気安さには文化、環境の積み重ねが必要

 

 「いや、知り合いの~~さんは、気安いけど、人望があるよ」という場合はどうなのでしょうか?

 「べつに怒りっぽくもないよ」と

 
 どう考えればよいのでしょうか?

 
 結論から言えば、その人は、
 基礎がしっかりできたうえでの、応用段階にある、ということです。

(参考)→「暗黙のしくみを知るためには、物事や情報を基礎、応用と分けて考える

 

 

 心の免疫システムがしっかりと構築されていて、自然に活動しているために、その結果、気安く見えている、と考えられます。

 

 例えば、治安が良い国では、警察権力のプレッシャーを感じることは少ないです。
 しかし、治安が良いということは、治安を維持する力は強い、ということです。

 警察だけではなく、コミュニティやカルチャーに治安が保つ力も重要です。

 そんなことの助けの上で、のんびり歩いていても、危険を感じない気安い環境が成り立っています。
 

 最初から、法律も警察も地域文化も無くて大丈夫、ではありません。

 

 

 

 会社でも、自由闊達な会社というのはありますが、その状態に至るまでには、歴史の積み重ねがあったりします。

 自由闊達な結果、利益が上がったという成功体験も必要でしょうし、
 どこまでがOKなのか、という暗黙の前提の積み重ねも必要でしょうし、
 個人がそれぞれ自分を律する信頼関係も必要でしょう。

 他の企業がいきなり、「うちも自由闊達するぞ!」といっても、すぐにはできない。
 無秩序になってしまって、おかしなことになってしまう。

 

 

 お金持ちのお家に育ったお坊っちゃん、お嬢様で、おっとりして誰にも別け隔てがない、みたいな人の場合は、家系も含めて文化、環境の土台(基礎)があるということかもしれません。

(参考)→「「いい人」には意識してなるものではなく、環境の集積である。

 

 そういう背景がない場合に、いきなり別け隔てがない、としようとしても公的環境を作りきれず、相手にやられてしまうだけになります。
 

 特別な背景を持たない、私たち個人で見れば、まずはしっかり閉じる、ガードする。自他の区別をつける、が大事です。

 そこから、良い関係は形成されていきます。

(参考)→「あなたは素直じゃない 怒りっぽい、という言葉でやられてしまう~本来私たちはもっと閉じなければいけない
 

 

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お悩みの原因や解決方法について

自尊心は、気安くない

 

 前回の記事の続きですが、

(参考)→「相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。

 世の中では、自尊心のある人、人望のある人というのは、しばしば、どこか、気安くないところがあったりします。

 あるいは、ある一定以上は近づけなさそうな感じがあります。

 無碍にできなさそうな感じがあります。

 価値のあるものというのは、そのように感じさせるものです。

 誰でも手に取れる、といったものに価値は感じません。
 
 

 しかし、トラウマがあると、

 壁があってはいけない、 
 怒ってはいけない、とか、
 そんな人間にはなりたくない、

 壁があることは下等であると思っていたりします。

 結果、ほんとうの意味で自他の区別をつけることができない。

(参考)→「人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ

 

  
 なぜ、自尊心のある人、人望のある人が気安くないかといえば、

 自分を大事にできている、ということと、

 公的領域の維持ができている、ということがあります。

 人は、公私が曖昧になると不安定になる、というのが「公私環境(領域)仮説」のテーゼです。

 誰からも話しかけられやすい、気安い、というのは、公私が曖昧ということです。

 そうした環境では人はおかしくなりやすいのです。

(参考)→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 

 フランクというのは全くもって良いことではありません。
 フランク(気安さ)が成立するためには前提がある。

 親しき仲にも礼儀あり を保てているということがとても大切です。

 良い友人関係も、それがあります。

 人間関係が壊れるとしたら、多くの場合、公私が曖昧になったときだといえます。

 

 

 

 ↓ 公私環境仮説についても書いています。

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お悩みの原因や解決方法について

相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。

 

 相談されやすい、話しかけられやすい、ということを良いことだと思っている方がいらっしゃるかもしれません。

 たしかに、良いことのように思えます。

 「私はよく親族や知人から相談される」

 「街でも人から声をかけてもらいやすい」
 
 と感じている方はいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 
 相談されることは自分が良い人間であるからだ、話しかけられやすい、というのも、敬遠される要素がないからだ、と、思うかもしれません。

 あるいは、自分に価値を感じる、人から認められている、といったような感じを持つかもしれません。

 

 

 しかし、これは、あまり良いことではありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、というのは、他人から侵害されやすさと相関しています。
 
 相談されやすさ、と、ハラスメントを受けやすい、というのは≒(ニアリーイコール)といっても良いかもしれません。

 

