世界はあなたがログインすることを歓迎している。

 

 

 昔、経済学者のポール・クルーグマンの本の中で、国同士が貿易において競争をしている、というのは間違った考えで実際にはそうではない。
 企業とは異なり国同士は競争はしていない、ということを書かかれていて、とても印象的だったことがあります。

 国という単位では、貿易というのは競争ではなく、あくまで価値の「交換」なんだとということでした。

 

 ベースには「比較優位」という考えがあります。
 それぞれの国が得意なものを生産して、交換し合えば互いにメリットがある、ということです。

 熱帯の国で育ちやすい作物と、寒い国で育ちやすい作物を交換すれば、すべてを自国で賄うよりもそれぞれ最小の労力で最大の価値をあげられる、というわけです。

 
 だから、素朴な印象とは異なり、他の国が経済的に発展するというのは自国にもメリットがあるんだな、というふうに筆者は理解したのを覚えています。
 (素朴な印象とは、近隣の国が成長して競争力が増すと自国が損をする、といったことです。)

 

 

 

 最近、アフガニスタン情勢が問題になっていますが、アメリカみたいな大国が、何百兆とお金をかけても、他国を立て直すのは至難の業でした。

 

 他国に介入できる力があるとか国外に領土があるというといいことのように見えますけど、外に手を出すというのはそれだけ負担がかかるということで、実はいいことはなかったりします。
 むしろ命取りになることは多い。そのためアフガンは「帝国の墓場」といわれています。ソ連もそれで寿命がかなり縮まりました。

 

 昔、大英帝国でも、植民地を持つのは実は損なんじゃないか?といった論争がなされていたといわれています。実際に、あれだけ植民地がもっていても、第一次大戦で失った国力を回復させることは出来ませんでした。
 

 

 どうやら、それぞれの国が自立、安定していて、自国の強みを生かして交易し合うというのが負担がなく一番良いと言えそうです。

 

 

 

 
 こうしたことは人間関係においても同様です。

 人間は不全感を抱えると他人を支配したり、マウンティングを取ろうとする厄介な生き物です。

 
 しかし、実は他人を支配するのも本来は負担で、心理的な不全感はかりそめに癒やされはしますが、本当に満たされることはありません。

 支配する側も、支配される側のトラウマの闇に巻き込まれて、いびつな形で依存し合うようになるものです。
 

 

 そもそも、健康な感性で考えたら、自分の人生を作るのも大変なのに、他人のことに関わるなんて面倒なことこの上ない。関心もない。それぞれでやってください、と感じるのが普通です。

 トラウマを負っていると「自分を出したら嫌われる」とか、「ログインしたら危ない」と感じたりしますが、健康な世界、愛着的な世界では、自分を出すこと、ログインすることは歓迎されることです。
 皆、そうしてほしいと望んでいます。

(参考)→「愛着的世界観とは何か」 

 

 

 本来、私たち自身しか私自身にログインすることが出来ない。私たちにしかその筋合いがない。

 だから、私たちがログインすることは、周りにも大いにメリットがある。

(参考)→「自我が強い力を持ち、ためらいなく“自分”という国の秩序を維持する大切さ

 

 
 しかし、なぜか、私たちは、自分がログインすると他人に迷惑がかかる、嫌な目に合わせる、損をさせると感じていたりします。

 なぜなら、私たち自身が他人から介入されて嫌な目にあってきたから。

 まさに「羹に懲りて膾を吹く」を地で行くように、もう自分はログインしたくない、となってしまって、いつのまにか自分に空白ができるようになり、
その空白にさらなるハラスメントを呼び込むようになって、しまったのです。 

(参考)→「自然は真空を嫌う。

 

 それは不当な介入であって、健全にログインした者同士の関係ではありません。

 相手がログインしたから私たちが嫌な目にあったのではありません。
 
 私たちに嫌なことをしてきて相手は、自分が十分にログインしきれないから、私たちに干渉してきた、といえるのです。

 強いストレスによって自分を失った状態。
 内面化した他者のローカルルールが人格となってアカウントを奪われたような状態。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」  

