「事実」とは何か?その2

 

 新型コロナウイルスで、全国に緊急事態宣言が出されました。

 感染者も増えて、病院でも対応が追いつかなくなる恐れが出てきているそうです。

 

 そのために、既存薬で新型コロナウイルスに効く可能性のあるものが注目されています。

 候補として挙げられているのが抗ウイルス薬「レムデシビル」や「アビガン」といったものです。

 中国や欧州では、実際に投与されて効果が出ているようです。

 ただ、一般的に用いることができるかは、現在治験中で、その結果が待たれます。

 

 一般人の感覚からすると、「実際に投与して効いているんだから、どんどん使っていけばいいんじゃないの」と思ってしまいますが、本当に効いているのかどうか、副作用は大丈夫なのか、を確かめないといけないそうです。

 

 特に、新型コロナウイルスは8割が自然に治るものなので、投与後の変化が薬の効果によるものなのか、自然に治ったものかを区別する必要があったり、プラセボ効果といって、暗示のような効果で実際の薬効がなくても効果が出てしまうことが知られていますので、それも排除しないといけないようです。

 

 現在臨床試験が行われていますが、数が少ないと本当に効果がないのに効果があるような結果が出る恐れもあります。
 さらには、ランダム化したり、性別、年代別のデータ、などが必要になったり、と、「本当に効く」という“事実”を取り出すためには、結構な時間がかかるそうです。

 

 「レムデシビル」のアメリカの臨床試験では、6000人が目標とのことですから、かなりの数です。

 薬が本当に効くかどうかという“事実”を確定させるためにもこれだけの事が必要になります。

 このように基準に達していないものは“事実”とはみなすことができないということです。
 

 

 

 そんな事を考えたときに、わたしたちが日常で特に自分について“事実”と考えていることがいかに怪しいものか、がわかります。

 特に、1つ、2つの「他人の発言」ということを真に受けて、「自分はダメだ」ということが“事実”だと捉えてしまう。

 

 治験などの科学的な立場からすれば、他人の発言や評価などは信ぴょう性ゼロ、といってもいい。
 人間はローカルルールといったものでも動いています。
 さらに、サンプルは、たった数件・・

 即却下、してよいものです。

 

 また、過去の自分が失敗したこと、うまく行かなかったという“事実”についても同様です。あまりにもサンプル数が少なく、しかも環境からのバイアスがかなり掛かっているものです。
 

 

 

 それなのに、そうした信憑性が低い、さらにサンプル数が少ないデータを、“事実”として受け止めることが、「独りよがりにならないための客観的な態度」だと思わされてしまっている。
 「過剰な客観性」ならぬ、ニセの客観性と言っても良いかもしれません。

(参考)「過剰な客観性」

 

 人生での失敗や、親や友達、上司から言われた気になることなどは、臨床試験ではすべて却下されてしまうようなレベルのものです。

 

 現代の心理療法は、社会構成主義と言って、わたしたちにとっての現実は、社会的に構成されたものだ、とされますが、確かにかなりの“事実”が意識の中で構成されていて、信頼性が低いものです。

 

 信頼性が低く、安定性がないからこそひっくり返すこともできる。
 ローカルルールといったこともそうですが、ニセモノだからこそ強固に見えて実は脆い。
 ここに長く苦しめられている悩みを解消するポイントがある。

 

 

 仏教などで執着を離れてありのままを見れば悩みはなくなる、といわれるのは、決して、現実が嫌なものでそれを見ろという、サディステクックな教えではありません。
 私たちは、サンプル数も少なく、信憑性もないニセの“事実”に取り巻かれていてそれに苦しめられている事に気づきなさいよ、ということ(ナラティブ・セラピーでは、ドミナントストーリーといいます)。

 ありのままの現実を見ることは、科学者が物を見るみたいに見る、ということに近いかもしれない。

 

 
 失敗してもなんとも思わない(実験結果に良い-悪いはない)、とか、サンプル数が少ないもの、環境の影響があるものは信憑性がないから却下する、という、当たり前のことを旨とする。
 (トラウマを負っていると、これが自分勝手な態度と感じて、してはいけない気がするのですから不思議なものです。)

 

 

 以前の記事でも書きましたが、人からの失礼な発言に「ふん!」といって耳を貸さない態度というのは、独りよがりに見えて、実は科学的な態度と一周回って親和性があったりするのです。

(参考)→「「事実」とは何か? ~自分に起きた否定的な出来事や評価を検定する

 

  
 反対に、「自分の失敗や他人の意見を素直に受け止めなければ」というのは、似非科学にも似た態度といえます。本当の「事実」に到達できていない。
 だから、反省をしても、自責感がまして萎縮こそすれ今後の向上につながることはなにも得られないのです。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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