知識や情報は一周、二周、三周、四周と織り込みながら周回を描く

 今回は、前回お話した、知識や情報を得る、ということについて、さらに書いてみたいと思います。

 私たちは、「知識」「情報」というと、

「正しいか、正しくないか?」

「合っているか、間違っているか?」

といった観点で捉えがちです。確かに、短期的にはそうした見え方になる場合があります。

 しかし、実際の知識や情報、判断というものは、そうした二者択一、あるいは、いくつかの選択肢から一つを選ぶ、というものではありません。

 

 実際には知識や情報とは、 一周、二周、三周、四周と、ぐるぐると周回を重ねながら、他の選択肢や情報も織り込み、厚みを増していく。そんなイメージのほうが近いのではないかと思います。

 

 例えば、ある物事について「A」という選択肢があったとします。

 Aだけを見れば、

「自分には合わないな」

「これは、違うな」

と思うことがあるかもしれません。

 しかし、その後、B、C、D、Eと、いろいろな知識を得たり、検討したり、経験したりする。そうして、ぐるっと一周、二周と回ってみると、

「やっぱりAだったな」「あえてAでいこう」

と、あらためてAを選択することも実際にあります。

 

 この場合、最初にAを選ぶことと、一周、二周、三周と回ったあとにAを選ぶこととは、同じように見えて、実は違います。

 その間に、いろいろな知識や経験、時には失敗も経ています。

 そうした周回そのものが、とても大切なのです。

 

 これは、前回もお話したような、生活のさまざまなことにも当てはまると思います。

 健康であったり、金融であったり、行政の手続きであったり、住宅のこと、あるいは仕事についてもそうでしょう。

 こうしたことを、一周、二周、三周と回っていくもの、と捉えると、知識や判断というものをかなり楽に捉えることができるようになります。

 

 例えば、矛盾する知識があってもいい。

 矛盾する選択肢を、同時に頭の中に置いておくこともできる。

「こちらが正しいから、こちらは間違い」

と、すぐに決着をつける必要がなくなります。

 いろいろな知識を得ながら、矛盾するものも方法として抱えておく。

 そうすると、何か新しい判断をするときにも、より深く物事を見ることができます。

 これまで、ソーシャルワークとか文化ということについてお伝えしてきましたが、こうしたあり方も、とても大切なのではないかと思います。

 

単に、「正しい、正しくない」「AかBか」

と知識を捉えるのではない。

 いろいろなことを経験し、知識を得ながら、円を描くように、ぐるぐると周回して、自分の中に蓄積していく。そうしたイメージで知識を持つ、ということです。

 

 例えば、私たちが親や家族、友人などに相談した時、

「この人は頼りになるな」

と感じることがあります。

 あるいは、職場の上司や、専門家などでもそうです。

 そうした人たちは、単純に、

「これはAです」

「これはBが正解です」

という見方をしているわけではありません。

 

 こちらの事情を汲み取って、

「普通ならこうなんだけど、今回はあえて、こちらにしましょう」

といった助言をしてくれたりします。

 なぜ、そのような見方ができるのでしょうか?

 おそらく、その人の中に、一周、二周、三周、四周と、知識や経験を周回して蓄積してきた厚みがあるからではないかと思います。

 いろいろなケースを知っている。

 失敗も知っている。

 原則も知っているけれど、原則どおりではうまくいかない場合も知っている。

 だから、

「今回は、あえてこうしましょう」

という判断ができる。

 そして、助言を受け取る側も、同じように、一周、二周、三周と周回しながら知識や経験を蓄積していくような受け取り方をするとよいのではないでしょうか。

 

反対に、機能不全な文化ではそうなりがちです。とても平板で奥行きがない。二者択一式で厚みがない。もっと言えば、単なる不安や不全感から行動して、自分の軸もなく、一足飛びに他人に預けてしまうようなスタイルだったりします。

 

