自分の歴史を、自分主体で編み直す

 今回は、生きづらさやトラウマの影響から抜けていくにあたって、大切なことについて書いてみたいと思います。

 それは何かというと、

「自分の過去の歴史を、あらためて自分主体で見直してみる」ということです。

 

 お悩みの渦中にある方が、自分のこれまでの人生や経験を振り返ると、

「うまくいかなかった」

「失敗ばかりしてきた」

「家族や周りに巻き込まれて、不本意なことをしてきた」

と感じていることは少なくありません。

 もちろん、「もっとこうであればよかった」ということは、その通りだと思います。

 起きてしまった過去を、タイムマシンに乗ってやり直すことはできません。

 しかし、実は、その過去の経験の中にも、いわゆる「リソース」と呼ばれるものはたくさんあります。

 

 トラウマを負っているケースと、相対的にそうではないケースとをあえて分けて考えてみると、生きづらさをあまり抱えていない人たちは、案外、自分の人生を手前味噌に捉えていたりします。

 もちろん、その人たちの人生がピカピカで、苦難も失敗も何もなかったというわけではありません。

 いろいろな不幸があったり、苦しいことも経験しています。

 それでも、

「まあ、あれもあれでよかった」

「なんとかやってきた」

と、自分に都合よく捉えていたりする。

 生きづらさやトラウマから抜け出していくためにも、自分の人生をある程度、手前味噌に、自分に都合よく捉え直すということは、とても大切なのではないかと思います。

 

 例えば、家庭の中がとてもストレスフルで、親も機能不全で、その中で生きてきた。

 その結果、トラウマを負って生きづらさを抱えている。

 それは確かにそうです。

 しかし、その中で、

「なんとかやってこれた」

「サバイバルしてきた」

ということもまた、その人の能力なのです。

 最近でいうケアラーのような形で、自分を抑えて、良い子にさせられてきたということもあります。それも、ある意味では、それだけ賢かったからできたことだとも言えます。

 一方で、のんびりしている兄弟のほうが、それほど症状も出ず、今は普通に暮らしているということもあります。

 

 では、

「普通に過ごしている兄弟のほうが優れていて、辛さを抱えている自分はダメなのか?」

といえば、そういうことではありません。

 むしろ、いろいろなことに気がつく。 気が利く。 感情や感性が豊かである。

 だからこそ、周囲のストレスをより強く受けてしまっていた、ということも実際にあります。

 

 仕事でも同じです。

 過剰適応、過緊張の中で、がむしゃらに働いてきた。

 そして、最後には燃え尽きてしまった。

 心理の世界では「過剰適応」という言葉で問題として語られることがありますが、別の見方をすれば、それだけ頑張る力があるということでもあります。

 周囲に気が回る。

 求められていることを読み取る。

 それだけの力があるということです。

 

 それは、意識して簡単に身につけられるものでもありません。

「でも、それはトラウマに駆動されていたものだから、否定したほうがいいのでは?」

と思う方もいるかもしれません。

 しかし、そうではありません。

 そうやって見てみると、自分の過去の中には、実は良い要素がたくさんあります。

「過去は全部ダメだった」ということではないのです。

 

 その人の素晴らしさや力は、過去の随所に表れています。

 それをもう一度、手前味噌でいいので拾い上げていく。そして、まとめ直し、編み上げ直していく。このことは、とても大切です。

 ここでいうことは、いわゆる

「ポジティブシンキングをしましょう」

「何でも良いように見ましょう」

ということではありません。

 

 そうではなくて、事実として、良いところがそこにあるのです。これまで、ないがしろにされてきただけです。

 ちゃんとそこにあるものを見る。

 そういうことです。

 ただし、その解釈については、手前味噌でいいのだと思います。ポジティブシンキングとは違います。自分の人生についての解釈は、自分中心で見ていっていい。なぜなら、自分の人生だからです。

 

 私自身も、別の記事で書きましたが、むしろ自分に厳しく捉えてしまうところがあります。

 学歴やキャリアなどがあっても、それを当たり前のこととして見ていて、他人からそのことに驚かれたこともあります。

 でも、それは決して正しい態度ではないと思います。誇るべきところは、適切に誇ってよいのです。

 

