“たまたま”を「因果、必然」と騙る~「自分だからハラスメントを受けた」はローカルルール

 

 ”作られた現実”の代表的な事象はハラスメントの被害にも見られるのではないかと思います。

(参考)→「「物理的な現実」に根ざす

 

 最近、ハラスメントの被害を受けた、と訴える有名人のニュースをよく目にします。

 あんなに快活なようにみえるスポーツ選手が、関係者からいじめにあっていたりしたんだ、と驚いてしまいます。

 

 乙武洋匡さんも、一時、教師をしていた際に赴任先で同僚の教師からいびられて、とても嫌な思いをした、ということをTV番組でおっしゃっていました。

 USJを再建して有名になった森岡毅さんも、P&Gで働いていた際に、米国本社で現地の社員にとても激しいいじめにあって苦しんだそうです。
 自分だけ会議の案内といった情報が来なかったり、面罵されたり、大変な思いをしたそうです。

 歌手の和田アキ子さんも、新人の頃、楽屋で先輩から辛いいじめにあったそうです。
 

 臨床のあるあるかもしれませんが、野球部など運動部に属していたという人に「いじめにあったか?」とたずねると、かなりの確率で「部でいじめられていた」と答える、と聞いたことがあります。
 
 

 

 こうして、いろいろな人のハラスメント経験を聞いて改めて思うことは、「ハラスメントはどこにでもある」そして、「ハラスメントの対象となるのは、やはり、たまたまだ」ということです。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 わたしたちは、「自分だから、ハラスメントを受けた」「ハラスメント受けた理由の一端は、自分の言動や性格の不備にある」と思いがちです。

 

 しかし、それらは全くの間違い。それ自身が刷り込まれたローカルルールである、ということです。

 ローカルルールとは、常識を騙った私的情動です。
 私的情動であることがバレたら、成立しなくなります。
 最もな理屈をつけて正統性を偽装し、巻き込み、相手に真に受けさせることが不可欠なのです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 物理的な現実は「たまたま」なのですが、「たまたま」では都合が悪い。

 そのために、「お前だからハラスメントを受けて当然だ」とか、「これは常識なのだ」という“現実(ローカルルール)”を作り上げをわたしたちに投げつけてきてきます。

 昔、学校などでいじめを受けた、という人にとって、何より影響を及ぼしているのは、当時のダメージよりもむしろ、「わたしだったから(因果、必然)」という感覚ではないかと思います。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因」 

 

 わたしたちが、過去の嫌な記憶を思い出して、「自分だから、あんな目にあったんだ」「イケている他の人だったら、あんな目には合わなかったはずだ」
「他に人からは人気のあるあの人からハラスメントを受けた、ということは相手がどこか正しいに違いない」とか、そうした思いは単なるローカルルールによる“思い込まされ”なのです。

 

 いじめとか、嫌がらせというのは、その行為自体だけではなく、「あなたのせいだ」「あなただからこうした仕打ちを受けている」と”たまたま”を「因果、必然」と言い立てる理屈付けとセットでなりたっているものだからです。

 

 理屈づけは「おまけ」ではなく、それがなければハラスメントというローカルルールは成立しないからです。

 つまり、「因果、必然」と偽装するその理由付けは全くのデタラメだ、ということなのです。

(参考)→「因縁は、あるのではなく、つけられるもの

 

 
 わたしたちが生きていく中では、必ず、このようなローカルルールによるハラスメントには遭います。それらは”たまたま”でしかない。戯れ言としてスルーしていく必要があります。

 
 作られた現実は、一つの目立つ要因を取り上げて”「因果」を騙ります。

 一方、「物理的な現実」は多要因、多次元ですから、因縁でもつけなければ言語化できるレベルに明快な因果や必然などはないのです。

 

 私たちにとって安全基地となるいわゆる”愛着”というものは、私たちに「物理的な現実」を見せることをサポートするものです。

 たとえばハラスメントにあったとしても、それを「たまたま」「あなたは大丈夫」として、ローカルルール(作られた現実)をバラバラと解体する作用があることがわかります。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて

 

 

 反対に、先日の記事でも書きました「ニセの感情」や「俗な知識」はニセの因果や必然を補強するものであることがわかります。

(参考)→「ローカルルール(作られた現実)を助けるもの~ニセの感情

(参考)→「ローカルルール(作られた現実)を助けるもの~俗な知識

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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ローカルルール人格って本当にいるの?