 
 ハラスメントは連鎖する、といいますが、ログインできていないと他人への干渉を行なう必要が出てきて、さらに干渉された人は他人に干渉してという悪循環になってしまうのです。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

 冒頭に書いた国同士の関係みたいに、本当は各人が自分のIDでログインすることが必要。

 
 本来、社会は、私たちがログインすることを待っているし、歓迎している。
 

 それをしてはいけないとか、攻撃されると思っているとしたら、それは内面化したローカルルールの影響によるものなのです。 
 

 ぐいっと自分の存在を前に出していく。

 「私は~」と自分のIDで話し、行動していく。
  
 
 私たちそれぞれのもつ空間、存在を、私たち自身が埋めることを世界は望んでいます。

(参考)→「「私は~」という言葉は、社会とつながるID、パスワード

 

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

登記されない自分の経験

 

 近年、所有者不明の土地が増えて問題になっているそうです。

 持ち主が登記しないままに相続などが行われて権利が分割されていってさらに権利関係が複雑になっていって、といったようなことも背景にあるようです。
 
 
 国土の2割位が不明な土地とも言われています。

 そもそも税金にしても土地にしても行政がすべて把握できるということはありません。なかなか難しいことです。

 土地というのは物理的に存在しているものですが、登記されていないと誰のものかわかりませんし、もし自分の土地だとしてもはっきりと自分のものと示すことができなくなってしまいます。

 土地というと大切なものだと思いますが、それでも多くの土地が持ち主がわからないままになってしまっているようです。

 

 

 これと似たものとして、トラウマを負った人にとっての「経験」があります。

 トラウマを負うと、経験が積み上がらない、という感覚にさいなまれることになります。

 
 しかし、当然ですが、物理的には経験をしています。

 仕事もそうですし、勉強もそうです、趣味もそうです。
 
 物理的には経験していても積み上がっている感覚がない。

 

 
 以前の記事では、この原因を自分のIDでログインしていないからだ、というふうにお伝えいたしました。

(参考)→「積み上がらないのではなく、「自分」が経験していない。

 

 経験に名前をつける(登記する)ということと、自分のIDでログインするということとは密接に結びついています。

 自分のIDでログインしていないと、自分の経験した物事について、登記できない。  

 自分の名前をそこに書くことができない。

 本当は自分の経験なのに、「これ、自分の経験じゃない」とスルーしてしまう。

 よほどの大成功でなければ、自分の経験として名前を書かない。

 ちょっとでも失敗があるとそれを恥じて書かない。

 大成功でも、謙虚でいたいと理想的になり、名前を書かない。
 

 どんなに学歴があっても、どんなにキャリアがあっても、そこに名前を書かない。自信がない。
   

 

 筆者も似た経験があります。
昔、自分の結婚式に、結婚式の定番として、自分のプロフィールを紹介したのですが、「(学歴や社歴はすごいのに)えらく、あっさりしてたな」と友人に驚かれたことがありました。

 普通の感覚からすればそこは誇っていいところ、だったのです(しかも、自分が主役の席だし)。

 筆者にすれば、自慢するのはかっこ悪いし、上手く行かなかったことも多かった(と感じている)自分の人生を大したことないと思ってサラッといい加減に流していたのです。

 「あっ、自分を大事にしていないな、経験に名前を書けていないんだな」と感じた出来事でした。
 

 

 謙虚と言うのは、自我を満たした上で次に来る「応用技」であって、自我を脇においた謙虚なんていうのは人間としてどこかおかしいのです。

 誇っていいものは堂々と誇るのが普通のことです。 少々過去に失敗があっても、過度に恥じることはない。

 そんな調子ですから、自分には名前がついていない経験がたくさんあることにも気がついたのです。

 これでは、せっかく経験しても、積み上がるわけがありません。
 

 

 
 
 クライアントさんでもこうしたケースはとても多いです。
 
 治療者の立場になると「そこは自信を持っていい経験ですよ」とお伝えしますが、本人は全くそう思っていない。

 

