精神科医の神田橋條治が、ある本の中でこんなエピソードを語っています。
なかなか良くならずに他の病院から紹介されてきた遷延性のうつ病の患者さんについてです。
その方は18,9歳くらいのときに賭け玉(お金をかけて行うビリヤード)を打ったりして、チンピラみたいなことをしていたそうですが、一念発起して大学に入り公務員になりました。
しかし、係長になったころにうつ病になり、ベテランの医師が治療してもなかなか良くならなかったそうです。
そこで紹介されてやってきたその患者さんに神田橋氏は「あんた、一番輝いていたのはどの時期?」と尋ね、患者さんが「賭け玉を打っていたころだ」といいます。
そこで、「じゃあ、賭け麻雀をしなさい」と伝えて、実際にそのようにすると、それまでは薬を飲んでもなかなか良くならなかったうつ病が治ったそうです。
先日の記事では、ログイン、ログアウトという表現で、悩みからほんとうの意味で回復すためのポイントはなにか?について考えてみましたが、このエピソードはとても示唆的です。
(参考)→「ログアウト志向と、ログイン志向と」
エピソードにあるうつ病を患った公務員の方は、頑張って大学に入り、公務員になったわけですが、それは仮のIDでしかなく、本来の自分からはログアウトしたままの状態だった。
でも、常識的に考えれば大学に入って、公務員で頑張ってということは良いことです。出世もして係長にもなっていた。
しかし、本来の自分からログアウトしている状態のストレスには長く耐えられず、その事によってうつにまでなった。
うつは、「ログアウトしたままではだめですよ」というサインですから、ある意味心身は正しく反応している。
しかし、医学としては、そのうつ状態を治そうとします。薬を出してみたり、もしかしたらカウンセリングを受けてみたり、と取り組んでみる。
解決の方向も公務員の方がうつ状態で休職ということですから、当然、公務員として復帰できるように。また真面目に働けるようにという方向になる。
ただ、結局それはログアウトの方向だった。
それで、いつまでも良くならないでうつ状態が続いた、ということです。
神田橋氏が「あんた、一番輝いていたのはどの時期?」と尋ねたのは、ログインの方向はどっち?本来のあなたのIDはどれ?っていう問いだったのでしょう。
その方は、それがたまたま賭け事だった。
さすがに、賭け事だけで生きていくことは難しいですから、社会的に問題にならない範囲で賭け麻雀を勧めて、ログインして生きていくことができるようになった。
というメカニズムと考えられます。
このように、実際に失われた人生のポイントを探って、その要素を現在の生活に取り入れると、難治のケースが良くなることが珍しくないそうです。
このことを「失われた人生の回復」と神田橋氏は呼んでいます。
トラウマのケアを行っていても、必ずこの「自分がない」「ログインしていない」という問題は出てきます。それが治療の核心といってもいいくらいに。
(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン」
とても行動力があって、努力もしている人が、「自分がない」「自分が空っぽである」ことに気づく。
本人にしてもまさか自分がないなんて思ってもみません。なぜなら、こんなに考えて、努力して、行動しているんだから。
でも、その「考えて」というのは、なによりまず他人の頭の中を考えている。もっといえば、親の頭の中を考えて、親の価値観で生きている。
(参考)→「内面化した親の価値観の影響」
結局、活発な行動があるだけで自分というものはない。
その証拠にいくら行動しても、積み上がる感覚はない。自分で経験している感じがしない。
クライアントさん自身が無意識に治療に抵抗しているという考えは筆者はあまり好きではないのですが(治療者側の都合のいい言い訳としてや、ゴミ箱診断的に長年使われてきたから)、内面化した規範や価値観などからくる抵抗や葛藤というものは確実に存在します。
たとえば、ログインしたいのに、そうではない方向で生きなければならない、という心の中の圧力。
サンクコストのように、いままでログインしない方向で頑張ってきたのに、今更自分のIDでログインする方向に進むのはできない。かつての自分の努力は意味がなかったのか、という感覚。
あと、「自分がおかしい」というローカルルールの前提が根底に入っていることが多くのケースにありますから、自分のIDでログインしましょう、自分の資質に沿ってといわれても、おかしい自分のままで生きるなんてできない、と感じたりする。
(参考)→「自分は本質的におかしな人間だ、と思わされる。」
自分の資質で生きるという提案について「あ、この先生は私に才能がないと思っている。この中途半端な状態が私なんだといいたいんだ?」と勘違いしてしまうことも起きてしまいます。
また、自分のIDでログインしたらひどい目に合う、という恐怖心ももっていますから、ログインすることはとてもこわい。
(参考)→「ログインを阻むもの~“私は~”を出すと否定されると思わされてきた」
できれば、このログアウトしたままで、セラピーの力で都合よく悩みを解消し、ニセのIDででもいいから社会から期待される姿で生きていきたい、と思っている。
なかなか良くならないケースでは、社会からの期待に沿って、という枠組みが強固な場合が多いです。ものすごく周りを忖度して、忖度した価値観で生きている。たとえば、会社でも出世して結果も出してきている。だから、その期待から外れることはできない。
でも、そのことが悩みがしつこく続く原因となっている。
社会的なのぞましさとか世間体、あるべき生き方といったもの圧力がものすごくあって本来の自分の戻ることが出来ず、そのためになかなか変化が起きない、ということが見られます。
かんたんに変わるケースもありますが、手強いケースも多い。本当に良くなるためには避けては通れない。
ニセのIDのままでいいから悩みだけ取りたい、と思っているとそのことがネックになって悩みが取れないということが起きてくる。
冒頭に挙げました神田橋條治氏は「鵜は鵜のように、烏は烏のように」(資質に沿って生きる)ということを治療の要諦として語っています。
筆者も昔は、「そんなのつまらない」「もっと、自分ではないなにかすごいものにならないと生きている意味がない」と思っていました。
セラピーについても何やら“デキる人”になるための道具のように捉えていたりしていました。
しかし、そう思っていると、自分の人生は全然うまく行かない。空回りしてとても苦しむことになります。セラピーでも単発では良くなった気がしても“デキる人”にはならず、となる。
自分がみにくいアヒルの子の白鳥や、ライオンキングのライオンであることに気がつくまでには、色々と痛い目にあって、まわりまわる必要があるのかもしれません。
狼に憧れるけど、自信がなく。でも他人には優越感を持っている。
「あなたは、ライオンなのよ」といわれたら「イヤイヤ野良犬なんです」と過剰に卑下する。
野良犬であることを前提にして狼になろうと努力するけど空回り。やっと、ライオンであることに気づくと運命の主権は自分のものになる。
まわりまわったその果てに、やっぱり自分のIDでログインしよう!と思うとうまく回り始めて「もっと早くやっておけばよかった」となったりするのです。
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