本当の自分は、「公的人格」の中にある

 

 「自分探し」といったことをよく耳にするようになって、かなり経つでしょうか。

 それに対して「探したって、理想の自分なんてないよ」といった揶揄や、お説教もよく聞きます。

 

 確かにそれはその通りで、自分というのは、どこか彼方にはなく、日常の「関係」の中にしかないものです。

 

 

 ただ、「自分探し」をしなければならないほど、生きづらいし、生き苦しい社会であることは変わりません。

 揶揄されても「自分探し」はやめられない。

 直感が、今の自分が本当ではない、ということを告げてくれるからです。

 

 

 では、どこにあるのだろうか?本当の自分とは。
 

 

 例えば、
 セラピーなどを用いて、自分の内面を探ってみる方法はどうでしょうか。

 インナーチャイルド、トランスフォーメーション、前世療法などなど、様々なワークがありますから、探ってみること自体は可能です。

 

 それぞれは有効なものだと思います。

 

 例えば、自分の「女性性の部分に気が付けた」「意外な部分に気づけた」とかそういうことは起こりますけども 
主催者側の宣伝は別にして、それだけで「本当の自分がわかった」という人に残念ながら出会ったことはありません。

 

 仏教の悟りにしても、仏陀を除いて、悟りを得られた人は本当に一握りで、凡人には難しい。 

 

 自分の内面を探る、というのは「私的な領域」を掘り下げる作業ですが、そうしたものからは結局本当の自分は得られないのではないか?

 

 もちろん、一瞬、「悟ったような気になる」ことはしばしばありますが、それを維持することは難しいですし、悟ったということを表現しようとすると俗世の垢にまみれる必要があって、そこでまた元に戻ってしまう。
 

 

 
 筆者も経験がありますが、世間との関係は脇に置いて、自分の内面を掘り下げて磨けばよい、改善すれば生きづらさはなくなるのではないかと取り組んでみます。

 途中までうまくいくような気がするのですが、結局頭打ちになってしまう。

 

 そして、 結局、気がつくのは、哲学や脳科学といった知見などもしめすように、人間はクラウド型であり、「社会」や「関係」を離れて自分を知るということはできない、ということ。

 

 スタンドアロン(自分だけで)で変わるのは難しい。

 

 スマホでいえば、本来の中身(コンテンツ)は、端末の外にあるということ。

 クラウドの世界で生きるというのは、公的なネットワークの中で生きるということ。

 

 私的な情動のままでは通信をすることはできないので、
公的に決められたプロトコルに沿った形でデータは整えられ表現される。
 
 それが人間であるということ。

 

 実際、古代ギリシャでは、公的な領域こそが市民の本来の姿であり、私的な領域というのは、未熟で野蛮なものとされたそうです。

 

 
 現代の私たちの多くが誤解しているのは、「私的な領域こそが本来で、公的な領域は取り繕った偽りである」という考え。
  
 
 これは全くの逆であることが見えてきます。

 

 以前の記事にも書きましたが、
 実際に、あるクライアントさんが、活動量計(スマートウォッチ)をつけて生活していたところ、一人で家にいるときが一番緊張していて、外でたくさんの人と接しているほうが緊張は少なくリラックスしていた、ということです。※最近は、歩数計といったことだけではなく、睡眠の状況から血圧まで簡単に測ることができます。

(参考)→「他人といると意識は気をつかっていても、実はリラックスしている

 もちろん、その方は人とのかかわりが得意、というわけではなく、むしろストレスになることのほうが多いと感じていました。でも、実際に計測してみると逆であることが明らかになりました。

 

 家で一人でいるというのは、まさに「私的な領域」であるわけですが、余計に緊張が増して、自分らしくいれなくなる。「一人で家にいて、好きなことをしている」から、自分らしい、という風に思いこまされているだけで、実際はそうではない。

 

 

 本ブログでも何度も言及していますが、統合失調症の方も、治療のために部屋にずっといて、薬さえ飲んでいたら良いかといたら全く逆であって、ドアに鍵をかけず、仕事(役割)を与えて過ごしていると、メキメキ改善していくことが知られています。

(参考)→「統合失調症の症状や原因、治療のために大切なポイント

 実は社会の中で「位置と役割」がないために幻覚(症状)が必要になるのではないか、とも言われています。

 「公的な環境」が維持できなくなって、「私的な領域」に陥ってしまうと、やはりおかしくなってしまう。幻覚、幻聴を用いてまで「公的な環境」を作り出してしまう。
 

 

 
 こうしたことからわかることは、

 

 私たち、人間にとっては「公的な領域」こそが本来の自分がいる居場所ではないか、ということです。

 

 私的な環境にいるとどうなるか?といえば、偏った家族の価値観(ローカルネットワーク)とつながってしまう。

 
 そこでは、多様性がなさすぎて、私的情動を昇華するにはリソースがまったく足りない。極端に言えば、特定の誰かに依存(支配)されることを余儀なくされてしまう。

 