 「ローカルルール人格って本当にいるの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。

  ローカルルール人格というのは、心理学や社会学などでも明らかになっている事象をまとめて表現した臨床上の概念です。もちろん、実際に存在しますし、誰でも目で見て確認したことがあります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 たとえば、「モラルハラスメントの加害者(いじめっ子、ハラッサー)」というものについて。モラハラは本当にあるのか?ということを考えてみます。

 仮に整理するために、

a)概念 + b)物理的な存在 + c)現象

 の3点セットがそろってはじめて、確実にわかる、ということであるとするならば、

a)概念    (モラルハラスメントという仮説で規定)
b)物理的な存在(加害者として物理的に存在していることを確認できる)
c)現象    (ハラスメント行為が目で見て確認できる)

 ということで、明らかに確認できます。

 いじめっ子という存在も、「いじめ」という概念があってはじめて明確になりますが、物理的に存在し、明らかにその行為をしていることを確認できます。

 ローカルルール人格はどうか?といえば、これもはっきり目で見て b)存在 と c)現象 を確認し、実際に接することができます。

 みなさんも自分の目でローカルルール人格を見たことがあります。

 一番わかりやすいのは、最近ドライブレコーダーやスマホの普及で撮られるようになった「あおり運転」の映像。

 あれがまさに「ローカルルール人格」
録画で証拠として撮られていますね。

a)概念    (ローカルルール人格という仮説で規定)
b)物理的な存在(映像で撮られている)
c)現象    (映像で撮られている)

 ということで疑う余地もない、ということですね。

 普段は人の良いおじさん、お姉さんが、車に乗ったら人が変わる、なんていうことはわたしたちも昔から知っていました。あれがローカルルール人格。

 職場の意地悪な人。DVするパートナーなんかもそうです。
物理的に確かに存在します。

 意地悪な行為も目で見て明らかに確認することができます。

(最近は、モラハラ、いじめの現場も音声、動画で残るようになりました。国会議員がローカルルール人格にスイッチして、秘書に「ハゲ~~!」といった記録のもそうですね。)

 心理学の概念や事象は目で確認しづらいものも多いですが、「ローカルルール人格」は多くの人がその目でその存在を知っています。

 (ただ、当事者、本人は自分がローカルルール人格にスイッチしていることがわからないことが多いです。あおり運転の加害者もしかりです。)

 筆者ももちろんローカルルール人格と直接接して話をしたことがあります。
あるときは、ローカルルール人格が暴れてカウンセリングルームの机を蹴られたこともあって、その証拠が今でもヘコミとなって残っています。

 ローカルルール人格とは、ローカルルールを内面化した内的要素のことです。
ローカルルールが伝染する、というのは社会学者などによって指摘されていることで、歴史的にも様々な事件で見られる現象です。

参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 最近起きた教師間のいじめなども、まさに異常な現象がおきるのは、ローカルルールというものが存在するからです。
保護者からは評判が良かったらしい先生がおかしくなってしまう、というのもこうしたことからです。

 人間は誰もが、人格が分かれている、というのは解離の研究や、性格の研究、脳科学の研究などでは当たり前に指摘されていることです。

(参考)→「解離性障害とは何か?本当の原因と治療のために大切な8つのこと)」

 わたしたちが使っているPCやスマホも、アプリやプログラムが複数動作していますが、わたしたちはまさにあのような感じです。

 人間の脳とは、社会的脳といって、複数のモジュール(ネットワーク)から成り立っているといわれています。

 アメリカの心理学者マイケル・S・ガザニガなどが提唱している仮説です。人間は一枚岩ではなくて、複数のネットワークがいつも並行して動いているような存在です。

 性格検査というものも科学的には根拠がないとされます。関係や場面によって現れる性格が異なるからです。
(社会心理学者が書いた「あなたはなぜ変われないのか 性格は「モード」で変わる」(ちくま文庫)に詳しいです。)