 最初に書きましたように、より良い文化においては、

「A、B、Cのどれですか?」

というだけではない、ということです。

 例えば、最終的にAを選択したとしても、そこにはB、C、Dについて得た知識や経験も織り込まれています。

 だからこそ、同じAを選ぶにしても、納得度が違う。

 判断にも深みが出る。

 そして、状況が変われば、方向転換することもできる。

 適切に修正することもできます。

 あるいは、Aを選びながら、その中にBやCやDの要素を取り入れることもできるでしょう。

 知識とは、正解を一つ見つけて終わるものではない。

 一周、二周、三周と回りながら、少しずつ厚みを増していくものなのだと思います。

 そうした知識や経験の持ち方もまた、より良いソーシャルワークや、良い文化をまとっていくことにつながるのではないかと思います。

 

 

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”自己の形成”という難しい問題

 

 前回、前々回と書きましたように、自分(自己)というものが正しく形成されているかどうか?というのは、なかなか難しい問題です。

参考)→「誤った適応」

 

 発達性トラウマにより自己を喪失し、社会でうまくいかなくて困っている、というならシンプルですが、世の中で活躍している人、しっかりしている人が本当に自分を持っているか?といえば、そうではないということがあるわけです。

 

 前者については、これまでもこのブログで書かせていただいてきたように、トラウマによるストレス障害とハラスメントによって自己を喪失してきた、ということですが、後者は一体何なのでしょうか? 

 「うまくいっているなら、それでいいじゃないか?」とも感じますが、本当にそうか?

 あるいは、

 「本当にうまくいっていないならどこから問題化しているはずだから、やはり何十年もうまく行っているということは問題ないのでは?」

という疑問も湧いてきます。

 

 しかし、それ(何十年もうまく言っているように見えること)については、明確に、それはあり得る、よくある、と言えます。

 そうした奇妙な状態が可能なのは、1つには学校や会社、あるいは家族という仕組みの後押しがあるからです。

 学校や会社、家族というのは、そこに過剰適応してしまえば、自分を失ったままでも成果が上がり(むしろ自己を喪失しているがゆえにすごく良いパフォーマンスを発揮し)、何十年も継続する、ということは十分にありえます。

 しかも、私たちが感じるように、家庭生活、会社員生活はあっという間に月日が流れていきます。

 その中でゲームをクリアするかのごとく、上昇し続ける(家庭であれば家事や子育てが行われていく)ということは珍しいことではありません。
 

 

 そんな過剰な適応を可能にする仕組みが(昔からもありましたが)特に現代には顕著です。

 そして、自分に生じるはずの問題を、自分の属するシステムの一番弱い人が肩代わりしているというケースもあります。
 それは、パートナー(妻、夫)であったり、子どもであったり、部下やお客さんであったり。心身の不調、ひきこもり、不登校、パフォーマンス低下、しわ寄せ、といった形で。  
 外での活躍を、パートナーや子どもたちの犠牲で成り立たせている、ということもよくあります。

 

 また、もう一つには、ニセの成功でも自己形成をそこに依拠してしまっては、もう引き返せない、他に移る先がない、というその当事者が暗に抱える不安といった事情もあります。

 こうした悲しいエリート、優等生を描いたドラマや映画はたくさん存在します。

 そして、「現実は小説よりも奇なり」。ドラマや映画以上の信じられないような話が現実には存在しているものなのです。

 

 

 こうした事を考えたときに、
  
 実は、うまくいかない(フィードバックされる環境に身を置く)、ということはとても大切なことです。

 それが本来の自分へと戻るサインとなります。

 昔は大成するためには、「運・鈍・根」が必要、と言ったそうですが、何でも器用に、スピーディーに、というのは誠に変なものです。

 色んな環境に適応できるという(「あの人は、どこに言っても活躍できそう」)、というのは一番良くないことで、そんなありえない芸当を可能にするのは、「自分を失う」ということ以外にはありえません。
 以前の記事で取り上げたどんな課題でも100点を取れる東大生たちは、まさにそうなのかもしれません。
参考)→「世の中で活躍できている人が万全、健全というわけではまったくない。」

 

 

 同じく、
 仕事が厳しいことで有名な会社でエリートになるような人。
 次から次へと仕事が与えられてもクリアし、昇格していくような人。
 会社の文化にもどっぷりと染まれて、課題解決にフォーカスして結果を出せる人。

 これら「デキる人」は、実は自分がないのかもしれません。

 本当の自己とは、適応と同時に、自分に合わないものには不適応を示したり、タイムラグも生じるものです。
 (そんな、苦も無くなんにでも適応できるなんて変でしょう?)

