ハラスメントは、どのように成立していくのか?――職場と家庭の会話に潜むプロセス

前回は、ハラスメントのメカニズムについて解説させていただきました。

今回は、具体的な例をもとにハラスメントのメカニズムをさらに理解していきたいと思います。

職場と家族とでそれぞれ、会話(やりとり)の流れ とを見ながら、その解説を行ってまいります。

前回の記事:

事例からハラスメントのメカニズムを理解する①:職場の場合

 職場によくあるケースから、ハラスメントがどのようなメカニズムで成り立っているのか?を示してみました。

1.上司が不全感を抱え、部下をコントロールするなどネガティブな意図を持っている。

2.部下を些細なミスなどを理由に叱りつける。

  ※部下は、たしかに自分にもミスがあったことは認めるが、日々の業務では些細なミスは生じるし、忙しい中で致し方ないとも思っています。
 また、仕事の仕方はいろいろなので、たしかにそうかもしれないけど、強く叱責されるほどでも、という思いもありどこか納得できません。
  しかし、職場において上司の叱責を受け止めなければ、あるいは、間違いがあれば改善しなければ、という意識(社会性、善性)から耳を傾けてしまいます。

3.上司は、さらに「おまえには反省の態度が見られない」「お前は普段からミスが多い」と部下の都合や感覚を否定し、表面をコーティングすることで不全感を隠ぺいするメッセージを発する。

  ※部下は戸惑い、ストレスを感じます。
   しかし、ミスも生じた中で、上司に反論してはおかしな人間ともされかねませんので、やはり耳を傾けてしまいます。

4.「こんなことでは、仕事は任せられないし、いつまでたっても一人前になれないぞ!」

  ※社会性、善性に働きかける言葉を繰り返しかけられることと矛盾するメッセージを浴びること(ダブルバインド)で、精神的に呪縛され、自分の感覚を疑い、自信を失うストレス状況から抜け出せなくなります。

5.違和感を感じるので他の人に相談したら、「あなたの態度に何か問題があったんじゃない?」「会社ってそういうもんだよ」と言われてしまう(セカンドハラスメント)

  ※自分がおかしい、という状況の完成。

 これが繰り返されることで、部下は自分の感覚を信じることがだんだんできなくなり、上司の基準を正解として上司の不全感を飲み込み、支配されてしまうのです。 

事例からハラスメントのメカニズムを理解する②:親子の場合

 次は、親子の間で生じるハラスメントの例です。

1.親が自身の不全感から不安定で、イライラしている。

2.家で遊んでいる子どもを「勉強しなさい」と叱りつける。

  子どもは、なんで遊んでいけないのか?と反論する(違和感)

3.「あなたのためを思って言っているのよ」(表面をコーティングするメッセージ)と伝える。

  ※子どもは混乱する。直感では、勉強していないことが原因ではなく、単に親は自分のイライラ(不全感)をぶつけているだけと感じているから(ダブルバインド)。

4.「いつも言うことを聞かない。素直じゃない」
  ※子どもは、不満を感じながらも、自分が悪いと思ってしまう(子どもの「社会性、善性」)。

5.他の子や大人に聞くと「うちでもそうだよ」「勉強しないから悪いんじゃない?」と言われてしまう(セカンドハラスメント)。

  ※自分は言うことを聞かない、おかしな子、という状況ができあがり、以後、徐々に自分の直感も信じられなくなっていってしまう。

 

それぞれの例で、裏に潜む不全感と表面を繕うもっともらしい口実という矛盾するメッセージを浴びることで精神が束縛される「ダブルバインド」も作用しています。

ここまでの事例を見てくると、ハラスメントは特別なことではなく、またハラスメントと名づけられていなくても日常の様々な場面で起きていることがわかります。

・「社会は、ハラスメントでできている」

 上に挙げた例を見て、「えっ、そんなことがハラスメントなの?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 
 東京大学の安冨教授は「社会は、ハラスメントでできている」と表現しているように社会にはハラスメントはそこここにあふれているのです。