 もう一つ大切なことがあります。

過去を手前味噌に捉え直すというのは、「ひどいことをしてきた親も、本当は良い親だったと思いましょう」というようなことではありません。

 もちろん、そんな必要はありません。

 ひどいことをされたのであれば、

「ひどかった」と、しっかり捉える。

 これもまた、自分の人生を手前味噌に捉えるということなのです。

 生きづらさを抱えていると、自分の人生についてはかなり過小評価をしている一方で、他人の事情は過大に汲んでいる、ということが少なくありません。

「親にも事情があった」

「あの人も大変だった」

と、他人の事情ばかりを考える。

 

 その一方で、自分の人生については、

「自分が悪かった」

「自分は何もしてこなかった」

「自分には何もない」

と捉えてしまう。

 また、他人の人生はピカピカに見えるのに、自分の人生だけはダメに見える、ということもあります。

 でも、そうではありません。

 

 自分の人生には、自分が思っている以上に、いろいろな力や資質や経験がすでに存在しています。それを、自分主体でもう一度拾い直していく。 自分の歴史を、自分の側から編み直していく。

 自分というものを再び取り戻していくためには、こうした視点がとても大切なのではないかと思います。

 

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みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

良い文化を作る「ソーシャルワーク」という視点

 

 前回の記事では、「文化づくり」の大切さ、と文化づくりの8割は、いわゆる ソーシャルワーク といわれるものです、と書かせていただきました。

 

 ソーシャルワークというと、なにか福祉の専門職の話のように聞こえます。

 「ソーシャルワーカーさんに相談する」
 「ソーシャルワーカーさんに間に入ってもらう」

 病院や福祉の場面などで、そうした言葉を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

 実際、一般的には、ソーシャルワークとは、貧困、介護、病気など、社会的な相談や調整が必要な人に対して行われる支援、ということになるかと思います。

 しかし、ここで取り上げたいのは、もう少し広い意味でのソーシャルワークです。

 つまり、私たちが社会の中で生きていくうえで必要になる、さまざまな調整やアクションのことです。

 お金のこと。
 健康のこと。
 食事のこと。
 住まいのこと。
 仕事のこと。

 何か困ったことが起きたときに、どこに相談するのか。
 どう社会とつながるのか。
 どう具体的に動くのか。

 そうしたことは、一見すると心理の問題ではないように見えます。

 しかし、実は、生きづらさやトラウマから抜け出していくうえで、とても大きな意味を持っています。

 

 なぜ、カウンセラーが「ソーシャルワーク」の話をするのか。

 それは、お悩みというものの多くが基本的に、社会からもたらされるからです。

 私が『発達性トラウマ』という書籍の中でも述べたように、私たちの悩みや生きづらさは、個人の頭の中だけで生じているものではありません。

 社会からもたらされる。

 ただし、ここでいう社会とは、日本社会とか世界といった大きな社会だけを指しているのではありません。

 私たちの身近なローカルなソサエティ。

 地元。
 地域。
 親族。
 友人。
 知人。

 そして、一番大きいのは家族です。

 そうした身近な“社会”の中で、私たちはさまざまな影響を受け、さまざまなものを背負わされているということです。

 

 例えば、仕事やお金のことについて、私たちは自分では合理的に対応しているように感じています。

 しかし、実際には、かなり偏った対応しかできていないことがあります。

 例えば、
 なぜか億劫でできない。
 なぜか不安でできない。
 なぜかやる気が起こらない。

 あるいは、そもそも知識がなくどう対応していいかわからない、ということもあります。

 結果として、
 「なぜ、こんなことができないのか」
 「自分がだらしないのではないか」
 「自分の性格の問題ではないか」

 と自分のせいであるかのように思ってしまう。

 しかし、そんなことはありません。

 そこには、私たちが背負ってきた文化があります。

 

 

 前回の記事でも書かせていただいたように、私たちが何か問題や課題に直面したときに、どう対応するのか、どう対応できるのかは、文化の影響を強く受けています。

 そして、その文化とは、多くの場合、自分の家族です。

 親がどう動いていたのか。
 何かあったときに、どう対応していたのか。
 誰かに相談していたのか。
 それとも、相談せずに抱え込んでいたのか。
 怒る、責める、我慢する、なかったことにする、という形だったのか。

 そうしたことの影響は、とても大きいのです。

 何かあったときに、どう相談していくのか。

 どう社会とつながっていくのか。

 もっといえば、「ソーシャルワーク」とは、社会とつながっていくということです。

 これをいかに適切に行っていけるか。

 実は、ここはカウンセリングやお悩み相談において、案外盲点になっているところです。

 

 