 私たちは、生まれてきて、まずは“機能している”親の助けを借りて、自分の中にある「私的な領域」を「公的な環境」で表現することを学びます。学校での教育や友人関係も(正しく機能してくれれば)その助けとなります。
 

 

 最も大きなポイントは「就職」です。

 

 仕事を通じて「位置と役割」を得てはじめて人間は「公的な環境」に安定して身を置くことができるようになる。

 働いた報酬としてお金を得ることができますが、お金の力があることで、他者からの支配から自由になることができる(経済的に他者に依存していて自由を得ることは難しい)。お金というのは価値を数字で置き換えたものですから。

(参考)→「「仕事」や「会社」の本来の意味とは?~機能する仕事や会社は「支配」の防波堤となる。

 

 昨今は社会情勢のせいで仕事に就きたくても就けない人が増えています。
 これは、精神的な健康の観点からも大問題です。
 (仕事ができないのは基本的にその方のせいではありません。社会の責任です。)

 

 「恒産なくして、恒心なし」といいますが、一人部屋にいて仕事をしない状態のままでは、世界一の医師やカウンセラーであっても、その方を「自分らしく」生きていただくようにすることは難しい。

 

 上に書きました統合失調症の例もそうですが、やはり、徐々にでも仕事をして、社会に出て何らかの活動をしていくようにしていかないと本当の回復はできない。
 (※家にいて家事をするのは立派な社会的な仕事です。また、家庭は一時的な避難場所でもあります)

 

 

 「生きづらさ」の背景にあるものは、「関係の個人化(私事化)」であるといわれます。社会に原因がある問題が、すべて個人に還元されてしまうことを指します。

 例えば「引きこもり」でも、そこには家族の問題がある、経済の問題があるわけですが、すべて、個人の性格の問題、やる気の問題、精神の問題とされてしまってはたまりません。

 つまり、生きづらさを「私的な人格」の問題とし、そこで解決しようとすることはさらなる生きづらさを生むということです。

 自己啓発も最初は癒される気がしても、まわりまわって最後は「問題を解決できないのは、あなたのせいだ」と突き付けてくるわけですから。

  

 人間はクラウド的存在です。クラウドから切り離されると機能しなくなる。
 ローカルネットワークの呪縛から解き放ち、「ワールドワイドウェブ」につながらないと機能回復は果たせない。

 

 緩やかな「関係」を構築して、社会に位置と役割を得て「公的な環境」を築いていく。そこで世の中の常識や社会通念をバックボーンにして生きていく。すると、多元性や安心安全を感じるようになります。
 自分にかかる苦しみも、まわりまわって社会に還元されていきます。

 

 そうしてはぐくまれる「公的な人格」こそがローカルな呪縛を離れた本来の自分であることが見えてきます。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「仕事」や「会社」の本来の意味とは?~機能する仕事や会社は「支配」の防波堤となる。

 

 近年、ブラック企業や組織内のパワハラ、モラハラなどがニュースでも取りざたされることが多くなってきています。人が持つハラスメント、といった負の傾向に焦点が当たるようになってきたことは、健全な傾向かもしれません。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 筆者も会社員の経験がありますが、モラハラ、パワハラが横行していた職場をいくつか経験しています。そんな経験をしていると、会社や仕事って嫌で、億劫なものだと、思えてきます。

 引きこもりなどで、働くことができていない方などはいらっしゃいますが、そうした方たちにとっても、社会や特に会社というのは「恐怖の対象」でしかないようです。

(参考)→「ひきこもり、不登校の本当の原因と脱出のために重要なポイント

 

 

 その恐怖の場所に、家族などから、無理矢理、「働きに行け」とけしかけられることはとても恐ろしいことです。
養育環境に問題があった場合は、「家庭という地獄」から、「社会(会社)という別の地獄」へと、理解のない家族に追い立てられるというとても理不尽な図に見えます。

 

 「働く」という言葉自体に拒否反応があって、例えば、医師やカウンセラーから「働きに行くにあたって、どんなことが妨げとのなっていますか?」とニュートラルな質問されただけで、「この治療者は暗に仕事に追いやろうとしているのではないか?!」「何もわかっていない」とラポールが途切れてしまうこともあるくらいです。
 

 

 そういうネガティブなイメージもありますが、一方で、「仕事」は、悩みからの回復では要になるものです。統合失調症でもそうですが、「仕事」や「役割」があると、症状が軽快することが知られています。

(参考)→「統合失調症の症状や原因、治療のために大切なポイント

 反対に、ずっと部屋にこもっている、家にこもっている状態ではなかなかよくなりません。
 やはり、人間はクラウド的であり、社会的な動物であるために、他者からの期待、そして社会の中での位置づけがなければ十分には生きていけないのです。

 

 

 

 ただ、多くの人にとって、「会社」や「仕事」っていうのは鬼門であり、厄介なもの。そうすると、そもそも「会社」や「仕事」とは何か? について捉えなおす必要があるようです。
 

 

 

