ありのままの現実は「ニセの責任」を免責し、「ニセの責任」が免責されると、ありのままの現実がみえてくる。

 

 私たちは、「ニセの責任」を背負わされすぎて、「過責任」状態になっている。それによって、自分を守ることに労力を注がざるを得なくなって、本当に大切なことに責任が取れなくなる。主体的になれなくなる。

 「ニセの責任」からいかに自由になるかが、生きづらさから抜け出すポイントになる。

 

 本当を言えば、「機能している家族」「愛着」、というのは、免罪の装置として働きます。親が「安全基地」として存在し、「あなたは大丈夫よ」という態度、言葉で接してくれることで、免罪(代謝)が機能します。
 そして、成長する中で愛着が内面化し、自分の中でニセの責任を免責することができる。 

(参考)→「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 ただ、多くの場合、愛着に不安があり、免責が機能しなくなる。 
 親が親の機能を果たせず、親自身が「ニセの責任」発生装置になってしまい、子供を苦しめることになる。

 「ニセの責任」を免責する機能が内面化されていないため、「ニセの責任」がどんどん蓄積していってしまい、大変な苦労をすることになる。

 
 これが生きづらさや、トラウマ、であると考えられる。

 ※生きづらさとのメカニズムとは、社会学者によれば、「関係性の個人化」とされます。「関係性の個人化」とは、環境の影響などをすべて自分のせいだとしてしまうこと、です。

(参考)→あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 

 

 

 依存症の世界でも指摘されていますが、「底をつかない」と治療が機能しない、ということがある。つまり、依存症とはそれまでに背負ったさまざまな生きづらさを癒すための自己治療である、ということ。

 元プロ野球選手の清原さんなど、依存症に陥った人を見てもわかるように、とても繊細で強いストレスや生きづらさを抱えていたことがわかる。
 それを癒すために依存が必要であった。

 

 それを、周りが本人の責任のようにお世話をすると(イネーブリング)、周囲から「ニセの責任」が流れ込んできて、本人は余計に問題行動を起こすようになる。

 自助会など様々な場を通じて「ああ、自分には何もないんだな、もう神様、仏様にでも任せるしかない。」「結局、自分は自分だ」と底をついたときに、本当の回復が始まる。

 つまり、「底をつく」とは、「ニセの責任に気づき、免責される」ということだと考えられます。 

(参考)→依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと

 

 

 

 トラウマも同様です。

 トラウマの主要症状にフラッシュバックというものがありますが、まさに、自分にとってつらい体験が繰り返される。
ふつうは睡眠をとることで、徐々に薄れていって「免責」されていきます。

 しかし、トラウマの場合は、自分にとって過去のつらい経験、嫌な経験が、ずっと反復される。

 「自分は何も悪くないけども、嫌ない経験だったんです」という風にはならず、
 ほぼすべてのケースで、「自分が悪かった。迂闊だった」という恥や罪悪感が伴っている。

 もちろん、トラウマとは、外からやってきたイベントにすぎないのですから、「自分は何も悪くない」でいいわけですけども、自分の中に免責機能が十分に機能していない場合、あるいは周囲がおかしな理屈で、「あなたにも問題がある」といったように責めてきた場合などは、処理できずトラウマになってしまう。

 

 苦の原因というのは、「ニセの責任」にある。
 人間が持つ過剰な意味づけなどが誤った原因帰属がさらに「ニセの責任」を重くしてしまう。

 

 

 こうした側面について、「ニセの責任」から抜け出す方法を提示したもう一人の巨人は、ブッダです。

 ブッダの悟りというのは、要は、世界の仕組みをありのままに真に客観的に捉えることができれば、苦から逃れられるということ。  

 私たちは、嫉妬や支配など、様々なローカルルールに縛られて「ニセの責任」でがんじがらめになっている。ローカルルールの中で、それを解決しようとあくせくしているけども、新たな苦を生み出すだけ。

 

 さらに、過剰な意味づけが働いて、何気ないことにも「自分だけに」とか、「何か良いこと(悪いこと)が起こるに違いない」と思ってしまっている。

(参考)→「過剰な合理性や意味づけ

 

 でも、客観的に見たら、自分だけに、ということはない。

 自分の子供が死んだ婦人が、ブッダに相談した際に、「一度も死者が出たことがない家からカラシダネをもらってきなさい」といわれて、家々を訪問してみたら、「実は、私の家でも・・・」とか、「数年前に、子供が・・」となって、婦人が客観的な事実に目覚め、「ニセの責任(私の落ち度で子供が死んだ。私だけがおかしい)」が免責され、苦から解放されていった。 

 

 通常の人間というの、見栄など、軽い幻想を持って生きている。
 また、嫉妬や支配、あとは、精神障害などさまざまなノイズが飛び交っている。その処理をするために、因縁(ニセの責任)を他人にふっかけて何とか自尊心を保っている人たちもいる。それが社会ですが、裏ルールがわからない状態だと、真に受けてしまって「ニセの責任」を強化する材料とされてしまう。

 

 実際は、「自分だけが・・」とか、「自分が悪い・・」なんてことはない。

 

 そのありのままを捉える方法を「悟り」としてブッダは発見した。「因縁(ニセの責任)」から逃れるのが「解脱」ということなのかもしれません。
   

 実は、客観的に見れば見るほど、迷妄は取れてきて、本来の自分になってくる。

 