 複数のモジュールが常に動作しているのが人間というものの姿です。

 作家の平野啓一郎さんは、「私とは何か――「個人」から「分人」へ 」(講談社現代新書)という本を書いています。
私とは、一つの個人ではなく、分人の集まりであるということです。

 人間というのは、社会の規範を意識・無意識的に内面化して社会に適応していきます。”内面化”というのは頭で理解して、というレベルではなく、まさに「そのものになるように」「染まるように」適応していく。

 社会の規範というものが、本物の社会であればよいのですが、人間はしばしば、ローカルルールというニセの規範を生み出すことがある。
これも、人間が社会的な動物であることに由来します。

 社会的であることを悪用して、自分の不全感をごまかして、ローカルルールを生み出してしまうのです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 だから、いじめのような卑劣な現象が生じたり、ストレスがかかると常識的な人が急におかしくなって失礼なことを言い始めたりもする。

 ローカルルールも、頭で知識として格納されるのではなく、まさに染まるようにわたしたちに影響します。内面化されたものは、人格単位で適応し、内外に影響します。それが「ローカルルール人格」というものです。

 ローカルルール人格という存在を意識してみると、自分が被ってきた理不尽な事象がスッキリ解釈できたり、自分自身についても、それまで動かなかった悩みも改善が期待できたりする。

 例えば、多重人格の研究では、人格が変わると、体質も変わってしまうことが明らかになっています。
F・パトナム他「多重人格障害-その精神生理学的研究」(春秋社)

 人格が変わると、実際に薬の効きも変わったりする。薬には薬耐性など、体質的に効かない人がいる。

 だとすると、遺伝子コードが効かない、セラピーが効かない、という場合、人格がスイッチして体質を変えているとしたら・・?

 これまでいろいろのなことをしてみても良くならない、という方は、カリスマカウンセラーが「こんな新しい手法を考えました」と新しい方法を持ってきても、人格がスイッチして邪魔しているのなら、「何をしても効かないんです」ということになりかねない。

 上にも書きましたが、性格検査も、社会心理学では意味がないとされている。
性格もモードによって変わるためです。人格を一つとしていては、その人を捉えられないのです。

 そうであれば、セラピーも人格を一つ、としていては意味がなくなってしまうのかもしれない。まさにセラピーで扱うはずの心理や人格が場面場面で変わってしまうのですから。

 そうではなく、私たちは分人であること、「人格(のスイッチ)」ということそのものに注目してみたら、どうだろうか。

 もしかしたら、「効かない」ということの首根っこも押さえることができるのではないか? もっと、効くようにできるのではないか?

 ローカルルール人格に注目すると、そんな面白いこと(変なこと?)も考えられる。

 このように人格(ローカルルール人格)というものに着目してみると、たいへん便利ですし、皆さんの身の回りのさまざまな事象を捉えたり、難しい悩みを解決することに役立ちます。

 人間は単に”解離しやすいサル”であり、ローカルルールの中にいるからすごく巨大に見えていただけだ、そして、自分も弱く感じられていただけだ、ということがわかってきます。これまでは得体のしれない感じがしていた事象や人が怖くなくなってくる、なんだこんなものか、と感じられてきます。

 わたしたち人間は、現実や社会を適切に捉えることができれば、悩みを自然と修正する力がある、ということなのでしょう。「ローカルルール(人格)」という発見はそのためのとても便利な道具です。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

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恐れる必要はない

 

 

 トラウマによって引き起こされることで一番大きなことは、やはり対人恐怖ではないかと思います。

 人というのが、何を考えているのかわからず、裏で恐ろしい企みをして、自分を貶めるような感覚が襲ってきます。

 動じない人を見ると怖くなったり、

 幸せそうな人を見ても脅威を感じたりするようになります。

 精神的に強いや安定している人は皆、サイコパスのように感じられたりする。

 わけのわからないことを言う人は、何やらとてつもない策略をもっているように感じてしまう。

 