 人間関係でも、ちょっとでもうまく振る舞えなかったと感じると、関係をリセットしたくなる、というケースもよくあります。
 すべての関係を消し去りたくなる。 
 
 過去の経験もそうで、ちょっと恥ずかしいと感じることがあると、その経験は「黒歴史」としてすべてないものとしたくなる。
 
 なぜなら、自分がおかしいし、劣っているし、汚れていると思わされているから。

 
 経験が工場の製品なのだとしたら、検品の基準がシビアすぎてどれも「出荷」されない。

 ちょっとでも傷、瑕疵があるとはじいてしまう。

 
 “検閲”にエネルギーを取られているために、個々の経験をそのまま捉えてそこからコツや教訓を抽出することができない。

 

 
 そうこうしているうちに、名前をつけないまま経験は流れていき、自分の人生は何も積み上がらずに、経験がないように感じられていってしまうのです。

 

 

 

 では、今まではそうだったので、「人生は失われた」「もう今の年齢からは取り返しがつかない」かといえばそうではありません。

 

 どうすればよいかといえば、自分の経験にあらためて自分の名前をつける。登記しなおせばよいのです。

 完璧な経験以外は登記しないという基準をあらためて、瑕疵があっても登記する。

 恥ずかしいと感じた経験でも登記する。経験に自分の名前をつける。

 

 

 これから経験することについてもそうですが、今までの自分の経験も棚卸ししてみる。

 すこし恥ずかしいと思うような経験も含めて、リストアップしてみる。

 そして、そこに頭の中で、自分の名前を書くことをイメージしてみる。

 
 そのときには葛藤が湧いてきますが、今までと違うのは、その葛藤が「邪魔」だとわかっているので、巻き込まれることが少なくなります。

 
 実は、恥ずかしいと感じるのは、名前を書いていないからでもあります。
 名前を書いていないと、他人の物になり、他人の基準で裁かれてしまう。文字通り、他人の「植民地」になってしまう。

(参考)→「自我が強い力を持ち、ためらいなく“自分”という国の秩序を維持する大切さ

 しかし、自分の経験として登記すると、失敗と思うようなことも含めて、全体をエネルギーに変えることが出来ます。

 
 栄養が回復してきて、自分の歴史や経験の見え方が変わってきます。
 

 

 

 

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自我が強い力を持ち、ためらいなく“自分”という国の秩序を維持する大切さ

 

 最近、アフガニスタンで、米国が支援していた政権が崩壊して、タリバンが政権を掌握する見通しだ、というニュースを耳にします。

 アフガニスタンだけではなくイラクや、あと北アフリカなど、欧米が介入した地域の安定政権、民主主義体制の樹立はうまくいってはいないようです。

 もともとそれぞれに地域の特性を考慮せずに欧米のものさしで介入を押し進めてしまったことが原因であるようです。もちろん、かつての植民地支配もその前段階として大きな影響があります。

 王族であったり権威主義的なリーダーが問題はありながらも秩序を保っていましたが、それらを排除してしまったことで無秩序になり、さらに問題のあるテロ組織を生むことになったと言われています。

 

 リアルな政治の世界では、理想の前に、いかにそこの地域で安定した秩序を形成できるか?というのは何よりも大事なようですね。
 

 

 

 私たちが住む日本の歴史においても同様です。
 統一した政権が弱くなると、各地で勢力が割拠して争いが増えることは歴史の教科書などで教えられてきました。

 戦国時代などは一番わかりやすい時代ですね。
各地で戦がさかんになり、国盗り合戦の様相を呈していました。

 戦国時代の後に徳川政権が誕生して、平和な時代が300年ほど続くことになりますが、徳川幕府がガッチリと他の勢力を抑えて、正統性も含めて承服させている状態が続いたためです。

 当時は、貿易の権益を求めて海外からも日本に進出しようという勢力がありましたが、当時は日本の力も十分に強く、出島での取引に制限したりしていました。

 全国にひろく秩序が行き渡った状態です。

 

 