 あまり知られていませんが、実は、現代の「会社」というのは、それを機能させることで「自由を守るための場所」「反支配の砦」として構想されました。
 

ピーター・ドラッカーという経営学の祖とされる人がいます。十年ほど前に「もしドラ」という本が流行りましたが、日本でも著名で、経営者の中にもファンが多いです。

 
 ドラッカーは、1909年にオーストリア、ウィーンで生まれました。大学教授の父を持ち、子どものころからフロイトやシュンペーター著名な知識人たちとも面識があったそうです。ナチスが政権を取った後、イギリス、アメリカへと移住し、「マネジメント」など現代の古典ともいうべき著作を発表していきました。

 

 ドラッカーが仕事を始めたころは、商業社会から産業社会(大規模な工業や企業が主役となる)への転換点であり、その混乱の中でナチス、共産主義など全体主義が台頭しはじめた時代でもありました。

 そうした時代で、来るべき産業社会の中で自由を守るために必要なものとしたのが「マネジメント(とそれによって適切に運営される会社)」だったわけです。

 なかなか難解で、実際にその著書を読んだ人は少ないとも言われる本ですが、そこに書かれていることは、極端に言えば「人が人を支配しあわないような組織の作り方のメソッド」でした。

 ※支配というのは、経営者から従業員、だけではなく、従業員同士、従業員から経営者への支配も含みます。
  

 

 そのためにドラッカーの本には、経営者の心得、組織作り、マーケティング、給与の設定の仕方などまで細かく書かれています。時代を先取りしたような、時代を超えた本質を示しているため、今でも高く評価されています。

 特に戦後の日本企業は、ドラッカーの経営論の申し子ともいうべき存在でした。

 
 ブラック企業などが取りざたされる一方で、働きがいのある会社としてしられたり、生き生き働いている人たちがいるのも事実です。

 

 家族に置き換えればわかりますが、機能している家族は、安全基地としてメンバーにとってはなくてはならないもの。反対に、機能不全家族というのは、ストレスに満ちた環境になる。ちょっとした運営の仕方の違いで、機能するかしないかは大きく分かれる。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 「会社」も、ドラッカーが考えたように「反支配」という視点で適切に運営されれば、実は私たちが受ける社会や家からの圧力やハラスメントの砦となってくれる場所でもあるのです。

 近代化するプロセスでの会社というのは家父長的な「家」の呪縛から逃れる場所でもありました。
 個人が一人ではできない力をふるうことができる。事業によっては何千万、場合によっては何億、何十億という単位のプロジェクトにかかわれるのは、会社という組織があるためです。

 

 「仕事」「用事」もそれがあることで、人同士をつなげる媒介となったり、私たちを守ってくれるものです。   

(参考)→「100%理解してくれる人はどこにもいない~人間同士の“理解”には条件が必要

 

 

 会社に属するメンバーにとって、機能する会社の第一のポイントは何かといえば、「位置と役割」を提供してくれるかどうか?にあります。会社の中にいれば、自動的に働き甲斐があるというわけではありません。

 そのなかで自分にふさわしい「位置と役割」が与えられていなければ、潜在的に失業しているのと、何も変わりません。

 

 高度成長期の会社は、いろいろと問題はありながらも、メンバーがやりがいを持ってモーレツに働けたのは、日本全体が成長期で、働けば働くほど会社も結果が出たからです。そして、成長がもたらす豊さが「位置と役割」を自然と与えてくれました。

 「売り上げはすべてを癒す」という言葉がありますが、社内で細かな問題はあっても、好業績で結果が出ているうちは皆幸せなのです。

 

 反対に、精緻にマネジメントしているような会社でも、業績が悪い会社はメンバーのやる気も下がるし、雰囲気はギスギスするし、ブラック企業として問題になるような問題も起きやすい。
 特に、社会全体の成長率が下がっているときに、売り上げ至上主義で厳しく社員にあたるような会社は最悪で、結果は出にくいのに、メンバーには厳しいものだから、
社員に自殺者が出たりといったような問題を引き起こしてしまいます。
 

 

 実は、自分にとって良い会社を選ぶときには、相性云々も大事ですが、会社や属する業界自体が業績が良いかどうかは大切なポイントです。業績が良いというのは、その会社が社会から必要とされている(位置と役割がある)ということであり、当然そのメンバーもそのように評価されているということだからです。
 反対に業績が悪い常態が続くと、「不要」として社会から退場(倒産)させられてしまいます。
 

 

 さらに、可能であればなんらかの「技術」を身に着けられるようになると、業績などの変動に対して、自分の位置と役割をまもりやすくなります。

「技術」や手に仕事があるということは、仕事の主体性を自分中心にすることができるということ。

 実際、筆者の経験でも、会社内で社内で自分の位置を守るためには、業績の良い部署にいるか? あるいは自分だけの経験、技術が必要でした(エキスパート職)。
それがないと、年とともに厳しくなっていき、「位置と役割」を奪われて、生殺与奪を他人にゆだねてしまうことになるのです。
 

 

 社会学者なども指摘していますが、
 「生きづらさ」の問題というのは、本来は社会、経済的な問題でした。
 現在は、個人の心の問題とされてしまう(私事化、個人化)。でも、それは間違いで、やはり構造の問題であることに変わりはありません。

