ローカルルール人格って本当にいるの?

 

 「ローカルルール人格って本当にいるの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。

 

  ローカルルール人格というのは、心理学や社会学などでも明らかになっている事象をまとめて表現した臨床上の概念です。もちろん、実際に存在しますし、誰でも目で見て確認したことがあります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 

 

 たとえば、「モラルハラスメントの加害者(いじめっ子、ハラッサー)」というものについて。モラハラは本当にあるのか?ということを考えてみます。

 

 仮に整理するために、

a)概念 + b)物理的な存在 + c)現象

 の3点セットがそろってはじめて、確実にわかる、ということであるとするならば、

a)概念    (モラルハラスメントという仮説で規定) b)物理的な存在(加害者として物理的に存在していることを確認できる) c)現象    (ハラスメント行為が目で見て確認できる)

 ということで、明らかに確認できます。

 いじめっ子という存在も、「いじめ」という概念があってはじめて明確になりますが、物理的に存在し、明らかにその行為をしていることを確認できます。

 

 

 ローカルルール人格はどうか?といえば、これもはっきり目で見て b)存在 と c)現象 を確認し、実際に接することができます。

 

 みなさんも自分の目でローカルルール人格を見たことがあります。

 

 一番わかりやすいのは、最近ドライブレコーダーやスマホの普及で撮られるようになった「あおり運転」の映像。

 あれがまさに「ローカルルール人格」 録画で証拠として撮られていますね。

a)概念    (ローカルルール人格という仮説で規定) b)物理的な存在(映像で撮られている) c)現象    (映像で撮られている)

 ということで疑う余地もない、ということですね。

 

 普段は人の良いおじさん、お姉さんが、車に乗ったら人が変わる、なんていうことはわたしたちも昔から知っていました。あれがローカルルール人格。

 

 職場の意地悪な人。DVするパートナーなんかもそうです。 物理的に確かに存在します。

 意地悪な行為も目で見て明らかに確認することができます。

(最近は、モラハラ、いじめの現場も音声、動画で残るようになりました。国会議員がローカルルール人格にスイッチして、秘書に「ハゲ~~!」といった記録のもそうですね。)

 

 心理学の概念や事象は目で確認しづらいものも多いですが、「ローカルルール人格」は多くの人がその目でその存在を知っています。

 (ただ、当事者、本人は自分がローカルルール人格にスイッチしていることがわからないことが多いです。あおり運転の加害者もしかりです。)

 

 

 筆者ももちろんローカルルール人格と直接接して話をしたことがあります。 あるときは、ローカルルール人格が暴れてカウンセリングルームの机を蹴られたこともあって、その証拠が今でもヘコミとなって残っています。

 

 ローカルルール人格とは、ローカルルールを内面化した内的要素のことです。 ローカルルールが伝染する、というのは社会学者などによって指摘されていることで、歴史的にも様々な事件で見られる現象です。

参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

 最近起きた教師間のいじめなども、まさに異常な現象がおきるのは、ローカルルールというものが存在するからです。 保護者からは評判が良かったらしい先生がおかしくなってしまう、というのもこうしたことからです。

 

 人間は誰もが、人格が分かれている、というのは解離の研究や、性格の研究、脳科学の研究などでは当たり前に指摘されていることです。

(参考)→「解離性障害とは何か?本当の原因と治療のために大切な8つのこと)」

 わたしたちが使っているPCやスマホも、アプリやプログラムが複数動作していますが、わたしたちはまさにあのような感じです。

 

 

 人間の脳とは、社会的脳といって、複数のモジュール(ネットワーク)から成り立っているといわれています。

 アメリカの心理学者マイケル・S・ガザニガなどが提唱している仮説です。人間は一枚岩ではなくて、複数のネットワークがいつも並行して動いているような存在です。

 

 

 性格検査というものも科学的には根拠がないとされます。関係や場面によって現れる性格が異なるからです。 (社会心理学者が書いた「あなたはなぜ変われないのか 性格は「モード」で変わる」(ちくま文庫)に詳しいです。)

 複数のモジュールが常に動作しているのが人間というものの姿です。

 

 

 作家の平野啓一郎さんは、「私とは何か――「個人」から「分人」へ 」(講談社現代新書)という本を書いています。 私とは、一つの個人ではなく、分人の集まりであるということです。

 

 人間というのは、社会の規範を意識・無意識的に内面化して社会に適応していきます。”内面化”というのは頭で理解して、というレベルではなく、まさに「そのものになるように」「染まるように」適応していく。

