社会心理学では、「ソーシャルリアリティ」といい、現実は社会的に作り出されている、と捉えます。
特に人間関係では、それは顕著で、他者からの承認がなければ成立することがありません。
例えば、ジャイアンがジャイアンとして成立するためには、スネ夫とかのび太がいないといけないでしょうし、その反対もそうです。
人間関係では、無意識に配役が当てられて、それを演じさせられるということは起こります。
ローカルルールで作られる関係においては、特に顕著です。なぜなら、ローカルルールは私的な情動で作られたニセルールですから、現実にしっかりとした足場がありません。
ローカルルールが維持されるためには、それに巻き込まれる人たちが必要になるのです。
その巻き込まれる人たちとは例えば家庭であれば「子ども」、学校であれば「いじめられっ子」や「傍観者」「教師」、会社であればそこで働く「従業員」であったりします。
不安定な人が発する理不尽な言いがかりを、受け止めることを強要されます。
もちろん、その言いがかりは、私的な情動から発しているのですが、まさか「これは個人的な感情です」とはいえませんから、「これが常識だ」「これがノリということだ」「仕事のルールだ」と騙ります。
それで、その騙ったことをハラスメントを受ける側の人が真に受けます。
こうしてローカルルールが出来上がります。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
ローカルルールを真に受ける側は様々なスタイルの役目を押し付けられます。
「(自分が思うように弄んでいい)被支配者」
「(気の利かない、仕事ができない)教育すべき人間」
といったようなこともそうですが、
結構多いのは、
「いい人」役、や「世話人」役、
「カウンセラー」役をさせられるケースです。
これは、家庭、特に親子関係で多く見られます。
理不尽で、気分の上限の激しい親を、子どもがあくせく共感したり、気を回したり、あたかもカウンセラーのような役割を押し付けられてしまうということです。
(カウンセラーは一般に立場が弱く、共感しなければ、受け止めなければ、といった縛りも多いので、支配には特に都合が良い役目です。傷つけたいときには簡単に傷つけることもできます。)
「共感したり、受け止められなければ冷たい、人として十分ではない」という罪悪感を刷り込まれて、そして、振り回される。
一生懸命対応していても、
「冷たい」だとか、「自分のことを理解していない」だとか言われて、ヘトヘトにさせられてしまう。
本当に正しい対応は、「もうこれ以上、付き合っていられません。勝手にしてください」と静かに伝えることであり、完全に距離をおいて離れることなのです。
ローカルルールを維持することに協力させられ、そして、そのローカルルールによって、自分が支配されたり、傷つけられたりする。
ローカルルールに影響されていることに気が付かなければ、成長して、別の場所に行っても、同じようにローカルルール人格にスイッチした人に振り回されて、カウンセラー役をさせられる羽目になってしまうのです。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
●よろしければ、こちらもご覧ください。