 その根本にあるのは、理不尽な家族との関わりです。

 

 自分の全てを見抜いた上で、自分にとって嫌なことをしてくるように感じる。意味深なことを言ってきて、自分を縛る。

 

 不気味な怖さを感じてしまいます。

 たしかに、モラルハラスメントを仕掛けてくる人が狡猾さをもっていることは事実です。なかなか侮れない。気のせいではない。

 

 しかし、それはローカルルールの世界においてのみ成立する、ということです。

 

 いじめなどもそうですが、いじめられている空間においては、狡猾さは完璧に見え、そこから自分は逃れられないような気がしてしまいます。加害者は全てを掌握し、支配し、自分のすべてを知りぬいた上でハラスメントを仕掛けてくる感覚があります。

 

 ただ、常識の光が照らされて、ローカルルールの魔法が解けるや嫌な、や児戯に等しい異常さや、拙さがそこにあるだけということが見えてきます。

 

 呪縛されている間は完全なものに見える、
 ローカルルールというのは、そうした性質があります。

 
 なぜかといえば、
 「ルール」という言葉が含まれるように、ルールというものを悪用しているところにその理由があります。

 

 かくれんぼでも、トランプでも、草野球でもそうですが、その遊びをしている間は、わたしたちはそこで決められたルールを絶対のものとしています。

 その世界で没頭しています。ルールは強制力を持ち、それに従って過ごします。

 

 もし、遊びの世界で”王様役”というものがあれば、本当に王様のように振る舞い、皆それに従います。

 さながら小宇宙のようであり、それがすべてのように感じられます。

 しかし、遊びが終わるやいなや、それは雲散霧消してしまい、もとの常識の世界へと戻っていきます。

 「ルール」には、かんたんに小宇宙を形成する力があるのです。
 
 

 たとえば、理不尽な親や上司がとてつもなく狡猾に見え、賢く見え、自分が弱々しく見えるのはなぜか、といえば、それはローカル”ルール”の世界にいるから。

 ルールから外れれば、小さな、年老いた親がそこにいるだけ、だったりする。

 相手を騙すような頭の良さもなければ、能力もない。
 

 

 考えてもみてください。

 もし本当に悪魔のような狡猾さがあるのであれば、政治家か、社長にでもなって、もっと世の中で大活躍しているはずです。
 実際はそんな知力も、能力も持ち合わせてはいない。

 

 強く、したたかに見える加害者(親や上司や、パートナーや、知人)は能力が高いわけではありません。

 強く見えるのはローカルルールの世界の中で、ルールの大本を握っているから、そう見えるだけです。 
 それは、ごっこ遊びの世界で王様役の人がいろんな事ができるように見えるのと同じ。本当は大した能力など無い。

 大切なのは、「恐れない」ということです。

 恐れる、というのはルールに同意する、協力する、ということ。

(参考)→「「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。

 

 単に「恐れるな」といえば道徳になってしまい、「そんなの無理」となりますが、上にも書きましたが、相手はそんな力はない、という事実を知ることです。

 

 人間というのは大した能力を持ち合わせている人は、100万人に1人くらいしかいません。

 私たちの周りにいる人で、そんな力のある人はいません。
 

 「いや、いますよ。うちの親(上司)がそうで・・いつも私を狡猾に支配してくるんです」というのは、ローカルルールというニセの小宇宙の中でだけの力だということです。

 

 「裸の王様」の話のように、同意する人がいなくなれば、王様は単なる裸の人になってしまうものです。

 そのことがわかるだけでも、ローカルルールはこわれていきます。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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わからず屋の刑事(デカ)のように生きる

 

 過去に理不尽な目にあった人は、なぜ相手が自分に対しておかしなことをしてきたのか?について答えを求めようとします。

なぜ相手があんな言葉をかけてきたのか?行動をとったのか?

相手があのような行動に及んだ心理は何なのか?

なぜ、自分なのか?

自分にも非があったのではないか?