 

 社会の規範というものが、本物の社会であればよいのですが、人間はしばしば、ローカルルールというニセの規範を生み出すことがある。 これも、人間が社会的な動物であることに由来します。

 社会的であることを悪用して、自分の不全感をごまかして、ローカルルールを生み出してしまうのです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 だから、いじめのような卑劣な現象が生じたり、ストレスがかかると常識的な人が急におかしくなって失礼なことを言い始めたりもする。

 ローカルルールも、頭で知識として格納されるのではなく、まさに染まるようにわたしたちに影響します。内面化されたものは、人格単位で適応し、内外に影響します。それが「ローカルルール人格」というものです。

 

 

 ローカルルール人格という存在を意識してみると、自分が被ってきた理不尽な事象がスッキリ解釈できたり、自分自身についても、それまで動かなかった悩みも改善が期待できたりする。

 例えば、多重人格の研究では、人格が変わると、体質も変わってしまうことが明らかになっています。 (F・パトナム他「多重人格障害-その精神生理学的研究」(春秋社)

 人格が変わると、実際に薬の効きも変わったりする。薬には薬耐性など、体質的に効かない人がいる。

 

 

 

 だとすると、遺伝子コードが効かない、セラピーが効かない、という場合、人格がスイッチして体質を変えているとしたら・・?

 これまでいろいろのなことをしてみても良くならない、という方は、カリスマカウンセラーが「こんな新しい手法を考えました」と新しい方法を持ってきても、人格がスイッチして邪魔しているのなら、「何をしても効かないんです」ということになりかねない。

 

 上にも書きましたが、性格検査も、社会心理学では意味がないとされている。 性格もモードによって変わるためです。人格を一つとしていては、その人を捉えられないのです。

 そうであれば、セラピーも人格を一つ、としていては意味がなくなってしまうのかもしれない。まさにセラピーで扱うはずの心理や人格が場面場面で変わってしまうのですから。

 

 

 そうではなく、私たちは分人であること、「人格(のスイッチ)」ということそのものに注目してみたら、どうだろうか。

 もしかしたら、「効かない」ということの首根っこも押さえることができるのではないか? もっと、効くようにできるのではないか?

 

 ローカルルール人格に注目すると、そんな面白いこと(変なこと?)も考えられる。

 

 

 このように人格(ローカルルール人格)というものに着目してみると、たいへん便利ですし、皆さんの身の回りのさまざまな事象を捉えたり、難しい悩みを解決することに役立ちます。

 

 人間は単に”解離しやすいサル”であり、ローカルルールの中にいるからすごく巨大に見えていただけだ、そして、自分も弱く感じられていただけだ、ということがわかってきます。これまでは得体のしれない感じがしていた事象や人が怖くなくなってくる、なんだこんなものか、と感じられてきます。

 

 わたしたち人間は、現実や社会を適切に捉えることができれば、悩みを自然と修正する力がある、ということなのでしょう。「ローカルルール(人格)」という発見はそのためのとても便利な道具です。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「本当の敵」から目をそらされる

 

 昔イギリスが植民地支配する際に、現地の人同士を仲違いさせて、反発をそらすことでうまく支配していた、と言われます。

 現地の人を管理者に据えて、その人に怒りや反発を向けさせることで、イギリスそのものには矛先が向かないようになっていた。

 「本当の敵」をよくわからなくさせる、というのは支配する側にとっては大事なことです。

 

 会社でも、雰囲気が悪く、モラハラが横行しているような職場で、オーナー社長は物分りが良さそうな顔をして「みんな仲良く」と高尚なことを言っている。

 実は、職場の雰囲気、社風のおおもとはそのオーナー社長が作り出していて、現場の社員同士がモラハラなどの問題行動を起こさせられたりしている。

 

 「本当の敵(主因)」は社長であるけども、社員はそれぞれにいがみ合ってしまって、オーナー社長が問題だとは意識が向かないままというようなこともあります。

 

 

 「本当の敵」は誰かがわからないまま、問題行動を起こさせられたりする、ということは日々起こっています。
 

 周囲の人、家族や、職場の人にイライラしたり、
 人が気になってしようがなかったり、
 不安や焦りにさいなまれたり、

 などのネガティブな感情や問題行動。
 
 

 これらも実はローカルルール人格によって引き起こされているものです。

※ローカルルール人格とは、ローカルルールを内面化して半ば人格のような動きをする内的な要素のことです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 ローカルルール人格の特徴として、「本当の敵から目をそらす」ということがあります。

