前回の記事の続きになりますが、いろんな問題の根底には「(作られた)ビビリ」が影響していることはとても多いです。
(参考)→「これ以上私を不安にするな! っていうイライラ」
人に対して、「あの人はこうだ」とか、世の中に対して「社会のここがおかしい」とか、あるいは、「やる気が出ない」とか、「何をしていいかわからない」とか、
当人は、意識ではいろいろな理屈を立てているのですが、そういう理屈を分けていくと、「結局、ビビっているだけちゃいますか?」というのはとても多い。
「ビビっている」というのは臆病、とか怖がり、ということではありません。
簡単に言えば愛着不安ということ。
世界が安心安全ではない、そこにいる人達も得体が知れない、急に豹変するかもしれない、と考えていてビクビクしている。
(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、メカニズム」
トラウマを負っている人は努力家の方が多いので、恐怖に立ち向かわなければ! と頑張る。
でも、どうしても体の芯がビビっていることは止められない。
そうして、回避してしまう。
回避したあとに頭がぐるぐるする。
そのぐるぐるを抑えるために、社会や他者に対するこき下ろしや、シミュレーションを繰り返してしまう。
そんな自分を嫌悪する。
さらに、その回避が、さまざまな問題行動や、防衛を生み出して、こじれていってしまう。
いつしか、その回避や防衛が、自分の人格、性格であるかのように振る舞ってしまうようになっている。
ただ、本人は直感では、「自分はこんなものではない」と勘づいています。
でも、こじれが激しく、恐怖も襲ってきますから、すぐにその直感は打ち消されてしまい、回避や防衛に奔走することになってしまうのです。
じゃあ、度胸をつけたらいいのか?
臆病だったら生きれない世の中なのか?といえばもちろんそうではありません。
そもそも、世界は恐ろしい、安心安全ではない、と思わせているのは、愛着不安のためです。
実際の世の中はそんなふうに恐ろしくは出来ていません。
私たちが住むのは平和な日常です。
確かに人間は解離する、おかしくなってしまう生き物です。
しかし、社会を生きるに適切なパスポート、プロトコル(免疫)さえもっていれば、危険にあうということはありません。
ウェルズの「宇宙戦争」の宇宙人みたいに免疫がなければ地球は地獄ですが、免疫があれば、ボケーッとしてても生きることもできる。
(参考)→「俗にまみれる」
「いや、それでももしあったらどうするの! 実際ニュースでそんなの見るし、自分も嫌な目にあってきたし」 と考えるのはトラウマの世界観です。
(参考)→「非愛着的世界観」
「まあ、大丈夫じゃないの? ほどほどに気をつけていれば」というのは、愛着的な世界観です。
(参考)→「愛着的世界観とは何か」
後者は“甘い”考え方に見えますが、健康な方の世界の見え方はそんなものです。
根底にある恐怖感を取るのは時間がかかりますが、すこしずつ取り組んでいくと段々と薄れていって、世界の見え方は変わってきます。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
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