”壊れたラジオ”のように

 

 トラウマやハラスメントから来る自己の喪失が重いケースの場合に多いですが、話が止まらず、ずーっと話をする、という状態になることがあります。

 カウンセリング中も、対話にならず、カウンセラーが方向を変えようと、あるいは制止しようとしても、うまくいきません。
 

 ずっと、問わず語りで、一方的に話を続けるようになる。

 単に躁的になって話をしている、という場合もありますが、ずーっと話が止まらずにという方には特徴があります。それは、自我の統制が非常に弱い状態にある、ということです。

 人間は、他者の言葉を取り込んで、それを内面化している、といわれています(多声的、ポリフォニー)。私たちの思考は、他者の思考の集積でできている。

 

 健康な状態は、内面化した声(規範)について、

・吟味、相対化されている
・多様性がある
・中心となる自我によって統制されている

という特徴があります。スマホにもたくさんアプリがありますが、アンドロイドやiOSなどOSによって制御されていますが、それと同じです。

 

 一方、不全な状態にある場合は、内面化した声(規範)について

・相対化されていない
・多様性が低い
・中心となる自我の統制が弱い

 もっといえば、内面化した声が「超自我化」「人格化」していて、自我の統制を離れて勝手に動き足すような状態です。これが極まれば、「解離性同一性障害(多重人格)」ということになります。

(参考)→「解離性障害、解離性同一性障害とは何か?その原因

 しかし、多重人格とまではいかなくても、声だけがずっと発せられる、ということはあります。それが、話が止まらずに、ずっと話を続く、という状態です。

 本人が悪いわけではなく、トラウマによる自己の喪失が弱い状態に生じる事象です。

 

 

 あるクライアントさんが、その状態を指して「壊れたラジオのようですね」とおっしゃっていましたが、まさにそんな状態です。意識して、オフにできなくなる。
 

対話ができなくなりますので、当然、カウンセリングが成り立たなくなります。

 最初は、カウンセラーも、「傾聴」していますが、クライアント本人にとっても、それは自身の言葉ではなく内面化した他者の言葉ですから、内容に意味がありません。

 ですから、聞いている側にとっても、意義のあるものとしては伝わってきません。極端になると「聞いていられない」状態になってきます。聞いていられない、というのは人間にとっては、実は、健康的な反応です。発している当人にとっても、その人の言葉ではなく、保持していられない内側の声が漏れているような状態だからです。

 

 では、排泄物のように、聞いていれば収まるか、といえばそうではありません。自分という主体がないと、何十時間話し続けたとしても、発散されないのです。発散とは、主体によって解釈され直されるということを伴って初めて発散となるからです。まさにトラウマ的な無限の世界です。
(統合失調症などは典型ですが、統合失調症の方の話すことを徹底して共感、傾聴するとどうなるか?という実験があったそうですが、改善が見られなかったことが知られています。)

(参考)→「トラウマの世界観は”無限”、普通の世界観は”有限”

 

 依存症傾向の方が、くだを巻くような話を延々とすることがありますが、それも同様だと考えられます。あれは当人の言葉ではない。

 トラウマ由来で、自我の統制が弱い状態で発せられる、「他者の言葉」あるいは、「ローカルルールを忖度した言葉」は、当人にとっても改善をもたらすことはありません。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 そこで、カウンセラーもそれを制止しようとしたり、なんとかしようとしますが、うまくいきません。

 言葉が止まらなくなっている状態のために、どうしてもカウンセリングが成り立たない場合は、まずは、ウォーキングなどの有酸素運動で、心身のコンディションを整えたり、あるいは、自助会などに参加するなどして、ある程度まで自我の統制を回復する必要があります。

 そうして、コンディションが整えば、ようやく解決に向けて取り組んで、ということになります。

 

 

 「壊れたラジオのよう」というのは、機能不全な家族との会話でもよくみられます。

 そうした中では、対話が成立しないために、会話が一方的に投げつけられる、あるいは、こちらの言葉も届かない、理解してもらえない、という関係があります。

 また、家族から自分が理解してもらえないということでもあるために、言葉を多く尽くすことにもなります。

 それでも理解してもらえないので、強迫的になり、言葉が無限に湧き出るような状態になるのです。

 

