家族の機能不全の影響はとても大きい。

 

 最近、痛感するのは、家族の機能不全の影響はとても大きいということです。

 機能不全の家族のもとに育つと、自分がなくなる。
 肉体的には生きていますが、自分というものがよくわからなくなってしまう。

 感覚的には、白い靄(もや)がかかったような、自分の思考や感情が定まらず、日常のことでも自分が何をしたいかがわからなくなる。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 機能不全な家族や親というのは、いわゆる虐待する親、毒親、といった感じともちょっと違っていたりする。

 話を聞いていれば、一見、ひどい家族には見えません。

 よくあるケースとしては、
 どちらかが仕事で家庭を顧みず、もう一方の親は主体性がなく、ほんとうの意味で自分の意見や考えがない。
 それぞれ世間体は良く、ただ、トラブルがあっても子どもの味方をしない。

 

 別のケースでは、
 どちらかが過干渉で、もう一方の親は積極的な主張がなく存在感が全くない。
 いるのかいないのかわからない。
 過干渉なパートナーを注意することもない。

 

 あるいは、
 宗教やそれに類するような活動や思想に熱心で、自分本来の考えや常識から子どもに接することができない。

 

 あるいは、
 子供に対して不安や恐れを抱いている。
 (健康不安もそうですし、自我を野放しにしていたらとんでもないことになるのでは? この子は異常なのでは? など)
 

 あるいは、
 放任で関わりが薄い。

 

 あるいは、
 常に喧嘩両成敗(あなたにも悪いところがある)や、私的感情や気まぐれからしか判断せず、家庭内に真の意味での正義や常識がまかりとおらない。

(参考)→「「喧嘩両成敗」というローカルルール

 

 

 それぞれについて虐待というわけでも、ネグレクトというわけでもなく、経済的な意味での養育には問題はないという場合も多いです。
 むしろ、必要なものは買い与えているし、例えば、学費も言われるままに出している。
 学生であれば、下宿の費用も生活費も全部持ちというくらいに。

 しかし、大切なものが欠けている。

 

 

 例えば、会社だと、社長や、部長や係長がいて一応仕事はしているけど、それが機能していなければ、会社は倒産するかもしれません。

 野球やサッカーのチームでは、それぞれにチームには監督もいて、キャプテンもいるけど、機能しなくなると全く勝てなくなります。
 
 でも、外から見ると、「社長もいるし、監督もいるし、パワハラもしていないし、一生懸命やっている。でもなぜか業績は悪い」という感じ。

 

 

 中に入ってみてみれば、責任あるポジションの人がやることがしっかりできておらず、部下が肩代わりしていたりする。
 そしてローカルルールが蔓延していたりする。
 まったく役職が機能していないことがわかります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 機能不全というのはそうしたものです。
 これが家庭の中で起きているとしたら、業績の悪さは最も弱いもののところに現れるのも当然のことといえます。

 

 

 機能不全の家庭で共通するのは、
 
 ・物理的な現実をそのまま捉えられない、子どもや家族そのものをちゃんとみていない、関われていない、といったこと。

 ・家族が各役割(夫、妻、父、母)に必要なことを実行できていない。

 ・常識や社会通念を代表できていない。

 ということになります。 

 

 

 ちなみに、以下の様な場合も機能不全となります(今回の記事でお伝えしたいケースとは少しずれますが)。

家庭内の不和で親として機能していない、という場合。

 忙しい自営業や家業のストレスなどで親として機能していない、という場合。
 
 会社員でもワーカホリックで家庭を顧みない、という場合。

 病気や障害を持つ子どもや親族の世話に忙しく親としての役割が果たせていない、関心の分配に偏りがある、という場合。

 親自身が精神障害や発達障害などで、十分に世話ができない、あるいは態度が一貫しないという場合。

 など

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

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お悩みの原因や解決方法について

気安さには文化、環境の積み重ねが必要

 

 「いや、知り合いの~~さんは、気安いけど、人望があるよ」という場合はどうなのでしょうか?

 「べつに怒りっぽくもないよ」と

 
 どう考えればよいのでしょうか?

 
 結論から言えば、その人は、
 基礎がしっかりできたうえでの、応用段階にある、ということです。

(参考)→「暗黙のしくみを知るためには、物事や情報を基礎、応用と分けて考える

 

 

 心の免疫システムがしっかりと構築されていて、自然に活動しているために、その結果、気安く見えている、と考えられます。

 

 例えば、治安が良い国では、警察権力のプレッシャーを感じることは少ないです。
 しかし、治安が良いということは、治安を維持する力は強い、ということです。

 警察だけではなく、コミュニティやカルチャーに治安が保つ力も重要です。

 そんなことの助けの上で、のんびり歩いていても、危険を感じない気安い環境が成り立っています。
 

 最初から、法律も警察も地域文化も無くて大丈夫、ではありません。

 

 

 

 会社でも、自由闊達な会社というのはありますが、その状態に至るまでには、歴史の積み重ねがあったりします。

 自由闊達な結果、利益が上がったという成功体験も必要でしょうし、
 どこまでがOKなのか、という暗黙の前提の積み重ねも必要でしょうし、
 個人がそれぞれ自分を律する信頼関係も必要でしょう。

