トラウマを負っている人の特徴として、「経験が積み上がらない」といったことがあります。
(参考)→「あなたの仕事がうまくいかない原因は、トラウマのせいかも?」
仕事ではがむしゃらに頑張って、努力しているのに、いつまでたっても自信がなく、経験が積み上がっている感じがしない。
頑張りが足りないのかな?とさらに努力をしてみるのですが、やはり、積み上がる感じがしない。
どこか、「自分の人生がまだ始まっていない」感覚があるのです。
その理由として、トラウマによって解離しているからとか、低血糖になっているから、とかいろいろと説明はあるのですが、最近感じるのは、経験が積み上がらないのは、「自分(私)がそこにいないから」というものです。
前回、「自分のIDでログインしてないスマートフォン」ということを書きましたが、まさに、自分のIDでログインしていないので、記録(経験)がセーブされない。
自分(私)として、そこにいないので、そもそも経験していないのです。
時間だけは過ぎているだけで。
物理的にはそこにいるので記憶はあるのですが、経験とはならない。
トラウマを負っている人は努力家で仕事も頑張る人が多いのですが、
あれほど、遅くまで仕事をしていたのに自分がない?!
たしかに、人の目を気にして、自分が駄目な人間であるとばれないかオドオドして働いていたことを考えれば、自分はなかったのかも知れない?!
仕事を振られても断ることができず、失礼な言葉に自尊心を持って跳ね返すこともできていなかったのも自分がないから?
人格が未成熟なままに、ただ、外部の規範に沿って「できる会社員」「ムリと言わない社員」「どんなことでも実現しようと頑張る人」になろうとしていただけだった。
そこに自分はなかった。
「相手の言葉を聞き取るのが苦手」といったことを訴える人もいますが、それも同様かもしれません。
自分がそこにいないので、うまく人の話も聞き取ることができない。
自分がない、というケースでは、あれだけ身近な人と会話して、議論したのに、ほとんど記憶に残っていない?!なんて事もあります。
しかし、人間は、自分のIDでログインしなくても生命体としては生きていくことができるので、よもやそんな理由で、とは思いません。
そのため「なんでだろう?おかしいな。もしかしたら発達障害なのかも?!」「自分は能力がないのかも?」と不安になってしまうのです。
自分がそこにいないのは、いると危ない、理不尽な目にあう、否定される、責任を負わされる、とおもっているから、ということが言えますし、いちばんは人格が成熟していない、ということ。
人格がちゃんとした発達過程をへていないため、ニセ成熟のようになっている。
(参考)→「ニセ成熟は「感情」が苦手」
そうした場合には、単に言葉を唱えるなどで症状からアプローチして問題を取ろうとしているのではおそらく追いつかない。
そのアプローチの前提には、クライアントさんはすでに人格が完成していて、心身の何らかの不具合や環境の影響で悩みが生じているだけなんだ、ということがあるのだとおもいます。
しかし、色々なケースを見ていると、そもそも人格が完成していなかった、自分(私)がいなかった。ということが考えられる。
精神分析の世界でも、人格が未完成な状態で自我理想にならず、超自我※がそのままになっているのを「人格化された超自我」といいますが、このブログでも紹介している「ローカルルール人格」というのはまさにそうした状態。
※超自我とは、道徳とか規範のこと。
(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?」
泥棒が入る、あるいは雨漏りで困る、風邪も吹き込んでくる、おかしいな~?とおもっていたら、実は家が完成していなかった。
塀がなかった。ドアが付いてなかった。勝手に人が上がりこんで住んでいたりした。
実は、そうあるべきだと思っていた(心の壁なく人と一体になりたい、と理想を持っていたから)。
ドアが付いていなければ、住みづらくても(生きづらくても)当然。
でも、実際は、しっかり塀を持って、ドアもつけて、鍵を締める。人と接するときは応接室で会話する。個人の私室には他人は上げない。
これが人格が完成した人のスタイル。
スマホのたとえでいえば、まだ自分のIDでセットアップが完了しておらず、家族の共有IDを使っている状態だった。
やはり、悩みの解決には、人格の成熟、発達過程を経る、ということが不可欠であるようです。
そのためには、あわせてローカルルールの呪縛も解く必要がありますし、トラウマの影響も除かないといけない。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
そうしてはじめて、自分(私)がそこにいることができるようになり、自分の経験が生まれてきます。
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