イライラ、怒りの背後にある「不安」

 職場や日常生活で人に対してイライラして困る、
 
 なんでこの人はこんなことをするんだろう? と怒りが湧く、

 そして、イライラや怒りを感じている自分にがっかりしたりする。
 

 こうしたお悩みは珍しくありません。

 

 他者に対するイライラや怒りの背景は、実は「不安」であることがあります。

 もともと根底に「不安」があって、人の言動が不安を強くする。

 例えば、仕事のあるプロジェクトでストレスが掛かっている。

 そのときに、「もしかしたら、うまくいかないかも」とメンバーが発言したことに対して、「なんで、悲観的なことを言うんだ!」みたいなことで怒る、イライラする。

 

 そのときになぜ怒るかといえば、もともと自分も「プロジェクトが上手く行かないかも?」という不安があるから。

 そして、「私をこれ以上不安にさせるな!」と怒っているのです。

 でも、不安から怒っているので、相手にはその怒りは伝わりません。
 

 たしかに、怒りの勢いで相手は“萎縮”はするのですが、「実は不安だから八つ当たりしているだけ」ということが伝わり、相手はそのことを無意識に感じて取っています。だから、態度は萎縮しますが、内心はそのメッセージに従えない、ということがおきます。
 だって、原因は自分の言動にはない、ということが相手はわかっていますから。

 

 私たちも人からいらいらや怒りを向けられたときに、態度を萎縮させますが、内心全く納得してないことがありますが、それも相手が不安から怒っているからです。

 

 本来は、「僕も不安なんだ」「不安だけど、頑張ろう!」といったほうが良いのです。そして、ありのままに現実を見ればいい。実際には現実のほうがずっと優しかったりするものです。

 

  
 トラウマを負っていると、根本の部分に安心安全がありません。だから、ベタッとした「不安」が根底にはあります。

 日常生活においても不安がある。
 
 物理的な現実に対する信頼がありません。

 そのため、自分の思考や他人の言動という「空想界」を、現実そのものとしてしまう。

 不安から目をそらすために、自分の思考や他人の言動を自分の思い通りに保とうとする。

 だから、自分が求める安定を壊すような、乱すような言動を他者がするとものすごくイライラしたり、腹をたてるのです。

 
「自分の思い通りに」「自分が求める」というと自分に主体性があるように感じますが、全くの逆です。

 他者の言動、あるいは、根底にある不安に主体性を持っていかれてしまい、自分は右往左往しているだけ。

 
 「なんで?自分の気持ちを察してくれないんだ?! こいつ空気読めないな~!」と相手にイライラしながら、自分の主権を奪われている。

(参考)→「「察してよ!」で、自分の主権、主体性が奪われる

 

 相手に意識が向くことで、自分の悩みの主因に目が向かなくなる。

 本当の主因は、「不安」であり、それをもたらした過去の逆境体験(ストレス)であるわけです。

 それどころか過去の逆境体験をもたらした家族などについては、その価値観を守ろうとしてしまったり、いびつな愛着を感じていたりする。

(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。

 自分のエネルギーを本当の原因にぶつけることはせず、目の前で自分を不安にする人に八つ当たりさせている。
 
 

 もっといえば、不安から、目の前の人を「巻き込もう」としている。
自他の区別が見えなくなり、相手とジトッとした関係になることで、不安を紛らわそうとしている。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 依存症とか、パーソナリティ障害の方と接すると、まとわりつくようなエネルギーを感じることがありますが、まさにあのような感じ。

(参考)→「依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと」 

    →「パーソナリティ障害の正しい理解と克服のための7つのポイント

 

 
 結局このような巻き込むようなジッとりした関わりは、その人の家族が行っていた関わり方だったりします。不安とともにその関わり方も、内面化して引き継いでいる。

(参考)→「内面化した親の価値観の影響
 

 人に対してイライラしたり、怒りを感じたときは、「自分の不安からでは?」と疑ってみて、チェックしてみるとものすごく良いです。

 ほぼすべてのシーンで、自分の不安が原因であることに気が付きます。
気がつくと、スーッと、イライラが消えていったりします。根底にある「不安」をこそ手当をしないといけない問題ということに目が向くようになるのです。

 

「不安」を健康な性質、水準に戻すことも、自我を確立するためには必須と言えます。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

相手の気持を考えることが良いことだと思わされ、「他者の植民地」になっている。

 