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 

「生きづらい」と感じているならば、それはまず第一に、「経済・社会問題」であり、次に「人間関係」であり、最後の最後が自分の問題ということが常識です。

 

 今、状況から抜け出せないのは、当人の問題というよりは、社会構造の問題であったり、その中でうまく社会の階段を上ることをアシストできなかった家族の機能不全問題であります。

 社会は低成長、ゼロ成長の時代ですから、成長の果実を得て、自分たちの「位置と役割」を実感しにくい。
 IT化やグローバル化で、かつてはあったような単純な仕事は日本にはなくなりつつある。
 会計士や税理士のような資格が必要な仕事でも、IT化されたり価格競争などでかつてのような仕事はなく、仕事にあぶれてしまう。
 さらにAI化の波が来ているため、将来安泰な仕事はどこにもない。

 

 現代は、私たちが人間らしく生きるために必要なもの、人づきあいの要件でもある「用事」「仕事」が徐々に失われていく社会です。かなり難しい時代の中で揉まれて生きているのが私たちです。

 
 そんな私たちが感じる不安や恐れを、「個々人の意識、心の問題だ」なんていう人がいたら、どうかしています。

 先に取り上げたドラッカーは、
 「位置と役割を持たない者にとって、社会は不合理に満ち、計算できず、かつとらえどころのない存在である。位置と役割を持たなければ社会からつまはじきにされる。根無し草の目に社会は見えない。彼らにとって社会は半分しか見えない。半分しか意味がなく、半分は暗闇という予測不能な魔物の世界にすぎない。自らの意思ではその生活の糧さえどうすることもできない。何がどうなっているかを理解することもできない。」

 

 「魔物の世界」とは、まさに、引きこもりで苦しんでいる人が感じる、社会への恐怖の感覚をそのまま言い当てているようです。

 仕事や会社とは、「位置と役割」がなければ、計算できない、不合理で、おそろしい魔物として立ちはだかりますし、「位置と役割」があると、「支配」の防波堤ともなります。

 私たちは、自分の尊厳、自由を守るためには、何とかして自分の「仕事(位置)」を獲得する必要があります。

 機能している「職場」や「仕事」というのは、「家」や「養育環境」からの悪影響から自由になれる場所になりえるのだ、ということを知ることはとても大切です。

 

 もちろんトラウマ(ストレス障害)などの影響で、社会恐怖が先行している場合もありますが、実は、「位置と役割」がないことが、生きづらさの原因の一つとなっている。「卵が先か鶏が先か」というようにねじれ合っている。そのため、「生きづらさ」から逃れるためには、家にずっといても解決は訪れず、社会の中で「位置と役割」をなんとか獲得していく必要があります。

 

 成人した後の家(実家)とはあくまで緊急避難先で、長期の滞在には適さないのです。家族の呪縛にとらわれたり、仕事に就けない期間が長くなることで条件は悪化し続けていき、身動きが取れなくなるためです。
 中国古典でも「恒産なくして恒心なし」といいますが、本当の“安全基地”である「自分の家」は、自ら経済的に自立して築く必要があります。

 

 上にも書きましたように大変な時代なので、なかなか長期に安定した仕事を得ることはだれにとっても難しい。
 それでも、就職支援、就労支援、カウンセリングなどもうまく活用して、働くためのスキルを身に着け、したたかに経験を積み重ねていく。
実際に、それまでうまく働けなかった方が、就労支援を経て、生き生きと活躍しているという例はたくさんあります。

 

 また、仕事を得たことで、それまでの悩みが緩和していった、というクライアントさんがいます。
 (以前にも書きましたが、人とのかかわりの中にいるほうが実は悩みは軽くなる)

(参考)→「他人といると意識は気をつかっていても、実はリラックスしている

 

 もちろん、職場はうまく選んでいく必要はありますし、右から左へと容易なものではありませんが、生きづらさの解決のためには、避けて通れないものです。

 医師やカウンセラー、そして公的サービスと連携していくことで、徐々に「位置と役割」を得て、悩み、支配から自由になる階段を上っていくことができます。
言葉を変えれば、一人で悩んでいた状態から、大変な時代に生きる私たちと共に悩めるようになっていきます。

 

 

 

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ファインプレーを目指そうとする

 

 トラウマを負った人の特徴として、対人関係や仕事においてファインプレーを目指そうとする、ということがあります。

 

 その大きな原因は、養育環境が親の気分に左右される理不尽な環境だったから。

 大人でも他人の理不尽さに合わせるのは大変です。完全に合わせようとするとノイローゼになります。実現するのは無理なことです。

 子どもは、他に比較するものがありませんから親が理不尽なのは自分のせいだと思い、なんとか合わせようとします。

 すると、平均点の対応ではなく、相手に完全にフィットさせるファインプレーでなくてはなりません。

 親の機嫌という不安定なものの間に、針の穴を通すような対応をしようとします。相手の機嫌を伺い、心の隙間を縫うような応対をしようとします。それがうまくいくときもありますから、次からもファインプレーを目指そうとします。

