「三日坊主」という言葉がありますが、飽きてしまう、続かないことは良くないことだとされます。
日記などは典型的ですが、続けようと思っても続かずに終わってしまう。
ブログなども更新されずに日にちが数年前のままのものがたくさん転がっています。
「疲れ知らずの~」ということも、なにやら良いように考えてしまいます。
疲れずに続けられる。働き続けられる。
3日徹夜して頑張った、なんて武勇伝を耳にすることがありますが、そんなことを真に受けるとすぐに疲れてしまう自分が駄目なように感じてしまいます。
筆者も昔は、疲れない、飽きない状態に憧れて、毎日遅くまで仕事をしていました。
自己啓発などの世界でも、常に好奇心があってやる気があって、「ワクワク」しているのがいい、というような価値観があります。
人に対する関心についても、愛想が尽きるというと、なにか情が浅く、冷淡な感じがします。
永遠の愛、永遠の友情というように、困難があっても続く感情こそが上位であり、変わるものは良くないことのように感じてしまいます。
しかし、実は、トラウマという視点から見れば逆です。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服」
飽きない、疲れない、愛想が尽きない、というのは、トラウマの特徴と言えるものです。
「トラウマは無限の世界観を特徴とする」、と拙著でも書きましたが、ずっと物事が続くように捉えています。
通常ならば、疲れ、飽きが来るタイミングでそれらがこない。
だから、不眠症になったり、依存症になったりしてしまうのです。
ずっと食べても飽きが来ない、満足がないのです。
(参考)→「トラウマの世界観は”無限”、普通の世界観は”有限”」
愛想が尽きないというのもそうです。「そんなひどいことをされれば普通は愛想が尽きますよ」というような人間関係を続けてしまう。
家族などは典型的ですが、「家族だから・・」という理屈のもと、おかしなことをされても自分を犠牲にして関係を維持してしまう。
健康な世界で当たり前の有限の循環ギブアンドテイクが機能していないためです。
(参考)→「循環する自然な有限へと還る」
なぜ無限か?といえば、一つには、他者や自己の不全感(痛み)に支配されているためです。
不全感は暗闇のように底(限り)がありません。
物事はDoing(行為) Being(存在) とに別れますが、
DoingとBeingとは別の次元にあります。
(参考)→「存在(Being)は、行動(Doing)とは、本来全く別のもの」
基本的にDoing(行為)によっては、Being(存在)レベルの不全感を満たすことはできません。
しかし、その区別が曖昧にさせられ、Beingレベルの不全感に巻き込まれると、自分のDoingを動員してBeingの欠損を埋めようとしますが、次元が異なるので、いくら穴に土砂を放り込んでも限りがなく、満たされることがないのです。
(アルコールなどの依存症などはまさに”底なし”に飲んでしまう。)
そのために、ずっと”無限”の飽きない、疲れない、愛想が尽きない状態が続いてしまうのです。
もう一つは、安心安全の欠如です。
安心安全がない、世の中への信頼感がないために、ずっと危機の状態が続くように感じられてしまう
さらに、時間間隔の歪みです。
これは、頭で全てを捉えようとすることから起きます。
健康な状態では、身体も含めて、世界のダイナミクスを捉えようとします。
誤配、偶発性も含んで世界が展開していくという感覚があります。
しかし、トラウマの世界は、頭で認識できる歪んだ範囲が、「現実」「事実」とされ、「どう考えても、良い展開になるはずがない」となってしまうのです。
こうした感覚も、無限さを産みます。
(参考)→「未来に対する主権~物理的な現実には「予定(未来)」が含まれている。」
トラウマケアをしていると、徐々に、疲れが感じられたり、愛想が尽きてくることを感じられたり、飽きが来たりするようになります。
クライアントは、「~~に飽きてきました」「疲れるようになってきました」ということを自身では良いこととは思っていないのですが、カウンセラーからすると、「良くなってきましたね」ということになります。
私もよく、「”飽きる、疲れる、愛想が尽きる”はとても良いことです」とお伝えしています。
飽きたらどうなるか?といえば、次の展開がやってきます。
疲れたらどうなるか?といえば、休んでエネルギーを充填し、次の取り組みに取り掛かることができます。
愛想が尽きるとどうなるか?といえば、おかしな関係からは抜け出すことができます。
いずれも、無用な固着にとどまることを防いでくれます。とても健康で有用な機能であることがわかります。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
・ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ
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