 
 例として国を取り上げましたが、秩序が整うことで安定する、というのは、私たちの人格構造においても同じことが言えます。

 私たちは幼いときは、大人の助けを得て成長していくわけですが、全く白紙からというわけではありません。
 「資質」と呼ばれるその子の性格や特性は生まれた時点で存在するといわれています。
 

 愛着を土台に、自分の中心となる自我が尊重され、自他の区別を学び、免疫のように外からのストレスから身を守るすべを身につけ、習い事・学業などでの成功体験も重ねていき、自尊心が育っていきます。

 成長する過程で内面化した他者の価値観はその役目を終え、反抗期などで相対化されていきます。

 私たちの中で、自分の中の秩序を保つに十分な力と正統性をもった人格が出来上がっていきます。

(参考)→「人間にとって正規の発達とは何か?~自己の内外での「公的環境」の拡張

 

 

 以前もお伝えしたことがありますが、私たちはモジュールといって、いくつもの人格でなりたっています。作家の平野啓一郎さんは「分人」とよんでいますが、私たちは状況によって人格を使い分けています。

 さながら様々なプログラムやアプリで動くパソコンやスマートフォンのような状態が私たちなのです。

(参考)→「モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。

 

 いくつもの人格で成り立っているからと言ってもたちまち多重人格者というわけではありません。

 健康な状態では分裂した状態であるとかを意識することはありません。

 なぜなら、主の人格(自我)が十分な力を持って全体を統制しているからです。

 その統制の力や正統性のことを「自己同一性」「自尊心」というのだと思います。

 

 

 しかし、慢性的なストレスや虐待、ハラスメントなどで、主の人格の力が弱まってしまうと、秩序を維持することができなくなります。

 すると、アフガニスタンのように、テロ組織が割拠して力を持ったり、果ては政権を取られたりしてしまうようになります。

 テロ組織が割拠した状態とは、自分の中で自分を責める、否定する人格がいてどう仕様もなかったり、世の中に対して恨みを抱く人格がいたり、猜疑心が強い人格がいたり、あとは、他者の価値観に染まって真に受けた人格がいたりして、それを主の人格が抑えるのに苦労している状態です。

 

 自分を責める動きが強くて、それと対抗するためにへとへとになってしまっている。

 あと、政権は握っているつもりだけども、結局は他者の価値観を持つ人格の傀儡政権となっていることもよくあります。
 本当の実験は他者に握られているような状態です。自分が自分らしく生きることが出来ていない。

 

 

 主の人格(自我)が自意識を保てている場合は良いですが、その力も弱くなり、統一政権が破綻した状態が、解離性同一性障害、多重人格の状態になります。
(参考)→「解離性障害とは何か?本当の原因と治療のために大切な8つのこと(上)」 

 

 解離性同一性障害というと、人格が別れたことばかりが注目されますが、問題は主となる人格の統制力の弱さです。自我の山、自尊心の山(力)が低い。

 その状態では、人格同士が話し合って人格を統合しましょう、なんていうことはできない。

 弱小政党の連立政権みたいにすぐに破綻してしまいます。

 
 大事なのは、中心となる自我の構造を再建し、自尊心を育てること。

 その過程では、ローカルルール人格というような、国内テロ組織と戦って壊滅しないといけないということもあるかもしれません。
(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?

 

 

 実際に自分の中で自分のことを責め続ける、否定し続ける人格が存在していて、この人格の力を弱めるということがトラウマケアのポイントとなることは多いのです。
  

 

 「自尊心とはどういうものか?」という記事をかつて書きましたが、自分という内部においても、いろんな人格に気をつかって、民主的に対等な関係で、というようなことは成り立ちません。

(参考)→「自尊心とはどういうものか?

