相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。

 

 相談されやすい、話しかけられやすい、ということを良いことだと思っている方がいらっしゃるかもしれません。

 たしかに、良いことのように思えます。

 「私はよく親族や知人から相談される」

 「街でも人から声をかけてもらいやすい」
 
 と感じている方はいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 
 相談されることは自分が良い人間であるからだ、話しかけられやすい、というのも、敬遠される要素がないからだ、と、思うかもしれません。

 あるいは、自分に価値を感じる、人から認められている、といったような感じを持つかもしれません。

 

 

 しかし、これは、あまり良いことではありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、というのは、他人から侵害されやすさと相関しています。
 
 相談されやすさ、と、ハラスメントを受けやすい、というのは≒(ニアリーイコール)といっても良いかもしれません。

 

 

 世の中で、人望のある人は、ちょっと怒りっぽい感じがして、気安くなかったりします。

 それは、ちゃんと自尊心があるということで、自分がしっかりあるから、それが魅力であり、人望にもつながる。

 

 一方、話しかけられやすい、というのは、ただ自分を大事にしていないだけだったりします。
 ガードや防壁がないだけで、それは人の善し悪しや人望とは違う。
 
 
 家に例えれば、「入りやすい家」「勝手に入っても怒られない家」
 営業マンからすれば「勧誘しやすい」「訪問しやすい」ということですから。

 人から相談される、ということを喜んでいる場合ではありません。

 

 

 自尊心があるということは、

 「自分の時間は貴重な時間だが、その時間をタダで使おうと思っている?」
 「それ相応のリスペクトはありますか?」

 という気持ちをしっかりと持っているということです。

(参考)→「私を大事にしてくれる?

 

 自分を大事にしていていれば、普通は、大事な自分の時間を渡す意味がない、ということに気づいて、むやみに応じるモチベーションは湧くことはありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、という場合は、

 自分を大事にできておらず、
 リスペクトチェック、時間泥棒チェックといったことがうまく働いていないということです。 

 本来は、心の免疫が働いていれば、リスペクトがあるかどうかにも敏感なものです。

 失礼があったら、怒る、といった雰囲気を醸してもいる。

(参考)→「自尊心とはどういうものか?

 

 

 まずはしっかりと自分をガードする。心は閉じておく。
 自分を大事にすることが第一。

 その上で、人と軽く、いい加減に接する。

 

 

 そうした基礎の果てに、「人望がある」という目指したいところに到達できるかもしれませんが、その反対はありません。

  
 「話しかけにくい」
 「リスペクトを欠いたら、怒られそう」
 「親しみやすいが、気安くない」というのが、健康な姿と言えます。

(参考)→「「いい人」には意識してなるものではなく、環境の集積である。

 

 

 

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闇を忖度する

 

 前記の記事で「闇を忖度する」という表現を使いましたが、トラウマを負ってしまうと、あるいは、ローカルルールに飲まれてしまうと、常識(自分の文脈)に足場が置けなくなり、相手の闇を忖度するようになってしまいます。

(参考)→「公的な場に現れたものこそが本心

 

 相手が理不尽な言動をしたら、その相手の闇や秘密を自分が抱えようとしてしまうのです。

 いじめやハラスメントなどは典型で、相手が闇を抱えて因縁をつけてくるわけですが、それに対して、相手の闇に足場を置いて、更に、その闇が第三者にバレないように、自分が気を使って秘密を守ろうとしてしまう。

 そんなことをする必要はないわけですが、なぜかそんなことを自動的にしてしまう。

 

 

 街中でも、機嫌の悪い人、明らかにおかしな暴言を吐いているような人がいたら、その人に意識が自動的に向いてしまって、なぜかハラハラしてしまう。

 

 

 漠然と不安を感じている場合も、実は他人の不安(闇)を忖度して飲み込んでしまっているのではないか? という視点で見てみると意外な発見があるかもしれません。

 

 それまでは、単に自分がビビりだから、不安症だから、だと思っていたのが、実は他人の問題(闇)を自分のものとしていたからだということがわかります。

(参考)→「問題の根底にある「(作られた)ビビリ」

 

 例えば、「この世の中は他者に冷たく、人は自分に攻撃してくる」というおそれがある場合も、よく分析してみれば、敵意を持って他者に接してくる人の内面を覗き込み、その闇、秘密を自分で抱えていることがわかります。

 

 ここでも闇を忖度していて、その忖度したものからビビリが来ている。 

 常識に足場を置いている安心感があれば、そんな闇は忖度せず、「なにあなた? おかしいんじゃないの?」と突っ込んで、否定すればいい。

 相手の事情なんかお構いなしに、却下すればいい。 

 お付き合いしなくていい。

(参考)→「つねに常識に足場を置く

 

 

 愛着不安とかトラウマというのは、結局、この足場(常識)を奪われてしまうこと、にほかなりません。
 
 理不尽を押し付けるためには、ルールで偽装しなければなりませんから、 理不尽に触れ続けるということは、常識が何か?ということに自信が持てなくなることでもあります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 そして、闇を忖度することが自分の責任、当たり前のようになってしまうのです。

