なぜ、なんの筋合いもない親とか友人の言葉を真に受けてしまうのでしょうか?なぜ、「言葉」偏重になってしまうのか?
(参考)→「「言葉」偏重」
全く資格も実績もないのにも関わらず。
ズガーンと言葉が入ってきてしまう。
ボクサーが脳やわき腹にパンチを食らったように、クラクラして、その日一日その影響でなにもできなくなるくらいに。
よく考えてみると、これが営業とか販売でこんな事が起きたら、こんな楽なことはありません。
営業マンや販売員の言葉が即、胸に突き刺さるのであれば、売る側はとても楽でしょう。
でも、実際は、買う側も良い意味で疑いの目で見て真偽の吟味していますから、かんたんには買ってくれません。
健康な状態とはこうしたもののはず。
タイミングが合って、ニーズも満たされて、納得も得られれば、契約成立、というのが本来のやり方です。
しかし、こうしたことを破るような間違った販売方法というのもあります。
それが押し売りとか、脅迫めいた売り込みであったり、あとは、閉じ込めて集団心理を悪用して買わせるといった方法。
まさに、機能不全の家族というのは押し売りのような空間と言えるかもしれません。
さらに、マインド・コントロールを使った方法というのもあります。
筆者も、大昔に「マインド・コントロール」という本を読んだことがあります。いわゆる自己啓発セミナーの内実が書かれたものです。
マインド・コントロールとはどのように行われるか、といえば、参加者にグループを作らせて、そこで、メンバーの欠点や悪い印象を互いに言い合いをさせます。すると、徐々に自我の土台が揺らいできます。
自分が何者なのか? 自信と思っていたものが崩れてくるのです。
そうしたあとに、「感謝」だとか、「利他の心」だとか、冷静に見れば陳腐なお題目を提示すると、不安になった参加者はそれにすがるようになります。
健康な状態であればチェックして弾かれるはずの言葉が、ガーンと脳に入ってきます。
最後に、自分の家族や知人が登場して拍手して、感動のフィナーレといったものです。
こうしたものは人間の心理を悪用した詐欺的な手口ですが。
かつての中国の洗脳もこうしたものに似ていますが、もっと緩やかで、その分強力なものだとされます。
(参考)→「「自分が気がついていないマイナス面を指摘され、受け止めなければならない」というのはローカルルールだった!」
共通するのは、常識とのつながりを絶ち、「自分はおかしい」と思わせることです。
「自分はおかしい」と思わせることで、それを覆すための手段をなんとか得ようとします。
そうしなければ、この世に存在することができないような根源的な不安を感じてしまいます。
覆すための手段が、新しい価値観の実践です。
新しい価値観を実践することで免責、免罪される、というなかで、ローカルルールを受け入れていくのです。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
親や友達の言葉を真に受けたりこだわるのも、同様であると考えられます。
原罪のように、「自分がおかしい」ということが根源にはあり、それを免罪するための方法として、身近な人の「言葉」があるように感じる。だから、わかっていてもスルーすることができない。
受け入れたくないけど、執着しちゃうのは、それをしないと「この世にいることができない(存在してはいけない)」と感じているから。
もう一つの側面は、愛着の問題。
愛着というのは、特定の人(多くの場合は母親)との絆ですが、
幼い頃のスキンシップなどで育まれるとされます。
親の様々な都合で、そうしたものが得られない、あるいは過干渉すぎる、といった場合に、「不安定型愛着」「愛着障害」といった状態になります。
愛着という安全基地がなく安心安全を感じることができないのです。
(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて」
この「安心安全」とは、身体的、物理的なものですが、精神的には「自分はおかしい」あるいは「この世に存在することができない」などと感じられる。
(「安心安全」がないだけなら、警備会社に頼むか、保険に入るか、ボディガードを雇えばいいですが、それではおさまらない。)
「自分はおかしい」とか、「この世にいることができない(存在してはいけない)」といったことは、もちろんニセの責任によるものです。
(参考)→「ニセの責任で主権が奪われる」
愛着という身体的な問題からも生まれるし、虐待、ハラスメントなどの社会的な要素からもやってくる。
このニセの責任の呪縛からなんとか逃れようと、免責されようとして、人の言葉に執着をしてしまう。自分にまつわる、全く根拠のないおかしなことでも真に受けて、信じてしまう。
人の言葉に救いの鍵、答があるように、免罪符のように感じられて、そこにヒントを求めてしまう。
でも、実際にそれは幻想ですから、言葉からハラスメントをさらに受けるような格好になってしまい、苦しみ続けてしまうことになります。
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