 「事実、現実」というと恐ろしいように見えていますが、

実際は、
 「(ニセの現実を回避するための)幻想」-「ニセの現実」-「ありのままの現実」と3層になっている。

 

 私たちが恐れる「現実」とは、「ニセの現実」。
「幻想」と「ニセの現実」の間にも、ニセの責任からもたらされるものすごい恐怖があるので、見れなくなりますし、「ニセの現実」とありのままの現実との間にもさらにものすごい恐怖があります。

 ですから、容易にそこをクリアすることができない。

 

 でも、「ニセの現実」は「ニセの責任」による罪まみれで、みじめで苦しいもの。「ニセの責任」が免責されてくると、ありのままの現実がちゃんとみえてくる。

 

 ありのままの現実は「ニセの責任」を免責し、
 「ニセの責任」が免責されてさらにありのままに客観的に現実が見える。

 そうするなかで生きづらさは徐々に無くなっていきます。
 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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原罪と免責

 

 私たちは、ニセの責任をたくさん背負わされて、本当に自分の人生に責任が持てなくなる。不調をきたしてしまう。
 

 本当に立ち向かわなくてはいけないときでも回避しようとしてしまったり、問題行動を起こさざるを得なくなる。

 それは、責任を回避するいい加減な性格だから、ではなく、責任を背負わされすぎてしまっていて、それ以上背負うことができないから。

 認知のプロセスがゆがめられてしまっていますから、日常の何気ないことまで、「罪悪感(自分が悪い)」との気持ちを持たされてしまうようになります。
 そのストレスは過大なものです。 
 

 過大なストレスに対してうまく代謝が機能しにくくなりますから、心身に不調をきたすようになります。

 

 日常生活でも、仕事など様々な場面で不都合が生じてきます。

 悩みの中にあって苦しい、生きづらいというとき、
 「誰か、自分が大丈夫だよ、おかしくないよ、って言ってよ!認めてよ」と心から思います。

 ただ、なかなかそれが実現することはありません。一見そうしてくれそうな人が現れても、共依存の関係にしかならなかったり、期待して裏切られたり、といったことも起きます。特に、身近な人間同士ではなかなか難しいのです。
 

 

 

 人間は「外来要素の沈殿物」(パリ大学小坂井敏正教授)ですから、本来、責任はありません。
 人間とは、環境の影響に押されて、最後にババを引かされているだけで、責任の主体性というものはかなり怪しいものだからです。

 ただし、社会は、秩序を維持する関係上、目の前の人間に責任を問わざるを得ないことがあります。(例えば、自分のものを盗られても「その人の責任じゃないからいいですよ」とは言えない。)
 現代は個人主義ですから、特にその傾向が強い。 どうしても、やむにやまれぬ問題行動も、自分の責任とされてしまいます。

 

 ニセの責任で苦しい状況(I’m NOT OK)を、他者に因縁をつけてこき下ろして(You’r NOT OK)、かりそめの免責(I’m OK)を手にしようとする人もたくさんいます。

(参考)→「人は、自己愛が傷つくと、相手を「負かして」、自分が「勝つ」ことで存在を保とうとする

 

 すると、ニセの責任が連鎖していってしまい、互いに首を絞め合う構造になりどうしようもなくなります。息苦しい社会の誕生です。

 ニセの責任を自分で処理できる人や、他人に投げることができる人は健康に生きることができますが、できない人は、だんだんと苦しくなります。
 人間社会にも「2:6:2」という構造がある、といわれますが、ニセの責任という観点からもそれが言えるかもしれません。
 

 世の中には、「ニセの責任」が生み出されて、流通している、というのも“裏ルール”といえそうです。

 この「ニセの責任」の存在に気づき、それをいかに免責するのか、は私たちが本来の自分で生きていくためには最重要ポイントといえます。

 

 

 

 「ニセの責任」やそれのよる「罪悪感」ということがわかった時に、気が付いたことがあります。

 そういえば、キリストって似たようなことをしていたな、と。

 キリスト教の物語を見ていると、イエスが悩める人の問題を解決する際に、「罪は許された!さあ、立ちなさい」といったようなシーンが出てきます。

 祝福を与えて「免罪」すると、病が治ったりしていきます。

 

 キリストは、現在で言えば、民間の治療者やカウンセラーのようなことをしていたようです。
 

 キリストがユニーク、画期的であったことの一つに、人間が背負わされた「罪(ニセの責任)」に注目したことではないか、と思います。

 キリストは、ユダヤ教の改革者だったのですが、もともとユダヤ教には「原罪」といった観念はなかったそうです。
 旧約聖書にあるアダムとイブの話も、そもそもは「原罪」とは関係がない。「原罪」というのは、キリスト教になってから示されるようになったものです。

 

 人間を作ったのは神ですし、人間の行動もすべては予定されている。
 病や犯罪、様々な問題行動の責任も、本来は神様の責任のはず(全知全能ですから)。
 でも、現場の人間に帰せられる理不尽さ。大きな矛盾です。「原罪」とはまさに「ニセの責任」といってよいかもしれません。
 

 

 私たちは、自分たちがまさにあらがえないものに流されるように生きづらさに悩んでいます。

 例えば、愛着障害(トラウマ)を背負って人生がうまくいかなくなっても、親は選べないし、人生をやり直すこともできない、そのくせ責任だけは取らされる。誰もその構造を理解してくれない。表面的なことだけで非難されてしまう。そのことにものすごく怒りを感じていたりする。
 