 

 たとえば、親が機嫌が悪い時に、何か喜ばせるようなことを言って、たまたま親が喜んだ、顔がほころんだ、といったようなことです。

 

 反対にうまくいかないときは、自分をすごく責めます。

 「自分はうかつな人間だ」「なんでもっと先回りして気が付かなかったんだ」と

 

 そのうち「過剰適応」になってきます。

 

 大人になると、いろいろなことに気が付きますが、気が付きすぎてヘトヘトになります。

 

 仕事においても、ファインプレーを目指そうとします。
最初のうちは良いのです。「〇〇さんはやる気があるね~」なんて、評価されます。

 でも、だんだん空回りしてきて、評価が下がってきます。

 なぜかというと、平均点の対応を安定してし続けることが苦手だからです。平均点だと不安になってくる。ちょっとしたミスでも自分を責めるために、自己肯定感が低い。
 ファインプレーを見せないと捨てられる、見捨てられる不安もある。
 
 そのため、仕事や対人関係がうまく行かなくなってくる。

 「いつも最初はいいけど、徐々に評価が下がるんです」という裏にはこうした事があることが考えられます。

 

 

 関係のプロトコルのズレも影響し始めます。

(参考)→「「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである

    →「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

    →「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 そのうち、周囲も悪く影響されて、こちらを責めるようになってくる。そして、居づらくなって、退職に追い込まれる。

 

 仕事においては、ファインプレーは必要なく、常に平均的、安定したことを繰り返し続けることが大切とされます。ただ、トラウマを負っていると安心安全という感覚が弱いため、また、ファインプレーを必要とする”戦場”にいたためにそれができないのです。

 

 そうしたパターンに気づいて、「あっ、平均点だけでいいんだな」と思えると、徐々に抜け出すことができます。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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トラウマを負った人から見た”素直さ”と、ありのままの”素直さ”の実態は異なる

 

社会に出ると、いろいろなフィードバックをもらいます。

「君は、こうしたほうがいい」
「君は、こういうところがある」

などなど、

仕事であれば、
そうしたことを承って、仕事の仕方を修正したり、ということが必要になります。

ただ難しいのは、当たり前ですが、世の中に絶対客観的な評価などない、ということです。

嫉妬、やっかみ、支配欲など
いろいろな濁りが混ざって、フィードバックは飛んできます。人間の社会では避けられない。

 

建前上は公正で、部下を指導、教育するはずの上司、先輩からやっかみも含んだ評価や指導が飛んでくるなんてことは、日常茶飯事。

家族や配偶者同士でもそう。たとえば、オリンピックがありましたが、スポーツ選手同士、兄弟間でもどちらかが活躍すれば嫉妬や葛藤は避けられない。

 「あなたは~~人間ね」ということが的を得ておらず、無意識に相手をコントロールしたい、という欲求からのものであることもしばしば。

 

ですから、人から言われたことはあくまで意見として承って、反映させるかどうかを吟味する必要があります。

 

 

いわゆる、「愛着」が安定していれば、
支持してくれる親や友人などの存在を内面化しているので、それらが参照元になって、真偽のほどを吟味する作業を支えてくれます。

トラウマを負ったりして、それらがないと、他人の意見に流されたり、あたかも、それらが客観的な事実であるかのように真に受けてしまいます。

(参考)「「過剰な客観性」」

 

また、トラウマを負った人は、向上心(問題解決意欲が)が高い傾向があります。見た目はかたくなに思われたりもしますが、基本的には「素直でありたい」と願っているので、他人の意見は素直に聞こうとします。それが裏目に出てしまって、まともに影響され、心が傷つき、ダメージを負ってしまいます。

 

筆者が担当させていただいているクライアントさんたちが、よくおっしゃられるのは、
「人の意見を聞かずにかたくなに自分の態度を変えないような、(意識の低い)人間にはなりたくない」
ということです。

もしかしたら、わからずやの親への違和感も手伝っているのかもしれません。(「ああは、なりたくない」)

 

ただ、「学校スキーム」と違い、
社会に出たら、“素直”さの中身が違うのです。

(参考)→「「学校スキーム」を捨てる」

 

“素直”とは、真に受けることではありません。

理想を言えば、あたかも、自然科学者が自然を見るように、意見と事実はわけて、ありのままに見ようとする姿勢のこと。

ただ、普通の人はさすがにそこまでの姿勢は難しいので、
適度にペンディング(保留)したり、おかしいなと思ったら、「なによ、あの上司!失礼なことを言ってきて!」と愚痴を言ったりして、バランスを保ちます。

また、“太鼓持ち”として、うまくおべっかをつかって、先輩、上司に合わせることもします。それは悪いことではありません。必要なことです。

 

 人材が集まり、制度も整った大企業(中央官庁)でも客観的な評価など難しいですし、さらに中小企業、零細となれば、会社の体制、人材の充実度もどうしても下がります。荒っぽい職場もあります。そこで、客観的で素晴らしいフィードバックを期待するのは、幻想といえるかもしれません。

