ソロキャンプで有名になった芸人のヒロシさんの番組を見る機会がありました。
ご存じの方も多いと思いますが、ソロキャンプというのは、一人でキャンプを楽しむものです。
休日に一人で自然の中でテントを張って、焚き火をしてコーヒーや食事、そして自然を楽しむ、というものですね。
人づきあいが苦手で、人見知りだというヒロシさんが一人でキャンプに行く様子をYoutubeにあげていたら、それが多くの人の支持されて、今やソロキャンプの開拓者、第一人者となったそうです。
さらに、「焚き火会」といって、同じくキャンプを楽しむ芸人同士でキャンプをしたりする様子がYoutubeやTVでも放送されています。
面白いのは、自身を人見知りだというヒロシさんですが、ソロキャンプを楽しむ者同士が集まってワイワイ楽しんでいる。
いわゆるキャンプと言うと、沢山の人が集まって、気を使ってということになりがちですが、ソロキャンプ同士ですから、キャンプは一人用で別々、ご飯も別々、焚き火も別。
それぞれ適度な距離にいて話をするわけです。
一人用のキャンプと焚き火という壁がちゃんとあって、「基本はソロですよ」というお約束と、同じ趣味という場や作業があって、その上で豊かな人間関係ができている。
この同じ趣味という場や作業がありながらも、「壁がちゃんとある」という安心感があるというのは人付き合いのまさに見本といえるのではないかと感じます。
ゴルフも似たところがあって、基本的に個人競技で、互いにプレーの邪魔をしないという「壁」もあって、同じ場や作業があります。薄い会話を交わしあう。付き合いにおける階層構造を作りやすい。
そのために、接待の定番となっているのでしょう。接待野球とか、接待テニスとかはあまり聞かないですからね。
(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く」
私たちは、ついつい、全くなにもないところで気さくに心を開いて人と付き合う、ということを理想としますが、実はそんな付き合いというのは幻想で、人としてはそのような付き合いはとても難しく、成立しないものです。
何故か生きづらい人ほど、「ワンネス」といったように、壁がない状態を理想としたります。
壁がない家に住むようなもの、国境のない国というのが想定できないように、それはありえない。
(参考)→「人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ」
人と付き合うというのは、前提として心に「壁」がないといけません。
国境をもつ国同士が接する国“際”社会という言葉があるように、私たちもあくまで壁を持つ人間同士で付き合う「人“際”」なのです。
(参考)→「あなたは素直じゃない 怒りっぽい、という言葉でやられてしまう~本来私たちはもっと閉じなければいけない」
人間の発達過程においては、イヤイヤ期や反抗期、ギャングエイジといったもので自分の内面を作り出していきます。「嘘」や「秘密」といったことも、内面の形成には大切だとされます。
家族が支配的で嘘や秘密、そして反抗を許さずにいると、子どもはうまく内面を形成することができなくなります。
内面が形成されないと、一見素直ですが、大人になってから生きづらさに苦しんだり、といったことが生じます。
(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服」
まさに家を建てていくみたいに、基礎を固めて、柱を作って、壁を作って、外と内との境界を明確にしていく。塀を作って安全を確保する、といったように、
人間の人格も形作られていくものです。
そうして、内側ができることで、安心して外と付き合うことができるわけです。
身体は大人になっても自分の家は未完成で、精神的には「親の家」に居候しているような人はとても多いです。
(参考)→「内面化した親の価値観の影響」
人とうまく付き合えない、人に対して心を開けない、という場合は、壁が邪魔をしているのではなく、心の壁が持てていない、ということに起因します。
人間というのは、そのまま付き合うのにはなかなか難しい存在です。
それぞれタイプも価値観も違う。ときに解離しておかしくもなる。妬みや劣等感を持っていたりもする。
そのために、付き合うには道具や環境が必要になります。
それが、心の壁であり、共通する場です。
芸人のオードリーの若林さんが、ゴルフで人見知りが克服できた、と番組でおっしゃっていましたが、まさにこういうしくみのゆえではないでしょうか?
人付き合いが上手く行かない場合の多くで、とくに壁が不足しています。
心の壁はストレスからも守ってくれます。
たとえば、箱庭療法というのがありますが、あれは、箱庭に外枠があることが外界と内界との壁となり、安心感を生み、治療の助けになっているのではないか、といわれています。
人付き合いが得意で気さくな人ほど、心の奥は閉じて外からは見えない感じがしたり、頑固だったり、怒りっぽかったりするものです。
(人付き合いが苦手な人は、心は開いて、素直さが仇となり、感情を出すことに罪悪感があったりします。)
素朴に見える世界像と、実際の世界は真逆であることが多いもので、人付き合いもまさにそうしたものの代表。開くためには閉じてないといけない。
心に壁があるからこそ、一体感や心の交わる感じが感じられ、一方、オープンで壁がないようにしていると、疎外感を感じて、心は傷つきます。
(参考)→「トラウマを負った人から見た”素直さ”と、ありのままの”素直さ”の実態は異なる」
私たちはもっともっと心に「壁」を持たなければいけません。
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