 あるいは、ずっと愚痴や暴言を吐き続ける、なんていうのもある意味そうかもしれません。

 あるいは、頭の中でぐるぐる渦巻く自分を責める声や、思考というのも、まさに、「壊れたラジオのよう」です。

 実は、それらはOSに統制されていない他者の言葉です。

 そんなふうに見ていくと、自身の状態を客観的に捉えて、解決の足場を作っていくことができます。

 

 

 みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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経験が偽装されている

 

 トラウマというと、フラッシュバックや、EMDRのような記憶処理の療法のイメージから、「記憶」の失調、記憶というイメージがあるかと思います。

 そのため、記憶を処理すれば治る、といったような感覚がありますが、実際はそうではありません。長引く場合は、「経験」レベルにさまざまな問題が生じている。

 経験というのは、記憶というような表面的なインフォメーションというようなことではなく、体感レベルで染み付くようなもの。その人にとっては、「事実」として認識されているもの、です。

 そのため、単に記憶の問題だとしてセラピーをしていても、なかなか良くなりません。

(参考)→「記憶の主権

 

 

 しかも、この「経験」というのは、偽装されて刷り込まれています。

 偽装というのは、これまでの記事でもお伝えしてきたように、ゴールポストを動かされて、偽の常識で判断されて、「自分がおかしい」と思わされてきたということです。

 事実というのは予め存在するものではなく、作り出されるものです。
本来は、主観的に自分中心で捉えられるものです。

 しかし、それを自己否定的な価値観が、さも客観的な事実であるかのように刷り込まれてしまっている。

(参考)→「“作られた現実”を分解する。

 

 

 
 さらに、やっかいなのは、多くの場合、複数箇所でその経験は作られる。

 例えば、家の中でも自分を否定されてきた人が、学校や会社でも同じ目に合う。

 Aさんにハラスメントを受けていた人が、他の場所のBさん、Cさんにも否定されるような経験をする。

 そうすると、「こんなにどこでも否定されるということは、さすがに自分がおかしいという事実には抗えない。確定だ」となってしまう。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 

 これも第三者から見ればわかりますが、主となるハラスメントの加害者によって、自分を否定されていれば、自信なさげに他人に接するようになります。
さらに、同じような人にしつこくかかわってしまって、そこで相手がこちらの自信のなさを利用しておかしなことを言ってくる。
 相手の不全感を引き出すような結果となってしまう。

 それでいろいろな場所で嫌な目にあってしまう、という事実、経験が作り出されてしまうことになるのです。

 しかし、それが自分がおかしな証拠か?と言えば、全くそうではありません。

 「おいおい、自分を騙すな、いいかげんにしろ!」と、そんなおかしなループを見抜いて抜け出す必要があります。 

 
 そのためにも、前回お伝えしましたが、ハラスメントを仕掛けてきた相手や環境は一度徹底的に否定する必要があるのです。

(参考)→「まずは完全に否定する

 

 

 

 

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自分の言葉を取り戻す

 

 私たちは普段、言葉を話しています。

 しかし、この言葉はどこから来ているか?といえば、自分の外部からです。

 人間は、社会的な動物、クラウド的な存在です。
 外部から得た言葉を、自分の言葉と考えて話をしています。

 
 自分たちは、個人で独立して、自分の頭で考えて生きている、と考えていますが、そうではありません。

 

 すべての要素は外から得ている。

 そのため、近年の心理学では、「自由意志」はないことは当たり前の前提になっています。
 
 では、人間は主体のない操り人形か、といえば、そうではないと考えます。

「自由意志」はないけど、自由意志があるという勘違いの感覚はある。
 そのことを、心理学では「自由意志信念」ともいいます。

 自分の勘違いも含めて、自分が自分の主体となっているか?がとても重要です。それが自我というものではないか、と考えられます。

(参考)→「人間、クラウド的な存在

 

 

 国における「主権」という概念に近い。 

 私たちの国も、自給自足というのはありえず、互いに交易や国際関係に強く影響され、そこから自由ではありません。
 主権についても、自国内だけではなく、他国の賛同を受けて正当性が強化されます。

 独自の文化、というものも歴史をたどると、オリジナルは外にあったりする。
 英語やスペイン語、漢字という他国由来の言葉を利用しているケースも多い。
 
 人々も国外と行き来するので、国民という概念も突き詰めるとよくわからなくなってくる。
  

 