 ローカルルールというのは、ニセの常識ですから、それが成立するためには、自身の正統性や協力されることが必要です。自分が問題の根源であることが判明しては困るのです。そのために目をそらすということを行います。

 

 

 本当の敵とは、「理不尽な環境」であったり、「理不尽な親」であったり、トラウマや愛着不安の根本原因のことです。 

 本来であれば、立ち向かわなければならないのは、そうした本当の原因(敵)です。

 本来、怒りやいらいらをぶつけなければならないのは、「理不尽な環境」であったり、「理不尽なことをしてきた親」であったりするはずです。
 

 

 

 それなのに、現時点で、目の前にいる人に怒りをぶつけたり、イライラいする、というのは、まったくもっておかしな現象です。本当に怒りをぶつける先を間違わされている。

 

 ローカルルール人格にとっては思うつぼで、「しめしめ、こちらが原因であると思わず、思惑通り目をそらしてくれているわ」という感じでしょうか。

 ローカルルールはそれによって延命することができます。

 

 

 医師、カウンセラーなどの治療者に怒りを向けたり、などというのはさらに本末転倒です。一緒に敵と戦ってくれる人と内紛をさせられているわけですから。

 「あなたの態度が気に入らない!!」と怒っているけども、治療者は、「私はあなたの敵ではありませんよ。矛先が間違っているんじゃないですか」と内心思っています。「本当に怒りを向ける相手は、自分の親ではありませんか」と。
 

 

 実は、依存や嗜癖を行うのも、「本当の敵」から目をそらされてしまう行為です。アルコールや、薬物、恋愛、摂食障害など。

 簡単に手に入り、癒やしが手に入りますが、それによって本当の問題からは目がそらされて少しストレスが軽減しますが、結局は根本解決にはなりません。
 

 

 

 なぜ、「本当の敵」から目をそらされてしまうのか?

 
 「本当の敵」はルールの大本を握っていて、とても怖い存在です。
 だから、そこに立ち向かうのはとても怖いので、身近な弱い存在に怒りが向かう、ということがあります。

 都合の良い相手を見つけて、怒りを向けさせられている。

 
 支配されている植民の人同士が現地人の行政官に石を投げるみたいな感じでしょうか。  

 でも、そんなことをしていたらいつまでもローカルルールに呪縛され続けてしまい、良くなりません。

 

 「本当の敵」に目を向ける必要がある。

 

 

 周囲の人にイライラや怒りを感じたりしたら、

「本当の敵は?」と自問自答することです。

 そうすれば、ローカルルールの呪縛から抜けることができます。

 

 

 不安や焦りを感じても、
 「本当の敵は?」と自問自答することです。

 

 依存、嗜癖と言った問題行動が出そうになったら、
 「本当の敵は?」と自問自答してみる。

 

 ローカルルールというのは、実状が明らかになればなるほど弱くなっていきます。反対に、その世界に留まって行動させられると延命してしまいます。

 

 「本当の敵(主因)」を意識する、というのも、ローカルルールの呪縛を壊すためには大切なことです。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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恐れる必要はない

 

 

 トラウマによって引き起こされることで一番大きなことは、やはり対人恐怖ではないかと思います。

 人というのが、何を考えているのかわからず、裏で恐ろしい企みをして、自分を貶めるような感覚が襲ってきます。

 動じない人を見ると怖くなったり、

 幸せそうな人を見ても脅威を感じたりするようになります。

 精神的に強いや安定している人は皆、サイコパスのように感じられたりする。

 わけのわからないことを言う人は、何やらとてつもない策略をもっているように感じてしまう。

 

 その根本にあるのは、理不尽な家族との関わりです。

 

 自分の全てを見抜いた上で、自分にとって嫌なことをしてくるように感じる。意味深なことを言ってきて、自分を縛る。

 

 不気味な怖さを感じてしまいます。

 たしかに、モラルハラスメントを仕掛けてくる人が狡猾さをもっていることは事実です。なかなか侮れない。気のせいではない。

 

 しかし、それはローカルルールの世界においてのみ成立する、ということです。

 

 いじめなどもそうですが、いじめられている空間においては、狡猾さは完璧に見え、そこから自分は逃れられないような気がしてしまいます。加害者は全てを掌握し、支配し、自分のすべてを知りぬいた上でハラスメントを仕掛けてくる感覚があります。

 

