個人の部屋(私的領域)に上がるようなおかしなコミュニケーション

 

 前回の記事を、別の角度から考えてみます。

(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。」 

 

 人と付き合う際に、相手の気持を考える、というのは、家に例えていうならば、人と付き合う際に、常に「相手のプライベートな部屋、寝室に上がり込むようなことをさせられている」ということでもあります。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く」  

 

 

 普通私たちは、人と付き合う際は、道端や玄関先、あるいは、応接室で話をします。会社でも、自分の個人の机にまで来客を招くことはなく、会議室などでやり取りをします。

 これが正常な付き合いです。

 相手を自分の部屋に上げるようなことはしません。

 

 しかし、理不尽な養育環境、理不尽な親は、いちいち子どもを自分の部屋に招きこむ(自分の気持ちを考えさせる)ようなことをして、子どもに自分を慰めるように命令していた。
 
 
 子どもが嫌だ、というと「お前は悪い子だ」「いい子ではなければ愛さない」と脅して、自分の部屋に連れ込んでいた。

 

 それは、自分の不全感を癒やしてほしいからという独善的な理由でしかなかった。

 ローカルルールで巻き込んで、自分の気持ちをのぞき込ませる、というのは一種の精神的な虐待、ハラスメントと言えるかもしれません。 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 そうした環境に慣れた子どもは、大きくなっても、人と付き合う際に、いちいち「相手のプライベートな部屋に入る」ことや、「自分の部屋に招く」ということが当たり前になっているため、人との距離感がわからない。

 

 自他の区別も曖昧でハラスメントにもあいやすい。
フィッシングメールのような言葉が飛んできて、不全感を抱えた人の部屋に上がりこまされるようなことになる。

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 

 いちいち自分や相手のプライベートな部屋に上がるようなスタイルなので、だんだん人付き合いが億劫になってきたり、怖くなってきたりする。

 
 そうして、人とうまく付き合えずに、自分を責めるような気持ちになってうまくいかなくなる。

(参考)→「自他の区別がつかない。

 
 人との付き合いは、玄関先や応接室で行うものです。

 いちいち自分の部屋に上げるなんて誰もしていない。

 部屋に上げることが親密さの証でもない。

 
 コミュニケーションも上級になればなるほど、距離も保つものです。

 外交はホテルや迎賓館で行います。それがもてなしということにもなる。

 賓客を山荘や別荘に招く、といっても、自分の寝室(私的領域)に上げるなんてことは聞いたことがない。

(参考)→「相手の「私的な領域」には立ち入らない。

 

  
 しかし、トラウマを負っていると、こうした当たり前のことでさえ、かなり狂わされていることがわかります。 
 
 そして、常に、相手の部屋に誘い込まれたり、自分の部屋に招くことが当たり前だと思わされて、対人関係の苦労を背負い込むことになるのです。

 
 自分を家に例えたときに、どこで人付き合いをしているのかを、一度チェックしてみると対人関係の苦しさの原因がわかります。

玄関先や応接室でやり取りすることを意識するだけでも、グッと楽になります。

 

あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。

 

 以前も、同様の記事を書いたことがありますが、

(参考)→「まず相手の気持ちや立場を考える、というのは実はかなり変なこと

 

あらためて、

 相手の気持を考えること、相手の心の中を覗き込むことは絶対にしてはいけません。

 

 心の中というのは、私的領域であり、いうなればローカルルールだらけの世界なので、覗き込んでしまうと、そこに巻き込まれてしまう。

 

 理不尽な親は、自分の不全感を癒やすために、「私の心を覗き込め」といって、様々な言葉(フィッシングメール)で巻き込もうとしてきます。

 その中には、「あなたはだめな子だ」とか、「あなたは冷たい」とか、様々なものがあります。

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 

 それらには深い意味などなく、単に自分の不全感を紛らわすために子どもを巻き込みたい、ということでしかなかった。

 
 しかし、真面目な子どもは、「相手の気持を考える」ということが良いことであると思わされたために、学校や会社でも、同じことをしてしまうようになる。

 

