臨床においては、明らかに家族の影響によって生きづらさが生じているにもかかわらず、相談者自身も「別に、虐待されたわけではないし・・」といったように、家族がもたらす影響が自覚できない、わからなくなる、というケースが珍しくありません。
明らかな暴言、暴力などはないけども、親のおかしな接し方が子どもの生き生きとした気質を削ぎ、力を奪い、子ども自身も自分はダメだ、とおもうようになる、ということは実はよくあります。
今回は、そうした“あいまいな”、でも深刻な虐待についてグレゴリ・ベイトソンの『精神の生態学へ』(岩波文庫)の内容を紹介しながら、詳しく解説してみたいと思います。
人類学者のベイトソンは、ダブルバインド(二重拘束)が統合失調症の原因、という仮説を提示したことで有名です。特に近年はあらためてその妥当性、慧眼が注目されています。
そのベイトソンが書いた『精神の生態学へ』の中巻の中で、ある母子の例が紹介されています。
それは、子どもが近づくと母は不安を感じて身を引いてしまう、というケースです。
具体的には、
その母は、子どもと親密な関係になると不安と敵意を感じるという問題を抱えています。
ベイトソンは、その不安の原因として、例えば
母が、
・自分と家族との関係に不安を感じている
・子どもが、男の子か、女の子かということだけで不安を感じる
・その子の誕生日が身内の命日と重なるから、という理由から不安を感じる
・その子の兄弟の中での位置が自分と重なる
・母の感情的な問題が理由で、その子を特別視している
などいくつかの可能性を挙げています。
実際のカウンセリングの相談でもよくありそうなものばかりです。
母親はそうした自分の中の不安や敵意を否定しようと、子どもを愛していることを強調する行動をとります。
(母が自分の愛を子どもに強調する行動とは、優しい言動だけではなく、子どもをいい子にしつけることも含みます。)
その行動に対して子どもが母を愛情に満ちた母として見ないと、母はさらに身を引いてしまうのです。
さらに、父の存在の欠如、希薄さがこの状況を増幅させます。
本来ならば、父が洞察力をもって、こうしたおかしな母子関係に割り込み、子どもの支えになることが父の役割なのですが、その存在がいない、あるいは子を支えるにはあまりに存在が薄い。
父の存在の欠如、薄さはこうしたケースのつねだ、とベイトソンは述べています。(実際のケースでは、父以外でも祖父母など関係する大人の機能不全があります)
簡単に言えば、たったこれだけのことが統合失調症のような重い精神疾患を生じさせる、というのです。
たったこれだけのことが、です。
なぜか?
これが有名なダブルバインド(二重拘束)と呼ばれる作用によるものです。
ダブルバインド(二重拘束)とは、矛盾するメッセージを受け入れさせられることが人間にとって非常なダメージになるということを明らかにした理論です。
このケースに即して具体的に言えば、
母は、自分が子どもと親密になると不安や敵意を感じてしまいます。
子どもは、母の不安や敵意の反応を無意識に感じとります(第1のメッセージ)。
しかし、母は、子どもに対する自分の不安や敵意を受け入れることができず、愛情を溢れる母親を演じることになります(第2のメッセージ)。
その結果、子どもは矛盾する2つのメッセージを投げかけられることになります。これが、矛盾するメッセージによる拘束です(ダブルバインド)
これだけならまだ抜けることはできますが、さらに、ダブルバインドから抜けられない第3のメッセージが飛んできます。
それは、母との関係を維持しなければならない、母の幻想を壊してはいけない、というものです。
子どもは母との関係を維持するために、真実を見破ることが許されない状況に陥ることになります(逃げてはいけない、拘束を壊してはいけない、という第3のメッセージ)。見破ってしまったら、母子関係がもたないからです。
そして、子どもは、素朴に感じた自分の感覚を否定する、歪める必要性に迫られます。
別の場面で、例えば、母が子どもに対して不安や敵意を感じた時に、それを否定するために「もうおやすみなさい。私はあなたにゆっくり休んでほしいの」と愛のメッセージを発しますが、その裏には、「お前はうんざりだ、お前はもう目の前から消えておしまい」というメッセージが含まれています。
そのことに子どもは気づいても、それを見破ってしまっては、
「母は自分を疎ましく感じ、しかも優しい素振りで騙そうとしている」ということに直面しなくてはなりません。
それを避けるために、子どもは、自分の本来の感覚よりも、例えば「自分は疲れている」ことにしてしまうようになります。