 

 世の中で、人望のある人は、ちょっと怒りっぽい感じがして、気安くなかったりします。

 それは、ちゃんと自尊心があるということで、自分がしっかりあるから、それが魅力であり、人望にもつながる。

 

 一方、話しかけられやすい、というのは、ただ自分を大事にしていないだけだったりします。
 ガードや防壁がないだけで、それは人の善し悪しや人望とは違う。
 
 
 家に例えれば、「入りやすい家」「勝手に入っても怒られない家」
 営業マンからすれば「勧誘しやすい」「訪問しやすい」ということですから。

 人から相談される、ということを喜んでいる場合ではありません。

 

 

 自尊心があるということは、

 「自分の時間は貴重な時間だが、その時間をタダで使おうと思っている?」
 「それ相応のリスペクトはありますか?」

 という気持ちをしっかりと持っているということです。

(参考)→「私を大事にしてくれる?

 

 自分を大事にしていていれば、普通は、大事な自分の時間を渡す意味がない、ということに気づいて、むやみに応じるモチベーションは湧くことはありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、という場合は、

 自分を大事にできておらず、
 リスペクトチェック、時間泥棒チェックといったことがうまく働いていないということです。 

 本来は、心の免疫が働いていれば、リスペクトがあるかどうかにも敏感なものです。

 失礼があったら、怒る、といった雰囲気を醸してもいる。

(参考)→「自尊心とはどういうものか?

 

 

 まずはしっかりと自分をガードする。心は閉じておく。
 自分を大事にすることが第一。

 その上で、人と軽く、いい加減に接する。

 

 

 そうした基礎の果てに、「人望がある」という目指したいところに到達できるかもしれませんが、その反対はありません。

  
 「話しかけにくい」
 「リスペクトを欠いたら、怒られそう」
 「親しみやすいが、気安くない」というのが、健康な姿と言えます。

(参考)→「「いい人」には意識してなるものではなく、環境の集積である。

 

 

 

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闇を忖度する

 

 前記の記事で「闇を忖度する」という表現を使いましたが、トラウマを負ってしまうと、あるいは、ローカルルールに飲まれてしまうと、常識(自分の文脈)に足場が置けなくなり、相手の闇を忖度するようになってしまいます。

(参考)→「公的な場に現れたものこそが本心

 

 相手が理不尽な言動をしたら、その相手の闇や秘密を自分が抱えようとしてしまうのです。

 いじめやハラスメントなどは典型で、相手が闇を抱えて因縁をつけてくるわけですが、それに対して、相手の闇に足場を置いて、更に、その闇が第三者にバレないように、自分が気を使って秘密を守ろうとしてしまう。

 そんなことをする必要はないわけですが、なぜかそんなことを自動的にしてしまう。

 

 

 街中でも、機嫌の悪い人、明らかにおかしな暴言を吐いているような人がいたら、その人に意識が自動的に向いてしまって、なぜかハラハラしてしまう。

 

 

 漠然と不安を感じている場合も、実は他人の不安(闇)を忖度して飲み込んでしまっているのではないか? という視点で見てみると意外な発見があるかもしれません。

 

 それまでは、単に自分がビビりだから、不安症だから、だと思っていたのが、実は他人の問題(闇)を自分のものとしていたからだということがわかります。

(参考)→「問題の根底にある「(作られた)ビビリ」

 

 例えば、「この世の中は他者に冷たく、人は自分に攻撃してくる」というおそれがある場合も、よく分析してみれば、敵意を持って他者に接してくる人の内面を覗き込み、その闇、秘密を自分で抱えていることがわかります。

 

 ここでも闇を忖度していて、その忖度したものからビビリが来ている。 

 常識に足場を置いている安心感があれば、そんな闇は忖度せず、「なにあなた? おかしいんじゃないの?」と突っ込んで、否定すればいい。

 相手の事情なんかお構いなしに、却下すればいい。 

 お付き合いしなくていい。

(参考)→「つねに常識に足場を置く

 

 

 愛着不安とかトラウマというのは、結局、この足場(常識)を奪われてしまうこと、にほかなりません。
 
 理不尽を押し付けるためには、ルールで偽装しなければなりませんから、 理不尽に触れ続けるということは、常識が何か?ということに自信が持てなくなることでもあります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 そして、闇を忖度することが自分の責任、当たり前のようになってしまうのです。

 相手の事情まで自分の責任と感じてしまい、闇を忖度することが当たり前になっていないか? を一度チェックしてみることは、生きづらさを解消するのにとても役に立ちます。
 

(参考)→「忖度とはなにか? 相手の負の世界を飲み込んでしまう。黙ってしまう。

 

 

 

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