 ただ、常識の光が照らされて、ローカルルールの魔法が解けるや嫌な、や児戯に等しい異常さや、拙さがそこにあるだけということが見えてきます。

 

 呪縛されている間は完全なものに見える、
 ローカルルールというのは、そうした性質があります。

 
 なぜかといえば、
 「ルール」という言葉が含まれるように、ルールというものを悪用しているところにその理由があります。

 

 かくれんぼでも、トランプでも、草野球でもそうですが、その遊びをしている間は、わたしたちはそこで決められたルールを絶対のものとしています。

 その世界で没頭しています。ルールは強制力を持ち、それに従って過ごします。

 

 もし、遊びの世界で”王様役”というものがあれば、本当に王様のように振る舞い、皆それに従います。

 さながら小宇宙のようであり、それがすべてのように感じられます。

 しかし、遊びが終わるやいなや、それは雲散霧消してしまい、もとの常識の世界へと戻っていきます。

 「ルール」には、かんたんに小宇宙を形成する力があるのです。
 
 

 たとえば、理不尽な親や上司がとてつもなく狡猾に見え、賢く見え、自分が弱々しく見えるのはなぜか、といえば、それはローカル”ルール”の世界にいるから。

 ルールから外れれば、小さな、年老いた親がそこにいるだけ、だったりする。

 相手を騙すような頭の良さもなければ、能力もない。
 

 

 考えてもみてください。

 もし本当に悪魔のような狡猾さがあるのであれば、政治家か、社長にでもなって、もっと世の中で大活躍しているはずです。
 実際はそんな知力も、能力も持ち合わせてはいない。

 

 強く、したたかに見える加害者(親や上司や、パートナーや、知人)は能力が高いわけではありません。

 強く見えるのはローカルルールの世界の中で、ルールの大本を握っているから、そう見えるだけです。 
 それは、ごっこ遊びの世界で王様役の人がいろんな事ができるように見えるのと同じ。本当は大した能力など無い。

 大切なのは、「恐れない」ということです。

 恐れる、というのはルールに同意する、協力する、ということ。

(参考)→「「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。

 

 単に「恐れるな」といえば道徳になってしまい、「そんなの無理」となりますが、上にも書きましたが、相手はそんな力はない、という事実を知ることです。

 

 人間というのは大した能力を持ち合わせている人は、100万人に1人くらいしかいません。

 私たちの周りにいる人で、そんな力のある人はいません。
 

 「いや、いますよ。うちの親(上司)がそうで・・いつも私を狡猾に支配してくるんです」というのは、ローカルルールというニセの小宇宙の中でだけの力だということです。

 

 「裸の王様」の話のように、同意する人がいなくなれば、王様は単なる裸の人になってしまうものです。

 そのことがわかるだけでも、ローカルルールはこわれていきます。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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わからず屋の刑事(デカ)のように生きる

 

 過去に理不尽な目にあった人は、なぜ相手が自分に対しておかしなことをしてきたのか?について答えを求めようとします。

なぜ相手があんな言葉をかけてきたのか?行動をとったのか?

相手があのような行動に及んだ心理は何なのか?

なぜ、自分なのか?

自分にも非があったのではないか?

 頭の中がぐるぐるします。

 

 クライアントさんの中には、その分析を何年も何年もずーっと行っている方もいらっしゃいます。

 

 カウンセリングでは、辛いことでも話をしたりすることで和らいだりすると考えられています。分析することも、悩みを解決する上で役に立ちそうな気がします。

 しかし、結論から言うと、残念ながら、理不尽な目にあったことをいくら分析しても、反芻しても良くなることはほぼありません。特に、加害者(ハラッサー)の心理を分析したりすることは、むしろ症状は悪くなります。

 

 

 理不尽なことの正体はなにかといえば、「私的な感情」です。そこにいろいろな理屈をつけてコーティングしてそれらしく見せているだけなのです。

 だからそこには中身はない。あるのはその人の闇(ネガティブな感情)だけです。

 そうしたものを「ローカルルール」と呼びます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 正体は「私的な感情」にすぎませんから、実は分析する価値はないのです。
闇を覗くようなかっこうになり、その闇を隠すための屁理屈に巻き込まれて、「自分が悪い」と思わされたりするようになります。

 例えば、最近問題になっているあおり運転について、被害者が「加害者がなぜ、あんなことをしてきたのか?」「なぜ、私だったのか?」と分析しても意味がないのと同じです。

 