 「相手の気持を考える」ということが癖になってしまって、相手の私的領域、ローカルルールに巻き込まれてしまうようになっている。

 

 例えば、仕事でミスをした、というケース。

 ミスというのは誰にでもあります。ミスは起きます。

 

 しかし、ミスをしたことで、相手は私のことを能力のない人間だと思うだろう、とか、相手は私を変な人間と思うかもしれない、というように、相手の気持を覗き込んでしまうと、ローカルルールに巻き込まれて、実際に不当な評価をされるような理不尽な目に合うことが起きてしまう。

 

 とりわけ、顧客や上司が自己不全感のあるような方だと顕著におきます。

 一方で、相手の気持をのぞき込まずに、淡々とミスを謝り、仕事をしていると、そうした事は起きなかったりする。

 

 絶対に、相手の気持を考えてはいけない。

 
 そうすると「相手の気持を考えてはいけない、のであれば、思いやりのない冷たい人間になるのではないか?」と疑問が湧いてきます。
 
「相手の気持を考える」とは社会でも良いこととされていると耳にしているから。

 

 しかし、「相手の気持を考える」と一般に言われていることは、「相手の気持を覗き込むことではない」のです。

 例えば、一流ホテルのホテルマンは顧客の気持ちを考えて接客しています。

 
 では、どの様に接客しているかといえば、相手の気持を覗き込んだりはしていません。

 まず、相手のプロフィールを知り、外形的な様子を観察します。

 国籍、年齢、利用の目的、同伴者の有無、荷物、特別なニーズなど。

 身体が悪ければ、エレベーターで椅子を案内するかもしれません。

 誕生日であれば、ケーキを手配するかもしれません。

 近くのお土産物店をお教えするかもしれません。

 常連になると、時候の話題で軽妙な会話を交わすかもしれません。
 

 

 そうしたものの積み重ねで、「心のこもったサービス」が構成されていますが、いずれも、相手の気持を覗き込んだりはしていないのです。

 

 すべて、

 1.外形的な情報の観察からはじまり、

次に、

 2.「職業的な経験」「常識」を参照して、

 3.サービスを提供しているのです。

 

 そうしたほうが、顧客にとっても心地が良い。

 反対に、気持ちをのぞき込まれるような対応は、重く、気持ち悪いものになります。
 (自己不全感を抱えた人にとっては、その気持ち悪さが心地よいと錯覚していますが) 

 

 以上のように、相手の気持に立ち入らず、相手の状態をよく観察して、常識を参照し、外形的に対応することが健康なコミュニケーションです。

 そのことを社会では、「相手の気持を考える」と表現してきた。

 もし、仕事でミスをしても、相手がどう思うか、など考える必要はない。

 1.状況を把握し、

 2.常識を参照しに行き、

 3.必要な対応をするだけ。

 
 理不尽な相手が、フィッシングメールのように、「私の気持ちを考えろ」と巻き込もうとしてくることがありますが、それはおかしいとスルーする。

 

 ローカルルールとは、因縁をつけて、私的領域の中に巻き込まなければ成立しないくらいにおかしく脆いということ。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 私たちは、ローカルルールによって、「相手の気持を考える」の意味や内容を勘違いさせられてきた。

 

 それによって、自他の区別が曖昧になり、結果自分の感覚や考えもあやふやになって、ストレスにも弱くなるなどの弊害も被ってきました。

 でも、ローカルルールというもののメカニズムを知って、常識に還ることで、自他の区別が明確になり、その呪縛から抜け出すことができます。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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ローカルルール人格が感情や記憶を歪める理由

 

