私たちは、ニセの責任を背負っていて、その支配を強く影響を受けている。
そして、それを「免責」する方法を探している。
ニセの責任の影響はものすごいものがある。
容易には、免責できない。
とりわけ、ニセモノだとわかれば、半分解決したようなもので、
ニセモノだと気が付けないから、長く苦しめられる。
治療者にリフレーミングのために助言や指摘をされても、
「いや、そうはいってもこれは本物なのです。本当に私はダメな人間なのです」となってしまう。
免責するためには、本物の責任とニセモノの責任とを見分けることがまず必要になる。
では、あらためて、ニセの責任とは何か?
それはローカルルールの呪縛(の強化子)であると考えられる。
ローカルルールというのは、私情に過ぎないものが常識を騙って他者を縛る、あるいは常識が更新されずに因習となっているもの。
(参考)→「常識、社会通念とつながる」
ニセの責任は、ローカルルールがばれないようにするために、「責任」という“装い”をすることで、呪縛を強固なものとしている。
例えば、理不尽なことがあったとしても、それが、ただ理不尽なものだ、ということであれば、(それもとても嫌だけど)「理不尽だったね」ということですみます。
しかし、その理不尽が「あなたに原因があった」「あなたの責任だ」となると、強烈な呪縛となって作用し始めます。
(本人も問題があるから理不尽に巻き込まれる(当然だ)、というのがこの場合のローカルルール)
(参考)→「自分にも問題があるかも、と思わされることも含めてハラスメント(呪縛)は成り立っている。」
犯罪被害にあわれた方などを見るとまさにそうで、出来事そのもののダメージも激しいものですが、何よりも、「なぜ自分が?」「自分にも非があったのでは?」と自分で感じたり、他者からそのような眼差しが入ると、そこから抜け出すのは容易ではない。
専門的には、「帰属エラー」というものですが、原因が自分に帰属したとなると、解決できない反省に突入し、ぐるぐると原因=責任の無限のループとなり、罪悪感が襲ってきます。
人間は、本当に解決できる問題については行動することで解消できます。
あるいは少し時間が立てばチャラになるものです。
しかし、ニセの責任というものは本来はその人には責任はありませんから、対策など立てようもありません。責任の内容も、存在そのものがおかしい、といったようなものであるので、もっともに見えて異様なものだからです。
(いじめなんかは典型です)
(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因」
また、ニセの責任は謝っても許してもらえない。
生物である人間や自然の特徴は「代謝」です。時間がたてば排出される、チャラになるのが普通なのです。それでおしまいです。
しかし、ニセの責任には代謝がない。終わりがないのです。
(参考)→「「無限」は要注意!~無限の恩や、愛、義務などは存在しない。」
ニセの責任はローカルルールがもたらすものでしかないので、属するグループとの関係が切れれば、本来は、解消されるはずです。
いじめであれば、転校すれば、あるいは卒業すれば、そこで展開されていた“ノリ”はなくなり、関係は新たなものになるはずです。
自分が属するグループは都度変わっていきます。学校は卒業するし、会社の部署も変わっていく、友人関係も変わる、
ただし、ニセの責任というのは、上記の無限ループが自分の中で「内面化」されてしまうので、属するローカルグループが変わってもずっと脳内では引きずり続けてしまう。
そうして、ずっと解消できないニセの責任をいくつも自分の中でしょい込んで、ぐるぐると解決に取り組み→敗れる、取り組み→敗れる、を繰り返すことになる。
挫折感は蓄積されていく。背負っている責任の量は、さながら大企業の社長か総理大臣のような大きさ(この世の罪はすべて自分にあるような感じ)となる。
その結果、新しい責任、本当にとりくむべき本来の責任には取り組むことができなくなる。
そして、周囲からも「あの人は、なんか仕事に腰が入らない」「逃げ腰だ」といわれてしまうようになります。
本当に取り組みたいことにも取り組めなくなる。
直感ではニセの責任であることに気づいているため、自分でも内心忸怩たる思いを抱えるようになります。
ニセの責任とは、さながら魔女の魔法・呪いのようなもの、やっかいですが、実はその厄介さの中に見破るヒントが隠されている。
ニセの責任には終わりがない。だから厄介。
しかし、終わりが無いのは実態がないから。実態があるものはときとともに風化していくからです。それが本来の自然の摂理。諸行無常。
この世に変わらないものなどありえない。
(自然と接すると癒される理由の一つは、この自然の摂理に触れるためかもしれません。)
(参考)→「循環する自然な有限へと還る」
自分の抱えている問題が本物の責任なのであるならば、普通に対処すれば風化するはず。
「終わりがないように感じる」というのはニセの責任の特徴であり、終わりが無いこと自体がニセモノさを証明しているということ。
(魔女のりんごは魔法でできているニセモノだから腐らない。腐らないということはニセモノだ!)
つまり、ずっと苦しんでいる悩み(罪悪感、劣等感など)ほど、ニセモノだ、ということです。
(だからそれに気づけば容易に壊せる)
ニセの責任は、
「①ローカルルール(もっともに見えておかしな常識、実は嫉妬や支配欲などの私情に過ぎないもの)」に基づき
「②帰属エラー/過責任(自分の責任ではないものを自分のものとしている)」で、自分の責任が過剰に拡大し
「③内面化(自分の頭の中で反復され続ける)」で苦しみ、
「④過剰適応、過共感(相手の世界に入る、先取りする)」によってそれが現実だと思い込まされ、
「⑤代謝がなく、終わりがない」
など、という特徴がある。
この点を参考に、まず自分が抱えているしつこい悩みについて総点検。それが「魔女のりんごではないか?」と眺めてみることです。あんなにくっきり、本物にしか思えなかった罪悪感や劣等感がとんだ幻でしかなかったことが見えてきます。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
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