 頭の中がぐるぐるします。

 

 クライアントさんの中には、その分析を何年も何年もずーっと行っている方もいらっしゃいます。

 

 カウンセリングでは、辛いことでも話をしたりすることで和らいだりすると考えられています。分析することも、悩みを解決する上で役に立ちそうな気がします。

 しかし、結論から言うと、残念ながら、理不尽な目にあったことをいくら分析しても、反芻しても良くなることはほぼありません。特に、加害者(ハラッサー)の心理を分析したりすることは、むしろ症状は悪くなります。

 

 

 理不尽なことの正体はなにかといえば、「私的な感情」です。そこにいろいろな理屈をつけてコーティングしてそれらしく見せているだけなのです。

 だからそこには中身はない。あるのはその人の闇(ネガティブな感情)だけです。

 そうしたものを「ローカルルール」と呼びます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 正体は「私的な感情」にすぎませんから、実は分析する価値はないのです。
闇を覗くようなかっこうになり、その闇を隠すための屁理屈に巻き込まれて、「自分が悪い」と思わされたりするようになります。

 例えば、最近問題になっているあおり運転について、被害者が「加害者がなぜ、あんなことをしてきたのか?」「なぜ、私だったのか?」と分析しても意味がないのと同じです。

 

 何も出てこないのです。ただ、相手が運転の際に刺激を受けると人格が変わる人だ、ということ以外に理由はありません。

 

 いじめでも、なぜいじめっ子がいじめてくるのか?ということを分析しても意味がないのと同じです。

 いじめの研究でわかっていることは、ターゲットに選ばれるのは「たまたま」であり、強いて理由をあげるとしたら、いじめっ子は家庭などで不全感を抱えている可能性が高い、ということだけです。つまりすべて加害者の都合で完結しているのです。

参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因
 

 

 しかし、そのことがわからずに、加害者の心理を分析しようとする人は、取り込まれてしまいます。そうした例は枚挙にいとまがありません。

 いじめっ子をかばい、いじめられっ子にも非があると考える教師
 オウム真理教事件の際に、加害者にも寄り添って理解してあげなければ、と考える知識人、ジャーナリストたち
 やまゆり園事件の犯人にも、やったことは悪いが動機は理解できると考える人たち

なども、巻き込まれた状態の典型です。

(参考)→「寄り添いすぎて目がくもる

 

 

 不全感を抱えた人、言い換えるとローカルルール人格にスイッチした人というのは、独特な惹きつける魅力があります。凶悪犯や、悪人は特にそうです。

 

 それは、本当の魅力ではありません。

 単にパーソナリティに失調をきたした人が醸す独特の匂いでしかなく、偽物の魅力でしかないのです。

 

 繰り返しになりますが、ローカルルールにはニセの魅力があります。

 ※とくに、「ローカルルール」という名の通り、ニセモノでも「ルール」を握っている側ですから、魅力(権威)をまとっていないとローカルルールを成立させることができません。

 いじめっ子も魅力があって、いじめられっ子はいじめっ子に認められたいと思っていたりすることがある。毒親でも、親から認められたいと思っていたりもする。それらはニセの魅力からくるものです。

 

 

だから、分析したり、なぜか?と考えるとそこに巻き込まれてしまうのです。
 

 ですから、わたしたちも、
 「なぜ、自分の親はあんなことをしてきたのか?」
 「なぜ、私の上司はああいう人なのか?」
 といったようなことは考えてはいけないのです。
  

 

 

では、どうすればいいのでしょうか? 

 

 ヒントは、「わからず屋の刑事」にあります。

 サスペンスやハードボイルドのドラマ、小説では、主人公やあるいは同僚や先輩として、わからず屋の刑事が登場します。

起きた事件には魅力的なストーリーがあって、犯罪者もなんらかの背景を背負っています。感情移入をしてしまいそうな気になります。

 

 しかし、わからず屋の刑事は、「オレにはよくわからねえ」と取り合うことはありません。

 その刑事には共感力がない?

