最近、アフガニスタンで、米国が支援していた政権が崩壊して、タリバンが政権を掌握する見通しだ、というニュースを耳にします。
アフガニスタンだけではなくイラクや、あと北アフリカなど、欧米が介入した地域の安定政権、民主主義体制の樹立はうまくいってはいないようです。
もともとそれぞれに地域の特性を考慮せずに欧米のものさしで介入を押し進めてしまったことが原因であるようです。もちろん、かつての植民地支配もその前段階として大きな影響があります。
王族であったり権威主義的なリーダーが問題はありながらも秩序を保っていましたが、それらを排除してしまったことで無秩序になり、さらに問題のあるテロ組織を生むことになったと言われています。
リアルな政治の世界では、理想の前に、いかにそこの地域で安定した秩序を形成できるか?というのは何よりも大事なようですね。
私たちが住む日本の歴史においても同様です。
統一した政権が弱くなると、各地で勢力が割拠して争いが増えることは歴史の教科書などで教えられてきました。
戦国時代などは一番わかりやすい時代ですね。
各地で戦がさかんになり、国盗り合戦の様相を呈していました。
戦国時代の後に徳川政権が誕生して、平和な時代が300年ほど続くことになりますが、徳川幕府がガッチリと他の勢力を抑えて、正統性も含めて承服させている状態が続いたためです。
当時は、貿易の権益を求めて海外からも日本に進出しようという勢力がありましたが、当時は日本の力も十分に強く、出島での取引に制限したりしていました。
全国にひろく秩序が行き渡った状態です。
例として国を取り上げましたが、秩序が整うことで安定する、というのは、私たちの人格構造においても同じことが言えます。
私たちは幼いときは、大人の助けを得て成長していくわけですが、全く白紙からというわけではありません。
「資質」と呼ばれるその子の性格や特性は生まれた時点で存在するといわれています。
愛着を土台に、自分の中心となる自我が尊重され、自他の区別を学び、免疫のように外からのストレスから身を守るすべを身につけ、習い事・学業などでの成功体験も重ねていき、自尊心が育っていきます。
成長する過程で内面化した他者の価値観はその役目を終え、反抗期などで相対化されていきます。
私たちの中で、自分の中の秩序を保つに十分な力と正統性をもった人格が出来上がっていきます。
(参考)→「人間にとって正規の発達とは何か?~自己の内外での「公的環境」の拡張」
以前もお伝えしたことがありますが、私たちはモジュールといって、いくつもの人格でなりたっています。作家の平野啓一郎さんは「分人」とよんでいますが、私たちは状況によって人格を使い分けています。
さながら様々なプログラムやアプリで動くパソコンやスマートフォンのような状態が私たちなのです。
(参考)→「モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。」
いくつもの人格で成り立っているからと言ってもたちまち多重人格者というわけではありません。
健康な状態では分裂した状態であるとかを意識することはありません。
なぜなら、主の人格(自我)が十分な力を持って全体を統制しているからです。
その統制の力や正統性のことを「自己同一性」「自尊心」というのだと思います。
しかし、慢性的なストレスや虐待、ハラスメントなどで、主の人格の力が弱まってしまうと、秩序を維持することができなくなります。
すると、アフガニスタンのように、テロ組織が割拠して力を持ったり、果ては政権を取られたりしてしまうようになります。
テロ組織が割拠した状態とは、自分の中で自分を責める、否定する人格がいてどう仕様もなかったり、世の中に対して恨みを抱く人格がいたり、猜疑心が強い人格がいたり、あとは、他者の価値観に染まって真に受けた人格がいたりして、それを主の人格が抑えるのに苦労している状態です。
自分を責める動きが強くて、それと対抗するためにへとへとになってしまっている。
あと、政権は握っているつもりだけども、結局は他者の価値観を持つ人格の傀儡政権となっていることもよくあります。
本当の実験は他者に握られているような状態です。自分が自分らしく生きることが出来ていない。
主の人格(自我)が自意識を保てている場合は良いですが、その力も弱くなり、統一政権が破綻した状態が、解離性同一性障害、多重人格の状態になります。
(参考)→「解離性障害とは何か?本当の原因と治療のために大切な8つのこと(上)」
解離性同一性障害というと、人格が別れたことばかりが注目されますが、問題は主となる人格の統制力の弱さです。自我の山、自尊心の山(力)が低い。
その状態では、人格同士が話し合って人格を統合しましょう、なんていうことはできない。
弱小政党の連立政権みたいにすぐに破綻してしまいます。
大事なのは、中心となる自我の構造を再建し、自尊心を育てること。
その過程では、ローカルルール人格というような、国内テロ組織と戦って壊滅しないといけないということもあるかもしれません。
(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?」
実際に自分の中で自分のことを責め続ける、否定し続ける人格が存在していて、この人格の力を弱めるということがトラウマケアのポイントとなることは多いのです。
「自尊心とはどういうものか?」という記事をかつて書きましたが、自分という内部においても、いろんな人格に気をつかって、民主的に対等な関係で、というようなことは成り立ちません。
(参考)→「自尊心とはどういうものか?」
自分が自分として自立するためには、中心となる自我がある意味わがままに、唯我独尊になることがどうしても必要なのです。
十分な力がなければ、内部を統制することが出来ません。
トラウマの弊害は、自分の内部でさえ自我の力で他の人格たちを否定する、従わせることをためらってしまうこと。
理想主義的な“いい人”でい続けてしまって内部で勢力が割拠してしまうこと。無秩序状態になってしまうことです。
結局、内面化したローカルルールの人格が力を持ってのさばってしまう状態です。
本来は、ボス猿のように、自分に従え、という状態にならないといけない。
自分のIDでログインするとは、自分の中で政権を握るということでもあります。
(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン」
無意識や直感は、「王子(王女)、そろそろ国に復帰して、王座にお座りください(ログインしてください)」と告げられているのですが、怖いからと尻込みしてしまって、なかなかそれが出来ないでいる。
自分が自分の国の王であることについては正統性はもとより備わっています。あとは、力への意志だけ。
外から見たら平和主義で穏やかな人たちも、健康な人は皆自分の中では国内を制する強いリーダーであるのです。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
“自我が強い力を持ち、ためらいなく“自分”という国の秩序を維持する大切さ” への2件の返信
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