 

筆者も子供のころを思い返すと、
悪ガキたちは、大人のいうことなんて、真には受けていなかった。適度に合わせますが、「それはそれ」として流したり、聞いているふりをしたりしていました。

でも、世の中ではそういう人のほうが、素直と評価され、
真面目に相手をしようとするとつぶれてしまう。

 

 本屋に並ぶビジネス関連の書籍ではよく、「社員は素直なほうがいい」と書いてありますが、あれは著者たちが主に経営者たちだからです。経営者から見て都合の良いことが書いてあります。経営者から見たら、社員は素直なほうがいいに決まっています。しかし、その経営者自身が素直か?といえば、はなはだ疑わしい。経営者は自己愛性パーソナリティ傾向の強い人が多いとされますが、他人に厳しく、自分にはどこか甘い人たちが書いた本だったりするのです。

でも、真面目な人は、それを真に受けてしまう。

 

 

以前も紹介しましたが、元ソニーの社員が書いた
「できる社員はやり過ごす」という本がありましたが、
活気のある職場は、やり過ごす文化がある、というものです。適当に流したり、やり過ごしたりすることは、ズルでも何でもない。

 

結局、トラウマを負った人が見る“素直さ”と、実際の世の中のありのままの“素直さ”の実態とは違うようです。

 

知っている人からすると当たり前のことなのかもしれませんが、これも、世の中の1階部分の裏ルールといえそうです。

(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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過剰な「まじめさ」

 

 

トラウマを負った人のもう一つの特徴(症状)は、「まじめさ」です。過剰なほど「まじめ」なのです。
なぜまじめかと言えば、「一元的価値観」で、さらに「過剰な客観性」を持っていて、「世界には善悪、正誤の基準がある」という感覚があるからです。

 

 

そのため、目の前にあるものを相対化して受け取ることができないのです。相対化とは、もっと簡単に言えば、「茶化したり」「諧謔(面白い気のきいた冗談。しゃれ。ユーモア)」をもって接することです。

それができません。
なぜなら、目の前にあることが客観的に事実だと思い込まされているから。
人の言動も真に受けすぎてしまいます。
とても傷つきやすいのです。
なぜなら、人の言葉も事実だと思い込まされているから。

 

 

 

もう一つの理由は、トラウマを負った出来事によります。
自分勝手な親のふるまい、人によってはレイプといった理不尽な出来事によってトラウマを負いますから、そうした勝手な人間の行動については嫌悪しますし、自分はそうはなるまいとかたくなに考えています。それもまじめさを後押しします。

 

 

まじめさは、学校の勉強など決められた線路を進む場合は強力な推進力になりますが、広い世の中を渡る場合には、足かせになることが多く、生きづらさの原因にもなります。

 

人生の意味や目的を考えすぎて、虚無的になり、人によっては自ら死に至る、というケースもあります。

 

 

本来の人生は、「ただ生きるだけでよいもの」

 

価値観も多元的で、落語の人物たちのような人生観(業の肯定≒人間とはどうしようもないもの)です。
「借金を負えば自己破産すればいいじゃないか」
「ひどい家族なら捨てればいいじゃないか(仏陀もキリストも家族を捨てているし)」
「仕事も変えればいいじゃないか」

 

 

でも、なぜかそうは考えられない。
トラウマを負ったゆえの「まじめさ」ゆえに「人生とは立派に生きるもの」と考えさせられてしまっているからです。

 

社会とは、「自分が楽しく生きるためなら、少々のズル賢さがあったり、グダグダしてもいいじゃないか」
という価値観でぼちぼちと進んでいくものですが、それがありません。

 

 

残念ながら、会社などに入ったり、社会に出ると、実は暗にそのように生きている人たちにいいようにされてしまうのです。

 

 

トラウマを負った人たちは、その苦難に際してどうするか?と言えば、自分を見つめなおして、自分を高い精神性へと高めることで生きづらさを乗り越えようとします。
しかし、ほとんどの場合は破れてしまいます。
なぜなら、それはトラウマを負ったニセ成熟の夢、幻想だからです。

 

トラウマによって幼いまま時間が止まり、青くウブなままなのです。そのウブで清廉潔白な自分が好きでもあり、とても辛くもあるのです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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単純化された目標は依存症状態にする

 

摂食障害という病気があります。
拒食症、あるいは過食症などのことですが、痩せることにすべてをかけてしまって、ガリガリになり、入院にまで至ったり、我を忘れて大量の食事を胃に詰め込み嘔吐したり、という症状です。

思春期の女性が発症することが多く、愛着不安などを背景にしていると考えられます。思春期特有の複雑な人間関係や人生の悩みを自分の体重をコントロールすることで、絶対の安心や自信を得ようとします。「自己への不信や不安の病」という性質があります。

複雑な自分や世界を、「体重」というわかりやすい指標にすべて置き換えて、安心を得ているわけです。

 

 

摂食障害にはある種の依存症という側面もあります。依存症はある限られたことにしか頼れなくなることを言います。その限られたことにすべてを集約して、自己を癒したり、人生をシンプルにしようとしているとも言えます。
 