 

 『反省させると犯罪者になります』という本にもありましたように、人間というのは、その理不尽さを直感していますから、服役者でさえいくら反省しろ、といっても、効果が上がらないのです。
 かえって腑に落ちず、理解されない孤独に陥ったりして、また再犯につながったりする。そこから抜け出ないといけない。

(参考)→「「反省」するととらわれ、支配される。人間に必要なのは「学習」である。

 キリストは、私たちが感じているその矛盾に直感的に気がついた。キレイごとだけではなくその矛盾から救われないと意味がない。

 

 

 興味深いのは、
 病にある人を治療したり、癒しを与えたりするときには、
  「エネルギーを注入します」でもいいし、
  「光を注ぎます」でもいいし、
  「神様が治してくださいます」みたいなことでもいいわけです。

 罪とか面倒なことを経由しなくてもよいはず。

 しかし、キリストは、
 「罪は赦された!」と宣言して、「免罪(免責)」によって、治療や奇跡を起こします。

 

 キリストは、人間は「罪(ニセの責任)」を背負わされていて「過責任」状態になっていること。それがストレスになって、心身の不調をきたしている、と見抜き、それを「免罪(免責)」することが人々が自由になるポイントであることを知っていたのかもしれません。
 
 
 最後は、自分が「ニセの責任(罪)」を一身に背負って、磔にされてしまいます。(それによって人類を救った、というのが後に作られた解釈です。)
 

 

 

 人間にとって大切なポイントが明らかなのでしたら、キリストのように、「あなたの罪は赦された」と互いに行えばよい。

 トラウマを負っていると、訳の分からない「罪責感」「自信のなさ」にさいなまれています。過去の自分の行動がどうしようもない恥ずかしい、おかしなことのように記憶しています。それを「免責」してほしい。

 
 ただ、なかなかそれは難しい。日常生活では、かえって「ニセの責任」がトランプのババのように回ってきたりする。
 
 いかにして自分が背負った「ニセの責任」を免責していくのか?

 「ニセの責任」に着目して奇跡を起こしたキリストの行動は、私たちが悩みから抜け出すためにもとても大きなヒントが含まれていそうです。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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「You are Not OK」 の発作

 

 「この人といるとなんだか居心地が悪い」
 「この人といると、なんだか自信がなくなる」
 
というタイプの方がいます。

 かなり昔、筆者が出会った方で、ある組織の長である中年の男性がいらっしゃいました。この方は、「You are NOT OK」が体から溢れていました。一緒にいるとものすごく居心地が悪い。

 ある時、別のメンバーがその方とのやり取りでミスをしたのですが、そのメンバーはとても落ち込んでいました。

 普通でしたら、次から挽回すればいいや、というところなのですが、その方に関しては「You are NOT OK」が強すぎて、「どう頑張っても挽回できない」という雰囲気が出ていて、そのメンバーも絶望感や、自信喪失しか感じない、ということでした。

 

 

 こうした方は、私達の周りで少なくありません。
 仕事でもプライベートでも接していると妙にこちらが罪悪感や自信をなくすような感じを感じる方。
 

 他の例としては、他人の些細なルール違反やミスを突いて、大騒ぎをしないと気がすまない、という方もいます。世の中には、状況や慣習、価値観の差でルールの例外で運用されていることは多いものです。

 そこを正論でついて大騒ぎをして、「You are NOT OK」から「I’m OK」を得ようとする行為です。

 

 ドラマに出てくるような昔の姑さんタイプはこんな感じかもしれません。
「日常の掃除は、できる範囲で良い」ということも立派な割り切りであり、価値観ですが、「徹底しなくてはならない」という正論で、相手をやり込めて、自分の「勝ち」を得るわけです。

 

 会社などでも、文書の形式や、事務処理のルールが慣習的にゆるくなっていることもあります。そこを意図的について、部下をやり込めたりする上司というのはいます。 「お前はこんなルール違反をするようなルーズでおかしなやつで失格だ(≒だから俺の支配に服せ!)」という感じです。

 

 

 そうした自己愛が傷ついているために、「You are NOT OK」の発作が出てしまう人というのは世の中に多く存在します。
 「I’m NOT OK」を「I’m OK」にしたいからなのですが、それがどうしてもできないために起こります。

 

 養育環境がひどくて、特に親が、「You are NOT OK」のコミュニケーションを取っていたということも影響することがあります。周りを否定することで自分をなんとか保つ、ということが行われていて、家族はその配役とされていました。 親が他人の悪口ばかりを言う、ということは珍しくありません。

 

 別の場合は、「関係念慮」といって、あまりにも被害者意識が強くなりすぎたり、身体の失調から、認知に歪みが生じていたり、ノイズをキャンセルできない場合。これも、「You are NOT OK」の発作が促進されます。

(参考)→「「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」

 まわりは、ちょっとした仕草、態度も自分を否定しているとしか見えず、「ひどい奴ばっか」「自分のことを悪く言っている」という風にしか見えなくなります。

 そこから逃れるためには強い不安を払拭して自分を保つためには、相手を徹底的に否定するしかありません。 (「関係念慮」はその方にとっては真実ですから、その渦中にいる人を疑念の渦から掬い上げるのは容易なことではありません。 周囲が「それはさすがに思い込みすぎでは?」と事実を伝えると「あなたもひどい(You are NOT OK too)」と逆恨みされて大変なことになりますので、
辛抱強く共感して、安心安全感を高めることが必要になります。)