 

 自分が自分として自立するためには、中心となる自我がある意味わがままに、唯我独尊になることがどうしても必要なのです。
 

 十分な力がなければ、内部を統制することが出来ません。

 トラウマの弊害は、自分の内部でさえ自我の力で他の人格たちを否定する、従わせることをためらってしまうこと。
   
 理想主義的な“いい人”でい続けてしまって内部で勢力が割拠してしまうこと。無秩序状態になってしまうことです。
 結局、内面化したローカルルールの人格が力を持ってのさばってしまう状態です。

 本来は、ボス猿のように、自分に従え、という状態にならないといけない。

 

 自分のIDでログインするとは、自分の中で政権を握るということでもあります。

(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン

 

 無意識や直感は、「王子(王女)、そろそろ国に復帰して、王座にお座りください(ログインしてください)」と告げられているのですが、怖いからと尻込みしてしまって、なかなかそれが出来ないでいる。
 

 自分が自分の国の王であることについては正統性はもとより備わっています。あとは、力への意志だけ。

 
 外から見たら平和主義で穏やかな人たちも、健康な人は皆自分の中では国内を制する強いリーダーであるのです。

 

 

 

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本来の自分の資質に沿って生きる

 

 精神科医の神田橋條治が、ある本の中でこんなエピソードを語っています。

 
 なかなか良くならずに他の病院から紹介されてきた遷延性のうつ病の患者さんについてです。

 その方は18,9歳くらいのときに賭け玉(お金をかけて行うビリヤード)を打ったりして、チンピラみたいなことをしていたそうですが、一念発起して大学に入り公務員になりました。

 しかし、係長になったころにうつ病になり、ベテランの医師が治療してもなかなか良くならなかったそうです。

 

 そこで紹介されてやってきたその患者さんに神田橋氏は「あんた、一番輝いていたのはどの時期?」と尋ね、患者さんが「賭け玉を打っていたころだ」といいます。

 そこで、「じゃあ、賭け麻雀をしなさい」と伝えて、実際にそのようにすると、それまでは薬を飲んでもなかなか良くならなかったうつ病が治ったそうです。
 

 

 

 先日の記事では、ログイン、ログアウトという表現で、悩みからほんとうの意味で回復すためのポイントはなにか?について考えてみましたが、このエピソードはとても示唆的です。

(参考)→「ログアウト志向と、ログイン志向と

 

 エピソードにあるうつ病を患った公務員の方は、頑張って大学に入り、公務員になったわけですが、それは仮のIDでしかなく、本来の自分からはログアウトしたままの状態だった。

 でも、常識的に考えれば大学に入って、公務員で頑張ってということは良いことです。出世もして係長にもなっていた。
 しかし、本来の自分からログアウトしている状態のストレスには長く耐えられず、その事によってうつにまでなった。

 うつは、「ログアウトしたままではだめですよ」というサインですから、ある意味心身は正しく反応している。

 

 
 しかし、医学としては、そのうつ状態を治そうとします。薬を出してみたり、もしかしたらカウンセリングを受けてみたり、と取り組んでみる。

 解決の方向も公務員の方がうつ状態で休職ということですから、当然、公務員として復帰できるように。また真面目に働けるようにという方向になる。

 ただ、結局それはログアウトの方向だった。
 
 それで、いつまでも良くならないでうつ状態が続いた、ということです。

 

 

 神田橋氏が「あんた、一番輝いていたのはどの時期?」と尋ねたのは、ログインの方向はどっち?本来のあなたのIDはどれ?っていう問いだったのでしょう。  

 その方は、それがたまたま賭け事だった。

 さすがに、賭け事だけで生きていくことは難しいですから、社会的に問題にならない範囲で賭け麻雀を勧めて、ログインして生きていくことができるようになった。

 というメカニズムと考えられます。

 

 このように、実際に失われた人生のポイントを探って、その要素を現在の生活に取り入れると、難治のケースが良くなることが珍しくないそうです。
 
 
 このことを「失われた人生の回復」と神田橋氏は呼んでいます。
 

 

  
 トラウマのケアを行っていても、必ずこの「自分がない」「ログインしていない」という問題は出てきます。それが治療の核心といってもいいくらいに。

(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン

 

 

