あるクライアントさんと話をしているときのことです。
その方は、他人に対してイライラしやすい、という悩みを抱えていました。
お店の店員さんの態度がダメだ、とか、従業員がマヌケだ、とか、つき合う友達の態度が気に入らない、とか、そういうことでイライラが止まらない、ということでした。
ただ、イライラしている相手との関係はずっと維持されていました。
お話をお伺いしていると、当然の疑問が浮かんできます。
それは「そんなに嫌なら、気に入らないなら、お付き合いしなければ良いのでは?」ということです。
それを伝えてみると、「う~~ん、関係は切れないんですよね~」 となってしまいました。
こうしたことは、トラウマを負っているとよくあります。
一番顕著な例は、DVなどの関係依存で、ひどい相手を切れない、というものです。
周りから見たら、「なんであんな人と付き合っているのよ」といわれるんですけど、切れない、というものです。
なんかこだわってしまう、無限の情があり、関わりを切れない感じになってしまう。
そのために、ややこしい人との関係を維持してしまうわけです。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服」
このように説明しても間違いではありません。クライアントさんもしっくりと来ています。
別のセッションの際、同じ話題になった際に、そのクライアントさんがおっしゃっていたことが浮かんできました。
それは、「自分が幼い感じがする。それを人から指摘される感覚がある」ということです。
もっといえば、大人から見て自分がおかしいと思われる感覚がある、ということです。
これもトラウマを負っていたらよくある感覚です。なにか自分がおかしい、という感じがある。
自分の中にある原罪感であったり、ニセモノ感があったり、
根源的におかしいのでは?という疑念を感じるというものです。
Being(存在) というのはただそのままで完全で、責任や他人の干渉は及ばない領域です。それが不安定に感じてしまうのです。
そして、Doingの不完全さと混同して、自分のおかしさの証拠としてしまうのです。
さらに、自己イメージが幼い段階で止まっていて、他者が過大に大きく見えています。
だから、他者が大人として見えて、自分は子供として見えています。
では、なぜ、ややこしい人と付き合ってしまうのか? というと、
実は、普通の人と付き合うと“普通”の人から自分のおかしさを指摘される恐れがあるから、わざわざ自分よりも「下」と感じる人たちとばかり付き合おうとしているのではないか?ということが浮かんできたのです。
それをお伝えすると、クライアントさんも、「ズバリ、それはありますね。相手が大人で、自分がどうしても幼さ、未熟さが露呈する感じがするので」とおっしゃるのです。
ちゃんとした店員さんだと、自分の未熟さがバレる。
ちゃんとした人を雇ったら、自分の幼さがバレる。
ちゃんとした友達と付き合ったら、自分のおかしさがバレる。という感覚。
だから、ちゃんとした人は無意識に避けている、自分よりダメな人だと安心する、ということがあるのかもしれないのです。
ここで、かなりしっくり来た感じになりました。
(参考)→「自分がおかしい、という暗示で自分の感覚が信じられなくなる。」
そして、その流れでクライアントさんがふとおっしゃったのが「おかしさというのは育ちと結びついているから、難しいですよね」という言葉です。
「育ちと結びついている」、つまり、どうもそのおかしさが自分の親や家から来ている感覚があるというのです。
筆者は、あれ? と引っかかりました。
この最後の言葉で、クライアントさんも、カウンセラーも同時にピンときたことがありました。
それは、自分のおかしさをバレないようにしている、というのは、実は、家のおかしな価値観を守っているのではないか?ということです。
その方の家は、機能不全家庭で、暴言が飛び交ったり、温かい関わりが少ないご家庭でした。
それも祖父母からの価値観の影響もあって、いびつな状況に置かれていたのです。
自分の問題をばれないようにしている、と表面的にはなっているのですが、
その問題は家から来ていますから、実は家のおかしな価値観を守らされている、ということが生じているのかもしれません。
つまり、自分の問題がバレないようにしているというのは、ファミリー・シークレットを守っている、ということだったのです。
(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。」
さらに、冒頭の「だったら付き合わなければいいじゃない?」というような人と付き合うということにもこれはつながっています。
それは、自分よりダメな人(だと感じる人)を批判することで、家の価値観が正統である、ということが暗に成り立つ、ということ。
ある国や社会で、差別する人たちを作ることで統治の秩序を保とうとするかのような構造があるのと似たことかもしれません。
つまり、そのクライアントさんのイライラは、単に関係依存ということではなく、家族のおかしな価値観を守っている、守らされている、ということから生じていたのです。
イライラすることは、トラウマからも来ているのですが、イライラして他者に問題を向けることで、根源的な原因が温存されてしまっていました。
(温存された原因、秘密と自分とが不可分につながっているので、イライラしている相手との関係を切ることができなくもなっていた。)
他者へのイライラ → 自分のおかしさがバレる不安 → 家族の価値観を守っている という構造 → 構造を守るためにイライラする対象が必要 → ・・・
これは、とても意外な結末でした。
そして、これは私たちが抱える別のテーマについて当てはまる可能性が大いにある、ということも見えてきます。
皆さんが抱える問題も、実は親とか実家のおかしな価値観を守らされ続けるためにあるのではないか?
と疑ってみることは問題解決に役に立つかもしれません。
今回の記事の図式に、ご自身の悩みを無理にでも当てはめてみるのです。
自分の悩み → 自分のおかしいのでは?という不安 など、 → 家族の価値観を守っている → 自分の悩み →・・・
という構造
そうすると、今まで見えてこなかった構造が見えてくるかもしれません。
(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。」
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