 人間には【本来の自分】【実存】とでもいうような部分がありますが、ハラスメントを仕掛けられると、自分の感覚を疑うようになり、自分を信じられなくなってしまうのです。まさに、精神が呪縛される、もっと深刻になると、魂が殺されてしまうのです。これは決して大げさではありません。
 スイスの心理学者アリス・ミラーはこのことを「魂の殺人」と呼んでいます。

 拠り所を失った人間は、外部の規範や、他者に依存するようになります。幼いころにそうしたことが起きると、大人になってからもモラハラを受けやすい人間になります。さらに悪い事には、ハラスメントを受けておかしくなっている自分を正当化するために、他者を「おまえは礼儀がなっていない」といって叱りつけるなど、今度は自分がハラスメントを行うようにもなるのです。

 ハラスメントとはこうしたプロセスを言います。目に見えにくいですが、私たち人間に重大な影響を与えているのです。

 今回は事例を通じてメカニズムをさらに理解してきました。
次回は、

「どこからがハラスメントで、どこまではそうではないのか?」
「指導や注意、必要な関わりとの違いは、どこにあるのか?」

という戸惑いに正面から答えるために、
日常の現場で使うことのできる「判断の軸、基準」について整理していきます。

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「ハラスメント」とは、本当は何か?

 今回は、前回の記事を受けて、「ハラスメント」とは本当は何なのか?についてその構造を解説いたします。

前回の記事

 

・ハラスメントとは何か?ーー不全感、ローカルルール、ダブルバインド

  まず、本来、ハラスメントとは単なる迷惑行為を指すものではありません。そこには核心が存在します。

 結論から言います。

  ハラスメントとは、

「加害者が自分の「不全感」を癒やすために、もっともらしい「規範」などを道具にして、相手の「社会性(善性)」を悪用する行為」

のことをいいます。

 「不全感」とは、I’m OKではない状態、自己の満たされなさや不安定さを抱えた状態と捉えるとわかりやすいです。愛着不安やトラウマ、短期的にはストレスなどによって生じます。

 ここでポイントなのは、ハラスメントが
「私たちの社会性、善性を悪用する行為」である
・「自分の不全感を癒す」ということを目的としている

 という2点です。

 これが、世間ではほとんど知られていないハラスメントの要点です。

 私たち人間は社会的な存在とされます。社会的な存在であるとは公的な規範や責任で成り立つということです。

 そのため、私たちは規範や責任を口実にされることにはとても弱く、本当は加害者個人の不全感でしかないものでも、「こうあるべきだ(ルールだ)」「お前の責任だ」とされると私たちはそれを飲み込んでしまうのです。

 こうした不全感を他者に押し付けて解消するために、表面をもっともらしい理屈でコーティングされた偽物のルールのことを「ローカルルール」といいます。

さらに、”裏にある不全感”と”表向きの口実”という矛盾するメッセージを受けることでも精神が拘束されてしまうことが知られており、これは「ダブルバインド(二重拘束)」と呼ばれています。このダブルバインドという仕組みも土台で作用します。

こうした歪なコミュニケーションは私たちに違和感を生じさせますが、関係を維持しようという意識や圧力が働き、呪縛から抜けることができなくなってしまうのです。

 

 これがハラスメントのメカニズムの概略です。 

 ハラスメントに遭うと、私たち人間の持つ生き生きとした心や感情の働き(東京大学の安冨歩教授はこのメカニズムを「学習」と呼んでいます)は支配、拘束されて生きづらさを感じるようになります。

 「~~ハラ」と様々な種類のハラスメントが世の中では言われていますが、各ハラスメントには共通してこうしたメカニズムが存在しています。

 

・俗にいう“ハラスメント”は2つに大別される

 「どこからがハラスメントか?」という戸惑いを解消するために、有効なとらえ方があります。それは、”ハラスメント”が疑われる行為を「行為(doing)レベル」と「存在/精神(being)レベル」の二層で分解して捉えるという方法です。

