「代表」が機能するために必要なこと

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 私たちは、普通に生きているだけでも、実は何かを代表しています。

 
例えば、

 TVの視聴率は、1億強の人口に対して、わずか300サンプルで計測していると言われています。

 1サンプルに、約33300人の意見が「代表」されていることになります。

 

 なにげなくTVを見たり行動したりしているわけですが、実は、自分の考えではなく、その背後には、大きな母集団が存在している、と考えられるわけです。

 

 決して不思議なことではなく、生きていく中で日本語を話し、TVやネット、書籍からさまざまな情報、規範を内面化して生きています。

 

 食べ物の嗜好でさえ、社会的に形成されたもの。

 遠く海外ではタコは気持ちが悪く、食べない国が多いようですが、日本では普通に食べます。

 大阪では納豆は好まれませんが、関東や東北ではたくさん食べられます。

 「俺は納豆食べへんのや」と自分の好み、考えのように言っていても、実はそれは「文化の影響」だったりする。

 

 パリ大学の小坂井教授は、「人間は、外来要素の沈殿物」と言っていますが、まさにそうです。

 「クラウド的な存在(社会的動物)」として、外からの影響というのはじんわりと常に受けている。

 

 私たちが日常で頭に浮かんだ考え、ちょっとした行動も、自分オリジナルではなく、実は、”普遍的な何か”を「代表」している。

(参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 

 だから、研究やマーケティング調査では、全数を調べなくても100~300サンプル程度で、実質的に全体を知ることができたりする。
 質的研究などは、極端に言えば1サンプルでも成立するとされるのです。

 

 「よろしければ、アンケートにご協力いただけますか?」と街頭やインターネットで依頼をされるのは、私たちが、何かを「代表」しているから。

 この様に「代表」というのは、決して特別なことではなく、普通に生きているだけでも働いているものです。

 

 そして、「代表」は”普遍的な何か”をインプットするだけではなく、アウトプットすることが必要。アウトプットされることで、つながりや生きやすさを感じることができるようになります。

 

 

 ”普遍的な何か”というものをちゃんと体感し、アウトプットしていくためには、いくつかの要件があるようです。

 要件が満たされた状態で機能するのが、「社会的な位置と役割(≒仕事)」というものです。

 私たちは、「社会的な位置と役割(≒仕事)」があることで、”普遍的な何か”をアウトプットすることができる。それがないと、機能不全に陥ってしまう。

(参考)→「「仕事」や「会社」の本来の意味とは?~機能する仕事や会社は「支配」の防波堤となる。」

 

 経営学者のドラッカーが言っていることですが、 

 「位置と役割と持たない者にとって、社会は不合理に満ち、計算できず、かつとらえどころのない存在である。位置と役割を持たなければ社会からつまはじきにされる。根無し草の目に社会は見えない。彼らにとって社会は半分しか見えない。半分しか意味がなく、半分は暗闇という予測不能な魔物の世界に過ぎない。」

 

 「半分は暗闇という予測不能な魔物の世界」という表現は、まさにトラウマを負った人、あるいは発達障害などによって生きづらさに苦しんでいる人が感じている社会の姿です。

 

 さらに、その位置と役割が機能するためには、大きく言うと2つが必要です。

 それは、「身体の安定」と「自他の区別」です。

 身体の安定とは、特にストレスに対処する機能の安定を指しますが、自律神経系、免疫系、内分泌系の3系が働いていることが必要です。

 そのためには、睡眠、食事、運動が大切です。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 発達障害の方などが生きづらいのはなぜか?といえば、決してパーソナリティに問題のあるのでも、社会性に問題があるのでもなく、感覚過敏やストレス応答系の不安定さもあり、「身体の安定」がうまく取れていない、ということにあります。

 
 
 次に、「自他の区別」です。

 「代表」が機能するためには、自我が成熟していることが必要ですが、特に「自他の区別」がちゃんとついていることがとりわけ大切。

 

 子どもの頃に自分の嘘や秘密を持ったり、反抗期になって親の価値観を否定したりして自他の区別がついてくる。
 反対に、理不尽な環境だと、家族の秘密を持たされたり、反抗期が適切に通過できなかったりして、「自他の区別」がつかなくなってしまう。

(参考)→「自他の区別がつかない。

 

 自他の区別がつかないために、他人のもの=ローカルルールを代表させられるようになってしまい、「自分がない人」になってしまうのです。

 

 「身体の安定」と「自他の区別」がつくと公的な環境を保ちやすくなりますし、自分の中でも(モジュール/人格の)秩序を維持しやすい。

 内的にも安定が取れて、「代表」が機能している状態のことを「自己一致」といいます。

 

 反対に、自分ではなく、ローカルルールを代表させられたり、振り回されている状態は「自己不一致」。

 こうしたことが、ワンパッケージで提供される(プリインストール)のが「愛着」という便利なものなのです。

 

 愛着不安の何が面倒か、といえば、PCに例えれば何も入っていないPCに「OSをインストールして・・」「ドライバをダウンロードして・・」「オフィスを入れて・・」と全部自分でしないといけなくなることです。

 ただし、人間がよりよく生きていくために必要な要件というのはわかってきていますから、愛着が不安定でも、PCのたとえのように自分で成人してから回復させることはできるのです。

 そして、「代表」が機能するようにすることで、自己一致して生きていくことができるようになる。 
  

 “普遍的な何か”というのは、万人に同じ様にインプットされるのではなく、百人いると百人ともインプットされるものが少しずつ異なる。 
 だから統計でもばらつきが出たり、説明できる量に限界が出る。
 

 実は、私たちがインプットする”普遍的な何か”には、それぞれ異なる”問い(課題)”が隠れていると考えられている。問いとは、別に不思議なのものではなくて、社会が抱えている課題のこと。

 「代表」が機能していると、社会の課題も、それぞれ「代表」しているその人の特徴に沿ってやってくる。その“問い”に気づいて、“問い”に答え、その結果を”世に問う”ように社会に返すことで、「代表」の機能は満たされるのです。

 

 世に問うというのは、けっして芸術家みたいな作品を作ることでも、派手な事業をすることでもありません。普通に世の中で生きて働いているだけでよい。

 

 反対に、ローカルルールを代表してしまっていると、自分の問いではなく、家族などの”問題”を解かされてしまい、苦しむようになります。その”問題”は単なる私的な情動に過ぎず、不毛であり、そこになんの意味もありません。
 

 「身体の安定」と「自他の区別」が得られないことで、“自分”というものが、
 位置と役割が得られないことで、“社会”というものが、それぞれ異物のように感じられる。

 それが生きづらさ、というものです。
 

 

 「自分は仕事もしているし、位置や役割はあるはずだけど、やっぱり、生きづらい」といった場合は、

 身体の安定は得られているか?
 (具体的に言えば、睡眠、食事、運動が十分に取れているのか?)

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 自他の区別はついているか?
 (人の気持ちや考えを自分のものとしていないか?)

(参考)→「自他の区別がつかない。

 

 ローカルルールを代表していないか?

 
 
 といったことをチェックして、一つ一つ解決していく必要があります。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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