの声がうるさくても、まず、本質をとらえようとします。

 

 例えば、そのサッカーの試合であれば、選手のいい悪いということではなくて、
・システムの問題点
・どこを改善すればいいのか
・(うまくいっていなくても)その選手の強みを探して発揮できるようにする
・そもそも、この試合の長期的な意図

といったことを冷静にとらえます。表層的に目の前の人のせいにすることはありません。

 

 

 現象学のフッサールは、「カッコでくくる(エポケー)」と言いましたが、私たちが意識で漠然と持っている常識とは、これまで私たちが内面化してきた他者の意識にすぎません。

それらをいったん、カッコでくくってどこかにやってみる。

 

 そうして心静かに待っていると、、実は、物事の本質とは向こうからこちらの思い込みをねじ伏せるように迫ってきます。

 

 それが、無意識さんに任せる、ということではないか、と思います。

 

 無意識さんに任せる、という行為は、悩みの渦中にある人、トラウマを負った人ほど、そのことに本質的に触れていたります。
本質的に触れている一方で、ノイズも大きいために、トータルで見ると、安定型の人、トラウマを負っていない人よりも不安定に見えて、思い込みやとらわれが多く見えているだけなのです。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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単純化された目標は依存症状態にする

 

 摂食障害という病気があります。

 拒食症、あるいは過食症などのことですが、痩せることにすべてをかけてしまって、ガリガリになり、入院にまで至ったり、我を忘れて大量の食事を胃に詰め込み嘔吐したり、という症状です。

 

 思春期の女性が発症することが多く、愛着不安などを背景にしていると考えられます。思春期特有の複雑な人間関係や人生の悩みを自分の体重をコントロールすることで、絶対の安心や自信を得ようとします。「自己への不信や不安の病」という性質があります。

 

 複雑な自分や世界を、「体重」というわかりやすい指標にすべて置き換えて、安心を得ているわけです。

 

 

 摂食障害にはある種の依存症という側面もあります。依存症はある限られたことにしか頼れなくなることを言います。その限られたことにすべてを集約して、自己を癒したり、人生をシンプルにしようとしているとも言えます。
 

 これと似たようなことに、仕事などにおける、過度な「動機付け」があります。

 

 ある種の会社は、会社の単純化された目標に社員の人格などもすべてを集約して、動機付けて業績を上げようとしています。本来仕事とは総合的で複雑なものです。社員の能力も複雑ですが、単純化することで疑似的に依存症状態を作り上げます。


 シンプルに絞られた目標めがけて、社員が馬車馬のように働かせます。

 

 自己愛性障害の社長が作ったしくみの中で そうした社員たちも愛着不安を抱えていることが多く、まさに、摂食障害の患者のように、極端に単純化された目標(数字)を猛烈に追いかけようとします。

 

 問題なのは、「単純化された目標」が人格のすべて、だという極端な動機付けをしているために、それが達成できない人がいた場合、苛烈に否定し、こき下ろしてしまうのです。

 

「あんな、仕事のできないやつ。いなくなればいいのに」

「なんで、会社に来ているんだ」

 といったような暴言や陰口が飛ぶようになります。同じ職場で働く人も、「仕事ができるかできないか」だけで判断しようとします会社もそれを暗に肯定します。会社におけるモラハラ、パワハラの背景にもなっています。

 


 人間というのは総合的なものであり、単一の目標で表すことなどできません。いろいろな面があり、多元的です。

 

 しかし、特定の数字や“達成動機”という一側面に、人格も何もかもすべてを代表させて、それを追いかけさせることで、結果として会社の業績は急成長します。

 

 ただ、社員はボロボロになったり、成功したとしても、どこか違和感のある「意識高い系」の人として他の会社に行くと宇宙人扱いされたり、するようになります。

 

 世の中で社員のモチベーションが高い、と言われる会社でも、内実を見てみると、上記のように、パフォーマンスが低い同僚に平気で暴言を吐いたり、バランスを欠いていたり、宗教的な雰囲気があったり、といったことがあります。満足して会社を評価しているのは、そうした雰囲気にハマった人たちだけ。

 

 そうした会社でたまたま働かされて、心に傷を負ってしまった人も多くいます。実際に社員が自殺してしまって問題なったり、ということも生じています。

 

 大切なのは、バランス。人間とは総合的なものである、価値観も多元的である、という観点です。

 

 戦後の高度成長期の猛烈なワーカホリックな風土は、もしかしたら、戦争の傷を仕事という極端な行為で癒そうとしていた、ある種の依存症的な現象だったのかもしれません。

 

 昨今の、ワークライフバランスの重視や働き方改革といった動きは、社会の成熟化を示しているといえそうです。

 

 

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