感情は、「理屈」をつけずそのまま表現する~自他の区別をつけて、ローカルルールの影響を除くトレーニング

 

 ステイホームということが合言葉になっている昨今。
 代わりに時間がありますから、家でできるなにかを、ということで、
 「自他の区別」をつけて、ローカルルールの影響を取り除くために自分でできる方法についてお伝えしてみたいと思います。

 ストレスを解消するためにもとても有効です。

 

 
 現在、非常にストレスフルな情勢下にあります。
 誰もがイライラを感じたり、ストレスを感じることは当然のことです。

 ただ、そのストレスの解消の仕方、ぶつける対象については、かならずしも適切ではありません。

 たとえば、
 「こんな状況でもパチンコ屋に行く人はけしからん」とか、
 「政府はもっと素早く動け」「検査数を増やせ」「保障をもっと多く、もっと早くしろ」とか、著名人のツイッターでの発言にムッとしたりとか。

 

 「理屈」そのものの是非は、ここでは問題ではありません。
 政府にもたくさん問題はありますし、パチンコ屋に行くことがふさわしいかについても同様です。

 「理屈」の中身の妥当性ではなく、私たちが感じている「感情」と、その「理屈」との組み合わせが適切なのかどうか?をテーマとしています。

 

 結論から言えば、99.9%の割合でミスマッチを起こしています。

 
 そして、ミスマッチを起こした状態だと、いくら「理屈」をつけても、もとにある「感情」は解消されないのです。

 イライラなどストレスはそのままとらえないと解消されません。

 

 
 たとえば、ステイホームで外出もままならない。
 せっかくの連休なのに、行楽にもいけない。

 その結果イライラが募っていますが、そのイライラの原因はなにからきているかは実は自分でもわかっていない。
 過去のトラウマ、生育歴の問題を投影している場合もしばしばです。
 

 
 よくあるのが、子どものときに「自分の意見が通らずに嫌な思いをした記憶」「友達であったり親などが思い通りに振る舞って自分が蔑ろにされた経験」「自分は我慢しているのに、兄弟(姉妹)が自分勝手なことをしていた」など。
  

 

 そのトラウマが潜んでいる中で、「自粛して自分が我慢しているのに、パチンコ屋に行く人」「自分の考えとは異なる政府や著名人の言動」を見たときに、生育歴の記憶が刺激、投影されて、「政府への怒り」「著名人の言動への怒り」「パチンコ屋に行く人への怒り」という「理屈」がついて、イライラが表に出てきます。
 (繰り返しになりますが、その理屈の是非はここでは問題ではありません。)
 

 

 
 本人は、政府のせいでイライラしている、パチンコ屋に行く人に怒っている、と思っていますが、 本当は、親や友達、兄弟、過去の自分のトラウマに対してイライラしている。

 
 その証拠に、「政府への怒り」「著名人への怒り」「パチンコ屋に行く人への怒り」という形では、イライラは解消されないはずです。
 さらにイライラが募るだけです。
 (マッチしていれば、イライラは減ります。)

(参考)→「ローカルルール(作られた現実)を助けるもの~ニセの感情」

 

 こうしたときには本当はどうしないといけないのか?といえば、

 「イライラ」や「怒り」だけをただ感じてみる、体感に注目しながら、「イライラする、イライラする」「怒り、怒り」とつぶやいてみたりする。

 

 あるいは、体感を感じながら、「なにが言いたいの?」と問いかけてみる。

 

 すると、「悲しい」といったように答えが帰ってきたりすることがあります。
 (感じていることや帰ってきた答えを言語化してみることが重要です。)

 

 そうして「感情」と「理屈」とを切り離していきます。

 

 「感情」をそのまま感じていると、その根源が見えてきます。

 

 根源が見えると、実は「理屈」というのは、他人からの無自覚な影響であったことも見えてきます。

 
 
 自他の区別がうまくついておらず、メディアなどを通じて他者の感情や理屈を自分のものとしていたりしていた。あるいは親の価値観を直訳して内面化していた。

 

