人間の「人格」とは、家に例えたら、塀であったり、壁であったり、ドアであったり、窓であったりします。
自分を守ってくれるために存在する。 その上で他社と交流する場(応接室であったり、玄関先であったり)を提供するものです。
私たちは、成長する中で、その「家」を作り上げていく。
しかもその家は、社会的な役割をまとって、「公的な建築物」としても機能するようにしていくことで、最後は完成します。
荷物も収納があるから収まるべきところに収まるように、家が完成することで私たちの精神も収まっていきます。
私たちは、本来、社会の中で他者と関わりながら、自分を開くのではなくて、まずしっかりと閉じる。
塀を作る。壁を作り、ドアには鍵がかけられるようにする。
それがなければ、生きていくことはできません。
(参考)→「個人の部屋(私的領域)に上がるようなおかしなコミュニケーション」
しかし、トラウマを負っていると、その反対のことをしてしまっている。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
自分の家の塀をなくそうとする。壁をなくそうとする、ドアには鍵をかけないでおこうとする。
そのために、他者の影響を受けても跳ね返すことができない。言葉をそのまま鵜呑みにして、傷つくようになってしまう。
それどころか、自分の家の敷地と他人の家の境界線すら曖昧になってしまいます。
こうしたことの背景には、親などからのローカルルールの暗示があります。
よくあるのが
「あなたは素直じゃない」といったような言葉。
人間というのは上記で見たように、「外に向かって閉じている」ことが普通です。 ドアには鍵がかかっているものです。
明るい外交的な人ほど、意外にこだわりが強く頑固だったりします。
それはそういうものです。
しかし、「素直じゃない」という言葉を真に受けて、もともと曖昧だった自分の人格の輪郭をさらに弱めてしまう。
閉じなければいけないのに、反対に開いてしまう方向へと舵を切ってしまう。
「もっと素直に、もっと素直に」というふうに。
そうするとどうなるかといえば、他人に容易に支配されてしまう。
言葉への免疫がなくなってしまうのです。
「あなたは素直じゃない」というのは、「私の言うことを聞け!」という、相手の支配欲求から来る言葉なのです。
(参考)→「トラウマを負った人から見た”素直さ”と、ありのままの”素直さ”の実態は異なる」
「あなたは怒りっぽい」という言葉も同様です。
怒り、というのは私たちを守るためには必須の感情です。
怒りがあることで、ローカルルール人格へと解離している相手の目を醒まさせたり、自分の自尊心を明確に示すことができます。
健全な怒りというのは、私たちにはなくてはならないものです。
しかし、そのなくてはならないものが「あなたは怒りっぽい(怒ってはならない)」という言葉を真に受けると、機能しなくなる。
そうすると、ニセ成熟のような状態のまま、いい人なんだけど、なんか割と食ったようなイライラを抱えたまま、でも、自信がなく、罪悪感をもちながら生きていくようになります。
(参考)→「親からの暗示で、感情、怒りを封じられる。」
さらにややこしいことが、自分の生きづらさを解決しようとして、悩み解決の本、自己啓発の本とか、セミナーを受けると、「ワンネス」だとか、「心を開く」「怒らない訓練」といったように、「もっと開け」あるいは「反応するな」といったようなことが書かれてあったりします。
これも中には役立つものもありますが、実はそうしたことを主唱する人自身の不全感であったり、支配欲からくる発言であることも多いものです。
(参考)→「ユートピアの構想者は、そのユートピアにおける独裁者となる」
人格を完成するためには、「外に対してしっかりと閉じる」あるいは「怒りなどの感情を表現していくこと」が必要なのに、反対に「どんどん開く」あるいは「感情を抑制する」ようにさせられて、自分の家(人格)が完成せず、それによって他者が怖くなってしまうのです。
ニセ成熟のような状態で、反対の方に反対の方に日々努力して苦しんでいる方はとてもたくさんいらっしゃいます。
(参考)→「ニセ成熟は「感情」が苦手」
反対のことを実行していると、一瞬は心地よくなっても、結局は生きづらさが増してしまうのです。
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