 ローカルルール人格というのは、しばしば情報や記憶を歪めます。

 周囲の言動を歪めて、本来の人格に伝えるために、受け取った側はそれを信じて、巻き込まれてしまう。

 実際に起きた出来事もそうですが、とくに言葉と感情を歪める。
どうして言葉と感情を歪めるかと言えば、最もコントロールしやすいから。

 

 
 「過誤記憶」といいますが、
 相手が言ってもいない言葉を作り出して、「言ったことにしたりする」ということが実際に起きる。

 

 普通にやり取りをされているはずなのに、数日立つと突然、
「あなたからひどい暴言を浴びせられた!」と怒り出したりすることもあります。

 

 相手は訳がわからずに戸惑って否定したり、勢いに押されて謝罪しますが、

 本人は「暴言を浴びせられた」という記憶が本当であると思わされている。

 

 あまりにも情報の歪曲がすごいために、本人も何が事実か、わけが解らなくなる。周囲の人間や治療者との関係もこじらされてしまって、不信から抜け出せなくなる、ということもあります。

 

 

 カウンセリングにおいても、親からひどい虐待を受けていました、ということを治療者に訴えていて、治療者もそれを真摯に受け止めて対応していたところ、ある日、クライアントさんが「あれはすべて妄想でした」といって治療者が驚く、ということは実際にあります。

 

 また、ひどいことをされた、と治療者自身が歪曲のネタにされることもよくあります。

 そうしたケースに困惑した治療者たちが「境界性パーソナリティ障害」という概念でしばしば起きる理不尽な出来事を説明しようとしてきました。

 愛着障害、症状が重いケースに多く見られます。
 (甲状腺など内分泌系や婦人科系などに不調を抱えるケースでも生じるとされます。)

(参考)→「「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」とは何か?

 

 

 

 でも、どうして、こういうことが起きるのでしょうか?

 とくに、重いケースに起きるのはなぜでしょうか?

 

 それは、ローカルルールのメカニズムにヒントがあります。

 

 

 先日も、ローカルルールはなぜ敵を作ろうとするのか、ということについて社会全体のローカルルールとも言えるナチズム、全体主義の国を例に説明したことがありました。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 

 情報の歪曲という現象についてもそうした例から考えることが、役に立ちます。

 

 

 全体主義の国では、政治的に失脚すると、その人が写真から消されるそうです。

実際にそうした写真ばかりを集めた本があります。

 ソ連であれば、ある自分物が粛清されると、レーニンの横にいた人が消えたり。

 スターリンを大きく見せるために、位置やサイズを変えたり。

 出版物を検閲したり、修正したり、ということも行われます。

  
 他国や敵とされる団体や民族がひどいことをした、ということを強調したりすることもあります。

 

 

 こうしたことは、普通は「都合の悪いことを消したり、都合の良い情報を作り出したりしている」と捉えられますが、もっと深い意味があります。情報を修正したり歪曲することは、全体主義の成立そのものに関わるからです。

 

 世の中の規範、常識(公共)が成立するためには正統性と協力が必要です。

(参考)→「「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。

 

 健全な社会は、多次元で多元的なので、内部に異論や矛盾を抱えていても成立できますし、正統性も維持することができます。むしろ、異論や矛盾が多元性を担保してくれて、まわりまわって社会の維持に寄与してくれたりもする。
 色々な考えや捉え方があることは良いこととされます。

 

 しかし、ファシズム、全体主義というのは人工的に作り出された一元的なルール、常識にすぎません。ですから、そのままでは成立しようもありません。少しでも人々が疑問を感じてそれが広まれば、崩れていくほど脆いものです。

 

 そのため、ローカルルールが成立するためには情報を修正したり歪曲したりせざるを得ないのです。

 ローカルルールにとって、ローカルルールの影響が強ければ強いほど、情報の歪曲は必須になるのです。

 

 