 最近、いろいろなクライアントさんを見ていて気がつくのは、相手の意識、心の中を覗き込むことが、「相手に気を使うこと」「共感すること」「相手の気持を考えること」で、それが良いコミュニケーションだと勘違いさせられていて、そのことが悩みを生んでいるというケースが非常に多いということです。
 (少なくないケースでそこが大きな要因の一つである、ということがあります。)

(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。」「共感してはいけない?!」 

 

 

 まるで自分の体から意識が抜け出すようにして、他人の心の中を覗きにいって、そこで相手のプライベートなドロドロとした感情を拾ってきてしまう。

 人間はプライベートな状態では、おかしくなってしまう。
 さまざまな他者の否定的な感情を取り込んでしまっていたりもします。

 

 

 相手の心のなかにあるものは決して「本音」ではありません。
 
 本音とは、あくまで社会化(パブリック)の洗礼を浴びたものだけです。

 本音と思っているのは、他者のネガティブな感情や意識でしかない。
(参考)→「まず相手の気持ちや立場を考える、というのは実はかなり変なこと
 
 
 それを勘違いして、「本音」を拾いに行ってしまう。

 すると、背負う必要もない負荷を自分の中に溜め込んでしまいますから、それが心や身体の症状となって現れてしまう。

 なかなか取れない悩み、生き辛さの原因になって、その負荷が腸に現れれば過敏性腸症候群、目に現れれば視線恐怖、といった具合になります。
  

 おそらく、発達の過程で誤学習をさせられてしまったためにそうしたことが生じています。

 

 

 私たち人間は「社会的な動物」であり、そもそもが「クラウド的な存在」です。スマホのように、外からのネットワーク供給でなりたっている。
(参考)→「私たちはクラウド的な存在であるため、呪縛もやってくる。」 

 ネットワークからの供給がうまくいかなくなる、あるいは、主権を奪うくらいに供給過多になると、ひきこもるしかなくなってしまいます。ひきこもりの方が死に至る事例が最近多数報告されていますが、それもそのはずなのです。

(参考)→「ひきこもり、不登校の本当の原因と脱出のために重要なポイント」 

 内面化した他者の意識は、私達を強く規制し、主権を奪います。

 

 本来は、「愛着」という名のOSによって、他者の意識を一旦否定して、自分のものに翻訳し直すプロセスが必須です。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて

 そのためには他者からの承認が必要ですし、自我の発揮を後押ししてもらわなければなりません。
 二度の反抗期に見られるように、内面化した他者の意識を否定することが、発達におけるとても大切な課題になります。

 

 

 その「否定と翻訳」ができずに、内面化した他者の意識が人格のように誤って機能しはじめると「ローカルルール人格(≒人格化された超自我)」というように本人を困らせるようになります。

(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?

 それが強く行き着くと多重人格というようなケースにも至ります。

 

 他人の意識に憑依する、というのは、無自覚にタコのように意識を他者に向けて、他者の意識を取り込んで内面化しつづけて、主権を奪われている、ということです。
 

 

 見た目は立派な大人でも、内面は「他者の植民地」という方はゴロゴロいて、そうした方々はカウンセリングを受けても効果を感じられず、あれ?ということでさまよい続けてしまうのです。

(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン」

 それもそのはず、自分と思っているものが「他者の植民地」なのですから、自分が自分であるかもよくわからないままでいては、なかなかままなりません。

(参考)→「積み上がらないのではなく、「自分」が経験していない。

 しかし、他者の意識の内面化しつづけていることが問題の原因なのだと気がつくと変わってきます。

 

  
 以前にも書いたことがありますが、相手の気持の中を覗き込もうとしては絶対にいけない。

(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。

 それは健康な状態でもなければ、良いコミュニケーションでもありません。

 意識が自分の体から出て、相手に入るこむようなことはことはやめて、ドライに感じるくらいに、自分の範囲を守る。

 すると、自他の区別がついてきますし、それをきっかけに人格の成熟も再び機能し始めます。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

おかしな“連立方程式”化

 