 他の企業がいきなり、「うちも自由闊達するぞ!」といっても、すぐにはできない。
 無秩序になってしまって、おかしなことになってしまう。

 

 

 お金持ちのお家に育ったお坊っちゃん、お嬢様で、おっとりして誰にも別け隔てがない、みたいな人の場合は、家系も含めて文化、環境の土台(基礎)があるということかもしれません。

(参考)→「「いい人」には意識してなるものではなく、環境の集積である。

 

 そういう背景がない場合に、いきなり別け隔てがない、としようとしても公的環境を作りきれず、相手にやられてしまうだけになります。
 

 特別な背景を持たない、私たち個人で見れば、まずはしっかり閉じる、ガードする。自他の区別をつける、が大事です。

 そこから、良い関係は形成されていきます。

(参考)→「あなたは素直じゃない 怒りっぽい、という言葉でやられてしまう~本来私たちはもっと閉じなければいけない
 

 

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お悩みの原因や解決方法について

自尊心は、気安くない

 

 前回の記事の続きですが、

(参考)→「相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。

 世の中では、自尊心のある人、人望のある人というのは、しばしば、どこか、気安くないところがあったりします。

 あるいは、ある一定以上は近づけなさそうな感じがあります。

 無碍にできなさそうな感じがあります。

 価値のあるものというのは、そのように感じさせるものです。

 誰でも手に取れる、といったものに価値は感じません。
 
 

 しかし、トラウマがあると、

 壁があってはいけない、 
 怒ってはいけない、とか、
 そんな人間にはなりたくない、

 壁があることは下等であると思っていたりします。

 結果、ほんとうの意味で自他の区別をつけることができない。

(参考)→「人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ

 

  
 なぜ、自尊心のある人、人望のある人が気安くないかといえば、

 自分を大事にできている、ということと、

 公的領域の維持ができている、ということがあります。

 人は、公私が曖昧になると不安定になる、というのが「公私環境(領域)仮説」のテーゼです。

 誰からも話しかけられやすい、気安い、というのは、公私が曖昧ということです。

 そうした環境では人はおかしくなりやすいのです。

(参考)→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 

 フランクというのは全くもって良いことではありません。
 フランク(気安さ)が成立するためには前提がある。

 親しき仲にも礼儀あり を保てているということがとても大切です。

 良い友人関係も、それがあります。

 人間関係が壊れるとしたら、多くの場合、公私が曖昧になったときだといえます。

 

 

 

 ↓ 公私環境仮説についても書いています。

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お悩みの原因や解決方法について

相談されやすい、話しかけられやすい、はよいことではない。

 

 相談されやすい、話しかけられやすい、ということを良いことだと思っている方がいらっしゃるかもしれません。

 たしかに、良いことのように思えます。

 「私はよく親族や知人から相談される」

 「街でも人から声をかけてもらいやすい」
 
 と感じている方はいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 
 相談されることは自分が良い人間であるからだ、話しかけられやすい、というのも、敬遠される要素がないからだ、と、思うかもしれません。

 あるいは、自分に価値を感じる、人から認められている、といったような感じを持つかもしれません。

 

 

 しかし、これは、あまり良いことではありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、というのは、他人から侵害されやすさと相関しています。
 
 相談されやすさ、と、ハラスメントを受けやすい、というのは≒(ニアリーイコール)といっても良いかもしれません。

 

 

 世の中で、人望のある人は、ちょっと怒りっぽい感じがして、気安くなかったりします。

 それは、ちゃんと自尊心があるということで、自分がしっかりあるから、それが魅力であり、人望にもつながる。

 

 一方、話しかけられやすい、というのは、ただ自分を大事にしていないだけだったりします。
 ガードや防壁がないだけで、それは人の善し悪しや人望とは違う。
 
 
 家に例えれば、「入りやすい家」「勝手に入っても怒られない家」
 営業マンからすれば「勧誘しやすい」「訪問しやすい」ということですから。

 人から相談される、ということを喜んでいる場合ではありません。

 

 

 自尊心があるということは、

 「自分の時間は貴重な時間だが、その時間をタダで使おうと思っている?」
 「それ相応のリスペクトはありますか?」

 という気持ちをしっかりと持っているということです。

(参考)→「私を大事にしてくれる?

 

 自分を大事にしていていれば、普通は、大事な自分の時間を渡す意味がない、ということに気づいて、むやみに応じるモチベーションは湧くことはありません。

 相談されやすい、話しかけられやすい、という場合は、

 自分を大事にできておらず、
 リスペクトチェック、時間泥棒チェックといったことがうまく働いていないということです。 

 本来は、心の免疫が働いていれば、リスペクトがあるかどうかにも敏感なものです。

 失礼があったら、怒る、といった雰囲気を醸してもいる。

(参考)→「自尊心とはどういうものか?

 

 

 まずはしっかりと自分をガードする。心は閉じておく。
 自分を大事にすることが第一。

 その上で、人と軽く、いい加減に接する。

 

 

 そうした基礎の果てに、「人望がある」という目指したいところに到達できるかもしれませんが、その反対はありません。

  
 「話しかけにくい」
 「リスペクトを欠いたら、怒られそう」
 「親しみやすいが、気安くない」というのが、健康な姿と言えます。

(参考)→「「いい人」には意識してなるものではなく、環境の集積である。

 

 

 

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