 カウンセリングというと、悩みは心理の問題であって、個人の頭の中にある心理を、心理療法やカウンセリングでケアすればよくなる、というふうに捉えられがちです。

 しかし、そうではありません。

 生きづらさやお悩みの大半は、実はこうしたソーシャルワークの領域で解決できることが実務的にも多いのです。

 さらに、心の中のトラウマや愛着不安をケアするという視点においても、社会とつながること、具体的に相談すること、実務の中で問題を解決していくことは、とても大きな意味を持ちます。

 心の問題だから、心だけを扱えばいい。

 そうではないのです。

  

 以前、ブログの中で、大阪の西成高校が取り組んでいる「反貧困学習」を取り上げたことがあります。

 西成高校のある地域には、生活保護を受けている家庭が多かったり、経済的にも、さまざまな面でも困難を抱えている家庭があったりします。

 そうした環境で育った生徒さんたちは、学校でのお勉強以前に、家庭での支援を十分に得られなかったり、社会で生きていくために必要な知識や経験を得る機会が少なかったりすることがあります。

 反貧困学習とは、そうした状況の中で、社会的な知識を身につけ、自分を守るための学習です。

 例えば、アルバイトをする。
 そのときに、ブラックなアルバイト先で、労働基準法などを知らないがために、本来なら守られるはずの権利を守れないことがあります。

 給料が払われない。
 不利な条件で働かされる。
 無理な働き方をさせられる。

 そうしたことが実際にある。

 すると、やる気をなくしてしまう。
 自尊心も損なわれる。
 また働きに行っても、悪い条件で働かされる。

 本来であれば、勉強して、大学や専門学校に進む、あるいは就職するにしても、よりよい条件に向かっていける可能性がある。

 しかし、家庭の環境や、社会で生きるための知識がないことによって、どんどん悪循環に陥っていく。

 反貧困学習とは、そうしたことを防いでいく取り組みなのです。

 

 近年の状況は、少し悪い意味でいうと「心理主義」です。

 何でもかんでも、個人の頭の中、心の中の問題にされがちです。

 「やる気がない」
 「自己肯定感が低い」
 「メンタルが弱い」
 「自分に問題がある」

 そういうふうに、問題が個人の内面に流し込まれてしまう。

 

 しかし、西成高校の例でもわかるように、実は多くは社会的な問題です。

 経済の状況。
 家庭の状況。
 社会につながっていくための知識。
 社会につながっていくためのスキル。
 相談する経験。
 相談してよいという感覚。

 そうしたものがないために、相談できないままになってしまう。

 あるいは、相談したとしても、あまりよろしくないところに相談してしまい、さらに悪循環に陥ってしまう。

 生きづらさとは、そうしたところからも生じているのです。

 私たちも大人ですが、普段、どこに相談していくのか、ということはとても大事です。

 日本にも、思っている以上に、社会的な相談機能や制度は整ってきています。

 もちろん、十分ではない部分もあるでしょう。

 ただ、相談できる場所がある。
 使えるものがある。
 頼れる仕組みがある。

 それを知っているかどうか。
 それを使えるかどうか。

 それだけでも、状況は大きく変わってきます。

 今であれば、AIも含めて、いろいろなツールがあります。

 しかし、それをうまく使えない、ということもあります。

 それもまた、個人の能力の問題だけではありません。

 そうしたものを使う文化がない。
 相談する文化がない。
 社会につながる文化がない。

 そういうことなのです。

 

 トラウマとは、すなわち機能不全な文化を背負っている、背負わされているということです。

 ですから、トラウマから抜け出していくこと、生きづらさから抜け出していくことは、単に心の中を見つめることだけではありません。

 社会とつながり直すこと。
 相談すること。
 適切にアクションすること。
 自分を守るための知識や手段を持つこと。

 そうしたことも、トラウマから抜け出していくためには、とても大事な視点です。

 悩みは、個人の心の中だけにあるのではありません。

 “社会”とのつながりの中にあります。

 だからこそ、「ソーシャルワーク」という視点が必要なのです。

 

 

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みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

「文化づくり」という視点

 昔、私が夕方、マンションの階段を上っていたら、人がいないはずのスペースに人がいたことがありました。ドキッとして鼓動が早くなります。なんだ??と。

 どう考えても、人がいるはずもないところに人がいて何やらスマホを見ている。

 たぶん、泥棒か何かなんだ、と思い、どうしようか?と逡巡します。

 そこで、勇気を振り絞り、何やってんだ!と声をかけると、その人物は、すみません、とかなにかを言い、一目散に逃げていきました。

 