・行為レベルの問題:迷惑行為そのもの

・存在/精神レベルのハラスメント:不全感を癒すために行われる心理的な支配、拘束が生じる状態です。

 例えば、セクハラでも被害の事例でも、その影響はただの行為レベルの被害だけにとどまらないことがわかります。

 間違った価値観の影響(「付き合いの範囲だ」「こんなことくらい我慢するのが当然だ」「こんなことを問題化するなんて大人げない」「なんとかうまく穏便にすませなければ」「被害者にも落ち度がある」など)や、それらを利用した加害者の卑劣な侵害や、いわゆるセカンドハラスメントを受けて、存在/精神レベルでも被害者は長く苦しんでいます。

 

 私たちも過去に受けた理不尽な行為(いじめや嫌がらせ、暴言など)がずっと頭に残っていることがありますが、それらがなぜ今でも尾を引いているか?といえば、そこに存在/精神レベルの支配、呪縛の影響があるためです。 

 実は災害、性被害など、劇的なストレスに見舞われた場合でも、多くの人はトラウマにならず回復していくことが知られています。
 その際に、トラウマになるかならないか?を分けるものも、存在/精神レベルの支配、呪縛の有無にあると捉えれば、その差を説明することができます。

 そして、真の意味でのハラスメントとは何か?といえば、不全感を癒すための心理的な支配が生じる存在/精神レベルのハラスメントだということです。それがないものは、ハラスメントではありません。※ハラスメントか否か?の具体的な見分け方は、別稿でもご説明いたします。

 このような構造的なメカニズム把握や分析は、一般のハラスメント本では全く触れられていません。外形(表層)的なガイドラインや定義に終始し、核心となるメカニズムが世の中に知られていないために、なんでもかんでもハラスメントということが生じてしまっているのです。

 こうしたことがわかれば、何がハラスメントでそうではないのか?を自分でも応用したり、職場で議論したりできるようになります。

 

 次回は、このメカニズムが職場や家庭といった具体的な関係性の中で、どのように作動しているのかを事例をもとに見ていきます。

 

 

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人はコミュニティや人間関係を更新・移動するもの~更新の際は悪く言われて当然

 

 前回もお伝えしたように、目の前にある、今ある共同体や関係の中に適応しなければならない、適応できない自分はダメだ、適応している人はすごい、と、私たちはつい幻想にとらわれてしまいます。

 実はそうではない。

(参考)→「適応できることがいいことではない~“不適応”というフィードバック

 

 
 自分はあの会社ではうまくいかなかったが、他の人(例えばAさん)はうまくやっている(だから自分はダメだ)

 他の人はあのグループで仲良くやれている、でも自分は馴染めなかった(だから自分はダメだ)

 
 と思いがちです。

 私たちは、実験を重ねるようにして、ここが合わない、ここも合わない、と試行錯誤(不適応)しながら、自分の道を見つけていきます。

 人はどんどんと共同体を移動していくものです。

 もともといた共同体に属し続け(うまくやり続け)なければいけないというのは幻想でしかありません。

 

 特に、生まれた場所、地域だからそこが自分にとって良い場所(故郷)とも限りません。
 地方などは典型的ですが、閉鎖的で、同調圧力が強い地域もよくあります。

 

 

 さらに、そんな場所から、卒業したり、抜け出したりして、自分の道を見つけていく際は、決して、キレイに移行、卒業できるというわけではありません。

 例えば、中学や高校で、つるんでいた友達と離れて、勉強や部活に熱心になったら、「あいつは付き合いが悪い」と言われて陰口をたたかれることになります。

 自分のやりたいことを見つけて進む中では、地元の友達関係とは距離を取ることになります。

 その際も、「あいつは変わった」「何、調子に乗ってんだ!」と悪口を言われるかもしれません。

 

 

 生まれた地域も同様です。

 地元の消防団などの会合や、寄合には出ないという選択肢を取ったり、転居したりする。「あそこの家の娘、息子はおかしい」「付き合いが悪い」と言われるかもしれません。

 

 会社も同様です。
「あいつは仕事ができない」「あいつは使えない」と言われたりします。

 

 パートナーとの付き合いも、別れるときはものすごいストレスがかかります。相手から罵倒されるかもしれません。

 

