他者に仮託して自分の感情を発散しようとする

 

 他人を主語にして何かを語ったり、相手の嫌なところを投影するというのは、主体性がないものの典型です。

 例えば、自分にとって嫌いな親族(父や母、親戚のおじさんなど)と子どもを結びつけて、悪く言ったり、テレビを見ながら、芸能人の悪口を言ったり、こんなものは、すべて主体性のない発言そのものです。

 

 なぜなら、自分を主語にしていないからです。

 「あなたは、~~さんにそっくり」「この芸能人は~」という文から明らかですが、自分は背後に隠して、二人称、三人称で事実を姑息に騙っているだけのものです。

 

 

 人の汚言を聞くこと自体もなかなかしんどいものですが、主体性のない発言というものもお化けのように、他人に取り付いてくるような感覚があります。

 

 主体性がないために、子どもや他者を巻き込んで、自分の不全感を解消しようとしてしまうのです。

  
 そして、発している当人にとっても主体性の無さが継続することで、実はダメージになっている。

 
 本来であれば、すべて一人称で「私は~~が嫌い」「私は~~が好き」といえばいい。

 

 そうしていれば、その発言は自分の中に閉じてあり、そんなに世の中に対して悪く言うことは少ないことにも気がつきくようにもなります。

 さっぱり健康的な営みに変わります。

 他人を主語にしたり、他人を巻き込まなければ完結しない状態にある、というのは、主体性を喪失した状態と言えるのです。

 そして、そのことは子や家族に大きなダメージとなります。
 

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

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