 「You are NOT OK」は、発作のように起きていることなので、とても厄介。他人を巻き込みながら、かろうじて「I’m OK」を得ようとします。

 

   

 そうした「You are NOT OK」のメッセージを浴びたときは、まずは真に受けない。発作のような現象であり、背景には自己愛の傷つきがあるのだ、と知ること。多くの場合、真正面から否定すると相手は怒り出しますから、最初は形式的に承って、それからゆっくり、静かに「そのようなことはありません。ご安心ください」と伝えると、ダメージを最小限にして、相手は勝手が違うと思い、去っていきます。
 (頭の中で「あなたは大丈夫」と思ってあげることも、良いかもしれません。自然と伝わって、「You are NOT OK」を作り出さなくても、「I’m OK」を感じてもらうことができます)

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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人は、自己愛が傷つくと、相手を「負かして」、自分が「勝つ」ことで存在を保とうとする

 

 私たち人間というのは、関係性の中で、「位置と役割」を得て、自分の自信や存在価値というものを感じ取ることができています。

 その一番の土台は「愛着」というもので、コンピュータのOSのようにワンパッケージで提供してくれます。
 そこから得られる自信、存在価値という感覚は、身体レベルのものです。
 身体レベルでの「安心安全」。頭で理屈付けする必要のないような感覚です(「理由わからないけど、当たり前」という感じ)。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 愛着不安やトラウマ(ストレスによるストレス応答系の失調)、発達障害などになると、そうした身体レベルでの安心安全が崩れます。すると、コンパスが乱れて自分自身の「位置と役割」が感じにくくなり、根拠のない自信、存在価値というものが感じ取れなくなります。

 

 すると、頭(論理的に)で、自分自身の存在価値を構築する必要があります。ただ、この作業は本当に難しい作業です。

 なぜかというと、人間が自分の存在価値を証明する、というのは、たとえば、哲学者カントとかヘーゲルとかハイデガーとか、そうした天才たちでも完全にはできなかったような、とてつもない作業を一人でしなければならないからです。
 

 トラウマを負った人というのは頭のいい人が多い、という印象はここから来るのかもしれません。自分で色々と考えざるを得ないからです。
 

 

 生きづらさも極まったり、自分で考えることに疲れてくると、一足飛びに承認を得たい、という感覚になります。

 超越的ななにかとつながって、自分の価値や自身を認めるような関係がほしい。それがスピリチュアルなものへの関心、という形で現れることがあります。

 

 筆者も昔、天を指差す海外のスポーツ選手の仕草を見て
「キリスト教とか、一神教というのは羨ましいなあ」と感じたことがありました。自分で考えたり、煩わしい人との関係は抜きにして、自信を構築できる手段があるように見えたからです。

 

 問題なのは、人間にとって正しい正しくないとはしばしば相対的です。すると、頭のレベル(論理的に)で自分の正しさ( I’m OK )を証明するためには、誰かを敵として相手を貶めるしかない(「勝ち」を得る)、というところがあります。
 
 宗教などでも、異端とされる側の人たちを徹底的に殲滅しないと、自分たちが正しいと証明が難しい。ですから、苛烈を極めます。

 

 

 トラウマを負った人にとっても、「You are Not OK」という態度になりやすい。もちろん、自分にも根底ではどうしても自信がないのが拭えないのですが、躁的防衛で自分を高めて、相手を「You are Not OK」と思うこと(自己愛性パーソナリティ障害的な状態)で、自信をなんとかこしらえることができます。

 それが外に向くと、事業や仕事で一時的に活躍できたりすることがあります。

 

 

 自己愛が傷ついている状態の人というのがいます。トラウマを負った人たちにとっては、ハラスメントを仕掛けてくる側の人たち、といえるかもしれません。

 自己愛が傷ついているということは、常に「負け( I’m NOT OK )」を抱えている、ということです。
 
 人間、「負け( I’m NOT OK )」を抱えている状態を解消するためには、相手に「勝つ(You are Not OK)」しかありません。

 

 それが事業、仕事とか生産的なものに向く場合は良いのですが、そうした手段も奪われている人たち、あるいはあまりにも「負け」が混んでしまっていてにっちもさっちもいかない人、身体レベルでも強い不安、自信喪失を抱えている人は、他者を貶めることで、「勝ち( I’m OK )」を得ようとします。

 

 無意識に「勝てる(You are Not OK)」人を探そうとします。

 
 そうして「勝てる(You are Not OK)」人を見つけて、相手の行動に因縁をつけて、相手をコテンパンにやっつけようとします。

 例えば、ちょっとした態度や仕草、言葉尻、メールの文面を取り上げては「失礼だ」として怒り出したり。応じた相手を徹底的に人格攻撃をしたり。
 

その時の攻撃というのが、徹底しているのは、「勝つ」ためです。
 そのため攻撃(ハラスメント)を受けた側は、「こんなに非難されるということは、自分はよほどひどい人間なんだ」、と真に受ける必要はありません。
 なぜなら、「勝つ=相手を徹底的に負かす」ということだからです。
 相手を全くだめな人間だ、という形にしなければ、「勝ち」がつかないからです。