 
 いいえ、それでいいのです。
 刑事コロンボも、名探偵コナンも、感情移入して感傷に浸ったり、巻き込まれたりはしません。

 

 

 そういえば、映画「デスノート」で、犯人である夜神月が、エルの計略にかかり正体を暴かれた際に、世の中がいかに汚れていて、犯罪者たちを抹殺することが正当であるかを語るシーンがあります。

 それによって、エルたちを巻き込んで起死回生を狙います。

 

 視聴者である我々も、その迫力に気圧されながらも、おもわず「もしかしたら、なるほど正しいかも?」と少し気持ちが傾きます。

 

 しかし、エルは「(夜神月は)単なる精神異常者」と一刀両断にします。

 

 それでいいのです。

 

 わたしたちも、加害者(ローカルルール人格にスイッチした人たち)に対しては、同様の捉え方、接し方が大切です。

 

 「母親はなぜあんなことをしたのか?」なんて考えない。分析しない。

   
 人間は、私的な環境ではローカルルール人格にスイッチすることがあり、ローカルルール人格とは異常な状態なのだ、という理解だけで終わりです。

 

 加害者とまではいかなくても、日常で人と接するときは相手を分析したり、共感したりしない。人は容易に解離してしまうからです。

 リスペクトをもって接し、あくまで常識の土台の上で応対する。それを逸脱する状況は相手にしない。

 

 相手から、頭に残る意味深なことを言われたとしても、わからず屋の刑事のように「戯言」として切って捨ててよいのです。

 

 

 じつは、「わからず屋の刑事」とは、愛着が安定した、常識に足場を置いた、本来の健康な状態に近いものなのです。
 反対に、相手に共感したり、常に自分にも悪いところがあるのでは?と考える状態は、愛着不安やトラウマによって引き起こされたものといえます。
 

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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あの理不尽な経験もみんなローカルルール人格のせいだったんだ?!

 

 私たちが、不快な経験を忘れられない、記憶から拭えないのは、
それは、「自分に問題があるのでは?」という考え、恐れがあるためです。

 

 自分に原因がある、という考えがアンカーとなって、悩みを払うことができなくなる(「自分に原因がないと思うと、独りよがりになる。自分が成長できなくなる」といったことを考える人は実はかなり多い)。

 

 「失礼なことを言われたのは、失礼なことを言われるにたる原因が自分にいくらかでもあるためでは?」

 とか、

 虐待といった明らかに加害者側に問題があることでさえ

 「ひどいことをされるのは自分に問題があるからだ」といったことや
 「呪われているからだ」
 「(結果として)自分は穢れてしまった」

 といった観念があるために、悩みはずっと消えなくなってしまいます。

 そして、次も同じ目に合うのではないか? と思うと、萎縮してしまったり、人と接するのが怖くなったりする。

 

 

 本来は人見知りではないのに、人と話すのが億劫になる人見知り状態になります。

 

 

 人というものは面倒でモンスターのような存在で、社会というのもいつどこから嫌なことが降ってくるかわからない、とてもつらく、恐ろしい場所だと感じられてしまいます。
 

 

 理不尽な出来事というのは、基本的に全ては偶発であり、自分に原因はありません。

 しかし、人から来たハラスメントというのは、まさか自分がハラスメントを行っています、と言う人はおらず、それを正当化しようとする理屈も同時に仕掛けてきます。そのため、「被害者側に問題がある」という偽りの正当化も含めて、ハラスメント行為が成り立っています。

 

 私的な情動によるものなのに、それがルールなのだ、正当なものなのだと騙ることを「ローカルルール」といいます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 ローカルルールは意識して行われることもありますが、多くの場合、ローカルルールは人間の人格部分に感染して、ローカルルール人格を作り出します。

 

 そのローカルルール人格は、刺激によってスイッチ(変身)します。
 その刺激とは、自分の中の不全感、コンプレックスを刺激するような情報です。眼の前で相手が幸せそうだ、といったことなどです。過去の記憶がフラッシュバックして刺激となり、スイッチすることもあります。

 

 

 では、不全感のまったくない人なら起きないか、といえばそうではなく、嫉妬という動物的な刺激もあります。嫉妬はどれだけ自分を磨いても、抑えることができません。 

 どんな人格者でも、ローカルルール人格に変身することは起きるのです。
 ただ、その閾値が低いか高いかだけ。

 

