主体を持つというのは、自分自身に対しては自分を大事にすることであり、親であれば子どもを大事にするということです。
人間は社会的な動物として、社会から得た価値観を自分の文脈に翻訳して判断を行っていく。それが自分の文脈を持つ、ということです。
自分の文脈を持つ、とは、自分を大事にすることとイコールです。
反対に主体性がない、ということは、世間体とか他人の価値判断を“直訳”して判断しているということです。
親が自分の文脈を持たなければ、親として機能できないし、機能しなければ、家族を大事にすることもできません。
機能不全な親の場合は、その大切にするということがいまいち機能していない。
他人の文脈に依存しているために、別のロジックでが優先になってしまっているのです。
大切にしている、といっても、結局親の不全感を満たすため、不安や恐怖を癒やすため、世間体など別の理屈のために子どもを支配しているだけだったりする。
ほんとうの意味で自分というものを見られていない。
ただ、別の姿を投影してみている。
「本当の私を見てくれている?」という感じ。
そのことは子どもには薄々伝わっていますので、その欺瞞や違和感というのは積み重なっていきます。
(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全」
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