「奇異な主張」とおかしな前提

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 たまたま、17日付の日経新聞のオピニオン面で目にしたのですが、今回のコロナウイルスの件で、中国(政府系の新聞など)が欧州などの対応を批判し、「自分たちはウイルスの拡散を遅らせるために貢献しており、世界は感謝すべきだという説をしきりに発信している」

 さらに、「コロナの発生源は中国内ではなく、米軍から持ち込まれたという説まで広めだした」そうです。

 

 それに対して、日経新聞のコメンテーターは、「いずれも、奇異な主張と言わざるを得ない」「世界をこれ程苦しめるウイルスは、そもそも中国から拡散した。山火事を起こしてしまった人物が消化に貢献したからといって、責任が帳消しになり、称賛されるはずがない」としています。

 

 

 たしかに奇異な主張です。それを読みながら、どこやらローカルルール(人格)と似ているな、と感じました。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

 ローカルルールも、あくまで、火の手は「個人の私的情動、不全感」からなのですが、それを周囲の人のせいにするものです。

それを真に受けて内面化してしまうと「ローカルルール(人格)」として内面化した人を苦しめることになります。

 まったく奇異なことなのですが、「見捨てられ不安」だとか、「家族の愛」だとか、「自分は不完全な存在だ」といったおかしな前提が入ると、それが奇異なことに見えずに真に受けさせられてしまいます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 例えば、親の機嫌が悪くなり、それを「あなたがいい子ではないからだ」と子どものせいにする。「あんたなんかにできるわけがない」といった心無い暴言を浴びせる。

 冷静に見れば、全く奇異な主張と言わざるを得ません。 
 でも、おかしな前提が入るとそう見えなくなる。

 

 上司が不全感からイライラして、部下に因縁をつけて怒る。「お前は態度がなっていない」と。

 全く奇異な主張と言わざるを得ません。 
 でも、おかしな前提が入るとそう見えなくなる。

 

 

 解離性障害のケースなどでは、治療者はローカルルール人格と直接話をすることがあります。
 その際に、ローカルルール人格が問題を作り出してクライアントさんの主人格を苦しめているにも関わらず、ローカルルール人格が「治療に時間がかかりすぎる」「よくならない」と治療者に文句を言ったりすることが本当に起こります。

 「火をつけているのはお前だろう!」と当然ツッコミたくなる、まさに笑い話のようなエピソードです。

 

 火をつけた人が消防署に文句を言うような全く奇異な主張ですが、もし治療者側に「罪悪感」「(間違った)責任感」というおかしな前提が入っていれば、奇異とは感じられなくなるでしょう。

(参考)→「ニセ良識、ニセのバランス感覚~2、3割は自分のせいだ、というローカルルール

 クライアントさんの主人格がそれを真に受けると、実際に治療がストップしたり、ドロップしたりしてしまいます。

(参考)→「ローカルルール人格はドロップさせようとすることもある。」 

 

 

 

 以前も、記事で書きましたが、境界性パーソナリティ障害などで苦しむ方が、医師などを批判するのも同様に奇異なことなのですが、おかしな前提によって巻き込まれると、それが奇異とは感じられなくなり、ショックを受けて治療者の仕事を辞めてしまうということも起こります。

(参考)→「共感してはいけない?!」 

 

 ※冒頭のコロナウイルスの件でも、もし発生したのが中国ではなくアメリカだったらどうか?とか、時代が違えばどうか?など状況を変えてみると、おかしな前提(アメリカは進んでいるから、とか)が入ってしまって「なるほど、もっともだ」と真に受けてしまう可能性も十分にあります。 

 

 このように、ローカルルールとは、奇異な主張でしかなく、まともに受け取る必要がないものばかりです。
 
 
 自尊心が機能していると、おかしな前提が入らず、奇異だと自然と感じることができるようになります。

(参考)→「自尊心の機能不全」 

 

 

 精神疾患や精神障害、トラウマとは結局、奇異な主張(ローカルルール)と変な前提とが組み合わさった暗示がずっと内面化して取れないままでいること、とも考えられます。

 近年、オープンダイアローグをはじめとするナラティブセラピーなどが注目されるのも、奇異な主張とおかしな前提(ナラティブ)の暗示を解く力があるからなのかもしれません。

 

 ちなみに日経新聞では、奇異な主張をしないといけないのは、「そうしないと、盤石な共産党政権の基盤を保てなくなる不安があるからだ」としていました。

 ローカルルールというのは正統性がまったくないので、事実を曲げたり、奇異な主張で外に因縁をつけない限り、維持できないくらい脆いもの、おかしなものでもあるということです。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由」   

 

 
 さらにいえば、私的領域での人間の発言自体がすべて戯言であり、「奇異な主張でしかない」ということでもあります。

 もっともな顔をしているだけで、戯れに扱うものでしかないし、戯れとして扱わないといけません。

 

 人間の発言の奇異さを捉え、変な前提を健全な反抗で壊して主権を自分に保つ。そのことを身体で知るのが愛着、発達ということなのかもしれません。

(参考)→「ローカルルールと常識を区別し、公的環境を整えるためのプロトコルを学ぶための足場や機会を奪われてきた」   

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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