これと似たようなことに、仕事などにおける、過度な「動機付け」があります。

ある種の会社は、会社の単純化された目標に社員の人格などもすべてを集約して、動機付けて業績を上げようとしています。本来仕事とは総合的で複雑なものです。社員の能力も複雑ですが、単純化することで疑似的に依存症状態を作り上げます。
シンプルに絞られた目標めがけて、社員が馬車馬のように働かせます。

自己愛性障害の社長が作ったしくみの中で そうした社員たちも愛着不安を抱えていることが多く、まさに、摂食障害の患者のように、極端に単純化された目標(数字)を猛烈に追いかけようとします。

 

問題なのは、「単純化された目標」が人格のすべて、だという極端な動機付けをしているために、それが達成できない人がいた場合、苛烈に否定し、こき下ろしてしまうのです。

「あんな、仕事のできないやつ。いなくなればいいのに」
「なんで、会社に来ているんだ」

といったような暴言や陰口が飛ぶようになります。同じ職場で働く人も、「仕事ができるかできないか」だけで判断しようとします会社もそれを暗に肯定します。会社におけるモラハラ、パワハラの背景にもなっています。

 
人間というのは総合的なものであり、単一の目標で表すことなどできません。いろいろな面があり、多元的です。

しかし、特定の数字や“達成動機”という一側面に、人格も何もかもすべてを代表させて、それを追いかけさせることで、結果として会社の業績は急成長します。
ただ、社員はボロボロになったり、成功したとしても、どこか違和感のある「意識高い系」の人として他の会社に行くと宇宙人扱いされたり、するようになります。
世の中で社員のモチベーションが高い、と言われる会社でも、内実を見てみると、上記のように、パフォーマンスが低い同僚に平気で暴言を吐いたり、バランスを欠いていたり、宗教的な雰囲気があったり、といったことがあります。満足して会社を評価しているのは、そうした雰囲気にハマった人たちだけ。

そうした会社でたまたま働かされて、心に傷を負ってしまった人も多くいます。実際に社員が自殺してしまって問題なったり、ということも生じています。

 

 大切なのは、バランス。人間とは総合的なものである、価値観も多元的である、という観点です。

戦後の高度成長期の猛烈なワーカホリックな風土は、もしかしたら、戦争の傷を仕事という極端な行為で癒そうとしていた、ある種の依存症的な現象だったのかもしれません。

昨今の、ワークライフバランスの重視や働き方改革といった動きは、社会の成熟化を示しているといえそうです。

 

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”やる気が高い”は要注意

 
やる気が高い人、モチベーションが高い人は優れているといわれています。確かに仕事でも、情熱をもって働くことは良いことです。

 

しかし、実は、臨床心理の専門家からは、やる気が「極端に」高い人は、実は自己愛性パーソナリティ障害ではないか?とされます。

愛着が安定している方であれば、「そこにいるだけで承認されている」という感覚があり、物事全般にバランスが取れていますから、極端に何かを達成しなければならない、という感覚はないからです。

ほどほどにやる気がありますが、一定以上働くと疲れるし、飽きも来るし、やりすぎることはありません。

 

しかし、愛着が不安定だと、それを仕事で埋めようとしてしまいます。その結果、極端なやる気となって表れて、疲れも知らずに働こうとしてしまうのです。

会社の経営者(特に創業者)などに多いとされます。

 
もちろん、愛着が不安定であることが必ずしも悪いことではありません。社会的成功のエンジンともなります。
しかし、ある期間を過ぎたら、どこかでバランスを保つようにシフトをする必要があります。そうして大成していく方はいらっしゃいます。

 

それが上手くいかないと、家庭が壊れたり、会社でも行き過ぎて破綻してしまったり、ということが起きます。

 

昨今のブラック会社として話題になるような会社は、自己愛の強い経営者によって創業されて、そうした経営者の価値観でなりたっていますので、通常のやる気や働き方、そして「ただ存在しているだけではだめだ」として、過度な労働を強要されることで起きているように思われます。
現在の職場で生きづらい、と思っている方は、もしかしたら、そうした職場の「環境」に問題があるのかもしれません。

 

 

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家庭や職場の理不尽さのもう一つの理由~いじめの社会理論

 

職場や家庭の中のハラスメント行為の原因のもう一つは、「いじめの社会理論」と呼ばれる原理によるものです。

これは社会学者の内藤朝雄氏が明らかにしているものです。

→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

簡単に言えば、学校、職場、家庭などのローカルな共同体のゆがんだ秩序(群生秩序)がもたらす理不尽な行為です。

社会での汎用的な原理ではなく、その場での力関係が生み出す「ノリ」で決められたルールが支配する状況です。

その状況にあると、まともな人でも感染するようにおかしくなり、そのノリに当てはまらない人を苛烈にいじめるようになります。

 

家庭の場合は、「機能不全家族」がまさにそうですし、

→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

職場の場合は、「ブラック会社」と呼ばれる環境がまさにそうです。

 

 

もともと自責感の強い人をターゲットに、相手のせいにして正当化するため、あることないこと取り上げて責め立てます。

 

 

こうした状況から逃れるためには、環境を変えることももちろんですが、多くの人(特に管理職や親などが)がメカニズムを知ることも大切です。

管理職や親がまさに主犯である場合は、環境から逃れるしかありません。

 

「悩みはその人の内にある」という間違ったテーゼを信じていると、いつまでもその環境にとどまり、内省し続けることになります。

社会学者も明らかにしているように、家庭や職場の生きづらさもすべて外からやってくるものなのです。そのことにそろそろ気づく必要があるようです。

 

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あの理不尽な上司(モラハラ、パワハラ)も、実は○○が原因だった!