 以上は国や社会全体の話ですが、個人に置き換えても同様です。ローカルルールが成立するためには歪曲が必要。

 そして、それにはレベルがあります。

 レベル1:感情の歪曲
 
 レベル2:言語の記憶の歪曲

 レベル3:行動の記憶の歪曲

 

 維持するローカルルールが大きければ大きいほど、情報の歪曲の度合いも大きくなる。

 

 どんな人でもローカルルールに影響されていますが、愛着が安定しているなど比較的健康であれば、歪曲は比較的少なくてすみます。

 多くの場合は、レベル1の感情の歪曲までです。

 

 
 例えば、職場の人に腹が立つ、とか、街であった人にイライラする、といったこと。

 

 それらは、実際にその人本来が感じた感情ではないのですが、ローカルルール人格が感じた感情を伝えてきて、その人の感情だと思わせる(歪曲)。

 精神分析で「投影」と呼ばれる現象も、感情の歪曲と言えます。

 

 
 感情の歪曲によって、身近な人に感情を向けさせることで、ローカルルールの破綻から目をそらすことができますから、ローカルルールの延命に役に立ちます。

 

 

 愛着や身体がさらに不安定になってくると、レベル2の「言語の記憶の歪曲」が生じます。
 

 かつては、それらは、愛着や身体が不安定なために起きる、被害妄想や、認知の歪み、関係念慮、記憶の障害のせいだ、という説明をされていましたが、(たしかにそういう説明でもよいのですが)、ローカルルールという考えからすると、説明の仕方は変わります。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて

 

 愛着が不安定であるということは、理不尽なローカルルールを代表させられている割合が大きいということ。 
 

 

 本人は、ローカルルールが常識だと思い込まされていて、必死にローカルルール(規範)を守っている。
 一般的に言われるように、境界性パーソナリティ状態の人は、決して規範を守れない人ではない、ということです。

(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。

 

 

 ローカルルールをまじめに守っている。人よりもローカルルールを強く代表させられている。

 ただ、上に書いたように、ローカルルールはニセの常識ですから、それが成立するためにローカルルール人格は情報を歪めざるを得ない。本当の情報が入ってきたらローカルルールは簡単に壊れてしまいますから。

(参考)→「ローカルルール人格は、妄想や、関係念慮、自分がおかしいと思われることを極度に嫌う

 

 人よりもローカルルールの影響が大きいために、歪曲も大きくならざるを得ない。

 

 そのためには、レベル2以降の「言語の記憶の歪曲」が必要になる。

 言語の記憶の歪曲とは、他者の発言の記憶を歪めるということ。

 

 例えば、「あなたは私に暴言を浴びせてきた!」というような記憶が作られるのです。

 それはその人がおかしいのではなく、支配しているローカルルールが「社会とは暴言を浴びせてくる人がそこら中に存在する」「自分には価値がない」といった内容であるため。

 とくに、人と親密になりそうになったり、信頼が得られそうになると、情報の歪曲が急激になります。なぜ、信頼が得られそうになると壊そうとするのかの理由はここにあります。

 

 普通の穏やかな会話が継続しては、ローカルルールが嘘だということがわかってしまいますから、定期的に人格をスイッチさせて、事実を歪めざるをえない。

 

 さながら、全体主義の国の新聞やTVのニュースのような感覚で。

 

 

 

 さらに、もっと重いケースになると、レベル3以降の「行動の歪曲」になります。

 「相手がひどい表情で私を見た」「暴力をふるった」といったような内容になります。

 レベル3になると頻度は高くありませんが、全く稀でもありません。

 長く臨床をしているとしばしば経験します。

 

 これまでは本人も周囲もわけも分からず、巻き込まれてきましたが、ローカルルールということがわかってくると、対処できるようになります。

 

 治療の現場であれば、言っていることに共感したり、怒りを向けられても謝ったりせず、自信を持って治療者が「それは、ローカルルールのせいですよ」と指摘して、クライアントさんをローカルルールの影響から護る必要があります。
 以前であればそれは難しかったのですが、ローカルルールのことが明らかになるにつれて、容易になってきました。 

