ある学者が、「個人-中間集団-国家」と3層で考えたときに、日本は、個人主義と国家主義が弱い、みたいなことを書いていて、とても印象的でした。
たとえば、戦前の日本は、国家主義で「お国のために」と建前では強調されていましたが、実際は国ではなく、省益や世間の圧力で動いていました。
イメージとは異なり、戦前は国の力がとても弱い時代でした。
事実、総理大臣でも戦争を止めることはできないし、予算も通せないし、大臣を選ぶのも自由にできない。
天皇にも全く発言権はない。無責任体制と呼ばれるような極度な“分権制”でした。
そのために機能不全に陥ってしまい、本音ではしたくもない戦争に突入して負けてしまった、ということのようです。
この学者さんの指摘が印象的だと感じましたのは、機能不全に陥る状態が、トラウマを負った人とよく似ている、ということです。
「1.自我」-「2.中間集団」-「3.公的規範」の三層でとらえた場合に社会と同様に、私たち人間にとっての機能不全状態とは、「1.自我」と「3.公的規範」が弱い状態を言います。
反対に、機能している状態というのは、「1.自我」と「3.公的規範」がしっかりとしていて、「2.中間集団」はそれに従属しているような状態です。
「3.公的規範」とは言い換えると「常識(パブリックルール)」ということです。
(図解)機能している状態-機能不全状態の違い
機能している状態:「◎1.自我」-「△2.中間集団」-「○3.公的規範」
機能不全状態: 「●1.自我」-「◎2.中間集団」-「●3.公的規範」
「1.自我」というのはすべての土台です。
これは愛着によって支えられます。
愛着の支えによって健康に形成されていく「1.自我」は、教養、仕事を通じて「3.公的規範」に接続されます。
「◎1.自我」-(教養・仕事)-「○3.公的規範」というラインが揃うと公的な人格として自我も発揮しながら自己一致、自己実現が果たされるのです。
しかし、愛着が不安定であったり、トラウマによってダメージを負ってしまうと、「1.自我」がうまく確立しなくなる。そうすると、「1.自我」を確立するために内面化していた他者(通常は親)の規範がローカルルールとなって「1.自我」を支配するようになってしまいます。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
「1.自我」は単なる不安定な私的情動となって、その人を苦しめるようになります。
その結果、「3.公的規範」とうまくつながれていない「2.中間集団」のローカルルールに支配されやすくなります。
「2.中間集団」のローカルルールとは、具体的には、家族の支配、学校でのいじめ、会社でのハラスメント、などが代表的です。
(図解)ローカルルールに支配されてしまう
「◎他者の規範」が支配
↓
「●1.自我」→「◎2.中間集団」に支配されやすくなる→「●3.公的規範」に繋がれない。
中間集団に支配された自我は、さらに中間集団に従属あるいは他者を巻き込んでいって、というハラスメントの連鎖が起きるのです。
(図解)ハラスメントの連鎖
「●1.自我 」 → 「◎2.中間集団」に支配されやすくなる→
↓ 巻き込み≒支配
「●1.自我 」 → 「◎2.中間集団」に支配されやすくなる→
↓ 巻き込み≒支配
「●1.自我 」 → 「◎2.中間集団」に支配されやすくなる → 「●3.公的規範」に繋がれない。
「自我」が弱い人が、形だけの「常識」を肥大化させたようなケースもよくあります。これをニセ成熟といいます。
外では礼儀正しいのに、自分が全然ない、という状態です。
結局、中間集団への感情に強く影響されてしまいます。
(図解)ニセ成熟
「●1.自我」-「◎2.中間集団」-「◎形だけの常識」-「●3.公的規範」
(参考)→「ニセ成熟(迂回ルート)としての”願望”」
自己啓発やある種のセラピーによって、「1.自我」を抑えましょう、無意識に委ねましょうというのも機能不全を引き起こします。
基盤となる「1.自我」を叩いてしまうのですから当然の流れです。
この場合は、中間集団のポジションにセラピーの論理が来てしまっていて真の解決を阻む、という構図になってしまいます。
(図解)自己啓発やセラピーがログアウトを志向してしまう
「●1.自我」-「◎2.中間集団(自己啓発やセラピー)」-「◎-セラピーの論理」-「●3.公的規範」
(参考)→「ログアウト志向と、ログイン志向と」
「2.中間集団」の役割とは、本来「3.公的規範」の代理店です。家族もそう、会社、学校もそうです。
機能している家族、会社は、個人(自我)を尊重した上で、「3.公的規範」を代表し、個人を社会につなげる役割を持っています。
家族であれば「愛着」を、
学校は「教育、教養」を、
会社は「職能、技能」を、提供することを通じて、社会の中での位置と役割を個人に与えています。
生きづらさから抜け出そうという場合、こうした構造を知ることはとても大事です。そのうえで、欠けているものを補い、足を引っ張っているものを取り除いていく。
特に、いかに「1.自我」を強化していくか?ということが大切で、そのための基礎は「睡眠、食事、運動」であり、「2.中間集団」の影響から抜け出し、「3.公的規範」とつながることがとても大事。
そのための橋渡しが、「愛着」「教育、教養」「職能、技能」です。
(参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能」
愛着については、以前もお伝えしましたが、特に成人が一人の人から全てを得ることは出来ませんので、街で出会う人達から、0.01程度をコツコツ集めていく。ちょっとした挨拶、目配せ、気配りで十分。
そうしたものをじわじわ浴びる。
深い付き合いは必要ありません。負担になってしまいます。
(参考)→「0.01以下!~眼の前の人やものからはほんのちょっとしか得られない」
橋渡しとしてあげた項目ですが、実は、濃淡はあれ、それぞれを有していたりしますから、「私は~」という言葉を意識して、それらに自分の名前をつける、ということをしていくことです。
これまでは、完全でなければ自分のものではない、としていたのを、厚かましいくらいに自分のものだと捉えていく。
難しい状況にある方も多いですが、やはり、社会の中で位置と役割を得られるように様々な支援を受ける。
機能している状態:「◎1.自我」-「△2.中間集団」-「○3.公的規範」
を意識して、環境を整えていくことがとても大切です。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
・ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ
・お悩みの原因や解決方法について