以前の記事でも触れましたが、「私が~」と、自己開示したほうが、相手には干渉されにくくなる。反対に、自己開示を避けてガードをしていると、干渉されてやすくなります。
(参考)→「“自分の”感情から始めると「自他の区別」がついてくる」
なぜでしょうか?
自分を隠しているほうが、自分を守れる、と考えるのは当然のようにも見えます。でも、実際は逆です。
例えば、ある人が、文房具を持っているとします。
自分で買ったものです。他人からそれ誰の?と尋ねられたときに、取られたくないために、自分のものだと、ということを隠しています。
相手が、「それ、あなたものなの?」ときくと、
あなたは、「わたしのものではないの」とこたえます。
相手は、「じゃあ、わたしがもらっていてもいい?」といいます。
あなたは、「いや、それは困るの」
相手は、「だって、あなたのものではないんだから、もらっていってもいいでしょ」といいます。
あなたは、「まあ、そうだけど・・・」
相手は、「じゃあ、2,3個もらっていくよ」
あなた、「・・・・」
と 自分のものと言わないために、干渉されても反論することができず持っていかれてしまいました。
(参考)→「自分の意見ではなくて、世の中こうあるべきという観点でしか意見や不満がいえない。」
最初から、
相手が、「それあなたものなの?」と聞かれて、
あなたは、「わたしのものよ」と答えていれば
相手は、「そうなんだ」
で、終わっていたはずです。
権利の所在はあなたにありますから、相手がその文房具に干渉する権利はもちろんありません。
所有(私は~)を宣言したほうが、恐れに反して、干渉は止まるのです。
人間は社会的な動物です。
公的領域ではまともになり、私的領域ではおかしくなります。
(参考)→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる」
自己開示や「私は~」ということは、自分の周りに公的領域を作り出す工夫でもあります。
自分の考えや意見を言えないと、私的領域のままで、結局相手に干渉されてしまいます。
自分は相手から干渉されやすくて、嫌な思いをしてきた、という場合、相手からの干渉を避けるようと、無意識に権利の所在をぼかしたり、曖昧にしてしまっている可能性があります。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
●よろしければ、こちらもご覧ください。