 人間は、問題を正しく認識できれば、解決することができる、と言われることがあります。

 それはたしかにそうで、あまり難しすぎる問題であれば問題としても認識されませんし、私たちは、正しく問題を捉えられれば解決の糸口はそこここにあるものです。

 
 岡目八目といいますが、他人から見たら「なんで、そんなに悩んでいるの?ぱっとやってしまえばいいじゃない」と思えることもしばしば。

 でも、本人の中ではう~ん・・・となっていたりする。 

 そのときには必ず、本来は簡単なはずの問題が本人の頭の中では、連立方程式になっていることがあります。

 それも、3つも4つも式が連立している。

 

現実では 6x+ 1 = 13 といった簡単な式のはずが、  

 悩んでる人の頭の中では、

  6x+ 1 = 13
 ————————————
  x+9y+z=1  (ローカルルールA)
  x+2(y+6z)=1 (ニセの責任)
  x÷3yz=5  (ローカルルールB)

 といったものになっている。

 そして、どうやったらいんだ~?と悩ませている。

 いやいや、ローカルルールとか他人の責任がくっついてじゃましているだけですよ、ということなのですが、本人は気づいていない。
 

 

「ローカルルールも含めて計算しないと正しい答えにならない」「現実の問題だけで解いたのでは自分勝手で冷たい、そっけない、罪悪感を感じる」という感じなのです。
 

 このように問題解決に進むことができていない、あるいは生きづらさを感じている、という場合、目の前の事象を連立方程式で捉えている、ということがあります。

 「自分は嫌なんだけどやらなければならない」「苦しみに耐えるのがあるべき姿だ」とか、というのも、まさにこの“連立方程式”になっている、ということ。

 

 健康な世界は、シンプルな1本の式のあつまりです。

 

 

 ハラスメントというのは、そこにローカルルールや他人の責任をくっつけて“連立方程式”にしまうことをいうのです。
 (社会学では、こういうことを「関係性の個人化」といいます。社会の構造的な問題である場合でも、個人の努力のせいだと言ったりする。こうした理屈もローカルルールといえます)

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 変な式がくっつくことを昔の人は、因縁とか呪いとか、カルマとかなんとかと表現したのかも知れません。 
  
 
 自分の悩んでいることには何がくっついているのかを見てみることです。

 劣等感、自己否定感、罪悪感、義務感、責任 など・・・・

 それらはすべて本当のことではない。ローカルルールであるということです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 「いや、現実に失敗してきた。事実こうだ」という場合は、それが「作られた現実」ではないか?ということをチェックしてみることです。

(参考)→「「事実」とは何か?その2

 

 

 まちがって、その“連立方程式”を解こうとしてしまうと、頭は終始ぐるぐるして、エネルギーを無駄に使い、解離してしまったり、依存に陥ってしまったり、はたまた妄想に走るしかなくなってしまう。

 

 “連立方程式”は解こうとしてはいけない。

 
 むかし、ベイトソンが、ダブルバインドといいましたが、まさに「ダブルバインド」は、解が出ない式がくっついてしまうこと。

 今では否定されましたが、一周回ってオープンダイアローグで大きく改善するようになったことを考えると、統合失調症なども、いってみれば連立方程式化で病状がなりたっているかもしれません。
(参考)→「統合失調症の症状や原因、治療のために大切なポイント」  

 

 依存症でも、治そうとするとドツボにはまるが、開き直って“底をつく”とよくなったりする。依存症も連立方程式化した結果といえるのかもしれません。

 連立方程式を一時的に外すためには、酔っ払って酩酊するしかない、というわけですから。
(参考)→「依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと」 

 

 ひきこもりも、“連立方程式”が積み重なってしまっていると考えられる。

(参考)→「ひきこもり、不登校の本当の原因と脱出のために重要なポイント

 

 人間の生きづらさや、苦しみとは、“連立方程式化”なんだ、と考えるとなかなか奥が深いものです。 

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 

 問題を連立方程式にしないことを、「免責」とか、キリスト教などで言えば、「祝福」ということになるのかもしれません。
 

 効果のある心理療法は、“連立方程式”状態を外すことが大きな目標であると言えます。

 外してしまえば、本来の式はシンプルですから、あとはご本人が勝手に解決していける、というようになります。

(参考)→「主体性や自由とは“無”責任から生まれる。

(参考)→「「免責」の“条件”

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

積み上がらないのではなく、「自分」が経験していない。

 

 トラウマを負っている人の特徴として、「経験が積み上がらない」といったことがあります。

(参考)→「あなたの仕事がうまくいかない原因は、トラウマのせいかも?