 

 歪められた情報、記憶を真に受けると、ローカルルールは延命します。
そのため、それが歪められているということにできるだけ早く気づいて、真に受けないようにすることがとても大切です。

 

 

ローカルルール人格の言葉は意味がわからない

 ローカルルール人格の特徴として、発する言葉が支離滅裂である、ということがあります。

 支離滅裂と言っても、もちろん日本語しては成立しています。

 

 日本語としてはなんとなく成立しているけども、文脈からは意味は通っていない、というもの。

 

 以前は、筆者も、意味が通っているように感じていました。 

 どうしてかというと、自他の区別を超えて理解しようとしていたから。
相手のローカルルールの世界に巻き込まれるようにして、理解していたからです。

 

 だから意味があるように先回りして捉えていた。

 

 

 キン肉マンと同じです。

「言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信だ」と、ローカルルールの勢いを受けて、なんとなくすごいような気がしていただけだった。

 

 

 しかし、ローカルルールというものの存在を知り、ローカルルール人格というものがわかってくると、それが発している言葉や理屈は、全く意味がわからない。支離滅裂であると感じられるようになってくる。

 

 ただ、巻き込むためなので、巻き込まれなくなると、
「大層なことを言っているけど、ピンとこない」といったものでしかなくなる。
 

 

 しゃべり方もしばしば

  酔っぱらいが相手に絡むようなしゃべり方
  くだを巻くようなしゃべり方
  ぶつぶつと独り言のようなしゃべり方

 になります。

 とくに、独り言をいっている、一人で解けないパズルを解いているような、というような印象です。

 

 あるいは、
  
 相手に因縁をつけるために理屈をこねる、
 深刻そうだけど中身がない、
 急に悲しくなって、力が抜けたような話し方になる、

 といった場合もあります。

 

 それも言っていることは全く意味をなしていない。因縁をつけるために事実も曲げられてしまっている事が多い。

 

 クライアントさんでも、セッション中にローカルルール人格にスイッチすると、そんな話し方になります。

 

 それは、本来の姿ではなく、ローカルルール人格が話している、ということ。
 (参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?」  

 

 

 ローカルルールに気づくと、こうしたことが見えてくる。

 

 

 私たちは、意味のないものも意味のあるように受け取ってしまう、ということはよくあります。

 なぜなら、人間はインクのシミにも意味や形を感じる生き物だからです。

 

 

 

 そのこと自体は、単なる人間の特徴なのですが、その特徴をローカルルールは悪用して、自分自身に意味があるように見せてしまう。

(参考)→「ローカルルールとは良いことに聞こえ、意味があるように見えるもの。

 

 そして、フィッシングメールのような言葉で巻き込んで、意味のない言葉で相手を呪縛、支配する。 

(参考)→「ローカルルールの巻き込みは、フィッシングメールに似ている

 

 本当は全く意味がない。
 人間の言葉はすべて戯言ですが、ローカルルールに影響された言葉は一層意味がありません。

 (参考)→「人の話をよく聞いてはいけない~日常の会話とは“戯れ”である。

 

 先日、M-1グランプリがTVで放送されていましたが、漫才のネタの定番として、ボケの人がわけのわからないことを言ったり、妄想に基づいて暴走したりすることがあります。恋愛の妄想や、悲しいしんみりした妄想など、多岐にわたります。

 

 それに対して、ツッコミは必死に訂正したり、おかしい、ということを常識に基づいて指摘していって、笑いに変えていく。

 おかしいことに突っ込む、否定するというのが本来の健康的な状態だと言えます。

 対して、ローカルルールに支配されるというのは、ボケの言った妄想を真に受ける、というようなもの。それでは健康なコミュニケーション(漫才)は成立しない。

 