 自己愛が傷つくと側頭葉に怒りがたまり、認知に歪みが生じていますから、本人も半分無意識的に行っていることです。

 そうして「勝ち」を拾って、自分を一時的に癒そうとします。ただ、一時的なものですし、根本的には、何も解決しませんので、次の対象を探して、回ることになります。

 

 

 こうした人達が、世の中の「サービス業」の周辺を回遊していたりします。
 (境界性パーソナリティ障害、発達障害の一部の人達などがそれに当たると考えられます。)

 サービス業で目指すのは経済的にはWin-Win ですが、精神的には「Lose-Win」(お店側が負け-お客様が勝ち)という体(演技)をあえてとっているのは(「出血大サービス」という表現を使っているのは、まさにそうですね。「私達は大負けして、あなた達が勝っているんですよ」というニュアンス)

 

 トラウマを負った人は、この負ける演技をすることがうまくできない。ニュートラルな関係の中で、演技(=儀礼)をすることなのですが、すごくへりくだりすぎてしまったり、演技をせずに棒立ちになったりするので、相手は嫉妬を起こしたり、あるいは脅威、「負け」を感じてこちらに勝とうとして、失礼なことを言ってきたり、輪をかけてこちらを攻撃してきたりするようになります。

 人間は相手に「負け(You are Not OK)」を負わせて、自分の勝ちを得ようとする生き物、ということも世の中の裏ルールと言えるかもしれません。

そのルールを知った上で、うまく対処する必要があります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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親の主務も、「安心安全(承認)」の提供だけでよい~「あれもこれも」は幻想

 近年はワークライフバランス、働き方改革、ということで、残業や働きすぎを見直そうという取り組みが広がっています。良い傾向ではないかと思います。

 しかし、一昔前は、現場の社員が創意工夫でサービスを作り出して、いろいろな仕事をこなすことを求め、「あれもこれも」という時代がありました。
 

 例えば、リッツカールトンホテルなどでは、ホテルマンが自分の裁量でお客様にサービスして感動させることが伝説となっています。忘れ物をわざわざ届けたり。誕生日を演出したり。そんな姿を理想として、一般の会社でも真似しようとしたり、といったことが流行りました。 
 
 筆者の知人は、大手の宅配便のドライバーをしていましたが、当時、ドライバーなのに名産品を宅配先で売る?ということをしていました。会社からノルマがあるとのことで。もしかしたら。これも現場の社員に、いろいろな役割をこなさせることがはやっていた例の一つかもしれません。

 結果、どうなったかというと、やることがあれもこれもと増え、残業しても追いつかず、現場は疲弊していきました。筆者も昔、そうした現場の中にいた一人です。営業から契約、入金管理、サービスの設計、プロジェクトの管理から何からをやらなければならず、見積もり一つ作るのでも徹夜でヘトヘト、といった具合です。

 

 試行錯誤して、日本の会社がようやく気付いてきたのは、「どうやら、人間は、あれもこれも、いくつもの役割をこなすことはできない」ということです。高学歴な人が集まる大企業でさえ同様です。コンサルタントといった優秀に見える層でも何でもできるわけではありません。専門化され、役割が絞られていないと、力は発揮できないものです。

 反対に、うまくいっている会社は「あれもこれも」ではなく、役割が絞られていて、会社全体でよい商品、サービスを作って、シンプルに提供する、ということに徹しているようです。

 

 今、サッカーのワールドカップが開催されています。最近は、ボリバレントといって複数のポジションができることが推奨されています。それでもせいぜい2つ程度まで。ロナウド(世界最高の選手)がキーパーをしても活躍できませんし、メッシ(これも世界最高の選手)がディフェンダーをしても活躍できません。スーパースターも案外不器用なのです。そして、優勝候補はチームの戦略が一貫しています。

 「あれもこれもできる」というのは幻想です。

 

 あれもこれもできているように見える人というのは、実は主の役割が明確で、そこで活躍出来ている、ということがあります。

 主務で力を発揮できているから、余裕が生まれて、その他のこともできるし、出来ているように見える。

 

 スポーツ選手でも、長所で活躍できるから、短所もカバーできたり、いろんな才能を発揮できたりする(出来ているように見えたりする)。

 

 

 親業もこれにあてはまるのではないかと思います。

 特に母親にはいろいろな役割が求められています。食事、洗濯、掃除、買い物のみならず、しつけ、教育、PTA、習い事の送迎、さらに外でのパート、親戚づきあい、近所付き合いなど。最近は宿題の採点も親の仕事だったりします。

 ここに子供が病弱だとか、さらにシングルマザーなどの条件が重なると本当に大変になります。

 イライラして途方に暮れるのも当然のことです。  
 

 上の会社の例と同様ですが、
 親に「あれもこれも」と複数の役割を求めるのは、そもそも限界があります。

 複数の役割がこなせているように見える場合は、なんらかしら周囲のサポートがあってぎりぎりに成り立っていることがほとんど。

 でも、厄介なのは、中学、高校のテストの時に、「勉強していない」と真顔でうそをつくクラスメイトが必ずいたように、人間はうまくいっていることは表に出し、自分が家事、育児ができていないことは、隠したりする傾向があること。

 

 また、周囲からの有形無形のサポートがあって親業は成り立っていることに気づかずに(子どもの育てやすさも生まれ持っての気質にもかなり左右されます)、自分の力だと勘違いして、そんな人が育児の指南書を書いたり、雑誌のインタビューを受けたりして・・・そんなものも幻想です。 本は売りやすいように内容が極端に装飾されますし、芸能人はイメージの商売ですからなおさらです。

 

 トラウマを負った人は真面目なので、そうしたことを真に受けて、「自分はいろいろなことをうまくこなせない」と自分を責めてしまったりします。

 

 私たち人間は、能力が高いそうに見える人でさえ、いくつもの役割をこなすなんて、そんなことはできないものです。

 親業における「あれもこれもできて当たり前」というのも、私たちを苦しめている幻想かもしれません。

 

 では、親業においては、主たる任務(機能)は何か?