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
子を愛せない親、について書いた記事は、職場やその他にも当てはまります。

 

理不尽な上司や同僚、部下からのハラスメントといったものも、同じ並列の人間同士の人間関係によって生じているものではありません。

 

理不尽な行動をとる背景には、発達障害や愛着障害、トラウマ、てんかん、双極性障害などが潜んでいます。
※パーソナリティ障害とは、実は上記を原因とする表面的な症状です。

 

 

最近、暴言議員としてニュースで取り上げられた国会議員も、医師やカウンセラーからみれば上記の何かに当てはまります。単にエリートで傲慢だから・・・といった性格の問題ではありません。

 

 

「まさか、あの上司が発達障害?確かにモラハラはひどいけど、本で読んだアスペルガーの特徴とは違うど・・」
と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

端的に、わかりやすく言えば、世の中のアスペルガー障害(発達障害)の本は、簡単に書きすぎて発達障害の実情を正しく伝えているとは言えません。

なぜなら、発達障害とは「空気が読めない人」ということではないからです。
(逆に、とても気を使う人はたくさんいます。)

→「大人の発達障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 
発達障害の中核の一つにあるものは、内的言語の障害だと言われています。世界を把握する内的言語に障害があり、自他未分のまま他者と接しています。

そのため、自分の価値観を他者に押し付けて、苛烈に攻撃する、ということが起こります。自分の常識が他人の常識であるということから、他者が思い通りに動かないと、完全否定するところまで至ってしまいます。

 

内的言語において、「私」「あなた」の区別が上手くできないため反転して相手の立場に立つことがとても苦手です。だから、お互いさまという感覚がなく攻撃もとことん貶めるところまで至るのです。
また、記憶の処理がうまくいかないため、フラッシュバックを起こしやすく、一度他者について否定的な印象を持ってしまうと評価を戻すことができません。
過去の失敗もシャッフルして思い出して、相手を怒り出したりします。(「お前は以前もそうだった!」)

 

 

関係念慮も強いことが多く、そのため、些細なことを誤解して、他者が自分を貶めようとしているとして「あること、ないこと」取り上げて責め立てることがあります。

 

 

他者との付き合い方について定型発達の場合は、直感的に理解して学んでいきますが、発達障害の場合は、頭で理解していきます。
そのため、意外ですが、発達障害の方に多いケースに、身内に非常に厳しく外面はとても気にする、ということがあります。
これも、知識として社会性を身に着けているため、外面はとても気にしますが、直感的に相手の立場に立つことができているわけではないため、自他の区別があいまいになりやすい身内ほど厳しく、容赦ない態度をとるようになります。

 

会社でも、「~さん」とさん付けで呼んでいる時は良いですが、呼び捨てになるほど親しくなると、とたんに、厳しくなって、容赦なくなることがあります。

発達障害において、もう一つの特徴は、「発達の時間的な遅れ(=幼さ)」です。総じて考え方、態度が「幼い」のです。

 

他者に接する際は、目下であっても別の価値観を持つ者同士、礼儀を持って接することが普通ですが、そうした感覚がありません。
成熟すればするほど、価値観の多様性、多元的世界観を身に着けるものですが、それがありません。まさに、子どものような感覚なのです。子どもが純粋さと残酷さとをともに持ち合わせていますが、まさにそのように残酷です。

 

一元的で、過度に理想主義的で、強圧的な世界観の中で、自分よりも序列が低いとみなした人は、その世界で序列が高い「指導して良い」「罰して良い」という感覚なのです。

理不尽な上司や同僚など、見た目は年を取っていますが、実は内面はとても「幼い」ことが多く、その幼さ、理不尽さを「お前の能力の無さ、ミス、態度の悪さに怒っているからだ」「会社のルールだ」「上司、先輩だからだ」と理屈で正当化しているだけであることが多いのです。

 

発達障害様の症状は、後天的にも同様の症状が起きます。これを、「第四の発達障害」といい、いわゆる愛着障害や発達性トラウマ症候群がそれにあたります。
繰り返しになりますが、パーソナリティ障害とはこうした症状の別名です(てんかん、双極性障害なども含まれます)。

 

モラハラを受けるのは、あなたのせいではありません。まったく関係がなく、実は相手に原因があるのです。
このような実態を知るだけでも、会社で苦しさ、生きづらさを抱えている人は楽になっていきます。

 

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