 「漫才のボケの言うことを真に受けるような人っているわけないよ」とわたしたちは思いますが、でも、ローカルルール人格の言う戯言は真に受けている自分がいたりする。

 

 「ボケ(相手)の言っていることが本当かも?」とか、
 「なぜ、ボケ(相手)がそんな事を言うのか相手の心の奥底を考えてあげなければ」とやっている。

 

 とても滑稽な姿です。

 

 そうではなく、常識に基づいて、ツッコんでいっていい。否定していいのです。

 ユーモアは悩み解決の最大の武器だ、というのもまさにこうしたことにあるのだと思います。
 

 相手がツッコめないくらいおかしい場合は「変な人だな」と相手にせずにスルーするのです。

 

 親の言ったこと、友たちが言ったこと、パートナーが言ったこと、上司が言ったこと、などこれまで強く影響を受けてきたことについてもローカルルールを抜けてみると、ツッコミどころ満載の全くのデタラメであることが見えてきます。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 ローカルルール人格の特徴として、目の前の人を攻撃したくなる(文句を言いたい、否定したい、非難したい)、ということがあります。

 ローカルルール人格にスイッチしていると、あたかも目の前の人がそのとおりに悪い人のように感じます。
 

 もちろん、それは真実ではなく、ローカルルールによる因縁でしかありません。

(参考)→「因縁は、あるのではなく、つけられるもの

 

 
 どうして、目の前の人を攻撃したくなるのか、ということですが、ローカルルールが成立する要件を考えるとその理由がわかります。

 

 ローカルルールが社会を覆うような状態をファシズムとか、全体主義といわれるものですが、特徴として、必ず「敵」を必要とする、ということがあります。

 

 ローカルルール自身は、中身が全くありません。
そのために、ローカルルール自身がを成立させるためには、正統性を偽り、人々を巻き込み協力させ、中身が無いことに気が付かせないようにしないといけません。

(参考)→「「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。

 

 ナチスだと、敵は、「ユダヤ人」と「共産主義」でしたし、
 共産主義は、「資本主義」や「帝国主義」でした。

 

 特にナチスなどは主体的な教義や主張というのはなにもなく、すべてが「反(アンチ)でできていた」と言われています。

 

 全体主義を描いたジョージ・オーウェルの小説「1984年」でも、「人民の敵」という敵が設定されていて、それを憎むための「憎悪週間」なるキャンペーン期間がありました。
 
  

 「敵」が存在するとそれに対処するために、「(たとえ間違っていたとしても)ローカルルールが必要だ」ということになり、ローカルルールは、「敵」が存在する間、延命できることになります。

 

 個人の中で内面化されているローカルルールも同様で、それが成立し、延命するためには「敵」が必要なのです。

(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 

 そのために、トラウマで苦しむ方の多くは「身の周りの人へのイライラ」という症状に苦しんでいます。
 

 職場の人が許せない、とか。
 楽しそうにしている人を見ると腹が立つ、とか。
 治療者に怒りや文句、イチャモンを付けたくてしようがなくなる、とか。
 

 愛着の不安やトラウマが重い人ほど、ローカルルール人格の影響は真に受けやすく、目の前の人を攻撃したくなる、ということは強く出ます。

 それは、ローカルルールが大きいために、「敵」もより必要になる、というためです。

 

 人格がスイッチしてしまって、自分でも自覚できない場合もあります。

 これは結局は、ローカルルール人格が起こしたことで、その方本来が起こした行為ではない。
 だから真に受ける必要はない。

 怒り、イライラを真に受けると結局は、ローカルルールに協力していることになり、悩みの原因は延命することになります。

(参考)→「「本当の敵」から目をそらされる

 

 人に因縁をつけたくなるのは、ローカルルール人格によるものだ、ということに気がつくと悩みは変わってきます。

 
 
 こうしたローカルルールの構造に気がつくことは、生きづらさから抜け出すためにはとても大事です。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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