 

 仕事ではがむしゃらに頑張って、努力しているのに、いつまでたっても自信がなく、経験が積み上がっている感じがしない。

 頑張りが足りないのかな?とさらに努力をしてみるのですが、やはり、積み上がる感じがしない。

 どこか、「自分の人生がまだ始まっていない」感覚があるのです。

 
 その理由として、トラウマによって解離しているからとか、低血糖になっているから、とかいろいろと説明はあるのですが、最近感じるのは、経験が積み上がらないのは、「自分(私)がそこにいないから」というものです。

 前回、「自分のIDでログインしてないスマートフォン」ということを書きましたが、まさに、自分のIDでログインしていないので、記録(経験)がセーブされない。 

 自分(私)として、そこにいないので、そもそも経験していないのです。

 時間だけは過ぎているだけで。

物理的にはそこにいるので記憶はあるのですが、経験とはならない。

 

 

 トラウマを負っている人は努力家で仕事も頑張る人が多いのですが、

 あれほど、遅くまで仕事をしていたのに自分がない?!

 たしかに、人の目を気にして、自分が駄目な人間であるとばれないかオドオドして働いていたことを考えれば、自分はなかったのかも知れない?!

 仕事を振られても断ることができず、失礼な言葉に自尊心を持って跳ね返すこともできていなかったのも自分がないから?

 
 人格が未成熟なままに、ただ、外部の規範に沿って「できる会社員」「ムリと言わない社員」「どんなことでも実現しようと頑張る人」になろうとしていただけだった。

そこに自分はなかった。

 

 「相手の言葉を聞き取るのが苦手」といったことを訴える人もいますが、それも同様かもしれません。

 自分がそこにいないので、うまく人の話も聞き取ることができない。

 
 自分がない、というケースでは、あれだけ身近な人と会話して、議論したのに、ほとんど記憶に残っていない?!なんて事もあります。

 

 しかし、人間は、自分のIDでログインしなくても生命体としては生きていくことができるので、よもやそんな理由で、とは思いません。

 そのため「なんでだろう?おかしいな。もしかしたら発達障害なのかも?!」「自分は能力がないのかも?」と不安になってしまうのです。
  

 自分がそこにいないのは、いると危ない、理不尽な目にあう、否定される、責任を負わされる、とおもっているから、ということが言えますし、いちばんは人格が成熟していない、ということ。

 人格がちゃんとした発達過程をへていないため、ニセ成熟のようになっている。

(参考)→「ニセ成熟は「感情」が苦手

 

 

 そうした場合には、単に言葉を唱えるなどで症状からアプローチして問題を取ろうとしているのではおそらく追いつかない。

 そのアプローチの前提には、クライアントさんはすでに人格が完成していて、心身の何らかの不具合や環境の影響で悩みが生じているだけなんだ、ということがあるのだとおもいます。

 しかし、色々なケースを見ていると、そもそも人格が完成していなかった、自分(私)がいなかった。ということが考えられる。

 

 精神分析の世界でも、人格が未完成な状態で自我理想にならず、超自我※がそのままになっているのを「人格化された超自我」といいますが、このブログでも紹介している「ローカルルール人格」というのはまさにそうした状態。
※超自我とは、道徳とか規範のこと。

(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?

 

 

 泥棒が入る、あるいは雨漏りで困る、風邪も吹き込んでくる、おかしいな~?とおもっていたら、実は家が完成していなかった。

 塀がなかった。ドアが付いてなかった。勝手に人が上がりこんで住んでいたりした。

 実は、そうあるべきだと思っていた(心の壁なく人と一体になりたい、と理想を持っていたから)。

 ドアが付いていなければ、住みづらくても(生きづらくても)当然。 

 

 でも、実際は、しっかり塀を持って、ドアもつけて、鍵を締める。人と接するときは応接室で会話する。個人の私室には他人は上げない。

 これが人格が完成した人のスタイル。

 

 

 スマホのたとえでいえば、まだ自分のIDでセットアップが完了しておらず、家族の共有IDを使っている状態だった。

 やはり、悩みの解決には、人格の成熟、発達過程を経る、ということが不可欠であるようです。

 そのためには、あわせてローカルルールの呪縛も解く必要がありますし、トラウマの影響も除かないといけない。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 そうしてはじめて、自分(私)がそこにいることができるようになり、自分の経験が生まれてきます。

 

 

 

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