最近、いろいろなクライアントさんを見ていて気がつくのは、相手の意識、心の中を覗き込むことが、「相手に気を使うこと」「共感すること」「相手の気持を考えること」で、それが良いコミュニケーションだと勘違いさせられていて、そのことが悩みを生んでいるというケースが非常に多いということです。
(少なくないケースでそこが大きな要因の一つである、ということがあります。)
(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。」「共感してはいけない?!」
まるで自分の体から意識が抜け出すようにして、他人の心の中を覗きにいって、そこで相手のプライベートなドロドロとした感情を拾ってきてしまう。
人間はプライベートな状態では、おかしくなってしまう。
さまざまな他者の否定的な感情を取り込んでしまっていたりもします。
相手の心のなかにあるものは決して「本音」ではありません。
本音とは、あくまで社会化(パブリック)の洗礼を浴びたものだけです。
本音と思っているのは、他者のネガティブな感情や意識でしかない。
(参考)→「まず相手の気持ちや立場を考える、というのは実はかなり変なこと」
それを勘違いして、「本音」を拾いに行ってしまう。
すると、背負う必要もない負荷を自分の中に溜め込んでしまいますから、それが心や身体の症状となって現れてしまう。
なかなか取れない悩み、生き辛さの原因になって、その負荷が腸に現れれば過敏性腸症候群、目に現れれば視線恐怖、といった具合になります。
おそらく、発達の過程で誤学習をさせられてしまったためにそうしたことが生じています。
私たち人間は「社会的な動物」であり、そもそもが「クラウド的な存在」です。スマホのように、外からのネットワーク供給でなりたっている。
(参考)→「私たちはクラウド的な存在であるため、呪縛もやってくる。」
ネットワークからの供給がうまくいかなくなる、あるいは、主権を奪うくらいに供給過多になると、ひきこもるしかなくなってしまいます。ひきこもりの方が死に至る事例が最近多数報告されていますが、それもそのはずなのです。
(参考)→「ひきこもり、不登校の本当の原因と脱出のために重要なポイント」
内面化した他者の意識は、私達を強く規制し、主権を奪います。
本来は、「愛着」という名のOSによって、他者の意識を一旦否定して、自分のものに翻訳し直すプロセスが必須です。
(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて」
そのためには他者からの承認が必要ですし、自我の発揮を後押ししてもらわなければなりません。
二度の反抗期に見られるように、内面化した他者の意識を否定することが、発達におけるとても大切な課題になります。
その「否定と翻訳」ができずに、内面化した他者の意識が人格のように誤って機能しはじめると「ローカルルール人格(≒人格化された超自我)」というように本人を困らせるようになります。
(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?」
それが強く行き着くと多重人格というようなケースにも至ります。
他人の意識に憑依する、というのは、無自覚にタコのように意識を他者に向けて、他者の意識を取り込んで内面化しつづけて、主権を奪われている、ということです。
見た目は立派な大人でも、内面は「他者の植民地」という方はゴロゴロいて、そうした方々はカウンセリングを受けても効果を感じられず、あれ?ということでさまよい続けてしまうのです。
(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン」
それもそのはず、自分と思っているものが「他者の植民地」なのですから、自分が自分であるかもよくわからないままでいては、なかなかままなりません。
(参考)→「積み上がらないのではなく、「自分」が経験していない。」
しかし、他者の意識の内面化しつづけていることが問題の原因なのだと気がつくと変わってきます。
以前にも書いたことがありますが、相手の気持の中を覗き込もうとしては絶対にいけない。
(参考)→「あらためて、絶対に相手の気持ちは考えてはいけない。」
それは健康な状態でもなければ、良いコミュニケーションでもありません。
意識が自分の体から出て、相手に入るこむようなことはことはやめて、ドライに感じるくらいに、自分の範囲を守る。
すると、自他の区別がついてきますし、それをきっかけに人格の成熟も再び機能し始めます。
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