「私は~」というと、社会とつながることができる。

 
 「私は~~が好き」ということを言うと、批判されたり、突っ込まれたりして嫌な思いをするのではないか、自分が人と違って変なやつだと思われて見捨てられるのではないか嫌われるのではないか、と思って、結局、自分を抑えて、自分の意見を言わずに済ませている、という方は多いのではないでしょうか?

 嫌な思いをしないためには、できるだけスキを作らない、相手に情報を渡さないようにする。

 頭の中ではいつも相手の考えていることを読んで、相手に合わせて合わせて話をしている。

 全然楽しくない。

 

 

 ある時、「~~さんって、全然自分のこと話さないよね?」と言われて、「そんなことないよ」といいながら愕然としている自分に気づく。

 積極的に話をしようとしたら、「きつい」といわれてしまったりする。相手は自分の話にそんなに興味を持っていないような気もする。自分の言葉が相手に届いていないのを感じる。

 もう訳がわからなくなってくる。
 
 いつしか、人と付き合うのも億劫になってくる。

(参考)→「自己開示できない!

 

  こうしたことは、幼少期などに不適切な関係のなかで、自他の区別がつかない環境にいたために、主権を奪われてしまったために、生じているものです。

 

 

 私たち人間は、社会的な動物です。遺伝や環境から影響を受け、好き嫌いもその影響の蓄積でしかありません。社会の中に生きていて、そもそも頭の中で考えることでさえ、社会から伝わってきた「言葉」で行っています。

 本来、何一つ自分オリジナルなものはありませんが、そうしたものを自分の中で翻訳して、「私」と言うことで、自己同一性、主権が生まれてきます。
 

 「私」と言うことで、社会の一部を代表することができる。 
(参考)→「「代表」が機能するために必要なこと

 

 なぜ、企業や研究機関が、個々人に対して、インタビューをしたり、アンケートをしたりするかといえば、個々人が社会を代表していることを知っているからです。

 1人の回答の裏には、何万人、何十万人の意見がある。視聴率などはわずか300世帯程度で日本全体を代表したりする。

 トラウマを負うと、「人と比べて自分は変だ。おかしい」と思わされますが、そんな事は全然ありません。

 ちゃんと社会を代表している。

(参考)→すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 

 例えば、服を買うときでもそうですが、店で服を選んで着ている。

 店に並べているということは、デザイナーやバイヤーが選んで置いています。
 企業も、遊びで経営を行っているわけではありません。儲からなければやっていけませんから、店にあるという時点で、ある程度良いものが選別されている、ということ。

 服を買う、のもその中から選んでいるのですから、私たちは、自分の選択が社会から隔絶したものになることはありません。
 
 自分で選んだ、自分の好みだ、と思っていますが、結局は、社会の中で誰かの感覚で選んでくれたものの中から選んでいるということです。

 自分で選んだ服の背後には、何十万人の同じ嗜好の人たちが存在しているのです。

 

 それ以外のものでも同じです。
 販売されているものはその道のプロが選んでくれている。さらに、レビュアーの評価なども参考にして購入を決定しているのであれば、消費者の意見を参考にしている。

 自分の嗜好も、普段インターネットやTVでみているものの影響を受けている。10年前の服を見てなにかダサいな、と感じるのは、現代に生きていて、現代の感覚を代表しているからです。

 
 自分が選んだもの、というは、結局は社会の価値観を代表しているということです。

 

 自分は社会から孤立していて変であり、「私は~~と思う」「私は~~が好きだ」ということに恐れを抱いてしまっていますが、そんなことはないことがわかります。

 自分の意見、考え、というのは、社会を代表しています。

 自分の選択の後ろには社会があり、何十万人、何百万の人がいる、ということです。

 

 「私は~」と堂々と表明すると、背後にある何十万人の人たちを代表することができます。

 その結果、自分ひとりの意見を言っているように見えますが、何十万人、何百万の人の意見を代表しているため、目の前の人の中にある同じ要素にも響き、一体感を得ることができるようになる。

(参考)→「「代表」が機能するために必要なこと

 

   

 一方、「私は~」と言わなければ、代表は機能しません。

 さながら、アンケート調査で、自分の意見ではなく、世間で正しいと思う考えを回答するようなもの。それでは正しい回答にはなりません。

(そうした回答姿勢を「評価懸念」といったりします。自分がどう思われるか?といった観点で回答することです。アンケート調査ではそうしたことが生じないように設問を設計し、実施方法も工夫しています)

 

 

 なぜ、自分が変に思えるのか?といえば、社会ではなく、ローカルルールを真に受けて、ローカルルールの価値観を表現させられてしまっているから。

(参考)→「ローカルルールには、「私」がなく、「私」が苦手」「他者の価値観の影響はかなり大きい

 

 ローカルルールとは、個人の私的情動でしかなく、社会のなにも代表してはいません。 

 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 ローカルルールは、「私」を隠して、ニセの常識であるように振る舞っています。そこには「私」がありません。

「私」を隠すと代表が機能せずに、次第にローカルルールを表現するようになってしまいます。

 言い換えれば、親の価値観をそのまま直訳するような言動になってしまうということ。親の価値観でアンケートに答えるようなこと。

 

 なにも代表していないために相手とも一体感が得られず、ローカルルールの「Your NOT OK」の特徴から、「きつい」と言われてしまうのです。

(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。」「ローカルルールは自分のことは語れない。

 もし、「おかしい」とか「きつい」とつっこまれたりするとしたら、それは、「私は~」ということを恐れて社会ではなくローカルルールを代表してしまっているからかもしれません。
 

 

 

(参考)→すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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