 それは、「子供にとっての安全基地であること」。この1点。
 動物にとっての巣のように、社会に出る冒険から戻ってこれる場所であり、そこでは安心安全が約束され、生きるために必要な養育の機能と、社会に出るための基本的な教育や導きが提供されるところです。
 安心安全は主に母親、社会に出るための導きは主に父親から提供されます。

 

 「安心安全」とは、食事とか健康など物理的にももちろんですが、精神的には「存在の承認」という形で行われます。

 安心安全は、赤ちゃんのころ(生後半年から2歳ごろまで)は、しっかり抱っこしてスキンシップをとることで果たされます。その時期ではぐくまれる絆が「愛着」と呼ばれます。
(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 成長してからも、家の中が物理的にも、精神的にも安全で安心できる環境を提供することはとても大切です。さらに、言葉や態度で、「あなたは大丈夫」ということを折に触れて伝えることです。すると適度に距離が取れて、自立にもつながっていきます。
 過保護が良くないのは、「あなたは大丈夫じゃない(だから私が面倒を見る)」という前提があるから。

 

 家庭の中では、家の外の人がするような弱点を修正するようなアドバイスは二の次。

 私たちが家族にされて一番腹が立つのは、外でトラブルがあった時に、家族が味方をしてくれないことです。
「あなたにも悪いところがあったから、そんな目にあったんじゃないの?」とか、「ここを直せば」なんていうことが一番頭にくることです。
 大人になって私たちが痛切に願うのは、家族からの「あなたは大丈夫」というメッセージがほしい、ということです。

 

 もちろん、人間ですから、社会的スキルは学ばなければならないのですが、そのためにも家庭は揺るがない「安全基地」であることが必要。安全基地が揺らいでいては、安心して探索には出れない。
 

 学力で重要とされる非認知能力も「愛着」を土台としています。「安心安全」感が保たれていれば、そこを土台にスキル、経験ははぐくまれていきます。
(先日の記事で紹介した、ロジャーズの受容されることで人間は成長する、ということの根拠があるとしたらここにあると考えられます。)
(参考)→「「安心安全」と「関係」
 

 

 そして、主として父親が、社会への導きを行う。教育など必要な機会を提供したり、アドバイスをしたりする。
安全基地から出て、社会への探索行動の手引きを行うイメージです。

 しつけや教育はどうか?といえば、研究者が明らかにしていますが、実は、厳しいイメージのある戦前の家庭は家でしつけをしていなかった、しつけは、仕事を通じて行われていたようです
参考:広田照幸「日本人のしつけは衰退したか」)。
 

 どうやら、しつけや教育とは、親の本来的な役割ではないようです。どちらかというと戦前よりも「ゆとり」といわれる現代のほうが家のしつけはしっかりしている。

 「昔は厳しく、今はしつけが甘い」とは、先入観でしかないようです。よくTVなどで、厳しくしつけをしていることを誇る芸能人などもいますが、親が植え付ける超自我(規範)が強すぎることは、成長してから生きづらさ(呪縛)を生んだり大きく問題になります。

 

 実際、自閉症への療育でも、かつては厳しいしつけで成果を上げ注目されましたが、成長してから問題行動が頻発するようになり、今では厳しいしつけは行われなくなりました。定型発達においても同様のことは考えられます。 

 A・グリューンなどは、厳しいしつけのことをある種のハラスメント、「闇教育」と読んでいます。
(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 教育やしつけは大切ですが、親がすべてを行おうとすると「あれもこれも」となって、イライラしたりして、結局一番大事にな「安心安全(承認)」が脅かされることになりがちです。

 本来しつけや教育は家族以外の場で行われていましたし、教師や奉公先の主人が行うように家族以外の人のほうが適していることも多い(生みの親より育ての親)。戦前は家庭の外や仕事の現場で行われていた。

 一方で、家族以外の人が「安全基地」になれるか、といえばなかなか難しい。学校の先生やカウンセラーでも、親代わりにはなれないものです。

 

 そのため、親は主務(安全基地の提供)をしっかり行うことだけ意識して、教育、しつけは基本的に外の力を借りるつもりでいる(余力があれば家庭の中で行ってもよいですが、余裕がなくなりイライラして家が安全基地ではなくなるくらいならやらないほうがいい)。※もちろん、放任主義ということではまったくありません。

 

 現代の親は、「あれもこれも」と多機能を求められて、なかなかつらいものがあります。「あれもこれも」は誰もできません。それは難しいこと。

 

 主務は「安全基地の提供」だとして、優先順位を明確にできると、「あれもこれも」がなくなり、親としての負担感もヘリますし、子どもへのイライラも少なくなります。なにより、昨今、重要とされる非認知能力を高めることにもつながりますし、「愛着」理論その他、臨床の現場の感覚からしても、負担なく合理的なスタンスだと思います。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 