 

 身体のコンディション、つまり栄養や、睡眠、運動がしっかり取れているかもかなり影響します。 睡眠不足だけでも、変身の閾値は急激に下がります。
 
 洗脳セミナーでは、睡眠を制限するなど身体のコンディション低下をうまく使って、ローカルルールを出席者の人格に感染させるのです。
 
 栄養の不足だけではなく、グルテンやカゼイン、カフェインの摂取なども変身のしやすさに影響します。 

 

 

 環境に追い込まれているときも、閾値は下がります。

 仕事で追い込まれているときは睡眠不足も相まって、メンバーにひどい言葉をかけたり、急に怒り出したり、ということがあるのはそのためです。

 

 

 

 人間というのは例外なく誰でもローカルルール人格への変身を起こします。
 
 そのため、

  気さくで人当たりのいい人が急に理不尽なことを言ったり、失礼なことを行ってきたり、
  
  仲良くしていた友達が急に自分を攻撃してきたり、

  公平であるべきはずの上司や教師といった人がハラスメントをしてきたり、

 といったことは日常茶飯事に起こります。

 

 

 

 ローカルルール人格というのはもっともなようでどこかおかしく、その言動には正当性がありません。

 だから、失礼なことを言われたり、されたりしたとしても、全く真に受ける必要はありません。

 

 例えば、
 日常生活で失礼なことを言われたり、理不尽な目にあっても、それはすべてローカルルール人格によるもの、全く真に受ける必要はありません。

 記憶にある、過去の対人関係でも様々な嫌な出来事も、すべてローカルルール人格によるものです。自分には全く原因はありません。
 

 すべて自分からバッサリと切り離して良い。

 

 

 ローカルルールとは、巻き込まれる人が必要ですから、「自分のせいかも?」と真に受けることでローカルルールは生きながらえます。

 

 

 一方で、 ローカルルールとは、根拠がとても薄弱ですから(私的情動でしかないので)、真に受けなくなると、魔女の魔法のりんごように消えてなくなっていきます。
  

 

 これまでも、心理療法は、様々な方法や考え方で、悩みで苦しむ人を免責しようとしてきました。
 しかし、「人格を一つ」と捉えてきた限界から、どうしても自責感(自分に問題がある)が被害者に残り続けたり、なぜ、あの人があんなことをしたのかがわからず、ぐるぐると理由を考えたり、相手をモンスターのように恐れたり、こき下ろしたりすることが頭の中で止まらない、ということが起きていました。

 

 

 人格が一つである、としているために、”いい人”であるはずの人たちがなぜ自分に対しておかしな言動を取るのかが腑に落ちず、結局自分にも問題があるに違いない、という思考を招き、結果ローカルルールを延命させてきました。

 

 

 自分の中にあるローカルルール人格がフィルタをして、情報を歪めて、関係念慮を起こすこともあります。
 それも自分では直感的におかしいと気がついていても、人格は一つと捉えているために、歪んだ情報を払うことができません。
 しかし、自分の中にも「本来の自分」と、「ローカルルール人格」がいるのだ、と明確にわかれば、自分の感じる違和感に基づいて、関係念慮に気づくことがもできます。

(参考)→「「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」とは何か?

 

 

 

 臨床の中でわかった、「ローカルルール人格が存在する」という発見と、「私たちはしばしば人格がスイッチしている」ということが見えてきたことで、理不尽さの理由がどうしてもわからず自責感を持ち続ける、という悩みをしつこく残し続ける要因を打ち払うことができようになってきました。

(参考)→「モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。

 

 

 

 長く苦しんできた悩みが取れることはもちろんですが、世界の見え方が全く変わってきます。

 

 自分がよって立つ常識や感覚を堂々と信頼してよいという自信。
 おかしいことは、ただおかしな存在によるものであるという確信。

 
 これから将来も、自分に問題があるために人から失礼なことをされるのでは!? と恐れる必要はなくなります。
 実際に理不尽なことは起きても、自分に原因を求めることなく、さっと払うことができるという自信が湧いてきます。
 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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