 動物でも植物でも適応できる条件は限られますように、“自己”があれば、合う合わないは必ず存在するはずです。

 

 
 人間(生物)は、どうしようもなさ、情けなさ、弱さがあって、グダグダ、グズグズして、そのことをある程度受け入れてもらえた上に、教育などで人格を修養(涵養)し、社会における位置と役割を得ることでいったん完成していく、あわせて、背後にはグズグズの自分ももっていて、社会的人格との間を行ったり来たりして固着しない、という型なのでしょう。

 真に自己を持つためには、不適応、反抗が必要です。
参考)→「不良の論理」

 
 トラウマの中核は自己の喪失、と『発達性トラウマ』で書かせていただきましたが、もしかしたら、トラウマによって生じる自己の喪失は、自分というものを原的に持ち合わせているからこそ、生きづらさとして生じているのかもしれません。

 生きづらさを感じられる、というのは、そこから立ち上げることができる根がある、という証、希望でもあります。

 

 

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みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

”壊れたラジオ”のように

 

 トラウマやハラスメントから来る自己の喪失が重いケースの場合に多いですが、話が止まらず、ずーっと話をする、という状態になることがあります。

 カウンセリング中も、対話にならず、カウンセラーが方向を変えようと、あるいは制止しようとしても、うまくいきません。
 

 ずっと、問わず語りで、一方的に話を続けるようになる。

 単に躁的になって話をしている、という場合もありますが、ずーっと話が止まらずにという方には特徴があります。それは、自我の統制が非常に弱い状態にある、ということです。

 人間は、他者の言葉を取り込んで、それを内面化している、といわれています(多声的、ポリフォニー)。私たちの思考は、他者の思考の集積でできている。

 

 健康な状態は、内面化した声(規範)について、

・吟味、相対化されている
・多様性がある
・中心となる自我によって統制されている

という特徴があります。スマホにもたくさんアプリがありますが、アンドロイドやiOSなどOSによって制御されていますが、それと同じです。

 

 一方、不全な状態にある場合は、内面化した声(規範)について

・相対化されていない
・多様性が低い
・中心となる自我の統制が弱い

 もっといえば、内面化した声が「超自我化」「人格化」していて、自我の統制を離れて勝手に動き足すような状態です。これが極まれば、「解離性同一性障害(多重人格)」ということになります。

(参考)→「解離性障害、解離性同一性障害とは何か?その原因」

 しかし、多重人格とまではいかなくても、声だけがずっと発せられる、ということはあります。それが、話が止まらずに、ずっと話を続く、という状態です。

 本人が悪いわけではなく、トラウマによる自己の喪失が弱い状態に生じる事象です。

 

 

 あるクライアントさんが、その状態を指して「壊れたラジオのようですね」とおっしゃっていましたが、まさにそんな状態です。意識して、オフにできなくなる。
 

対話ができなくなりますので、当然、カウンセリングが成り立たなくなります。

 最初は、カウンセラーも、「傾聴」していますが、クライアント本人にとっても、それは自身の言葉ではなく内面化した他者の言葉ですから、内容に意味がありません。

 ですから、聞いている側にとっても、意義のあるものとしては伝わってきません。極端になると「聞いていられない」状態になってきます。聞いていられない、というのは人間にとっては、実は、健康的な反応です。発している当人にとっても、その人の言葉ではなく、保持していられない内側の声が漏れているような状態だからです。

 

 では、排泄物のように、聞いていれば収まるか、といえばそうではありません。自分という主体がないと、何十時間話し続けたとしても、発散されないのです。発散とは、主体によって解釈され直されるということを伴って初めて発散となるからです。まさにトラウマ的な無限の世界です。
(統合失調症などは典型ですが、統合失調症の方の話すことを徹底して共感、傾聴するとどうなるか?という実験があったそうですが、改善が見られなかったことが知られています。)

(参考)→「トラウマの世界観は”無限”、普通の世界観は”有限”」

 