 とても行動力があって、努力もしている人が、「自分がない」「自分が空っぽである」ことに気づく。

 本人にしてもまさか自分がないなんて思ってもみません。なぜなら、こんなに考えて、努力して、行動しているんだから。

 でも、その「考えて」というのは、なによりまず他人の頭の中を考えている。もっといえば、親の頭の中を考えて、親の価値観で生きている。

(参考)→「内面化した親の価値観の影響」 

 

 

 結局、活発な行動があるだけで自分というものはない。
 その証拠にいくら行動しても、積み上がる感覚はない。自分で経験している感じがしない。

 

 クライアントさん自身が無意識に治療に抵抗しているという考えは筆者はあまり好きではないのですが(治療者側の都合のいい言い訳としてや、ゴミ箱診断的に長年使われてきたから)、内面化した規範や価値観などからくる抵抗や葛藤というものは確実に存在します。

 

 たとえば、ログインしたいのに、そうではない方向で生きなければならない、という心の中の圧力。

 サンクコストのように、いままでログインしない方向で頑張ってきたのに、今更自分のIDでログインする方向に進むのはできない。かつての自分の努力は意味がなかったのか、という感覚。
 

 

 あと、「自分がおかしい」というローカルルールの前提が根底に入っていることが多くのケースにありますから、自分のIDでログインしましょう、自分の資質に沿ってといわれても、おかしい自分のままで生きるなんてできない、と感じたりする。
(参考)→「自分は本質的におかしな人間だ、と思わされる。」 

 自分の資質で生きるという提案について「あ、この先生は私に才能がないと思っている。この中途半端な状態が私なんだといいたいんだ?」と勘違いしてしまうことも起きてしまいます。

 

 

 また、自分のIDでログインしたらひどい目に合う、という恐怖心ももっていますから、ログインすることはとてもこわい。

(参考)→「ログインを阻むもの~“私は~”を出すと否定されると思わされてきた

 

 できれば、このログアウトしたままで、セラピーの力で都合よく悩みを解消し、ニセのIDででもいいから社会から期待される姿で生きていきたい、と思っている。

 

 なかなか良くならないケースでは、社会からの期待に沿って、という枠組みが強固な場合が多いです。ものすごく周りを忖度して、忖度した価値観で生きている。たとえば、会社でも出世して結果も出してきている。だから、その期待から外れることはできない。
 でも、そのことが悩みがしつこく続く原因となっている。

 社会的なのぞましさとか世間体、あるべき生き方といったもの圧力がものすごくあって本来の自分の戻ることが出来ず、そのためになかなか変化が起きない、ということが見られます。

 

 かんたんに変わるケースもありますが、手強いケースも多い。本当に良くなるためには避けては通れない。
 ニセのIDのままでいいから悩みだけ取りたい、と思っているとそのことがネックになって悩みが取れないということが起きてくる。

 

 
 冒頭に挙げました神田橋條治氏は「鵜は鵜のように、烏は烏のように」(資質に沿って生きる)ということを治療の要諦として語っています。

 

 筆者も昔は、「そんなのつまらない」「もっと、自分ではないなにかすごいものにならないと生きている意味がない」と思っていました。
 セラピーについても何やら“デキる人”になるための道具のように捉えていたりしていました。
 しかし、そう思っていると、自分の人生は全然うまく行かない。空回りしてとても苦しむことになります。セラピーでも単発では良くなった気がしても“デキる人”にはならず、となる。

 

 自分がみにくいアヒルの子の白鳥や、ライオンキングのライオンであることに気がつくまでには、色々と痛い目にあって、まわりまわる必要があるのかもしれません。

 狼に憧れるけど、自信がなく。でも他人には優越感を持っている。
 「あなたは、ライオンなのよ」といわれたら「イヤイヤ野良犬なんです」と過剰に卑下する。
 野良犬であることを前提にして狼になろうと努力するけど空回り。やっと、ライオンであることに気づくと運命の主権は自分のものになる。

 

 まわりまわったその果てに、やっぱり自分のIDでログインしよう!と思うとうまく回り始めて「もっと早くやっておけばよかった」となったりするのです。

 

 

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