 相手の事情まで自分の責任と感じてしまい、闇を忖度することが当たり前になっていないか? を一度チェックしてみることは、生きづらさを解消するのにとても役に立ちます。
 

(参考)→「忖度とはなにか? 相手の負の世界を飲み込んでしまう。黙ってしまう。

 

 

 

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公的な場に現れたものこそが本心

 
 「あの人は、おもてむきは笑顔だけど、裏では私のことを悪く言っているに違いない」とか。
 
 「褒めてくれていたけど、社交辞令にすぎない」と思うことがあるかもしれません。

 自信がない、自己肯定感が低い、といった場合にはそうした感覚になりやすかったりします。

 そして、自分については悪いことばかりを拾ってしまう。

 相手の頭の中を忖度し、想像して、悪く思っているであろうことを探してしまう。

 

 

 こうしたことの原因の一つは、相手の頭の中に本音、本心があると思っているからです。

 先日出させていただきました本にも書いていますが、相手の頭の中には本音も本心もありません。 

(参考)「プロカウンセラーが教える 他人の言葉をスルーする技術」

 

 相手の頭の中にあるのは、ドロドロとした私的領域です。

 たとえていえば、製品ができる前の鉄鋼炉みたいなものです。

 
 人間は社会的な動物です。

 公的な場に現れたものこそが本心です。

 

 

 反対に陰口というのは、その人が内面化した他者の不全感が漏れ出たものである、ということです。

 その陰口が、自分の何かを指している、的を得ている、ということはありません。

 ですから、人の陰口を聞いて真に受ける必要はありません。

 「ああ、不全感を抱えているんだな」と思えばいい。

 相手の頭の中は想像したり、覗き込んだりしない。

(参考)→「忖度とはなにか? 相手の負の世界を飲み込んでしまう。黙ってしまう。

 

 ホテルやレストランのバックヤードを覗きに行くみたいに、意味がありません。
 (これがこのお店の実態だ!と考える人はいません)

 表の整ったところだけを見ていればいい。 
 

 

 

 愛着が安定しているとは、物事の裏側に関するノイズをキャンセルできるということ。

 闇を忖度しようとしたり、覗こうとしたりする動機や誘引を自分の中からも除外しているということ。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、メカニズム

 

 そんな愛着が安定している人のほうが、成熟できていて、「世の中いろいろなことがあるからね~」として、人の弱さを客観視、相対視することができたりします。

 それは、これまでもお伝えしたように、多要素で、多元的であることが身体でわかるから。
 

 

 一方で、トラウマを負っていると、闇を忖度する一方で、妙に幼く、純粋なところがあって、理想を求めるからこそ、闇を覗きに行くようなところがあります。

 それは、闇を理想と騙るのがローカルルールであり、その影響を受けているということもあります。 

 一元的に捉えてしまい、自分を中心に、世界を構造で捉えるということが難しくなってしまうのです。

(参考)→「自分の文脈を持つということは、多次元並列や構造、手順で世界を捉えるということ

 

 

 

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自分の文脈を持つということは、多次元並列や構造、手順で世界を捉えるということ。

 

 物理的な世界というのは、つねに多要素、多次元並列で成り立っています。

(参考)→「愛着的世界観とは何か

 そして、それらは構造化されていて、矛盾するようなものが均衡をもって成り立っている。

 多様な存在が、それぞれに存在できる大きな余地(スペース)があります。

 
 そんな現実に対して、どちらか一方、正しい=間違っている、といった一次元的な感覚で語れるわけがありません。

 不思議なことに他人の文脈を丸呑みしてしまい、主体性がないと、
 一次元的な世界観に陥ってしまう。
 

 すべてが一軸に回収されて表現されるような感覚になる。

 その世界の中では、自分は一番下か、根源的におかしな存在として意識されしまう。

 終わらない努力でようやく水面上に顔を出せるような、苦しく、逃げ場のないような感じに感じられる。

(参考)→「トラウマを負うと、手順や段階、多次元多要素並列という視点が抜ける

 

 こうした状態を、単声的(モノフォニー)といいます。

 対して、本来の状態は、多声的(ポリフォニー)と表現されます。

 多元的で多様なものが同時に存在でき、自在に構造化される。

 

 それらを自分の中に内面化して、安心安全に併存させることができるためには、自我、主体性が必要になります。

 自我、主体性がなければ、たちまち、単一の声、次元が圧倒してしまい、単声的(モノフォニー)な状態に陥ってしまうのです。

 
 自分の文脈を持つ、というのは決して、独りよがりになることでも、自分の考えしか持てなくなることでもありません。

 人間は社会的な動物です。

 社会化されなければ、主体性は持てませんし、自我がなければ社会化する基盤もなくなります。
 
 自我というログインIDで、世界に参画して、今度は自分主体で社会を編集する。

(参考)→「世界はあなたがログインすることを歓迎している。

 
 反対に、手順や構造という感覚がなく、「どちらが正しいか?」「どちらかしか成り立たない」という考えに陥っているとしたら、それは自分が失われている、と言えるかもしれません。

 

 

 

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