家族の機能不全で何が問題になるかというと、その大きなものの一つが、親が自分の判断に主体性を持っていない、ということです。
自分の都合や気まぐれで判断や言う事がブレる。
昨日白だったものが、今日は黒になる。
その理由もその都度都合よく作り出して、子どものせいにする。
外でなにかトラブルがあると、「あなたにも悪いところがあったんじゃないの?」とか、「相手の気持を考えてないからではないか」といったように、何にも当てはまるような、曖昧な、喧嘩両成敗的な発言しかしない。
(参考)→「「喧嘩両成敗」というローカルルール」
真に自分の主体から判断するのではなく、世間を忖度したものや、宗教などの外的な基準といったニセの客観性に基づく判断をする。
一見もっともに見えて、自分の頭で何も判断していない。
自分の頭で判断することへのおそれが親の中には強くあります。
親からは自分の考えではなく、不全感からであったり、外側の価値観からしか判断されませんので、目の前にあるものがリンゴでもみかんである、と言われたりする。
正しいものが、素直に正しいと表明されない環境にある。
よく会社とか、学校とか別の組織、グループに例えますが、ルールが恣意的に適用される環境というのは、思いの外ダメージとなります。
原因と結果の間の時空が歪んで、何でも自分のせいにされるような環境というのは、物理的なものへの信頼感も失わせてしまう。
なにか魔術的なプロセスで、自分が全て悪いかのようにさせられてしまう。
自信というのは環境からもたらされますが、そんな環境では、自分が失われて当然といえます。
結果、特に成人してから自分というものがよくわからなくなる。
ほんとうの意味で、自分主体で判断するということがわからなくなります。
何が好きなのか?何がしたいのか?がわからなくなり、自分がボーっとして、薄くぼんやりするようになるのです。
(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全」
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