 問題のある父や母、親族とは距離を取らなければなりません。その際にも、とても嫌な呪いの言葉を浴びるかもしれません。 強い罪悪感、自責の念を感じる。

 そんなストレスを経ながら私たちはところを得ていきます。

 

 

 それぞれから離れる際には、

「なんで、あんな態度をとってしまったのか?」

「うまいことを言っておけばよかったのに。私は本当にバカだ」

「ほかの人ならうまくやれた(自分はうまく付き合えなかった)」

なんて、自分の不器用を呪うこともあります。

 

 これらは、すべて「不適応」です。

 

 しかし、「適応しなければ」と、中にはその不適応から生じるストレスを避けたいがために、あるいは「すべての場所で適応しなければならない」「過去に失敗したから今回は同じことはできない(同じようにケンカ別れになったら、自分だダメな人間であると確定されてしまう)」「すべての環境、人から合格点をもらえなければ、次に進んではいけない」という間違った観念、幻想を元に、適していない環境に居続けてしまう、というケースがあります。
 

 まさに”適応幻想”による呪縛と言うしかありません。

 
 私たちは、どんどん環境を変え、移動を続けていくものです。

そうやって人生を作っていきます。
  

 家族にも良い子と呼ばれ、今でも地元の友達とも付き合いがあり、人生で出会うあらゆる人から好かれ、地域でも覚えがめでたく、勤めた会社では惜しまれて転職、なんて、そんなことは実際にはあり得ません。
 いつも旅行やグルメを楽しんでいる姿をアピールするようなYoutubeやインスタと同じくらい作られた幻想です。

 もし実際に、うまくやり続けてきたとしたら、「何かがおかしい(本当の自分が殺されていないか? ほかの人や何かを犠牲にして成り立っていないか?)」と見ないといけません。学歴もキャリアもプライベートもうまくいっているように見える人が実際には本当は自分の人生を歩んでいない、という例はとても多いのですから。

 

 

 共同体にとっては自分たちの共同体の正統性を維持するために、脱退されることを防ぐためにも逸脱する人を悪く言うという動因もあります。

 
 そんな恐れから、共同体にとどまったりしてしまってはいけません。

 そして、悪く言われることをもって、自分がダメな人間だと思うことも必要ありません。仲良くできるのも、無用なあつれきを賢く避けることも、もちろん愛着(生きるため)の力ですが、時に仲違いをしたり、必要なけんかをすることも、生きていくのに必要な力です。

 

 そうして必要な際は腹をくくり、自分の気質、持ち味が持つ、必要な流れに沿って、更新し続けることこそが大切なのです。

 

 

 

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自責や反省はフィードバックではない

 前回、フィードバックについて触れました。

参考)→「変化しない人、フィードバックがかからない人は存在しない

 そして、ポイントは、フィードバックループが作動する状態に身を置くことができるかどうか?です。 そして、フィードバックループを妨げるものは何か?を見定め、それを除くことでした。そして、本来、変化しない人はいないということも。

 

 このフィードバックという観点を持つ際に大切なことがあります。
それは、自責や反省はフィードバックではない、ということです。

 フィードバックというと、ついつい反省すること、自分を責めること、とおもってしまいますが、実はそれはフィードバックではなく、むしろ反対に、フィードバックがかからなくなる行為である、といえます。

 どういうことか?

 

 自責や反省とは、多くの場合、他者のローカルルールを飲み込まされて、その基準から自分を罰する、責める、ということでしかありません。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 他者が私たちにローカルルールを飲み込ませることとは、他者が自分がフィードバックがかからない固定されたポジションに居たいために、自分の責任を他人に負わせる行為です。多くの場合は家族や、友人、パートナー(あと、学校の教師や職場の上司・同僚などから)からもたらされます。

 「お前はおかしい」
 「お前はダメな子どもだ」
 「お前は足を引っ張っている、迷惑だ」
 
 と、これらはすべて嘘です。

 こうした言説を受けて、社会的な存在である私たちは、自信の誠実さ、関係を希求する気持ちを悪用されて拘束されてしまう。
 これを「ソーシャリティ・アビューズ(社会性の虐用)」といいます。