 何も出てこないのです。ただ、相手が運転の際に刺激を受けると人格が変わる人だ、ということ以外に理由はありません。

 

 いじめでも、なぜいじめっ子がいじめてくるのか?ということを分析しても意味がないのと同じです。

 いじめの研究でわかっていることは、ターゲットに選ばれるのは「たまたま」であり、強いて理由をあげるとしたら、いじめっ子は家庭などで不全感を抱えている可能性が高い、ということだけです。つまりすべて加害者の都合で完結しているのです。

参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因
 

 

 しかし、そのことがわからずに、加害者の心理を分析しようとする人は、取り込まれてしまいます。そうした例は枚挙にいとまがありません。

 いじめっ子をかばい、いじめられっ子にも非があると考える教師
 オウム真理教事件の際に、加害者にも寄り添って理解してあげなければ、と考える知識人、ジャーナリストたち
 やまゆり園事件の犯人にも、やったことは悪いが動機は理解できると考える人たち

なども、巻き込まれた状態の典型です。

(参考)→「寄り添いすぎて目がくもる

 

 

 不全感を抱えた人、言い換えるとローカルルール人格にスイッチした人というのは、独特な惹きつける魅力があります。凶悪犯や、悪人は特にそうです。

 

 それは、本当の魅力ではありません。

 単にパーソナリティに失調をきたした人が醸す独特の匂いでしかなく、偽物の魅力でしかないのです。

 

 繰り返しになりますが、ローカルルールにはニセの魅力があります。

 ※とくに、「ローカルルール」という名の通り、ニセモノでも「ルール」を握っている側ですから、魅力(権威)をまとっていないとローカルルールを成立させることができません。

 いじめっ子も魅力があって、いじめられっ子はいじめっ子に認められたいと思っていたりすることがある。毒親でも、親から認められたいと思っていたりもする。それらはニセの魅力からくるものです。

 

 

だから、分析したり、なぜか?と考えるとそこに巻き込まれてしまうのです。
 

 ですから、わたしたちも、
 「なぜ、自分の親はあんなことをしてきたのか?」
 「なぜ、私の上司はああいう人なのか?」
 といったようなことは考えてはいけないのです。
  

 

 

では、どうすればいいのでしょうか? 

 

 ヒントは、「わからず屋の刑事」にあります。

 サスペンスやハードボイルドのドラマ、小説では、主人公やあるいは同僚や先輩として、わからず屋の刑事が登場します。

起きた事件には魅力的なストーリーがあって、犯罪者もなんらかの背景を背負っています。感情移入をしてしまいそうな気になります。

 

 しかし、わからず屋の刑事は、「オレにはよくわからねえ」と取り合うことはありません。

 その刑事には共感力がない?

 
 いいえ、それでいいのです。
 刑事コロンボも、名探偵コナンも、感情移入して感傷に浸ったり、巻き込まれたりはしません。

 

 

 そういえば、映画「デスノート」で、犯人である夜神月が、エルの計略にかかり正体を暴かれた際に、世の中がいかに汚れていて、犯罪者たちを抹殺することが正当であるかを語るシーンがあります。

 それによって、エルたちを巻き込んで起死回生を狙います。

 

 視聴者である我々も、その迫力に気圧されながらも、おもわず「もしかしたら、なるほど正しいかも?」と少し気持ちが傾きます。

 

 しかし、エルは「(夜神月は)単なる精神異常者」と一刀両断にします。

 

 それでいいのです。

 

 わたしたちも、加害者(ローカルルール人格にスイッチした人たち)に対しては、同様の捉え方、接し方が大切です。

 

 「母親はなぜあんなことをしたのか?」なんて考えない。分析しない。

   
 人間は、私的な環境ではローカルルール人格にスイッチすることがあり、ローカルルール人格とは異常な状態なのだ、という理解だけで終わりです。

 

 加害者とまではいかなくても、日常で人と接するときは相手を分析したり、共感したりしない。人は容易に解離してしまうからです。

 リスペクトをもって接し、あくまで常識の土台の上で応対する。それを逸脱する状況は相手にしない。

 

 相手から、頭に残る意味深なことを言われたとしても、わからず屋の刑事のように「戯言」として切って捨ててよいのです。

 

 

 じつは、「わからず屋の刑事」とは、愛着が安定した、常識に足場を置いた、本来の健康な状態に近いものなのです。
 反対に、相手に共感したり、常に自分にも悪いところがあるのでは?と考える状態は、愛着不安やトラウマによって引き起こされたものといえます。
 

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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