「どうせ言っても無駄だ」と言葉が重くなると、まわりまわって人の言葉がスルーできなくなる。

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 言葉偏重 ということには、いくつもの事が影響すると考えられます。

(参考)→「「言葉」偏重

 

 それは、ローカルルールというものが、現実ではなく私的な感情を覆い隠すために「言葉」でつくられているということ。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 なんら現実に足場がなく、言葉やイメージによって自分の価値が左右される理不尽な経験を通じて、言葉を信じるようになってしまう。

 例えば、「~~ちゃんは、意地の悪い子ね」なんていうのも、単なる言葉でしかありません。

 自分の物理的な実態は何ら問題がないし、揺るがないはずですが、
 言葉に振り回される経験をすると、現実や事実よりも「言葉」ということが重んじられ始め、言葉やイメージの世界(空想界)に巻き込まれるようになります。

 さながら、陰謀渦巻く伏魔殿のように。

(参考)→「「事実」とは何か? ~自分に起きた否定的な出来事や評価を検定する

 

 そして、それを後押しするのが、前回も取り上げましたように、「自分はおかしい」という根源への疑いです。

(参考)→「「言葉」への執着の根源
 
 それは、虐待やハラスメント、愛着によってもたらされます。
 
 生じた根源への疑い(ニセの責任)を免責するために、解消するために、言葉を求めようとするのです。

 人の言葉にその解決の鍵があると思ってしまう。

 イメージの世界に巻き込まれている、ということも相まって、さながら他人の言葉が事実であるように、救いであるように感じてしまう。

 しかし、救いにはならず、さらにガツンとやられて、苦しむようになってしまいます。
 

 

 こうしたことに加えて、「言葉偏重」を促進する要素としてもう一つあるのは、「言っても無駄」と言った感覚や、「言って誤解される恐れ」というものがあります。

 自分が誤解されたり、理不尽が生じたりした際に、「どうせ言っても無駄だ」「言ってもなんにもならない」と思い、口を閉ざしてしまう。

 あるいは、自分が発言したことでその内容を無視されたり、「~~さんてキツい」とか「~~さんて言い訳が多い」などと、自分が意図したこととは全く異なる受け止め方をされた経験が重なる。
 

 

 すると、もう二度と誤解されまい、と言葉が重くなってしまう。
人といるときも口数が少なくなったり、他の人がワイワイとおしゃべりに興じているときも参加できない。

 重くなるとどうなるかといえば、結果として言葉の価値が高くなってしまう。
 喉が詰まるような感覚が生じ、発言したくても発言できなくなる。

 とっさに言うべきときに言えなくなってしまう。

 (ペラペラしゃべているときは、人格がスイッチして、躁的になってしまっているだけだったりします。 本来の自分として気軽にしゃべることができていない。)
 

 トラウマケアをしていて、のどに反応が出るケースが多いのは、こうした事も影響していると考えられます。

 親から、「~~は、減らず口ね」「生意気ね」なんていわれて、親に反抗しないように、仕向けされてきた、ということもあるかもしれません。
 映画「千と千尋の神隠し」で、魔女に主人公が口にチャックをされるシーンがありましたが、まさにあのような感じ。
  

 言葉を奪われている。
 独裁国家のように、まさに言論を奪われる。
 

 自分の主権を奪われたような状態。主権がなくなると、言葉は重~くなる。

 

 本人は、それを、自分は言葉を大切にしているからだ、なんて思っているケースもありますが、それは本当の信念ではありません。
 言葉を大切にしているのではなく、ローカルルール(他人の嫌な言葉)を守らされているだけ、主権を奪われているだけです。

 

 

 昔、筆者が、大きな会社に勤めていたときに、社内風土改革の取り組みがありました。その際にアンケートに答える機会があり、同僚が「大切なのはおかしいことに対して声を上げることだ」と書いているのを見て(聞いて)、「そんなこと意味あるかなあ?」なんて懐疑的に思っていたことがありますが、まさにそれは、この「言葉の重い状態」に染まっていたから。

 

 政治的な動きしかしない上層部とか、パワハラとかを目の当たりにしていたので、「言っても変わるわけない」という気持ちになっていたことで、言葉が重くなっていた。でも、それが回り回って、言葉の価値を高くして、自分が苦しむことになっていたのです。

 

 自分は絶望して言葉を放棄して(奪われて)、そうではない人は気ままに言葉を使って好き放題に言っていたりする。言葉が重くなると並行して、言葉の価値が重くなり、その言葉にやられて自分が悩み苦しむ、というおかしな構図。

 絶望するというのは、単になにかの価値観を放棄して“無”価値になるのではなく、ローカルルールの世界観に染まること、入会するということ。言葉が重くなるというのも、同様に、ローカルルールの世界に入会しているということ。

 そして、入会に際して、自分の主権はローカルルールの主に預けることになります。“言葉の重さ”の背景にはこうした事がある。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 言葉を重く捉えたり、大切にしてはいけません。言葉の価値がどんどん重くなって、他人の言葉にやられてしまいます。

 
 言葉とは軽く、戯れに使うものです。
 大切なのは現実。言葉の価値はとことん低くあるべきものです。

(参考)→「人の話は戯れ言として聞き流さないと、人とは仲良く社交できない。

 

 価値があるのは、言葉を扱う人の側にあるのです。言葉には価値がなく単なる道具であり、無価値なものです。

 
 できるかぎり、戯れに、さっと発せられるものであって、そのためには、言葉の自由、主権を取り戻さないといけません。

(参考)→「人の言葉は戯言だからこそ、世界に対する主権・主導権が自分に戻る

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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