 依存症傾向の方が、くだを巻くような話を延々とすることがありますが、それも同様だと考えられます。あれは当人の言葉ではない。

 トラウマ由来で、自我の統制が弱い状態で発せられる、「他者の言葉」あるいは、「ローカルルールを忖度した言葉」は、当人にとっても改善をもたらすことはありません。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 そこで、カウンセラーもそれを制止しようとしたり、なんとかしようとしますが、うまくいきません。

 言葉が止まらなくなっている状態のために、どうしてもカウンセリングが成り立たない場合は、まずは、ウォーキングなどの有酸素運動で、心身のコンディションを整えたり、あるいは、自助会などに参加するなどして、ある程度まで自我の統制を回復する必要があります。

 そうして、コンディションが整えば、ようやく解決に向けて取り組んで、ということになります。

 

 

 「壊れたラジオのよう」というのは、機能不全な家族との会話でもよくみられます。

 そうした中では、対話が成立しないために、会話が一方的に投げつけられる、あるいは、こちらの言葉も届かない、理解してもらえない、という関係があります。

 また、家族から自分が理解してもらえないということでもあるために、言葉を多く尽くすことにもなります。

 それでも理解してもらえないので、強迫的になり、言葉が無限に湧き出るような状態になるのです。

 

 あるいは、ずっと愚痴や暴言を吐き続ける、なんていうのもある意味そうかもしれません。

 あるいは、頭の中でぐるぐる渦巻く自分を責める声や、思考というのも、まさに、「壊れたラジオのよう」です。

 実は、それらはOSに統制されていない他者の言葉です。

 そんなふうに見ていくと、自身の状態を客観的に捉えて、解決の足場を作っていくことができます。

 

 

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経験が偽装されている

 

 トラウマというと、フラッシュバックや、EMDRのような記憶処理の療法のイメージから、「記憶」の失調、記憶というイメージがあるかと思います。

 そのため、記憶を処理すれば治る、といったような感覚がありますが、実際はそうではありません。長引く場合は、「経験」レベルにさまざまな問題が生じている。

 経験というのは、記憶というような表面的なインフォメーションというようなことではなく、体感レベルで染み付くようなもの。その人にとっては、「事実」として認識されているもの、です。

 そのため、単に記憶の問題だとしてセラピーをしていても、なかなか良くなりません。

(参考)→「記憶の主権」

 

 

 しかも、この「経験」というのは、偽装されて刷り込まれています。

 偽装というのは、これまでの記事でもお伝えしてきたように、ゴールポストを動かされて、偽の常識で判断されて、「自分がおかしい」と思わされてきたということです。

 事実というのは予め存在するものではなく、作り出されるものです。
本来は、主観的に自分中心で捉えられるものです。

 しかし、それを自己否定的な価値観が、さも客観的な事実であるかのように刷り込まれてしまっている。

(参考)→「“作られた現実”を分解する。」

 

 

 
 さらに、やっかいなのは、多くの場合、複数箇所でその経験は作られる。

 例えば、家の中でも自分を否定されてきた人が、学校や会社でも同じ目に合う。

 Aさんにハラスメントを受けていた人が、他の場所のBさん、Cさんにも否定されるような経験をする。

 そうすると、「こんなにどこでも否定されるということは、さすがに自分がおかしいという事実には抗えない。確定だ」となってしまう。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か」

 

 

 これも第三者から見ればわかりますが、主となるハラスメントの加害者によって、自分を否定されていれば、自信なさげに他人に接するようになります。
さらに、同じような人にしつこくかかわってしまって、そこで相手がこちらの自信のなさを利用しておかしなことを言ってくる。
 相手の不全感を引き出すような結果となってしまう。

 それでいろいろな場所で嫌な目にあってしまう、という事実、経験が作り出されてしまうことになるのです。

 しかし、それが自分がおかしな証拠か?と言えば、全くそうではありません。

 「おいおい、自分を騙すな、いいかげんにしろ!」と、そんなおかしなループを見抜いて抜け出す必要があります。 

 
 そのためにも、前回お伝えしましたが、ハラスメントを仕掛けてきた相手や環境は一度徹底的に否定する必要があるのです。

(参考)→「まずは完全に否定する」

 

 

 

 

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