愛着障害やパーソナリティ障害などの類型、悩みの事象に「回避」というものがあります。
簡単に言えば、自信がなく、責任に尻込みしてしまう、というものです。
回避というのは愛着障害、パーソナリティ障害に限らず、トラウマを負うと必ずと行ってよいほど見られます。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
一見強気で、エネルギッシュに見える方でも、内心は責任というものに過大な重圧を感じていたりするものです。
責任に尻込みしてしまうというと、無責任であるとか、責任逃れでずるいような印象がありますが、本人の内的なメカニズムは全くそうではありません。
むしろ、責任をたくさん背負いすぎていて、もういっぱいいっぱいの状態に、“さらに”責任が来るために、「もう無理!」となって、回避したくなる。
尻込みをしてしまう、という状態になっているのです。
しかもなぜか、自分はだめだ、という感覚を持たされているのでなおさらのことです。
実は、これは、ローカルルールの影響を真に受けてしまってきたことによるものです。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
ローカルルールの特徴は、個人の私的な不全感におかしな理屈でコーティングしたものです。
それ自体には全く正当性がありませんから、成立させるためには、他者に因縁をつけるしかありません。
一番簡単なのは、目の前の人に対して「Your NOT OK」といい、相手を否定することです。
(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。」
親が不全感を抱えている場合、子どもの頃から、親からのローカルルールを浴びせられ続けることになります。
いつも、(この不全感は)「お前がおかしいからだ」「お前が原因だ」とニセの責任を押し付けられます。
真面目な子どもは、その責任をすべて自分で背負って解決しようとします。
しかし、ローカルルールは、それ自体が成立するためには常に「You’r NOT OK」の因縁をつける必要があります。
そのため、解決しようとして頑張ると、ゴールポストは動かされ、「はい、失敗!」「はい、お前はいつもダメ」とされしまいます。
そうして、ニセの責任は積み上がり続け、自信は奪われる、ということになるのです。
※さらに、前回の記事で、親や家族の問題は見えない、といいましたが、それもニセの責任の影響があります。
親がおかしいのは親自身の問題、責任ですが、その責任を背負わされて共犯関係に巻き込まれてしまっているために、問題が見えなくなるのです。さながら、会社の問題を隠す真面目な役人や会社員のように。
自分の責任ではないものを引き受けさせられると人間は無意識に問題が見えなくなるようです。そして、自分の主体性、自分の頭で考えて行動するということが奪われてしまうのです。
このように「回避」とは責任から逃れたくて無責任なのではなく、責任を背負いすぎて「過責任」状態であるということです。
(参考)→「ニセの責任~トラウマとは、過責任(責任過多)な状態にあるということ」
ニセの責任を背負わされると、常にその責任を主語に考えさせられ、「私」、主権が奪われてしまいます。
いつしか、自分の感情や考えもあるようでなくなり、自他の区別も失わされてしまいます。
(参考)→「ニセの責任~トラウマとは、過責任(責任過多)な状態にあるということ」
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