 それでも、国という単位があって、そこに主権がある、というのは重要で、 フィクションであったとしても、それが国の形を明確にしてくれます。

 人間も同様で、主権を持って、自分というものをしっかり確立していることはとても大切です。

(参考)→「自分を主体にしてこそ世界は真に意味を持って立ち現れる

 

 やっかいなのは実質的には属国や植民地になっていても、国(個人)として成立して見えるということ。

 私たち人間は、他人のIDでログインしていても、スマホとして仮に機能するようになっているため、自分が他人中心で生きていてもわからないのです。

 そして、極端に言えば、他人のIDでログインしたまま一生を終えることもできるのです。

 特に社会的には一定の成功を得ている場合は、自分のIDでログインし直す必要性も感じずに(暗に恐怖は感じたまま)、そのまま終わってしまう。

 これは、クラウド的であるがゆえの奇妙な悲劇です。

(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン

 

 

 私たちの多くは、自分の言葉を他人に奪われています。

 その他人の多くは、親などの家族です。

 親の言葉を直訳しているだけで、自分の言葉になっていない。

 誰しもが外から言葉を学び、今この時点でも外から情報や要素を得ているわけですが、主権を持って自分のIDでログインしていれば、それらは必ず自分語に“翻訳”されます。

 直訳した言葉を使うことは、自分の言葉が失われるということです。 

(参考)→「人の言葉は戯言だからこそ、世界に対する主権・主導権が自分に戻る

 

 今回、上梓されました本では、「自分の文脈」という表現を使っていますが、直訳した言葉を使うことは他人の文脈に支配されて生きる、ということです。

 では、いかにして「自分の文脈」、自分の言葉を取り戻せばいいのか?

 本の中では、そんなことにチャレンジしています。

 

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天皇もたくさん愚痴を言い

 

 お正月に新聞を見ていたら、「昭和天皇拝謁記」という本が出版されたとのことで、それについての記事が載っていました。

 

 それによると、これまでの昭和天皇に関する資料というのは、天皇の声を間接的に要約したものが多かったのですが、今回出版された本は、直接書き起こしたような“肉声”で、当時関わった人物たちへの辛辣な声が目立つ、とのことです。

 たとえば、弟の高松宮については「人が右と言えば左」という性格で、戦前は日米開戦論者だった、と批判。
 進歩的とされる三笠宮については「皇族の義務は行わず権利ばかり主張」「皇弟たる自覚が足りぬ」と興奮して話す。

 自分の母親の皇太后についても「感情に勝り、虫の居所が悪いときは正反対の矛盾したことを言う」と批判。

 政治家についても近衛文麿は「無責任」、片山哲は「善人だが意志が弱い」
 天皇退位論を主張していた東大総長の南原繁については「東大総長として常識がない」と、それぞれクソミソに言っているそうです。

 

 これまでの天皇というイメージからはすこし意外に感じられるものばかりです。

 天皇も人間なんだからそりゃ愚痴も言うだろうし当然といえば当然ですが、幼少期から帝王学を身に着け、元老の講釈を受け、神道の最高位の神官であり、戦前は“神”とされていた天皇ですから、わたしたちがセミナーで学んだり、本を読んで行うよりも遥かにレベルの高い“自己啓発”をなさっていたはずです。

 

 でも、当たり前ですが愚痴を言うし、批判もする。 
 
 というよりも、人格に主体性があれば、おかしな状況や人に対して愚痴や不満を言うのが当然。

 

 母親に対して「感情に勝り、虫の居所が悪いときは正反対の矛盾したことを言う」というのは、何やら親近感がわきますが。

 

 

 対して、トラウマを負った私たちは、どうでしょうか?

 全然、人の愚痴は言えない。言わない。
 
 自分の意見は言わない。 

 それが人として良いことのように考えている。
 
 天皇でもそんなことしていないのに、トラウマを負った私たちは一体何を目指しているのでしょう?

(参考)→「愚痴を言わないと発散できない

 

 理想として描いていることが、とても無理なこと、いびつなものであることがよくわかります。
 おそらく、それが理想と植え付けられたローカルルールなのかもしれません。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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