 これらローカルルールのニセの規範を飲み込まされた結果、その規範から自分を罰し続けることになるのです。

 前回の記事でも触れましたように、これはフィードバックが作動しない機能不全な状態、狭義でいえば共依存などが代表的ですし、広義でいえば、実は自責や反省もそれを負わせる人との間で距離の離れた依存関係にあると言えるのです。
 

 

 みにくいアヒルの子が、反省して、良いアヒルになろうとするような行為、これは全くフィードバックになっていません。
 (みにくいアヒルの子をいじめる“親”や“兄弟たち”も本来のフィードバックがかかりません。)

(参考)→「「みにくいアヒルの子」という状態

 本来は、

 あれ、何やら変だな?

 自分はアヒルの世界ではうまくいかないんだな?

 なにかちがうぞ?

 この際の「直観」こそ大事で、それはフィードバックのアンテナの機能をします。

 そうして、違和感を持ちながら過ごす中で、ある日、「機会」が訪れます。みにくいアヒルの子であれば、白鳥に出会う機会が。

 そうして、ああ自分は白鳥だったんだ、と気づくわけです。

 親からも自分の気質を認められず、
 学校でいじめられていて、

 でも、直観のきらめきは「自分が正しい」と示唆してくれている。

 
 そんな中、別の集団に移った際に、全然違う文化に出会った際に、そこで自分を知る。

あるいは、慰めに読んだ文学作品や映画、漫画、ゲームの中に自分を見出す。

 スポーツや文芸が自分の本来を発揮できる場所である場合もあります。

 これらは本来の意味でのフィードバックです。

 つまり、フィードバックとは、不全感や、悪意、嫉妬などをフィルタすることが必須で、本当に意味が顕現するまでに時間が必要な場合も多く、中期的なプロセスであるということです。自然界に生じるフィードバックも中長期であるといえます。

 
 もちろん、勉強ができない、仕事がうまくいかないというときに、何が問題か?を確認し、間違い直しをする、修正をする、といったDoingレベルでの比較的短期のフィードバックもあります。

 スポーツ選手も試合に負けたら、改善をしていく。

 ただ、よい選手は、いたずらに自分を責めたりはしていない。

 知りたいのは「構造」ですから。 

 

 商品開発もそうですし、創作もそうです。
 目の前の人に意見を聞いても、意見を積み上げたらいい作品ができる、とはならないことは、私たちにもわかります。

 
 「どんな風に作品を作ればいい?」と読者に聞いても読者もわからない。

 「面白くない」「つまらない」という表面的な意見が間違っていることもよくあります。

 

 国民的漫画「ドラえもん」も実は、連載当初は全く評価されず、編集者も面白さをいまいち認めず、だから、いちど6巻で打ち切り、終了しています。

 その後ドラえもんが戻ってくる話ができて復活し、その流れで作られた話が伝説的な名話「さようなら、ドラえもん」「帰って来たドラえもんの巻」(『STAND BY ME ドラえもん』として映画にもなっています)、ということになりますが、なぜドラえもんが未来に帰り、また戻ってきたのは、実は当初の「不人気」と再評価のためだったのです。

 当初の“不人気”渦中の作者の藤子不二雄は「もっと評価されてもいいのになあ」と粘っていたそうです。

 その時の、編集者の反応や態度などは正しいフィードバックか?といえばそうではありません。
プロの編集者だから作品を理解している、できるというわけではまったくありません。

作者の直感こそが正しくフィードバックをキャッチしていた。

 
 正しくフィードバックが機能するためには、愛着の土台が必要です。

自分の存在は大丈夫、という安心感があってこそ機能します。

 さらに、不幸にしてトラウマを負い、愛着が不安定であっても、
 魂のレベルの直感は実は根底で必ず動いています。

 その直感はいろいろなセンサーとして働いています。

 そうした愛着の土台や、直観のセンサーで濁りのある情報をフィルタし、時間がかかる場合は結果が出るまでの時間を稼ぎながら、本来のフィードバックを得る。

 こうして私たちは気質を活かしながら、自らを社会化し、状況の変化に対応、自己を実現していきます。

 

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