私たちは普段、言葉を話しています。
しかし、この言葉はどこから来ているか?といえば、自分の外部からです。
人間は、社会的な動物、クラウド的な存在です。
外部から得た言葉を、自分の言葉と考えて話をしています。
自分たちは、個人で独立して、自分の頭で考えて生きている、と考えていますが、そうではありません。
すべての要素は外から得ている。
そのため、近年の心理学では、「自由意志」はないことは当たり前の前提になっています。
では、人間は主体のない操り人形か、といえば、そうではないと考えます。
「自由意志」はないけど、自由意志があるという勘違いの感覚はある。
そのことを、心理学では「自由意志信念」ともいいます。
自分の勘違いも含めて、自分が自分の主体となっているか?がとても重要です。それが自我というものではないか、と考えられます。
(参考)→「人間、クラウド的な存在」
国における「主権」という概念に近い。
私たちの国も、自給自足というのはありえず、互いに交易や国際関係に強く影響され、そこから自由ではありません。
主権についても、自国内だけではなく、他国の賛同を受けて正当性が強化されます。
独自の文化、というものも歴史をたどると、オリジナルは外にあったりする。
英語やスペイン語、漢字という他国由来の言葉を利用しているケースも多い。
人々も国外と行き来するので、国民という概念も突き詰めるとよくわからなくなってくる。
それでも、国という単位があって、そこに主権がある、というのは重要で、 フィクションであったとしても、それが国の形を明確にしてくれます。
人間も同様で、主権を持って、自分というものをしっかり確立していることはとても大切です。
(参考)→「自分を主体にしてこそ世界は真に意味を持って立ち現れる」
やっかいなのは実質的には属国や植民地になっていても、国(個人)として成立して見えるということ。
私たち人間は、他人のIDでログインしていても、スマホとして仮に機能するようになっているため、自分が他人中心で生きていてもわからないのです。
そして、極端に言えば、他人のIDでログインしたまま一生を終えることもできるのです。
特に社会的には一定の成功を得ている場合は、自分のIDでログインし直す必要性も感じずに(暗に恐怖は感じたまま)、そのまま終わってしまう。
これは、クラウド的であるがゆえの奇妙な悲劇です。
(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン」
私たちの多くは、自分の言葉を他人に奪われています。
その他人の多くは、親などの家族です。
親の言葉を直訳しているだけで、自分の言葉になっていない。
誰しもが外から言葉を学び、今この時点でも外から情報や要素を得ているわけですが、主権を持って自分のIDでログインしていれば、それらは必ず自分語に“翻訳”されます。
直訳した言葉を使うことは、自分の言葉が失われるということです。
(参考)→「人の言葉は戯言だからこそ、世界に対する主権・主導権が自分に戻る」
今回、上梓されました本では、「自分の文脈」という表現を使っていますが、直訳した言葉を使うことは他人の文脈に支配されて生きる、ということです。
では、いかにして「自分の文脈」、自分の言葉を取り戻せばいいのか?
本の中では、そんなことにチャレンジしています。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
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