 

 そのあと、この事態をどうしようか?と考えていました。
警察に通報するべきか、別に何も起こらなかったからそのままでいいか?と。

 その時点で私は人生で110番通報をした経験は一度もありません。

 その後の手間などを想像したり、あと、昔に自転車を取られたときの面倒くさそうな交番のおまわりさんの対応を思い出すと、どうせ通報したって、、という気持ちもわいてきます。

 

 しかし、この時に浮かんできたのは「文化づくり」という観点です。

 ここで、私が通報しなければ、よほどでなければ通報しないという文化が自分にも、自分の家族にも生まれてしまいます。

 避難訓練というものがあるように、人間というのは行動したことがないこと、練習したことがないものはできないようにできています。

 初見では臨機応変に対応できる、というのは幻想で、人間は過去に練習したことしか基本はできません。

 これは知人から聞いたことですが、自分や家族が具合が悪くなった時も「救急車を呼ぶ」ということが案外できなかった、というのです。それはその方が救急車を呼ぶということを過去にしたことがなかったからです。医療関係者からは「そういう時は呼んだほうがいいよ」と言われたそうです。

 

 

 そんなこんなを考えた時に、私は、何もなかったとしても、ちゃんと対応されなかったとしても、一度通報したほうがいい、とおもい警察に電話しました。

 すると、3人の警察官が来て、いろいろと調べてくれました。いわゆる調書みたいなことはなかったのですが、管理人にも話をしてくれて、後日、マンションには監視カメラが付くようになりました。

 結果的にはセキュリティは上がりました。

 これは一つの事例です。

 このこと以外でも、私は「文化づくり」というのは日頃からも意識しています。
 

 

 

 会社などの組織も、文化というものがありますが、その文化とは何か?といえば、結局は「過去にその会社とそのメンバーがとった行動の集積」ということです。

 過去にどんなことをしたかが文化になって、先例になって、参照されて、有形無形の文化となって現在に影響している。例えば、過去に問題があって、謝罪や返品といった対応をすれば、そういう誠実な文化にもなりますし、ごまかせばそういう文化にもなります。

 

 家庭もそうです。
 特に問題が生じた時、失敗が生じた時にどう対応したのか?がその家の文化になります。

 適切な行動ができないことはもちろんですが、家庭でよくあることとしては、学歴や財産、世間体といった見た目から逆算した表面的な行動ばかりしているということ。本来的な行動がなければ、曲がった文化、機能不全な文化になります。

 

 あるいは、特に親などの大人たちが自身の不安や引き継がれてきたトラウマ、不全感といったものを隠したまま間違った行動や対応をしているというようなこと。そうした対応からは、不安や不全化からの行動が「文化」となります。

 こうした曲がった文化が蓄積された家が「機能不全家族」というものです。

 

 機能不全な家庭だと、多くの場合、その家系で家長となるべき人(たち)が機能せずに、おかしな行動を繰り返していたりするものです。もちろん、それは、生育環境からの愛着不安、トラウマによって生じます(近年は、祖父母の世代の戦争のトラウマが及ぼす影響が注目されていたりもします。)

 それらがおかしなものとして認識されていればいいですが、なにやら理屈でごまかされたり、親族などによって追認されていたり、することで、ローカルルール化してしまいます。

 社会的存在、文化的な存在である私たち人間にとって、その影響はすさまじいものがあります。

 トラウマというのは私たちが背負ったそうした機能不全な文化のことである、といっても過言ではありません。

 

 

 カウンセリングなどではよく「認知(信念)」を変えるといったようなことが言われますが、そんなことでは生きづらさの解消には追いつきません。
 私の経験では、身体へのアプローチについても影響は限定的です。なぜなら人間はロゴス、ポリスの生き物だからです。

 

 そして、必要なのは“個人の”「認知」ではなく、「文化」を変える、という視点です。

 認知を変えるとしても、身体や行動を変えるとしても、それは「文化を変える」という視点がなければ効果はなくなってしまいます。
(身体の動かし方でさえ、かつての日本の文化と西洋の文化は違うと言われます)

 

 日々自分の行動で、自分の人生の「文化」を作っているという視点が重要です。

 パートナー同士であれば家庭の中、さらに、お子さんをお持ちであれば、親の役割は「文化」づくりである、と考えるとわかりやすいです。
 (いわゆる、”背中”で見せる、ということです)