 実際、「安全基地の提供」だけを意識したクライアントさんは、子どもへのかかわりがすごく楽になった、とおっしゃいます。

 

 本来の親の役割は何か?ということをポイントを絞って意識すると、子育てはもっと楽になるかもしれません。

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

階級意識

現代の日本に生きているとあまりピンと来ないかもしれませんが、人間社会には、長く階級が存在してきました。

日本でも、「貴族」や「武士」といった分け方や、「士農工商」といった分類がありました。
現在でも階級のある国は少なくありません。

インドのカースト制度は有名ですし、
知らない人も多いですが、イギリスは今でも階級社会です。
「ジェントルマン階級」や「労働者階級」という区分が存在します。
(ちなみに、ロンドンの土地は20数名のジェントルマンたちが所有していて、一般の人はそれを長期間賃貸にて利用しているそうです。)

 
こうしたことから、人間には、「階級意識」というものが原的に存在することは考えられます。

その「階級意識」が意味なく過剰に作用してしまうことで、自分を他人よりも下に置いたりしてしまって、「自信のなさ」や「うしろめたさ」といったものが根拠なく出てきてしまう、可能性があります。

 
一方で逆に、階級意識が機能低下していることも問題です。
結果として、他者を尊敬できず、他人の嫉妬を招いてしまう、というケースもあります。
フランス革命の後の混乱は、秩序が壊れて嫉妬や恐怖が渦巻く、まさに狂気の時代でした。
逆の意味で階級意識が壊れてなくなるというのも恐ろしいことです。

なぜかというと、階級があるほうが、社会としては安定していたり、そこで生きる人の心情も分をわきまえて穏やかということがあります。
自分の住む小世界の中で勝者になれて、ほかの世界のことはまったく関心、関係がない(敬意を払うが、別世界)ということです。

階級がなくなっても、環境に伴った差が相変わらずあるにもかかわらず、機会の平等の結果であるということで個人の責任にさせられてしまい、理不尽さはさらに強まります。そのため嫉妬といった俗な感情が際立ってしまうのです。

 

 

インドのように因習となると問題ですが、階級意識があることが悪いことであるとは一概には言えません。
平等な社会のほうが差別はむしろ苛烈になることがあります。
愛着不安や、トラウマにさいなまれると、
人に対して妙にへりくだったり、尊大になったり、他者からいじめられたり、ということが起きやすいのです。

 

その原因として「階級意識」がうまく働いていないのかも?
という観点から見るとなかなか面白いです。

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

それ、単に攻撃されているだけですよ

 
トラウマを負った方は裏ルールが分からないために、二階建てになっていることが分かりません。
きれいな二階部分のみが世の中全体であるように見えています。

 

そうすると、他人からの悪意、敵意や邪念に接したときに
それが世の中では当たり前の一階部分であることが分かりません。

するとどうなるかというと、
きれいな二階部分のみであるはずの世の中で、相手から悪意、敵意や邪念を向けられる自分はよほど何か問題があるのではないか?
自分が悪いのではないか?
本来は善人であるはずの相手を怒らせるようなとても失礼なことをしでかしたのではないか?

としてダブルバインドにかかり、自分を責め、罪悪感を感じるようになるのです。

 

 
もっといえば、相手に罪悪感を抱かせるのも攻撃の一種です。
世の中が二階建てになっていることをわかっている普通の人たちからしたら、
「それ、単に攻撃されているだけですよ」
「いじわるされているだけですよ」
「嫉妬されているだけですよ」
という話なのですが、そのことがどうも理解できません。

さながら、カルト教団に入っている信者さんが、教祖のおかしなふるまいを見て、そのように見える自分の頭がおかしい、と自分を責めるかのようです。

信じていない人から見たら、
「それ、教祖さんがおかしいだけですよ」
で終了なのですが。

 

 

自分のコミュニケーションの能力の問題だ、として、自己啓発に励んでみたり、NLPなどを学んでみたりするのですが、根本的な解決策にはなりません。
それはそうですが、前提がずれているのですから。
(二階部分しかない世界で自分がおかしいから問題が起きている、と思い込んでいる)

 

相手からの悪意、敵意、邪念が飛んで来たら、それをキャンセルする力が必要です。その大元は「愛着」になります。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

ただ、トラウマを負った多くの人の場合、愛着が持てていません。そのため孤独な中、自分で自分を支えなければなりません。
頭を使って自分の正当性の根拠を探そうとして、攻撃してきた相手の不正の証拠を見つけようとします。
そのために、ぐるぐると頭が回り続けるようになります。

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

”やる気が高い”は要注意

 
やる気が高い人、モチベーションが高い人は優れているといわれています。確かに仕事でも、情熱をもって働くことは良いことです。

 

しかし、実は、臨床心理の専門家からは、やる気が「極端に」高い人は、実は自己愛性パーソナリティ障害ではないか?とされます。

愛着が安定している方であれば、「そこにいるだけで承認されている」という感覚があり、物事全般にバランスが取れていますから、極端に何かを達成しなければならない、という感覚はないからです。

ほどほどにやる気がありますが、一定以上働くと疲れるし、飽きも来るし、やりすぎることはありません。

 