そうして、子どもは自分の感覚を欺くようになり、母の欺きに加担することになります。
母以外の他者との関係においても、子どもは、自分の感覚について誤った識別を行うように動かされることになります。
さらに、母親は、“子ども本人になり代わり”「思いやりのあふれたメッセージ」で子どもの感覚を言語化することで、子どもの問題はさらに深まることになります。
具体的には、母親は、子どもの「疲れ」について気遣いを表明する。
これは、母が子どもの感覚を制御し、返答も制御していることになります。
(もし、子どもが自分の感覚から批判的なことを口にしても「あなたは間違っている」「それは本気ではないわよね?」などと言う)
そして母は、自身のことよりも子どもを気遣っているのだということを主張して譲りません。
子どもは、真実を捉えようとする欲求を挫かれます。
子どもは母の愛を装うことに反応して、愛を求めて母に近づこうとしては親密さを恐れる母から咎められ(子どもは自分の愛情表現が適切ではないのかも?として混乱し)、かといって、求めに行かなければ愛を装う母に咎められる。母は愛を装うために子どもに寄って行くが、子どもが近づいたことで母は不安になり、、、と混乱を極める。
こうして、子どもは母の状況を正確に認識したことで罰せられ、不正確に認識したことでも罰せられるというダブルバインドに陥ります。
同じようなことが成長の過程で長い年月をかけて何度も何度も繰り返し再現されることになるわけです。
(これは、現代の知見で言えばもちろん「発達性トラウマ」に該当します。)
参考)→「トラウマ(発達性トラウマ)、PTSD/複雑性PTSDとは何か?原因と症状」
こうした矛盾する状況をさらに修正するためには子どもは自分の「認知」、さらに「自己認識」を操作する必要があります。矛盾を整合させるために子どもが自身を「おかしな子ども」「ダメな自分」として、自己を規定することも起こるのです。 そして、そのゆがめた自己規定を追認するような出来事も起きます。
具体的には、そのような呪縛にあっては、当然、パフォーマンスも下がりますし、対人関係もうまくいかなくなります。
(自分の感覚についても誤った識別を行うように動かされていますから)
その結果、コミュケーションがうまくいなくなり、学校でもカーストの下位に陥ったり、いじめられたり、運動や学業もうまくいかなくなることで「ダメな自分」は”確定”となります。
家の中だけではなく、外でもうまくいかない自分に直面して「やはり、母の言っていたことは正しかったのだ」と、母が自分の感覚を偽るための取っていた言動、それに気づいた子どもの感覚をおかしいとする欺きの言動のほうが正しいと認識されることになるわけです。
そうして、自分はダメだ、という“(家以外の複数箇所でも)証明された”自己規定を基にその後の人生を進むようになるのです。
また、矛盾する状況を修正するためには、子どもが自分の「感情」を歪めるといったことも起きます。ネガティブな感情が起きてもそれを無いことにしたり、自分の感情を操作するのです。操作とは文字通りのことで、気分や気持ちの切り替えといったような軽いことではありません。実際に、感情を無いことにするのです。そんな感情の操作などができるのか?あり得るのか?と信じられないことですが、そんな感情操作を行うことを子どもが身に着ける、ということも生じます(もちろん、その副作用は生きづらさや他の問題として生じることになるのですが)。
さらに感情にまつわる別の例としては、親の不安や恐怖を子が抱え込むということもあります。親子の距離が近くなり自他の区別がなくなることも手伝い、親の不安や恐怖を子ども肩代わりするかのように自分のものとして抱え、その結果として、成人してもなぜかよくわからない不安や恐怖にさいなまれ続けることも起こります。
以上のように、親などの家族の矛盾する状況を整合させるために賢い子どもが自分の認知、感覚を歪めてまで、親との関係や、家族の調和を維持しようということは珍しくないのです。人間はかように高機能なために、それが逆用されると、長く深刻な影響を引きずるのです。
参考)→「家族の中で一番利発でまともな子が頭がねじれて病んでしまう」
そんな状況について、父に助けを求めようにも存在が薄い、あるいは状況を洞察する力がない(機能不全)、介入したらヒステリックになるであろう母(妻)について関わろうとしない。仕事に忙しいことを半ば言い訳にかかわれない(単身赴任なども)場合もあります。さらに、母は外面は良いので、学校の先生や、親族も問題に気が付けない
このようなダブルバインドの状況になると、子どもは、状況をメタ認知で言語化することができなくなります。