 いかに、社会を“代表”して、理屈がちゃんと通った行動をとれているか、機能した行動を適時、適時に行っていけるか、がとても問われます。
 (こうしたことを、東洋哲学では「中庸」と呼ばれます)
  

 文化づくりにおいては、こうするべき、といった意識からであったり、不安からアクションしてもそれは全く機能しません。なぜならそれは多くはトラウマ由来のものだからです。
 メンバーから、無意識に「それ、あなたの不安ですよね」と感じ取られて、「従う道理なんてない」とされてしまうのです。

 

 そして、もし、無理やり従わせることができても、結局は、不安が文化になってしまいます。

 会社でも、経営者や上司がただ不安から部下を詰めたり、ワーワー理屈を言っている、という景色はよくあります。そうした会社の文化はどこやら強迫的になっていきます。

 

 不安もよくありませんが、立派であろうとすることや、完璧であろうとしたり、過度に正しくあろうとすることも、文化づくりとは対極にあるものです。それらも結局不安でしかありません。
 
 文化 とは、もっと実質的、機能的、愛着的、そして社会的なものだからです。

 文化づくりの8割は、いわゆる ソーシャルワーク といわれるものです。

 

 

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ハラスメント理解から見えてくる、私たちの可能性――不全感の連鎖を止めるということ

・「人文知」を活用(リバイバル)する必要性

 ここまで見てきたように、ハラスメントとは、単なる迷惑行為といったことにとどまらない、人間の本質にかかわるテーマであることがお分かりになるかと思います。

 もともと、ハラスメントとは、人間関係における呪縛や侵害に関する概念であり、人類学者グレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」理論(“Toward a Theory of Schizophrenia,”論文)を源流とします。
 日本でも実際に東京大学の東洋文化研究所の安富歩教授や大阪大学の深尾葉子教授が「魂の脱植民地化」プロジェクトを立ち上げて研究されるなど、実は、「ハラスメント」は、人間という存在を解き明かす可能性を持つ「人文知のテーマ」と捉えられてきた歴史があります。

 モラル・ハラスメント自体は、フランスの精神科医イルゴイエンヌが提起したものですが、その背景には単なる迷惑行為や個人に対する侵害への問題提起を越えた深いの領域が控えているのです。

・知見の分断

 しかし、これらの知見は分断にさらされてきました。残念ながら、行政や労務におけるガイドラインを参照しても参考文献にこうした研究は全く登場しません。また、当事者を支援する専門家たちの書籍でも、こうした研究に触れられることは、ほとんどありません。
 メカニズムなど問題の本質に迫るような知見に関心がもたれずに、ただ外形的なガイドラインか、当事者の事例をまとめたようなものが通例になってしまっています。

 こうした知見の分断の背景には、心理臨床や精神医学におけるガイドライン依存や心理を問う機運の衰退など、簡単に言えば、事象の本質、メカニズムを深く掘り下げて定義する文化が失われていることがあるのかもしれません。

・人文知が求められる時代

 実は、今、大企業(マイクロソフト、グーグル、ソニー、サイバーエージェントなど)において、哲学や人類学を専攻していた人材を積極的に採用して、その知見を活用しようという流れが話題になっています。

AI時代を迎えて、大規模情報がコモディティ化し、AIが瞬時に情報を整理してしまえる中で、人間にできるより深い抽象的な思考、とくに「人文知」の活用が求められています。

 ここまで見てきたように、ハラスメントという事象を理解し、実際にそれによる適切な対処を知るためにも、あらためて「人文知」は威力を発揮することがわかります。

・不全感の連鎖を止めるために~ハラスメント理解からみえてくる私たちの可能性

 ハラスメントのメカニズムを知ることは、単に職場を改善するだけではありません。私たちが「自分らしくあること(実存)」を取り戻すプロセスそのものです。

 何よりも必要なのは、「不全感」について私たちが賢くなること。 従来のように被害者個人に対処の負担を押し付けるのではなく、社会全体が、不全感を隠した「ローカルルール」に気づき、「NO」と言うこと。 そして、相手の「存在(Being)」を尊重し、「行為(Doing)」に限定した言葉(Iメッセージ)でやり取りすることを当たり前としていくこと。

 「不全感」という目に見えない”悪”の存在を社会が自覚したとき、私たちはハラスメントの呪縛から逃れ、本当の意味での多様性や信頼を築くことができるはずです。

ハラスメントの理解から、私たちの新しい可能性が始まります。

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