しかし、愛着が不安定だと、それを仕事で埋めようとしてしまいます。その結果、極端なやる気となって表れて、疲れも知らずに働こうとしてしまうのです。

会社の経営者(特に創業者)などに多いとされます。

 
もちろん、愛着が不安定であることが必ずしも悪いことではありません。社会的成功のエンジンともなります。
しかし、ある期間を過ぎたら、どこかでバランスを保つようにシフトをする必要があります。そうして大成していく方はいらっしゃいます。

 

それが上手くいかないと、家庭が壊れたり、会社でも行き過ぎて破綻してしまったり、ということが起きます。

 

昨今のブラック会社として話題になるような会社は、自己愛の強い経営者によって創業されて、そうした経営者の価値観でなりたっていますので、通常のやる気や働き方、そして「ただ存在しているだけではだめだ」として、過度な労働を強要されることで起きているように思われます。
現在の職場で生きづらい、と思っている方は、もしかしたら、そうした職場の「環境」に問題があるのかもしれません。

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

あの理不尽な上司(モラハラ、パワハラ)も、実は○○が原因だった!

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
子を愛せない親、について書いた記事は、職場やその他にも当てはまります。

 

理不尽な上司や同僚、部下からのハラスメントといったものも、同じ並列の人間同士の人間関係によって生じているものではありません。

 

理不尽な行動をとる背景には、発達障害や愛着障害、トラウマ、てんかん、双極性障害などが潜んでいます。
※パーソナリティ障害とは、実は上記を原因とする表面的な症状です。

 

 

最近、暴言議員としてニュースで取り上げられた国会議員も、医師やカウンセラーからみれば上記の何かに当てはまります。単にエリートで傲慢だから・・・といった性格の問題ではありません。

 

 

「まさか、あの上司が発達障害?確かにモラハラはひどいけど、本で読んだアスペルガーの特徴とは違うど・・」
と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

端的に、わかりやすく言えば、世の中のアスペルガー障害(発達障害)の本は、簡単に書きすぎて発達障害の実情を正しく伝えているとは言えません。

なぜなら、発達障害とは「空気が読めない人」ということではないからです。
(逆に、とても気を使う人はたくさんいます。)

→「大人の発達障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 
発達障害の中核の一つにあるものは、内的言語の障害だと言われています。世界を把握する内的言語に障害があり、自他未分のまま他者と接しています。

そのため、自分の価値観を他者に押し付けて、苛烈に攻撃する、ということが起こります。自分の常識が他人の常識であるということから、他者が思い通りに動かないと、完全否定するところまで至ってしまいます。

 

内的言語において、「私」「あなた」の区別が上手くできないため反転して相手の立場に立つことがとても苦手です。だから、お互いさまという感覚がなく攻撃もとことん貶めるところまで至るのです。
また、記憶の処理がうまくいかないため、フラッシュバックを起こしやすく、一度他者について否定的な印象を持ってしまうと評価を戻すことができません。
過去の失敗もシャッフルして思い出して、相手を怒り出したりします。(「お前は以前もそうだった!」)

 

 

関係念慮も強いことが多く、そのため、些細なことを誤解して、他者が自分を貶めようとしているとして「あること、ないこと」取り上げて責め立てることがあります。

 

 

他者との付き合い方について定型発達の場合は、直感的に理解して学んでいきますが、発達障害の場合は、頭で理解していきます。
そのため、意外ですが、発達障害の方に多いケースに、身内に非常に厳しく外面はとても気にする、ということがあります。
これも、知識として社会性を身に着けているため、外面はとても気にしますが、直感的に相手の立場に立つことができているわけではないため、自他の区別があいまいになりやすい身内ほど厳しく、容赦ない態度をとるようになります。

 

会社でも、「~さん」とさん付けで呼んでいる時は良いですが、呼び捨てになるほど親しくなると、とたんに、厳しくなって、容赦なくなることがあります。

発達障害において、もう一つの特徴は、「発達の時間的な遅れ(=幼さ)」です。総じて考え方、態度が「幼い」のです。

 

他者に接する際は、目下であっても別の価値観を持つ者同士、礼儀を持って接することが普通ですが、そうした感覚がありません。
成熟すればするほど、価値観の多様性、多元的世界観を身に着けるものですが、それがありません。まさに、子どものような感覚なのです。子どもが純粋さと残酷さとをともに持ち合わせていますが、まさにそのように残酷です。

 

一元的で、過度に理想主義的で、強圧的な世界観の中で、自分よりも序列が低いとみなした人は、その世界で序列が高い「指導して良い」「罰して良い」という感覚なのです。

理不尽な上司や同僚など、見た目は年を取っていますが、実は内面はとても「幼い」ことが多く、その幼さ、理不尽さを「お前の能力の無さ、ミス、態度の悪さに怒っているからだ」「会社のルールだ」「上司、先輩だからだ」と理屈で正当化しているだけであることが多いのです。

 

発達障害様の症状は、後天的にも同様の症状が起きます。これを、「第四の発達障害」といい、いわゆる愛着障害や発達性トラウマ症候群がそれにあたります。
繰り返しになりますが、パーソナリティ障害とはこうした症状の別名です(てんかん、双極性障害なども含まれます)。

 

モラハラを受けるのは、あなたのせいではありません。まったく関係がなく、実は相手に原因があるのです。
このような実態を知るだけでも、会社で苦しさ、生きづらさを抱えている人は楽になっていきます。

 

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