メタ認知とは、わかりやすく言えば、状況を俯瞰して、つっこみを入れることです。
「それって、どういう意味?」「マジかよ?!」「なんでそんなことしたの?」といったようなことです。
おかしな状況に水をかけるような言葉です。
つっこみとは、自分の感覚から発する言葉でもあります。
母親は否定のメッセージを発しているときにメタの言語化をされるのは脅威ですから、それを子どもに禁じます。
すると、子どもは、真に相手の意図を組み、真に自分の思いを表現するという、正常な関係にとって基礎的なコミュニケーション能力の欠けた人間に育っていくのです。それどころか、自分の感情や考え、本心が何かもわからなくなるのです。
以前、このブログで、トラウマが重いと「壊れたラジオ」のようになる、ということを書きましたが、トラウマを負った方は、まさに自分の感覚や、メタを言語化することが苦手です。
自分の本心を言うことに制限がかかっているので、えんえんと壊れたラジオ、あるいは酔っ払いが管を巻くように話続けたり、自分の状況を尋ねられても自分のことをうまく言葉にできないということがあります。そもそも自分が何を考え、感じてて、何を言いたいかも自分でわからなくなるのです。
参考)→「”壊れたラジオ”のように」
なぜこうなるか?といえば、頭の中に家族との歪んだコミュニケーションで負った矛盾した状況を内面化していて、さらに、「自分(の考え、感覚)はおかしい」という不安が強固に思ったまま、会話しようとしているからです。
おかしな連立方程式を解きながら会話しようとしていて、さらに解けない自分は他人よりも劣っている、欠陥がある、と自己否定しているからです。
参考)→「おかしな“連立方程式”化」
こうした生育歴で成人した場合、非常な生きづらさを感じることになります。
ベイトソンは、統合失調症を例としていますが、統合失調症になるか、複雑性PTSD(アダルトチルドレン、ヤングケアラー状態)となるかは、その人の体質や気質によります。
パニック障害として現れる場合も珍しくありませんし、多重人格となる場合もあります。うつや不安症、強迫性障害、俗にいうパーソナリティ障害、依存症としても現れます。
それぞれは、ダブルバインド状況の中で葛藤から発症し、発症によって何とかその状況から抜け出そうとする心身の働きです。
しかし、本人は生きづらさを抱えてカウンセリングなりにかかったとしても、はっきりと自分を表現することもできず、「明確に親が自分を虐待したという事実」も見つけることができず、「いや~、親がそれほどひどかったとは思えないんです・・(だから、ただただ自分がおかしいのでは?)」と言うことになります。
さらに、症状が出ているのは自分で、家族は社会的には問題ないとされています。同じ環境で育った兄弟は見た目には病んでいなかったりもする(本当は同じではないのですが)。パフォーマンスが上がらない、たまに耐え切れずに親に暴言を吐くような自分のほうがおかしいとされる“客観的な”状況がそろっており、そのことも苦しめます。
まさに、“あいまいな”マルトリートメント(虐待)です。
実はここでご紹介した“あいまいな”状況こそが一番深刻とさえ言えます。
わかりやすい虐待のほうが、相手が悪で被害者が善であると認識しやすく、社会の承認も得られてよほど良い、とさえ言えます。
そして、治療者も、ダブルバインドなどの知識がなければ、状況を洞察できず、バランス感覚を重視して根拠もなく決めつけるようなことを避けたいという心理も働きますから、治療者自身もその欺きに少なからず加担させられるなどという恐ろしいことにもなりかねません。
仮に、良い治療者に出会っても、子どもは家族を守るために内(家)の文化をどこか守ろうとします。場合によっては、医師やカウンセラーに対して家のおかしさを理知的に語るかもしれません。しかし、その物腰は本当に家族の文化にどっぷりつかった人のそれで、どうしても核心に迫れない、本当の解決策につながれないということも起こるのです。
参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。」
※ここで表現したのは母子関係に単純化したもので、実際のケースではここに兄弟、父や祖父母などが複雑に関係してきます。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
・ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ
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