 少し複雑ですが、現在の問題について語るメディアを見ながら、親が言うであろう文句を自分のものとしていたり。他人の評価を気にしていて、他人が言うであろう批判を先回りして自分のものとしていたり。

 その「理屈」と自分のイライラがくっついていただけだった。

 

 実は、自分の考えと思っていたものは自分のものではなく、それどころか自他の区別がうまくいっていなかったことが明らかになってきます。

 他人の「理屈」を無自覚に受け入れていると、他者に支配され自分というものは失われていきます。
 また、他人との距離が適切に取れず、他人の言葉がズバッと心に侵入してきて振り回されるようにもなるのです。 

 

 

 健康な発達の過程では、安全な環境の中で自他の区別をうまくつけることができるように自然とトレーニングを受けていきますが、不適切な環境下でそれが果たせずにサバイバルしてきた方も多いのです。

 それどころか、他人の理屈をそのまま受け入れることが、「素直」であり、「相手に合わせること」であると思い、人間関係のスタイルとなっていた。 
 自分の感情なのか、相手にものかもわからずにごちゃごちゃの中で生きてきた、ということも珍しくありません。

(参考)→「トラウマを負った人から見た”素直さ”と、ありのままの”素直さ”の実態は異なる」 

 

 

 

 さらに、「負の感情」+「理屈」のセットというのは、よく見るとローカルルールの構造ではないか?!ということにも気が付きます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 つまり、これまで自分の中で内面化したローカルルールがウイルスのように再生産され続けていた、ということもわかってきます。

 再生産されていたローカルルールが自律的に影響を及ぼす状態を「ローカルルール人格」と呼んでいます。

 こうしてストレスによる機能障害が続くのがトラウマです。

 「自他の区別」というのローカルルールの影響を取り除いたり、悩み解決のためのキーポイントになるものです。
 

 日常でも、負の感情を感じたら、「理屈」を被せる前に、「感情」をただそれだけで感じて見るようにする。

 これを繰り返すと、感じている「感情」の根源が見えてくることでストレスが解消されやすくなりますが、なにより、自分そのものと、そうではないもの(他者の影響)に自覚的になり、区別する習慣ができてきます。

 

 自他の区別をつけるためには、なにが自分のもので、なにがそうではないかを自覚することが大切です。
 その上で、自分のものではないものを否定する。自分のものだけを感じる。
 

 まとめると、

 1.イライラなど、感じているストレスや感情を取り上げる。

 2.頭で考えているそのストレスの原因(「理屈」)はいったん脇に置く。
 
 3.ストレスそのものを感じる。

   身体のどこで感じているのか?どのように感じているのか?
   
   その際に、  
    ・その感じを取り出してみて、自分の手の上においてみても良いです。どんな形でしょうか?どんな大きさでしょうか?どんな色でしょうか?どんな肌触りでしょうか?
    ・そのストレスに名前をつけてみてください。

 

   取り出さないパターンもあります。
    ・ただ感じてみてください。どんな感じなのか、言葉に出してみてください。(「イガイガ」「ふわふわ」「カチカチ」)など

   そのストレスに問いかけてみてください。「なにがいいたいの?」と。 答えは期待しなくて良いです。ただ問いかけるだけでも良いです。ふと頭の中に浮かんできたら、それがヒントになります。
  
   ヒントが浮かんできたら、それを感じてみてください。更に問いかけてみても良いです。(「どこから来たの?」といったように)

  自動的に目の前のものや人に原因を求めていた「理屈」が本当の原因ではないことに気がついてきます。「理屈」と「感情」とを分ける間隔が身につきます。

 

 4.日常でもストレスや「感情」を感じたら、「感情」だけを感じて、「理屈」は常に脇に置くことを習慣とします。

 

 このトレーニングは本来の自分を取り戻すことにつながります。

 よろしければ、ステイホームの期間にでもお試しください。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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